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トリ×ネコ  作者: スズキリネン
第一話
3/7

結婚のお相手は 3

 行きにかかった時間よりも、はるかに早くネコの里に駆け戻ったクロは、シロに不満をぶちまけた。

 よりにもよって、嫁入り前の乙女の胸を揉みしだいたのだ。万死に値する。

 クロは襖の奥から自分の枕を取り出すと、容赦なく千々に引き裂いた。

 枕に詰まっていた柔らかい羽毛が宙を舞う。その羽毛から、あのヘンタイトリ男の顔を思い出し、更に不快さが募った。

 思い出すだに腹が立つ。


「あの男、こんど会ったらただじゃおかないんだからあ!」


 シャーッと威嚇音を上げるクロのそんな様子を眺めながら、シロはのんびりお茶をすすっていた。

 あと数日もしたら、この妹はトリ族の里に嫁に行く。

 こんな時間もあとわずかかと思うと、ほんのちょっぴり名残惜しい気がした。



 * * * * *



 花嫁にあるまじきむすっとした表情で、クロは婚礼衣装に身を包んでいた。

 正絹(しょうけん)緞子(どんす)に織られた白無垢には、鶴や鳳凰、牡丹などが豪華絢爛に刺繍されている。

 クロはネコ族の里に戻ってから数週間もしないうちに、再びトリ族の里へとやってきていた。

 通されたトリ族族長の屋敷で婚礼に向け、支度を整える。

 母に綿帽子を被せてもらったところで、父が部屋に入ってきた。その口からほう、と声が洩れる。


「お前でもそんな恰好をすれば、それらしく見えるもんだなあ。お前の場合、綿帽子じゃなくて角隠しのほうが良かったかもしれんが」


 角隠しには、おしとやかな妻になるという意味が込められている。怒ったときににょきっと生える角を覆い隠すんだそうだ。

 これから嫁に行こうという娘にずいぶんな言い草である。

 実のところ、ここにくるまで色々あった。当然のことだが、クロが大人しくしているわけもなく、ことここに至るまで、クロは何度も逃げ出そうと試みた。

 しかし、皆、クロの性格をよくわかっていた。

 父母だけでなく、シロにまで阻まれた。

 チャンスと思って逃げ出そうとするたび、マタタビだの猫じゃらしだの特上お肉などを目の前にぶら下げられ、ゴロゴロゴロゴロ喉を鳴らしているうちに、気づけばトリ族の里へ到着、準備万端整ってしまったのである。


 クロの準備が整う頃には、相手の準備も整ったようで。

 式の前に顔合わせをすることになった。

 あの絵姿の人物がここにやってくるらしい。

 もうこうなったらヤケクソだ。その人物の顔をとくと拝んでやる。

 むくれたクロを見るに見かねて、シロが笑顔を作るよう諭すなか、廊下のほうが騒がしくなった。

 その声音から、どうも揉めているようである。

 なにを揉めているのか気になったクロは、綿帽子の下で黒い耳をピンとそばだて、その内容に耳を澄ませた。その中に、聞き覚えのある男の声が交じる。


「……まさか」

 廊下でする声が次第に大きくなり、予測が確信へと変わった。

「あたし、やっぱり帰る!」


 声の主は間違いない、ヒジリだ。

 次に会ったときは二目と見れない顔にしてやる――もちろん今このときも、そう思っていたのだが、いまはマズい。

 もしもあの無神経ヘンタイ男が、この父母の前でトリ族の里に忍び込んだことをバラしたらどうなるか。

 クロは想像して身の毛がよだった。


 ――そもそも、あんな落書きみたいな絵を送りつけてきたやつが全部悪い!


 クロは頭を掻きむしりたい気分だった。綿帽子を被せられたいま、本当にやったらそれこそ本気で怒られるのでやらないが。

 クロの脳裏に、この里にやってきた数日前のことが鮮明に浮かんだ。

 あの絵姿の人物を確認したいがために、単身ネコ族の里を出て、トリ族の里まで来た挙句、侵入者に間違われ、自分を捕らえに来た若者を昏倒させたのだ。

 この屋敷の庭で聞いた捕吏の鳴らす笛の音はまだ耳に残っている。

 もし、トリ族の里を騒がせたのが自分であると父母に知れたら、どんなお仕置きが待っているかわからない。

 父母の怒りは天の怒り。クロは震えあがった。

 やばいやばいやばいやばい。


 クロは慌ててその場に立つと、重たい白無垢の裾をからげ、窓に飛びつこうとした。

 しかし、さっと出された母の足に思いっきり引っかかり、盛大にすっ転ぶ。


「今更なにをいっているの、あなたは」


 普段あんなにおっとりしているくせに、こういうときだけやたら目ざとく、素早い。

 クロが床に思いっきり鼻を打ちつけたところで木目調の襖が開いた。


「だから、俺は結婚などできないと――!」

 跳び起きる間もなく、開いた襖の奥から姿を見せたヒジリと目が合う。

「うにゃー! やっぱりいぃぃ!」


 絶体絶命の大ピンチ!

 クロはシャカシャカとその場で床を掻いた。白打掛の裾を母に踏まれているため、一向に前には進まなかったが。

 そんなクロの背後から声がした。


「おい、なんでお前がここにいる?」

 クロはすっとぼけることに決めた。ペコちゃん人形よろしく、青い目を斜め上に逸らしてぺろりと舌を出す。

「なんのこと?」


 あたしたち、ここで初めて会いましたよね的なオーラを全身から発する。

 しかし、やはりこいつは無神経だった。

 少しは察してくれてもよさそうなものなのに、こちらの意図は全く伝わらず、そもそも汲んでくれる気もないようで、ずかずかとクロの前まで来てしゃがむと、まじまじとクロの顔をのぞき込んだ。


「その目、その顔、間違いない。お前、この前うちに忍び込んだ奴だろう?」


 ぎゃー! なに暴露してくれちゃってんのこいつ!

 慌てるクロの耳に、父母の声が届いた。


「……このまえ?」

「……忍び込んだ?」

 クロは綿帽子がずれるのも構わず、ぶんぶんと首を横に振った。

「ちちちち、違う! あたしそんなことしてない!」

 しかし、ヒジリは呆れたような声を出した。

「なにをいってるんだ。ヒトんちの貯蔵庫で木箱漁ってただろうが」

「木箱……」

「漁る……」

 呟く父母の顔が怖くて見れない。だらだらと嫌な汗が全身を伝った。

 いまは綿帽子と白無垢に隠れてしまって見えないが、床に這いつくばったクロの耳はピタリと後ろに伏せられ、尻尾は股に挟み込まれている。


「ああ、この前侵入した泥棒猫ってこの人かあ」

 襖のほうからそんな声がする。おそらくトリ族のヒトだと思うけど、誰だか知らないが、すでに燃え盛りつつある炎に、そーれそーれと油を回し入れるのはやめてもらいたい。

「というか、お前、なんでそんな恰好……」


 クロを見ていたヒジリの声が止まった。

 不思議に思って顔を上げたクロの目に、ヒジリの身につけた衣装が飛び込んでくる。

 両袖、両胸に家紋の入った黒の紋付き袴。ここからでは見えないが、もしかして背中にも入っていたりするんだろうか。だとすると、答えはひとつしかない。

 うそでしょ、と思ったクロの耳にヒジリの無情な声が響いた。


「結婚相手ってお前か」

「断固拒否!」


 クロは間髪入れずに全力で断った。こんなヘンタイと結婚させられてはたまらない。

 だというのに、それを聞いたヒジリの目が意外そうに見開かれた――って、なんで意外そうなんだ、こいつ。


「もしかして、胸を揉んだことを怒っているのか?」

「……胸を」

「……揉んだ?」


 今度は襖のほうから男のヒトと女のヒトの声がした。

 違う! いや、違わないけど、なんでこんなヒトが大勢いる前で、世間話でもするみたいにいってんの!? クロは泣きたくなった。

 そんなクロの手を、ヒジリがそっと取る。


「まさか結婚する相手がお前だったとは。あのときは知らなかったこととはいえ、すまないことをした」

「……ヒジリ……」


 素直に謝られ、クロは驚いた。どうやらこの男、無神経でヘンタイなだけではなく、殊勝な心も持ち合わせているらしい。ほんのちょっぴり見直したところで、ヒジリが口を開いた。


「しこたま揉んでしまったからな。相手がお前なら丁度いい。欲をいえば、もう少しサイズの欲しいところだが……仕方がない、それで我慢してやる」

「仕方がないって、お前……」

「……しこたま……」

「……兄上、どうでもいいけど、それいまいったらダメなやつでは?」


 襖のほうからした声が、あーあ、とため息を洩らした。

 クロのヒジリに対する印象ゲージは最低値を振り切った。クロだって年頃の乙女だ。

 告白だとか結婚だとか、乙女の夢をこうも無下にすり潰され、ふつふつと湧いた怒りが脳天を突き抜けた。


「こ、こ、この」

 ふるふる震えるクロを見て、ヒジリが首を傾げる。「ん?」

 次の瞬間、クロの必殺ネコパンチが炸裂した。

「ドヘンタイ無神経最っ低男おぉおぉぉ!」


 バッチーンという音の中にギャリッという音が混じり、張られたヒジリの横顔に、三本の縦線が入った。

 それを見ていたクロの父と、襖のところに立っていたヒジリの父と思しき男が目を合わせる。

 ややあって、同時に頭を下げた。


「こんな愚息のところで申し訳ないが、嫁に来てもらえないだろうか」

「こんな不出来な娘でよければよろしく頼む――」

【結婚のお相手は】完結です。

ご覧いただきありがとうございました。

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