ゾーイの憂鬱
はじめまして!
悪役令嬢モノが大好きで、何か書いてみたい!と思って書いてみることにしたのですが、ちょっと違う方向性になった気がします。
よければ読んでくださるとうれしいです。
結婚。それは一つの社会的な契約を指す言葉である。少なくともゾーイ・フォン・アインザッツはそのように考えていた。特に、貴族であればその傾向はさらに顕著である。何せどの家とどの家が婚姻関係を結んだか、ということは、家同士のつながりを意味していたからだ。派閥争いにおいて重要なポイントになるし、歴史的な地位と実利的な金銭は釣り合わないこともある。お互いの利害のために新興貴族と名家と言われる貴族の家が結婚することだってある。結婚とは、ゾーイにとってそういうものだった。
ところが、である。
「はあ、つまり何がおっしゃりたいのでしょう」
「だから! エリアス様に酷いことしないでって言ってるんです!」
「その酷いこと、というのは?」
「だ、だから、その、むやみに他の子女とお話しないように、とか、二人で帰っちゃダメ、とか……」
「それは、婚約者がいる男性なら当然のことではなくて? わたくしだってみだりに他の男性と二人きりであったりなどしないわ」
「だ、だけど! 友達とか、恋愛とか、自由じゃないですか!」
目の前で囀る小鳥には、ゾーイの道理は通らないらしかった。ゾーイはちらり、と辺りを見渡して、胸をなでおろした。たまたま外の風にあたりながら本でも読もうとベンチに座っていたのだが、運よく周りに人はいないらしかった。人がいては、こんな場面は醜聞になってしまう。
小鳥の名前は、メリナ・プファンクーヘン。新興貴族で貿易商を営むプファンクーヘン男爵の娘である。その目まぐるしい功績から、一代限りと与えられた爵位にあやかり、男爵の娘はこの学園にやってきた。
彼女がこの学園にやってきたのはちょうどいまから半年前の夏の暑い日のことだった。様々な準備を整えてから……、ということで入学が遅れたらしい。それも無理のない話だろう、とゾーイは思ったものだ。何せ今までは他より裕福であったとはいえ、庶民として暮らしていたのだ。それがいきなり貴族として暮らせ、と言われても、様々なしきたりやマナーを覚える必要がある。むしろ夏までに学園に通える程度には仕上げてきた、というのは、なかなか優秀なのではないのかしら、とさえ思っていた。
実際、メリナは優秀だった。まだぎこちない部分はあるものの、貴族として及第点が出る程度のマナーと気品、それから美しさを備えていたのである。
かわいらしい少しウェーブのかかった金の髪に、角度によっては桃色に見える柔らかな色合いの瞳はうるりといつも潤んでいる。それがどこか庇護欲を誘うらしく、もっぱら男子生徒の噂の的であるようだった。
さて、そんな優秀さを持ち合わせた彼女だが、いかんせんそうもいかない部分もあったらしい。
それがこの、ゾーイに対する物言いである。ゾーイは溜息を押し殺して、そっと口を開いた。
「プファンクーヘン男爵令嬢」
「は、はいっ」
しゃきりと彼女の背が伸びる。きっとゾーイの態度がマナー講師によく似ていたのだろう。あまりにも伸びきった姿勢に、ゾーイは思わず微笑ましくなってしまった。しかしすぐにその微笑みは捨て去り、努めて冷静な顔を心がける。
「貴女がエリアス様を好いていることは知っています」
「……す、好いているなんて、そんな」
メリナは照れたように頬を抑えた。それを見て、ゾーイは思わず呆れてしまう。そんな場面ではないからだ。婚約者がいる相手を好いている、ということが、あろうことかその婚約者にバレているのである。赤面ではなく真っ青な顔になるべきところだろう、とゾーイは思うことを止められなかった。
「けれど、何度も言うようにわたくしとエリアス様の婚姻は、家同士の約束なのです。気持ちでどうにかなるようなものではないわ」
声が呆れたものになってしまうのも、致し方ないことだろう。溜息をつかなかっただけ優しいと思ってほしい。そんなゾーイの想いとは裏腹に、メリナは肩を震わせて、目に涙を溜め始めた。きっとこういうところが男性に受けるのだろう。ゾーイは冷静に考えた。
「じゃ、じゃあっ! エリアス様に自由な恋愛はさせないって言うんですか!」
「決めたのはわたくしじゃないわ」
決めたのは、婚約を決めた家であり、彼らの両親だ。決してゾーイではない。そもそも、それを言うならゾーイだって気がつけばエリアスが婚約者になっていたのだから、自由な恋愛などすることができないのだ。なぜメリナはゾーイがエリアスのことが好きだ、という考えでいるのだろうと首をかしげてしまう。
メリナはゾーイの返事に押し黙り、ぐっと唇を噛みしめてから、そろりと口を開いた。
「……だから、エリアス様、二週間も学校に来ないんですね」
ぽつりと呟かれた声はどこか沈んでいる。どうやら気にしているらしい。
「病に臥せっておられる、とのことでしたけど」
「そんなの嘘!」
「あら。どうして?」
「だ、だって、だってわたしと出かけて帰った日から、来ないんだもの……!」
堂々と浮気宣言ではないか。なかなかやるなと思いながらもゾーイは流してやることにする。ここでつっこみを入れてしまうと、己の婚約者の不貞を暴かねばならなくなってしまうからだ。
それに、彼らが「友人との交流」と称して二人きりで出かけたのはなにもその一度だけではない。何度も出かけているのだ。いまさら目くじらを立てたところでどうしようもない。
「まあ。たとえそうだったとしても、お家の方針でしょう。わたくしにできることなんて何もないわ」
「だって、だって会いに行ったら門前払いだったんです!」
「はあ……」
そりゃあそうでしょう、と思ったが、ゾーイは口には出さなかった。まず家に行くには手紙を出すのが慣例だ。そのあとに家に伺うのである。彼女はきっと、手紙も出さずに家に向かったのだろう。
たとえ手紙を出していたとしたって、息子の不貞はそれなりに耳に入っているに違いない。外聞を考えるならば、家に入れないに違いなかった。
――まあ、今はそれ以外にも理由があるのかもしれないけれど。
ゾーイはそっと息をついた。それを見て、メリナは何を思ったのか、ぐっと目に涙を溜めて、ゾーイをきっとにらみつけてきた。
「……~っ、わたし、諦めませんから!」
それだけ言うと、メリナはゾーイの言葉も待たずに走り去ってしまった。ぽかん、とその背中を眺めて、ゾーイはぽつりと呟く。
「……行ってしまったわ」
手元にある本に視線を落とすが、もう読む気にはなれなかった。空を仰げば、太陽は隠れてしまっている。冬の寒いなか本を読むのもなかなかに乙なものだろうと思ったのだが、そうするには指先が少しかじかんでいる。
「……はあ、本当に困った子」
ゾーイは今度こそため息をついて、独り言ちた。ゆっくりと本の表紙を撫でて、ゾーイは銀糸の長い髪を揺らして、再び溜息をついた。
「それに、エリアス様にも困ったものだわ」
まったくどうして、己で撒いた種を放置するのだろう。尻ぬぐいは自分でしてほしい。ゾーイは、先ほどは知らないふりをしたが、エリアスが今どんな状態にあるのかを知っている。知っているからこそ、メリナに何かを話すなんてできなかった。はあ、もう一度ゾーイはため息をついた。
――伝えられるわけがないじゃない。エリアス様はおかしくなってしまったみたい、なんて。
メリナはゾーイの言葉なんて信じないだろうし。どうしたものかと考えて、ゾーイはもう一度ため息をついた。
ありがとうございました!