創世記
神は「光あれ」と言った。すると光があった。
これは旧約聖書の一節である。人間の想像力とは大したものだ。神が世界を作った過程は、だいたいそんなものだから。
この宇宙を創造した創造神――名をゆきと言う――は、ローマ市内のとあるカフェテラスで聖書を読んでいた。街の片隅の、寂れた書店で購入したものだ。
客は自分を含め1人しかおらず、店員は「いらっしゃい」の一言もなく、ただじっと座って小説を読んでいた。その表紙を見てみる限り、古典文学作品のようだった。
この書店に入った理由は特になかった。所詮、ただの暇つぶしだった。だが、色々と書棚を眺めていたら、一冊の本が目を引いた。所謂ところの旧約聖書である。
重厚な作りの背表紙に手をかけ、取り出した。パラパラとページを捲ってみると、挿絵とかは一切なくて、本文はラテン語で書かれていた。紙の日焼け具合をみると、だいぶ古い本のようだ。といっても、宇宙創造からの時間スケールでは微差だ。
創造神の力を使えば、全てを手に入れられるし、それに代価を支払う必要もない。でも、今回は代金を支払って購入することにした。特に意味はない。手元に――何故か分からないが――現金があっただけだ。
「どうせなら一緒のテーブルに座らない?」
ゆきは斜め後ろのテーブルに腰かけていた赤い髪の女に声を掛けた。
「気付いていたならもう少し早めに声を掛けてくれても良かったんじゃないか?」
その女は、赤い髪に瞳も赤く輝いている。ただ、右腕が無くなっているようで、羽織っているカーディガンの右の袖はヒラヒラと遊んでいる。とある件で大怪我を負った破壊神――名をりんごと言う――である。徐に立ち上がって歩いてきて、ゆきの向かいにドカッと腰かけた。
「その真っ赤な頭で、気付かれないとでも思ってた方が驚きだね」
「仕方ないだろ。私はこの色が好きなんだ。動物ってだいたいこんな色だろ?」
「それは違う」
りんごは、本気で分かっていなさそうな顔をしている。何が違うとでも言いたげだ。
「……動物の色って言うと、普通は皮膚の色を指すんだよ」
「そうなのか?赤い場所の方が多いのに」
「普通はそういう部位は視認できないものなんだよ」
「でも……」
「そういえば!」
りんごの言葉を遮って、ゆきが言う。
「何か言いに来たんじゃないの?」
「……ああ、忘れてた」
りんごは真面目な顔になって、こう切り出した。
「破壊し再び創造するってやつ。何をするつもりなんだ?」
ゆきは、自分からその話題を引っ張り出したくせに黙り込んでいた。
「まず、私はロゼッタを殺した」
りんごは顔一つ変えず聞いていた。
「ロゼッタという存在を吸収した。私は、彼女の全てを知った」
りんごは少し俯いて、じっと聞いていた。
「彼女がああなったのは、私の責任だった。私の作ったこの宇宙に不備があったせいだ」
りんごはゆきを睨んでいた。
「彼女は、生まれるべきじゃなかった。異常現象から生まれた、異常な存在だから。魔法だとか、異能力だとか。そういうのがどこにも存在しない、完全な物理学に支配された世界だったら、誰も不幸にならずに済んだんだ。全ては……私の責任だった」
「だから、責任取って悪者演じて全部作り直すって?柄にもないことを」
そこで、りんごが口を開いた。りんごはそのまま続けた。
「ロゼッタはお前を殺そうとした。あいつは悪人だった。ロゼッタがああいう行動を取ったのはロゼッタの責任だ。お前の責任じゃない。ロゼッタはお前を殺そうとして、お前に殺された。因果応報ってやつだろ?」
「……でも」
ゆきは俯いて、その声は半ば嗚咽混じりだった。
「異常な存在として生きるのは……苦しかったんだ……」
りんごはゆきの顔を掴んで、無理やり視線を合わせる。
「お前はロゼッタを吸収したんだよな?……まさか、影響を受けてるんじゃないよな?」
ゆきは黙ったままで、その目には涙が浮かんでいた。
「いいか?今のお前はお前じゃない。ロゼッタに飲み込まれかけている。正気になれ!」
「分かってる。分かったうえで、それでも私は世界を作り直したい。魔力なんていう御都合主義が絡む世界は、健全なわけがない。だから……」
直後、ローマという街は地図から消えた。人類が作った最大威力の爆弾を遥かに超える爆発が発生し、巨大なキノコ雲が生まれた。爆風に飛ばされた破片は高度数百キロメートルまで達した。爆発の衝撃は地球を7周した。これにより発生した大気の疎密波により、地中海沿岸を中規模の津波が襲った。日本でも、全国各地で震度4程度を記録した。
キノコ雲の中心には、体の前側が半分炭化した死体を抱えたゆきが立っていた。なお、地表は高温のあまり溶融していて立っていられる地面はなかったため、飛んでいたというのが正解である。
その声を聞いていられる人間が居ない中で、ゆきは呟いた。
「破壊を司る私の片割れ。これで、私は完全になれるんだよ」




