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はるののはら

作者: pinkmint
掲載日:2022/05/10

ほっ。


というような音がして、いきなり広い青い空間が目の前に広がった。


眩しい。


果てもない、底もない、ただまるく静かに広がる空間がそこにあった。

白いふかふかふわふわしたものが頭上をいくつも流れていて、そのはざまに正視できないぐらいの光のかたまりが、出たり入ったりしている。


わたし、知っている。あれは、おひさま。


自分はいま、起きたのか。

目を開いたのか。

それとも、いま、生まれたのか。


ふと横に目をやると、白いポンポンした頭を揺らして、同じような顔をした花々が、緑の葉っぱをそよがせている。

風がざざざざ、と地面を伝わってきて、小さな花々はふわふわと頭をぶつけあった。

そして、こちらのほうを見た。


「あら、起きたのね」

「こんにちは、新入りさん。お天気のいい日でよかったわね」


白いポンポンした花々が語りかけてきた。


「こん、にちは」


咲いたばかりのシロツメクサは遠慮深くあいさつした。


見渡すと、まわりじゅう、同じ花だらけだ。そして、ちょっと離れたところに、水色とピンクの服を着た、三つ編みの人間の子供が二人、座って俯いて熱心に何かやっている。


おひさま。

風。

青空。花。

ニンゲン。野原。


わたし、うまれたばかりなのに、いろんなことを知っている?


「あなたたちは、わたしのおともだち? それとも、家族?」


おずおずと、シロツメクサは隣の花に聞いてみた。


「いってみれば、仲間ね。あなたはわたし、わたしはあなた。わたしたちの知ってることは、あなたももう知ってる。生まれて死んでまた生まれて、それは仲間みんなに引き継がれていくのよ。わたしたちひとつひとつに、区別はないの」

「でも、わたしはわたしだわ。今生まれて、あなたとこうしてお話ししてる」

そう言ったあと、


「あっ」


咲いたばかりのシロツメクサに、痛みのような衝撃のようなものが走った。


「おかしいわ。誰もわたしを踏んでないのに。わたし、何かされてる?」

「あそこの子たちがね、わたしたちの仲間を摘んでいるのよ。そして、花冠を作ってる」


花はそっと言った。

子どもたちの方を見ると、二人は、摘んだ花を並べてねじって結んで、輪っかのようなものを作っている。


「いたっ。怖いわ。わたしも抜かれるのかしら」


少女二人が座っているあたりからは、「あっ」「きゃっ」というような、小さな悲鳴が次々に聞こえてくる。


「もうじきに花冠は出来上がるから、ここまでは来ないでしょう」花は答えた。


二人は、出来上がった花冠をそれぞれ、頭に載せた。三つ編みの頭に、可愛らしい顔に、それはとても似あっていた。


「あのふたり、いつもむくむくした耳の垂れた犬の散歩に毎日ここに来てたのよ。でも、ここ数日犬は見かけないわね。いつも私たちの上で寝ころんで、転げ回って遊んでいたのに」


二人の少女は立ちあがった。


「冠のほかに、お花も摘んでいこうか」

「ここらへんのはだいたいとりつくしちゃったけど、あそこらへんに元気なのが咲いてるよ、お姉ちゃん」


ピンクの服を着た子が、こちらにかけてきた。

花々の間に、緊張が走った。

来るわ! こっちに来る!

水色のワンピースを着た、少し背の高い女の子がいった。


「こっちのは、お水に活けるから、ていねいに摘もうね」


そして、まわりの花をむしり始めた。

あっ。きゃっ。花々の痛みと驚きが、シロツメクサに伝わってきた。と思うと、ピンクの服を着た少女の小さな指が、シロツメクサを掴んだ。


「根元近くから、ていねいに取ってね」


水色の服の子が言った、と思ったとたん、ぶつっ、と地面とのつながりが絶たれて、全身に衝撃が走った。

いま、シロツメクサは少女の手の中にあった。

からだが。今咲いたばかりなのに、からだが。

土は? お水は? 仲間たちは?

上から下を見ると、のこされた花々が、さわさわさわさわと怯えたように風に揺れていた。


「このくらいでいっか。もう、おうちに帰ろう」


ピンクの服の小さい子は、姉に言われて、うなずいた。そして二人とも、花冠を頭に乗せ、手にシロツメクサの小さな花束をもって、駆け出した。

ああ、せっかく、さっき生まれたのに。

足の根元がひりひりする。いきが、できない。

さようなら、いろいろおしえてくれたわたしの仲間、わたしの草原。


少女の手の中に握られたまま、シロツメクサは住宅街を通り、姉妹の家に連れていかれた。

玄関ドアを開けると、かすかに犬の匂いがした。でも、鳴き声は聞こえない。


わたし、知ってる。自分たちの体の上を小さな犬が転げまわる感覚。ふんふんと臭いをかぎに来た黒い鼻。これは、あの野原の、仲間たちの記憶?


「なにに入れようか」と、靴を脱ぎながら姉が言う。

「小さすぎて花瓶は無理だよね。じゃあ、ママが最近買ってきたコップでいいんじゃない」と、妹。

「あれ、高いお酒を飲むときの特別なグラスって言ってたよ。切子とかいうの。ああこれ。きれいだね。借りようか」

「お水は水道のお水でいいの?」

「メダカだって、いきなり水道のお水はダメだってママが言ってた。栄養のある、自然の水がいいよね。じゃあ、さっき餌をやったばかりだし、栄養あるし、メダカの水槽の水でいいんじゃない」


姉は日当たりのいい居間の、窓辺の水槽に切子のコップを浸した。水草のかけらと、それに紛れてメダカが一匹、入り込んだ。二人ともそれに気づいていない。

水に束でつけられたシロツメクサは、しんなりと根元が水に浸かると、ああ、飲める、息ができると思った。今まで息がつまりそうだったのだ。足元をこそこそと泳ぎ回るメダカがくすぐったかった。

まわりのシロツメクサたちは、ああ、とかふう、とかため息をついている。


ココ、ドコ? ミンナハ? デグチドコ? モトニモドリタイ。


メダカが小さな声で呼びながらうろたえている。


「こんなとこはいりたくなかったわよね。わたしもよ。もう、出られないね」


シロツメクサは話しかけたが返事はなかった。ああ、魚臭い水。もっとおいしいお水が飲みたい。


「わたし、知ってるよ。お花を持たせるコツはね、氷と、お砂糖を入れることなんだって」姉がそんなことを言いだした。

「ほんと? 氷なら製氷室にあるね。それと、お客用のグラニュー糖入れは、ここ」


背の低い妹が足台を引っ張ってきて、砂糖入れを戸棚から取り出し、姉が氷を取り出して皿に乗せた。


「これで長持ちするよ」


シロツメクサとメダカの入った切子のコップに、氷と砂糖がどぽんどぽんと入れられた。水の温度が一気に下がる。シロツメクサは震えあがった。足元で、メダカは氷に挟まれていた。


サムイ。ツメタイ。……ミンナ、ドコ? ココツメタイ。サムイ。ミンナ。ミンナ……ツメタイ……


「メダカさん!」


それきり氷の間で固まって、メダカは何も言わなくなった。固まったまま、コップの底に落ちていった。


姉はコップをもって、居間のピアノの椅子によじ登ると、ピアノの上にコップを置いた。隣には、ムク犬のかわいい写真が飾ってあった。

くるくる巻き毛に、垂れた耳、黒いつぶらな目。

姉妹はそれぞれ頭の花輪を取ると、写真に斜めにかけた。


「トト、お前の大好きだったシロツメクサ、たくさんとってきたよ」

「そこから見える?」

「もっとたくさん、いっしょに、おさんぽしたかったね」


姉は写真を見ながら、涙ぐんでいるようだった。


がちゃん、と玄関のドアが開く音がして、「ああ疲れた」と大人の女の人の声がした。


「二人とも、何してるの。ああ、トトの写真の前にお花を飾ってたのね」


居間に入ってきた母親らしき女性は、花束を抱えていた、そして花の活けられたコップを見ると、悲鳴のような声を上げた。


「なあに、これ! わたしの大事なグラスじゃない。こんなことに使って。水も汚いし、ああ、中でメダカが死んでるわ。あんたたち、水槽の水入れたの?」


「メダカなんて気が付かなかったもん」と不満そうに、姉。


「シロツメクサなら、捨てようと思ってた古いこっちのコップで十分でしょ。それより、トトのお供えに綺麗なお花買ってきたのよ、ほら」


母親は花束を傾けて見せた。わあキレイ、と二人は同時に声を上げた。

白や紫、赤ピンク、あでやかな色の大きな花々が、薄紙に包まれて揺れている。


「それにしてもなんで切子のグラスに氷が入ってるの」

「お花が長持ちするって聞いたから」二人は答えた。

「それなら別の方法があるのよ。花の根元を火で焼くの。そうすると、水揚げがよくなるのよ。それに、花を長持ちさせる液体の薬ももらったし」


花束の花々は、急にざわざわし始めた。いま、なんていったの? わたしたちをどうするの?


母親は水道の水を出し、その水の流れの中ではさみで根を切ると、ガス台の火をつけ、花束の根元をその上にかざした。

きゃあ、あついあつい、あああ、いやああ、という色とりどりの悲鳴が台所から響いてくるのを、シロツメクサは震えながら聞いていた。


「さあ、これでよし」


水色の流れるような模様が描かれたガラスの花瓶に、さっきまで悲鳴を上げていた花々がふっさりと上手にいけられて、母親の手にあった。

花々は、目をぽっかり空けたまま、放心したように、首を揺らしている。

でも、しおれていない。焼け焦げてもいない。見たところ、元気そうだ。


「さあ、たくさん水を吸うのよ」母親は、写真の裏側に花瓶をおいた。


そのとき。


写真の隣に置かれたコップの中で、シロツメクサは、不思議な影を見た。

それは写真立てからすうっと立ち上がるようにして、白っぽい透けた犬の形をしていた。

それが、コップに鼻を付けて、クンクンと臭いをかいでいる。

顔を押し付けている。

シロツメクサの頭にも鼻をつけて、ぺろりとひとなめした。


……わたし、あなたを、知っている。

これは、仲間の記憶。


わたしたちのことがだいすきだったわね。いつもかけまわって、ころげ回って遊んだわね。

トト。

こんにちは。

でも、さようなら、が近いかもしれない。わたしもう、下しか向けないみたい。首が、垂れてきちゃったの。


「しっかり!」


「頑張るのよ。ママさんが、水も入れ替えてくれたわ」


まわりの仲間たちの声が遠くに聞こえる。

がんばるって、どうやるの。

わたしは今朝生まれて、今ここにいて、自分で自分をどうすることもできない。

頭が、垂れていく。もう、持ち上げられない……



その日の夕方。

ピアノの上のコップを見て、妹が母親に言った。


「あれえ、がんばってたのになあ。シロツメクサ、みんな、下を向いちゃった」

母親は答えて言った。

「そういう雑草は水揚げが悪いのよ、茎も短すぎるしね。もうみんな枯れてるんだから、捨てちゃいなさい」

「はあい」


小さな手がコップを持ち上げ、ゴミ箱に、小さな白い頭の花たちをパサリパサリと落とした。

狭いゴミ箱の、もう何も語らなくなった仲間たちの中で、シロツメクサは切れ切れに思いだしていた。

野原でみんなに言われたことを。


(あなたはわたし、わたしはあなた。

わたしたちの知ってることは、あなたももう知ってる。生まれて死んでまた生まれて、それは仲間みんなに引き継がれていくのよ。わたしたちひとつひとつに、区別はないの)


……なら、そのうち、あなたたちと一緒にいつかまたのはらで咲けるわね。

おしゃべりもできるわね。

ありがとう、トト。あなたの鼻息、暖かかった。

会えて、キスしてくれて、うれしかった。

あなたも、いつか、うまれかわる?

きっとそうね。あの広い青い空で、この世界もあの世界も、どこかで、つながっているわね。


トト。


はるののはらで、また、会いましょう……



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[良い点]  相変わらずの"ビター&スイート"ですねぇ。  今回は"チョコミント"というよりは、"甘めなコーヒーゼリー"といったところでしょうか。  どちらにせよ、甘みの中に苦みが隠れていることには…
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