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トリ×ネコ  作者: スズキリネン
第二話
6/7

おうちに帰りたい 3

 ユウマは里の中を歩き回っていた。

 昨日、兄の元へ嫁いできた義姉のクロを捜すためである。

 今朝、朝食の席にクロの姿はなかった。昨晩、なにかあったんだろうなと思いはしたものの、寝屋でのことを訊くのはさすがに憚られる。

 考えてみれば、ユウマの父母だって、大なり小なり喧嘩はするのだし、放っておいてもいつの間にか自然と仲直りしているのだから、兄たちだってそうだろう。

 朝の段階ではそれくらいに考えていた。

 しかし、クロの父母たちが帰る段になってもクロは戻ってこなかった。

 ずっと一緒に過ごしてきた家族や里の者たちである。見送りに来ないなんてこと、あるわけがないと思っていた。その頃にはなんかおかしいな、と思い始め、お昼を回ってもクロが戻ってこないのを見て、兄は一体なにをしたのかと、さすがに心配になってきた。

 まあ、したのではなく、おそらくまたなにか口を滑らせたのだろうけど。

 ユウマの知るところではなかったが、その想像は当たっていた。


 生真面目が行き過ぎて、ときに見ていて飽きないほど空気を読まない兄ではあるが、情に薄いというわけでは決してない。

 昨晩、なにがあったかは知らないが、義姉のことを心配しているのは明らかなのに、捜しに行こうとしないのだから、なにか理由があるんだろう。ああなったときの兄がてこでも動かないことをユウマはよく知っていた。

 とはいえ、義姉となったクロのことを放っておくわけにもいかず、ユウマは微動だにしないヒジリに代わり、クロのいそうな場所を見て回っていた。

 なんとも世話の焼ける兄夫婦である。

 ユウマは樹幹に渡した板の上を歩きながら、ため息を零した。

 捜し始めてからずいぶんと経つ。西の空には茜色に染まった雲が、幾筋も長く横に引いていた。気の早い家ではすでに明かりが灯っている。もういくらもしないうちに夜になるだろう。

 里中をあちこち捜し回ってみたものの、義姉の姿は一向に見当たらず、徒労感だけが募っていく。捜すのを手伝ってくれている屋敷の者たちからも、見つかったとの報せは入ってきていなかった。

 これだけ捜して見つからないのだから、里の中にはいないのかもしれない。

 ユウマはあと見ていないのはどこかと考え、里の一番高いところにある見晴らし台へと向かった。

 そこにもいなければ、里の外にも捜索の手を伸ばしたほうがいいかもしれない。

 声がしたのは、見晴らし台に向かう階段を上っていたときのことだった。

 里の中心部から外れたこの場所には、あまりヒトが近寄らない。

 このときも、ユウマは誰もいないんじゃないかと思っていた。

 その一方で、もしクロがいるとするなら、ここではないかとも思っていた。

 そんなものだから、ユウマは一瞬、声の持ち主がクロではないかと期待した。しかし、上からした声は明らかに男のものだったし、一人ではなく複数いるようだった。

 ここも外れか。

 がっかりしながらも、念のため見ておこうと階段に足をかけたユウマの耳に、段上で話す男たちの声が届いた。


「あの腐れネコなら大丈夫だって!」


 クサレネコ? ユウマは聞こえた声に足を止めた。

 上にいる者たちに気づかれないよう、最上段から一段低いところまで上がる。

 ユウマは頭を低くして、見晴らし台にいる男たちを覗き見た。

 見晴らし台にいたのは、クロを一本杉に置き去りにした青年たちだった。

 ユウマは青年たちの顔を順に窺った。

 三人のうち、二人の名前は出てこなかったが、一人だけ思い当たった。

 以前、クロが里へ侵入した際、真っ先に突っ込んでいって昏倒させられた男だ。厳重注意を受けていたこともあり、ユウマの記憶に残っていた。確か名前をアビといったはず。

 ユウマは階段のところで身を潜め、上にいるアビたちの話に耳を傾けた。


「……だけど、まだ戻って来てないみたいだぞ。族長の屋敷の者たちが、里中を捜し回ってる」

「やっぱ、やりすぎたんじゃないか?」

 ユウマは眉をひそめた。話の内容から、クロのことをいっているのは間違いなさそうだった。アビが慌てたような声を出す。

「平気だろ。あいつ、あんなに強いんだし、なんかあったって、自力でなんとかできるだろ」


 実際、アビは焦っていた。ただし、この青年の場合、他の二人とは違い、クロの身を案じてのことではなく、髭を引き抜いた挙句、一本杉のところに置いてきたことがバレたらどうしよう、という身の保身からだったが。

 ユウマはどうするか悩んだ。今すぐ三人の前に出て行って、クロになにをしたのか問い詰めるべきか――そう思った矢先、アビとは別の青年が意を決したように口を開いた。


「そりゃ、普通ならな。やっぱり、ちゃんといいに行こう。こんな時間になってもまだ戻ってないってことは、なんかあったんだろ」

 もう一人が同意する。

「そうだな。やっぱ髭を引き抜いたのはやりすぎだって」

「誰のなにを引き抜いたって?」

 突然割り込んだ声に、見晴らし台の上で話していた三人の心臓がどきりと跳ねた。

 声がした階段のほうを振り返り、そこにいる人物を見て更に肝を冷やす。

「ユウマ様!」

 ユウマは険しい顔でアビたち三人の顔を見た。

 いま聞いた話が本当なら、この者たちはクロの髭を引き抜いたことになる。

 しかも、姿の見えないクロの居場所にも、心当たりがあるらしい。

 三人の引きつる顔を見ながら、ユウマはにこりと微笑んだ。

「お前たち、一緒に来て、ちゃんと説明してくれるよね?」




 すっかり陽が落ち、里のあちこちに明かりが灯っても、クロは戻ってこなかった。

 ユウマに捜すのを手伝うよういわれていた屋敷の者たちが、それとは別にクロのことを心配し、方々に掛け合ってクロのことを捜していた。

 そんななか、ヒジリはイライラを隠そうともせず、屋敷の庭に面した縁側で足を組み、腰かけていた。

 ヒジリは昨晩のクロとのやり取りを思い出していた。

 こんな時間になっても戻ってこないほど、なにか気に障るようなことをいっただろうか。あんなの口喧嘩のうちにも入らない。多少の気まずさはあったとしても、そんなもの、少し時間を置けば、尾を引くようなものでもないはずだった。

 ヒジリは暗くなった空に目を向けた。

 日が出ているうちはともかく、こうも暗くなってしまうと、この辺も安全とはいい切れない。里の中にいるならまだしも、もし、外に出てしまっていたら、獣や追剥(おいは)ぎに襲われるかもしれない。

 ヒジリは自然と舌を打ち鳴らした。

 それでも動こうとしないのには訳がある。

 昨晩、クロが怒って部屋を飛び出したとき、クロのいい残した言葉がヒジリの耳に残っていた。


 “ついてくんな!”


 妻は夫を立てるものだし、夫は妻のいうことを聞いてやるものである。

 つまり、ヒジリは連れ添って、まだ二日と経たないクロの言葉を律義に守っていた。

 その言葉がなければ、いますぐにでも捜しに行って、その首根っこを引っ掴んで屋敷へ連れ戻すというのに――。

 ヒジリが縁側のところで静かに目を閉じ、じっと座っていたら、横から声がかけられた。


「兄上」


 目を開けて声のしたほうを見る。

 ユウマが後ろに三人、里の者を従えて、屋敷の庭を歩いてくるところだった。

 ユウマの後ろにいる者たちは、どことなくおどおどしている。

 どうしたのかと思い、立ち上がったところで、そばまでやってきたユウマが口を開いた。


「義姉上は一本杉のところにいるそうです」

「……そうか」

 一本杉のある場所は、ここからそう遠くないとはいえ、里の外だ。あのバカネコめ、と思ったところでユウマが訊いてきた。

「捜しに行かないんですか?」

「……帰ってくる気があるなら、帰ってくるだろ」

「帰ってこれないのかもしれませんよ」

 どういう意味かとユウマを見たら、ユウマが後ろにいる三人を顎で示した。

「義姉上の髭を引き抜いたそうです」


 ヒジリは目を見張った。ネコ族の髭は飾りではない。

 あの髭で、暗い場所でも的確に状況を把握し、夜でも昼間のように活動することができる。

 平衡感覚を保つのにも役立っていた。クロが高いところから飛び降りても地面を見失わないのは、ひとえに微細な空気の流れをも感知する髭のお陰だった。

 目以上に目の役割を果たしているのである。

 それが抜かれたのだとしたら――。

 ヒジリはユウマの後ろにいる者たちに目を向けた。ヒジリと目が合った三人がひっと声を上げる。

 そのうち、髭を引き抜いた張本人、アビが弁明するように声を出した。


「ぬ……抜いたといいましても、三、四本くらいでしたし……」


 実際にはもっと抜いていたが、アビは実際の数よりも少なく報告した。語尾も弱々しいものとなる。ただでさえ愛想のよくないヒジリの眉根に、縦線が深く刻まれたからだ。

 ヒジリがアビたちのほうへ足を踏み出すのを見て、三人が縮こまった。


「一本杉のところだな?」

 ヒジリが低い声で訊くと、ユウマが答えた。

「はい」


 自分の意志で戻ってこないのと、戻りたくても戻れないのでは意味が違う。

 ユウマの答えを聞いたヒジリが、背中の翼を大きく広げた。ひと羽ばたきの元に、庭から飛び立つ。

 数秒とかからず闇夜に溶けて見えなくなったヒジリの後ろ姿を見送って、ユウマがアビに向き直った。


「お前の翼を片方もいで、一本杉のてっぺんに放り出してあげようか?」


 口許は微笑(わら)っていたが、目が笑っていない。アビだけでなく、それを聞いていた残り二人も青ざめた。


「お前がいっているのは、そういうことだよ」

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