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邪悪すぎた正義 〜人間社会が嫌になって邪悪な考えを膨らませてみたら本当に邪悪なのは既存社会でした〜

作者: 鈴木美脳
掲載日:2020/04/01

 人間の社会を見てぇっと、吹き出しそうになるよなぁ!?


 だってよぉ、馬鹿な奴ほど、自分では頭がイイつもりでいるんだぜ?

 頭がイイ奴ほど、逆に、自分を馬鹿だと思ってる。

 笑えるだろ?

 人間の社会ってのはよぉ、最初っから全部、狂ってんだよ。


 知ってっか? 人間には2種類いるんだ。

 生きてる価値のある人間と、ねえ人間だよ。

 生きてる価値がねえ人間ってのはさ、死んだほうが世のためになる人間ってことだよ。

 「人間の価値は平等だ」、なんてさ、ガキでも見抜ける「嘘」だよなぁ?

 のうのうと生きているクズもいれば、病気や事故で若死にするイイ奴もいる。それが人間の社会ってもんだろ? それが同じ価値の人間だなんて、誰が誰のために言い出したんだろうなぁ? ヒヒヒ。


 知ってっか? 生命ってのは何十億年も進化してきたんだぜ?

 正確に言やぁ、「進化」ってより「適者生存」だけどよ。

 石コロみたいなモノだけの世界から、やがて人間みたいに賢くなってった。

 実際、複雑な構造を持った賢い生物が生き残ってんだから、「適者生存」以上の「進化」だとは言えるよな。

 頭がイイ奴が生き残って、馬鹿から淘汰されてくのが、大枠で見たときの世界の運命っつうこった。

 だからさあ、生きてる価値のある人間と、ねえ人間と、区別する方法なんて簡単に分かるだろお?

 どう詭弁をほざいたって、馬鹿から死んでく運命は止められねえんだよ。


 そこまではさ、馬鹿でも分かる話なんだよ。

 世の中は競争社会で、常に自然淘汰が起きてるってさ。

 でもよう、実際の話はそう単純じゃあねえ。

 ボンクラでも納得がいく話ってのは、たいがい大きく間違ってんのさ。

 人間の社会では、馬鹿な奴ほど頭がイイつもりで、威張ってる。

 頭がイイ奴ほど、馬鹿だと思い込まされてて、威張ってる馬鹿共に、こき使われてる。

 笑えるよなぁ!?


 でもさあ、俺、気づいちまったんだ。

 まともな頭を持った人間と、そうじゃねえ、死んだほうが世のためになる馬鹿を区別する簡単な方法があるんだぜ?

 どんな方法だか、分かるかよ?

 馬鹿ってのはさ、自分の動機が我欲に基づいているかどうかが、区別つかねえんだ。


 何言ってっか、分かんねえだろうけどよ。

 もちろんこれはよ、聞いてすぐに、なるほどって分かる話じゃあねえんだよ。

 俺が考えて考えて見つけた、俺だけが知ってる世界の秘密なんだからよ。

 それをこれから、説明すんぜ?

 いいか? 人間の社会が全部狂ってるって、そんなホントの景色なんて見たくなかったら、聞かねえほうがきっといいぜ?


 人間ってのは、生き物でさ。

 生まれ落ちてから状況に置かれて、入力に対して出力で応じる。

 生き物の行動の価値ってのは、生まれつき本能として与えられてる。

 怪我すれば痛いのはさ、怪我しても痛くない奴は、自然淘汰されちまったからだろ?

 そうやって、人間にゃあ、生存や繁殖の欲求があり、だから喜びや苦しみが、幸福や不幸がある。

 もちろん、後天的な欲求とか、目的意識とかも多様にあっけどさあ、最終的な下支えとしては、虫けらと多く違わねえ、生存や繁殖の本能っつうのがあるわけだよ。


 人間の行動の裏には、思考があるよな? あるいは、心理や感情がある。

 いわゆる「行動」は、身体の外側に対して行う、身体の筋肉を使った活動であって、体外の物質を操作する。

 でもさ、論理学や計算論の視点から言えば、任意の思考や計算もまた、「操作」にほかならない。

 神経っつうのはさ、外界の情報をセンサーの解像度とかで抽象化して、得たモデルを操作することで、将来が到来する以前に将来の近似的な推定値を得る機能なんだよ。

 例えば、腹が減ったら、飯を食ったら、空腹が癒えるだろうって、それは物質的因果関係をモデル化した将来予測だしよお。

 他の様々な思考も、将来を予測して利益を最適化してんのだと、総括できる。

 何が言いてえかっつうと、「思考」もまた「行動」の一種だということ。

 人間を、抽象化計算マシンだと見たなら、肉体的行為と精神的行為とは、抽象化の層が一段異なる以外には、違いがねえ。


 んでよ、人間が行うどんな行動の裏にも、必ず動機があるんだぜ?

 後ろを向いた隙に金を盗むような理性的な動機もあれば、熱いフライパンに手を触れてとっさに離す反応も動機だと言える。

 つまりは、本能的な欲求に下支えされていない行動ってのは存在しない。

 少なくとも、そう考えたモデルは、現実の構造をよく近似する、なんて、防御的に付言してもいいけどな。

 その「動機」には、我欲に基づいたものと、そうじゃねえもんとがあんだ。


 我欲に基づかねえ動機など実在するかって、頭がイイつもりの馬鹿なら、そう感じるかもね。

 でもそれは、人間には個人的利己心と集団的利己心があるって、そう反駁すれば直ちに崩れる。

 ゆっただろ? 生命は、適者生存で何十億年も進化してきたんだぜ?

 集団的防衛本能なんて、ねえと思うよりあると思ったほうがずっと自然だろ?

 実際、群れや家族のために命を投げ出す個体なんて、虫にも哺乳類にも珍しかあねえし。

 人間だって、戦争とかの時代に置かれりゃ、集団のために命投げ出す奴なんか普通にいる。

 だから、「個人的利己心」に基づいた動機と、「集団的利己心」に基づいた動機が、人間がする行動の裏にはひしめいてる。

 自分がする行動の動機が、「個人的利己心」に基づいたものか、「集団的利己心」に基づいたものか、感覚したり分析したり認知したりする能力が先天的に弱い個体が、人間には分布してて、それが俺が言っている、正しい意味での「馬鹿」なんだ。


 でもさあ。

 ここで、「個人的利己心」と「集団的利己心」っつったけどさ。

 それはまったく便宜的な話だっつうことも、ちゃんと言っとかねえとな。

 心ってのはさ、ニューロンの結合強度と体内伝達物質の濃度で実装されているメカニカルだからよお。

 数学の素朴な集合論とかじゃあねえんだから、理屈っぽいオンとオフの境界なんて、ありえねえわけよ。

 現実は無限大に複雑で、宇宙の真値は生得的に、抽象化を拒絶してんだからよお。

 はい、ここからは個人的、ここからは集団的、って言えるわけねえよな。

 そこで便利な、もうちょっと正確な概念としては、「利益計算主体範囲」って概念を提示しとく。


 何が言いてえか、分かるだろ?

 つまりさ、利益にも色々あるけど、その範囲が狭いものとして個人的利益が存在し、逆に、相対的に比較的に範囲が広いものとして集団的利益が存在すると考えることができる。

 それは相対的だからさ、話題にする狭い範囲として、個人的利益を考えたとしても、右腕が左腕のことなんてどうでもいいって言いだしたら、その利益計算主体範囲は、個人よりも小さいと言えるし。例えば広大な利益計算主体範囲として、人類幸福を仮想したときでさえ、人類の幸福がさらに広大な、地球生命の幸福や、銀河や宇宙の幸福とは矛盾・葛藤することはありうるよな?

 同じようにさ、例えば、「局所最適性」や「全体最適性」という言葉を用いたとして、少なくとも社会的な話題についてそういった概念を用いるなら、それらは互いに相対的であって、局所最適性とはいってもより局所的な最適性に対しては全体最適性だし、全体最適性もより広大な全体最適性に対して言えば局所最適性にすぎない。

 利益っていう概念はさ、常に、何をもって利益とするか、っつう定義の論点を伴ってるわけよ。

 んで、人間の行動は、絶え間ない利益定義の結果生じた動機に発して行われてる。

 例えばの話、家族のために何らかの自己犠牲的な努力をすることが、本人にとって第一義的な価値であることがありえて、それは本人の幸福にとってマイナスだとか、他人が簡単に言い切れる話じゃないのは、当たり前だろ?


 人間の本能的欲求の利益計算主体範囲の少なくとも上限が、個人という範囲に厳密に限定されているかどうかっつうと、明らかにそれはねえ。

 例えば、他人の赤子が銃で撃たれそうになってるときに、助けようとして撃たれて死んじまう人間の心理なんて、人間として自然な範囲だろ? 自分個人のみならず、自分個人の遺伝子の繁殖からしても必ずしも合理的じゃねえ行動に、人間は利益を見いだしうる本能を備えてんだ。

 で、本能的欲求の利益計算主体範囲の上限はより広くどこにあるかなって探してみると、明確には見当たらねえ。

 虐げられている犬猫を守るために自己犠牲的に振る舞う奴は、人類という範囲以上の利益計算主体範囲で動機づけされてるって言うことができる。さらに例えば、宇宙全体の健全な発展のために自分は偽らず正直に振る舞いたいと自認する奴がいたら、それを、実際にはより狭い範囲に動機づけられた行為だと、一方的に断罪することは、論拠がありえねえからできはしねえ。

 人間はさあ、基本的には個人を単位として利己的だけどよ、その利他性の上限についてはオープンなんだ。

 当たり前だよな。人間という生命が、理性のロジック以前に情緒や感情の連続性に駆動されている存在である以上は、利益計算主体範囲の上限なんてものを、遺伝子レベルでロジカルな定数として定めてしまう意義は薄い。

 他人が苦痛に泣き叫ぶ姿よりも明るく笑っている姿に好感を感じるなら、そして、生き物が傷つき疲弊している姿よりも、楽しそうに舞い踊っている姿に好感を感じるなら、人類には生命に対する博愛が多少なりビルトインされてるって、そう考えたって嘘じゃねえんだぜ?


 何が言いてえかっつうとよ。

 人間って存在は、個人的な利己性だけで、割り切って捉えきれる存在じゃあねえ。

 利益計算主体範囲の、自分や家族のいる中心が圧倒的に強く算入されるのがたいていかもしんねえけどさ。でもその裾野は、自然な形でより外へ外へと、連続して広がっている。それが、数十億年の生命進化が出した今時点の結論だ。

 だから、人間達がする行動の裏にある動機には、色々な種類がある。

 動機によっては、純粋に個人的な利益のためのものだし、動機によっては、他者や社会の幸福を思ってのものだと言える。

 これについては、他者のための動機など実在せず、それは何らかの意味で個人的利益のためのものだって、そう脊髄反射する奴もいる。他者や社会の幸福のためだなんて、建て前臭くて、胡散臭くて、嘘なはずだって感じるんだ。頭がイイつもりだけど馬鹿な奴らの、それが典型的なパターンなんだぜ。本当の意味で頭がイイ奴らの存在を仮にでも認めたら、アイツらの自尊心も既得権益も全部ふっ飛んじまうからなあ。

 まあ、どっちの言い分が当たってるかってのは簡単で、理屈でぶっかり合って論理的に言えているほうが事実で、議論すりゃ惨敗しかしない直観は、事実に見えたけど馬鹿の直観にすぎなかったって、それだけのことなんだよ。

 人間が利己的な個人的存在だと抽象するモデルおよび直観は、西洋文化圏を経由して、近代的社会思想を通して繰り返し言われたけど、その妥当性に科学的な根拠があったことは一度もねえ。

 それは、大衆がいだいた願望、全部が社会の狂気だったってことだ。

 でもよ、他者や社会の幸福を思ってても、自分の私的な幸福も思っていたり、あるいは自己犠牲的であったり、利益計算主体範囲を、連続的なものとして言及しつづけると、言葉が煩雑になるよな。

 だからさ、個人的な利己性と、他人や社会のためを思った利己性はそれぞれ、「利己的動機」と、「利他的動機」って、単純化して呼び分けて考えちまったほうが無難だ。

 「利他的動機」っつうと、一見は胡散臭えかもしれねえけどよ、こうやって論拠を構成しちまえば、外国の大学教授だってもう理屈は崩せねえんだぜ?


 ここで、話を戻すぜ。

 人間の社会では、馬鹿ほど頭イイつもりで、頭イイ奴ほど馬鹿だと自認している。

 でも、本当の馬鹿は、実は死んじまったほうが世の中のためになんだよ。

 そこでさ、まともと馬鹿を区別する秘密の方法が一つあってさ。

 馬鹿ってのはさ、自分の動機が我欲に基づいているかどうかが、区別つかねえんだ。

 つまり、自分の行為が「利己的動機」に基づいたものか、「利他的動機」に基づいたものか、認知・判断する知的能力が先天的に低い。

 そして生命界ってのは基本的に、馬鹿から淘汰されていく仕組みになってる。


 これで俺は、目を与える話をしたぜ。

 その目で見たら、世界の真実がどう見えるかって話を始めよう。


 人間の社会は、平等じゃねえ。

 階級社会だ。

 昔に生まれるより現代に生まれたほうが幸せか?、それすら実際には言い切れねえ。

 歴史的な階級社会とは違って、価値の尺度が金になっただけの違いだ。

 学校で成績が良ければ地位を得やすいが、勉強ができる環境が得られるかがそもそも運次第だ。

 だから、生まれが悪くても努力や才能でまともな地位に行けるかっつうと、かなり怪しい。

 公平な競争なんてのは、どこまで行っても、夢物語さ。


 その階級社会に、所有する財産に応じて、権力が不平等に分布してる。

 金を多く持っている奴らは、そうでない奴らを、金を用いて使役する権利が与えられてる。

 時には、アゴで使うような無礼な態度で接したって、それが客や上司の権利だと思うほどに現代人は自惚れている。

 だが、奴らはその不平等な自分達の権力を、単に幸運だなんて思ってねえ。

 それが不平等だともし思えば、金で人を道具のように使役して消費する態度に罪の属性が伴うからな。

 だから奴らは、それを自由競争と自己責任として認知した。

 つまり、経済的な地位が低ければ、才能のない奴が努力もしなかったってバイアスで見られるんだぜ?

 その認知バイアスが、既存体制を本質的に正当化してるんだ。


 つまりさあ。

 貧乏人が医者にもかかれず病気で死んだって、それは必要悪である以上に、正当に下された罰なんだよ。

 見なよ。映画とかの物語でだって、主役は外見が美しくて、悪役は外見が醜いだろ?

 大衆が求めているのは、そういう単純な世界観なんだ。どうしたってバイアスは生じるよな。

 優れたものが栄えて、劣ったものが淘汰されてくって、人間達はそう思いたくて仕方ない。

 だから貧乏人が病気になったって、ちゃんと若い時に勉強して、まともに働いていればそれなりの貯金ぐらいあるはずだろ、とか偉そうに説教すらくらいかねない。勉強せず遊んでた、まともに働かずに遊んでた、働いて得た金も遊んで使っちまったんだろ、って、そう見なして正当化されるのさ。

 だから、弱者が苦しみを味わっているとき、権力を手にしている大衆は微笑む。自分達が苦しんでいる間、努力せず楽してた連中に、やっと正当な罰が降りて自分達が報われたと、そうとすら感じるロジックがそこにある。


 それは、ひがんだ見方をしすぎじゃないのって、普通なら感じるかもしれない。

 でも俺が説明しようと苦心しているのは、社会実態の程度の話じゃなくてさ、偽りの正義のロジックが近代社会を覆っているっつう事実なんだから、誤解しないで聞いてほしい。

 何が言いたいかっつうとさ、学校で勉強をしたり、金稼ぐために働いたり、それらそのものってのはそもそも、利己的な努力であって、利他的な努力じゃあない。

 でもさ、社会倫理的な価値の尊厳って、歴史的には、利他的な努力についての属性だったんだぜ?

 変だろ?、ハハッ。人類は、もう何百年も前に、脳味噌狂っちまったのさ!!


 つまりさ、近代の当初、都市部に発生した商業的な市民層はさ、金と数の力をたのんで、人間は個人的に利己的であるっつう、偽りの前提を推論に挿入することに成功し、利己的行動に関する合法性以外の倫理的掣肘を棄却することに成功したのさ。

 つまり、利他的な動機を持つ人間や行為は原則としては存在しないと仮定して経済学を組み上げ、良心という尺度による人間の貴賎を棄却して平等主義を確立し、歴史的な正義のロジックを、偽りの偽物へとすり替えた。

 すべては、利己的にしか生きられない馬鹿共が、利己的にしか生きられないない自分達を肯定するためだ。

 その結果、社会の実態としては何が起こると思う? モラルある連中への暗黙的な殺戮だよ。彼らは、異物と見なされて殺されていった。

 共産主義の文化大革命の批判大会による殺戮のように、優れたものが集団リンチされ殺される現実は、近代史において珍しくはない。それはむしろ、世界的規模で現在まで続く本質だ。

 馬鹿な奴ほど、頭イイつもりになり、頭イイ奴ほど、馬鹿だと刷り込まれる、今に続く秩序は、そうしてできた。


 でも、でかい目で見れば、馬鹿が栄えるだなんて、一時的にしか起こらない。

 無理筋には、揺り戻しが返ってくるぜ。

 犯した罪は、1円まで目こぼしなく償わされることになる。血の一滴まで償わされることになんのさ!


 実際、馬鹿共が、個人は利己的だっつう、経済人仮説をいくら強調しても、庶民が産み出す物語のなかにゃあ、思いやりの価値や感動を語るものが尽きることはないだろ?

 結局、弱者の安寧を守るためには思いやりが価値でありつづけて、民主主義的な平等な投票権で弱者の保護すべてを賄おうとすれば、当然に無理が残る。

 利己的行動が全面的に肯定される時代も永遠に来ないし、人類が純粋な競争社会になることも永遠にありえないってことだ。

 人間なんて、巨大な資本や権力から見ればみんな弱者だし、より賢い連中から見ればみんな馬鹿だし、思いやりに浴さずとも自らの両足で立っていられるなんて、間抜けなガキの自惚れなんだよ。

 既存社会に一定程度の人類幸福が保たれている根本的な理由は、民主主義システムであるよりも、本能に定義された利他的な動機だ。

 だから、利他的な動機を色濃く持つ遺伝子から虐殺してくだなんて、馬鹿共の自殺行為でしかねえし。

 利他的な動機を色濃く持つ遺伝子を尊重することほど、人類幸福への安定した投資とてありえねえ。

 こんなん、どんな馬鹿だって分かることだよなあ?


 そんなことも分からねえ奴らが、人間の社会の表舞台を支えている。

 貧しさで他者を蔑んだり、学歴や知的能力で蔑んだり、外見や健康で蔑んだり。

 利己的な価値と利他的な価値、つまり私的な価値の尊厳と公的な価値の尊厳とが区別できてねえってことだぜ?

 公的価値は、利他的動機たる良心として存在し、公的価値の尊厳はいかなる私的価値の尊厳にも優越する。

 歴史的な人間なら、聖書や論語で常識のように語っていたことだ。

 だのに、自分の振る舞いそれぞれの動機の利己性と利他性を区別できない馬鹿ほど、自惚れてよ。

 自分が、自分の自尊心を優先して考える自己欺瞞、つまりは一種の狂気に溺れているとも自覚できてない。


 貧しさで他者を蔑んだり、学歴や知的能力で蔑んだり、外見や健康で蔑んだり。

 それを一切しねえ奴らがいたなら、どんな連中だろうな?

 富裕を熱望して努力することもなく、肩書を追求して獲得することもなく、飾ることなく見栄も張らず、健康も命も世のために切り売りして生きるんじゃねえか?

 じゃあ、いわゆる華々しい地位に就くことは、ねえか稀だろ。

 だからよ、自分の世俗的な地位を誇って、自分より劣位な奴らを腹の中で少しでも見下したなら、頭わりいですって一生懸命、自己紹介してる以外の意味はないよな。


 カリカリ利己的に生きられるなんて、利他的本能のぶっ壊れた馬鹿だけだぜ?

 まともな人情や良心を備えた奴らは、今の時代の階級社会と競争主義で生きにくく感じていて、低い地位に留められ、偽りの社会正義から降りかかる暗黙の侮辱によって、自分の能力や価値を過小評価してるのが、稀っつうより普通だろ。

 だから、分かったろ?

 馬鹿な奴ほど、自分では頭がイイつもり。

 頭がイイ奴ほど、逆に、自分を馬鹿だと思ってる。

 そう俺が言う、俺の気持ちがよ。


 もし本当に理解してくれたらさ、いわゆる常識とは、世界の見方が180度変わること請け合いだね。

 もしも、雲の上から地球を見たらさ。

 あっちの教授もただの馬鹿、あっちの社長もただの馬鹿。

 近代社会は偽りの権威主義で、その社会正義は真っ黒な罪で血塗られてるんだ。

 もちろん、本物の人間を刻んで出た血でな。

 人間には戻れなくなるから、見たくなかったら見ないほうがいいぜ?


 でもよ、もし退屈してんならよお。

 腹の底から大笑いできる、これ以上に馬鹿な話ってのは他にありえねえぜ!!

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