⑨ 憧れの人の正体は?
かみやんはせいらに、大学時代の憧れの人について語り始めます。
翌日の月曜日。
塾で授業が終わって、あたしは自習室に駆け込んだ。
ここで遅くまで勉強してれば、必ず彼が――かみやんが様子を見にきてくれる。
名付けて『二人きりになれるときを待て作戦』。あたしの常套手段なの。
「せいら。そろそろ9時回るけど――」
ほうら、獲物がかかったわ。
「かみやん、質問があるの」
「わかった。ただし、遅くなると危ないからあと三十分な」
やった。
ずらっと並んだ机の中であたしの隣の机に腰掛けたかみやんに、あたしはストレート球をぶつける。
「かみやんがこのあいだ言ってた『困ったときどうしたらいいか心で訊く人』って誰?」
かみやんはやられたって顔をして笑った。
「しまった。質問を装って横道にそれるせいら詐欺にひっかかったか」
「人聞き悪いー。上品に知略と言ってちょうだい」
「わかったよ。毎日遅くまで勉強してる努力に免じで話してやる。けど次はないからな」
やった。
「もう一年になるか。『嵐が丘』って映画の現代版が、イギリスで異例の大ヒットをとばしたんだ」
あら。
どこかで聞いた話ね。
「難しい文学作品が原作にも関わらず、特に若い層にうけたらしい。あの話は、愛のない結婚が生む悲劇を描いてて、そういう問題が現代にも通じるからだろうって書いた評論家もいた」
ふむふむ。
「映画会社をやってるオレの親父はそこに目を付けたんだ。日本でも上映してヒットさせたいって思ったんだな。日本版の映画の制作権をくれるよう、イギリスの映画監督との交渉に必死になってた」
かみやんのお父さんって、映画会社の社長さんだったんだわ。
そうよね。彼、このあいだ、お金持ちが参加するバレンタイン・パーティーにも来てたし。
お金持ちのご子息っていうのは知ってたけど。
そういえばご実家にお邪魔したとき、お父様が映画のお仕事の話をしてたのを思い出す。
「一方で当時、オレは大学一年目だったが、既に親父の会社を継ぐために研修させられてた。でも映画界に行く気はさらさらなかった。昔から教えることが好きだったから、先生に憧れてたんだな。入らされたのは経営学部だったけど、好きな教育学や歴史の勉強ばっかりしてた。教職をとって学校の先生になろうとしてたのが親父にばれて、だめになったってことがあってな。オレは、それならとばかりに」
わたしは先をひきとった。
「『学校がだめなら、塾の先生になればいいじゃない』」
マリー・アントワネットの台詞『パンがないならお菓子を食べればいいじゃない』ふうに言ってみたら、かみやんは笑った。
「ま、そういうことだ」
目に浮かぶわ。
お父さんに反対されても平気で、別の抜け道を探すかみやん。
しなやかだけど肝心なところは譲らないのが、らしいわ。
「ところが、塾講師のバイトを探して、試験を受けようとしてたとき、あっさりばれた。親父は懲りないオレに激怒して、映画の仕事で自分の代わりに一つ契約をとれてきたら、好きにしろって言ったんだ。それが、イギリスに行って『嵐が丘』の映画の日本版をつくってもいいっていう許しを監督からもらってくることだったんだ」
ひぃっ。
「映画製作の交渉?! しかも英語」
「もちろんそうなるな」
かみやんのお父様も、すごい条件出すわね。
「こうなりゃ、なんとかやるっきゃないかってオレも腹をくくった。けど、問題が起きたんだ。イギリスへ発つちょうどその日が、肝心の塾の教員の採用試験の日と重なったんだ。どうもそうなるように親父が仕組んだらしい。ひでーだろ」
やだっ。なにそれ。卑怯だわ。
どうなっちゃうの?
「途方にくれるオレに、こう助言した人がいたんだ。迷わず採用試験に行けって。生きたい道に突き進んできた今までの努力を無駄にするな、ってことだった」
「でも、そしたら」
「そうだな。映画の契約はとれない。そう言うオレにその人は言った。自分の意図を押し付けようとする人間にはそれ相応の手段で抵抗するしかないんだと。……同じ大学でゼミを受けてた一つ上の先輩だった」
もうわかった。
それが、かみやんの会いたい人……!
「採用試験を受けて家に帰ったら、びっくりだ。『嵐が丘』の日本版映画を作る契約が取れたことになってた。先輩は、オレの名前を名乗って、代わりにイギリスに渡り、監督を解き伏せたんだ」
「すてき……っ」
それこそまるで映画のような話だわ。
「礼をしなくちゃならない。そう思って、次に大学に行ったとき、もうその人の姿はなかった。一身上の都合で辞めたらしいって人づてに聞いた。オレには未だにそれが腑に落ちないんだ。あんなに優秀で、貪欲に勉強してた人がどうしてだろうって」
かみやんにそこまで言わせるって。
「すごいわ。カリスマみたいな人なのね」
「ま、普段はそうでもないけどな。柔らかくて、平和的で、のほほんと構えてるくらいに見えるのに。おかしいだろ。その実底知れないものを秘めてるんだ。
……そういうところが、たまらなくかっこよくて」
しみじみと言うかみやんに、胸が熱くなる。
彼の憧れの人か。
「『嵐が丘』のイギリスの監督は、小さな映画館で上演されるのはやだって大分渋ったんでしょ」
そう言うと、かみやんは驚いたように言った。
「あとになってから、そういう話も確かに聞いたけど。なんでせいらが知ってるんだ?」
えぇっと。
誰から聞いたんだったかしら。
少し考えて、わたしは思わずあっと声をあげた。
「どうした、せいら。いきなりでかい声出して」
流行る鼓動を押さえて、気が付いたらあたしは提案していたの。
「かみやん、一週間後の月曜日、大学が終わったら、栞町の駅ビルにきて」
「へ? なんでまた」
「詳細は追って知らせるわ」
かみやんは挑戦的に笑った。
「なんだ、またデートしたいのか?」
からかうような口調に、真剣に答える。
「お願い。ほんの三十分でいいの。後悔はさせないわ」
次回はとうとう、彼の初恋の人の正体が明らかに!




