結婚のお相手は 2
トリ族の家はどこも変わった形をしていた。
ネコ族も木の上で過ごしたりもするけど、家は地上にある。しかし、トリ族の家は樹上にあった。
藁で吹いた屋根の下、窓から見える室内の床には、畳ではなく板が張ってある。壁にところどころ填め込んである色ガラスが月明かりに反射して、幻想的に煌めいていた。
そんな中、クロはというと――。
トリ族族長のお屋敷、その貯蔵庫と思しき場所で食べ物を漁っていた。
思い返せばこの数日、休むことなくネコの里から走ってきたのだ。
途中、ちょいちょい獲物を狩ったり、小川の水を飲んだりしてはいたものの、クロはお腹が空いていた。
床に直接積んであった一番上の木箱から、リンゴをひとつ勝手にもらうと、服でゴシゴシこすってかぶりつく。
「うーん、果物もいいんだけど、お肉はないのかなあ」
リンゴの芯を床に放り投げ、その辺の木箱を漁ってみる。
しかし、お肉らしきものは見当たらなかった。
身体がたんぱく質を欲していた。クロのしなやかな筋肉は、良質なたんぱく質があってこそだ。
クロは身体の半分以上を木箱に突っ込み、黒い尻尾を真っ直ぐ立てて、箱の中をガサゴソ漁った。
何個目かの木箱を漁り、目的のものが見つからず、やれやれと頭を掻いたとき――
クロの髭が震えた。
背後を確認することなく、跳躍する。
「あは?」
ゾクリとしたものが背筋を伝った。身体をひねり、ストンと背の高い棚の上に飛び乗ると、庫内を見下ろす。
先ほどクロがいた場所に、長身の男が立っていた。スラリとした体形に、濃茶の長い長い髪。切れ長の目には神秘的な色が宿っている。背には綺麗な翼が一対畳まれていた。
こんな場所でなかったら、見惚れていたかもしれない。
男の手には小刀が握られていた。狭い室内。立ち回るのにちょうどいいサイズだ。
男はひたとクロを見据えると、油断なく口を開いた。
「とんだネズミがいたもんだな。ここがトリ族族長の屋敷と知っての所業か?」
「見ての通り、ネズミじゃなくてネコだよ。あんなのと一緒にしないでくれる?」
ネズミが聞いたら怒りそうなことをいいながら、クロは内心冷や汗をかいた。
目の前の男はクロに話しかけながら、周囲にも気を配っている。
おそらく、他に仲間がいないか探ってるんだろう。そのくせ、隙が見当たらないのだから恐れ入る。
正面突破は無理だと感じた。やってやれなくはないだろうが、里まで帰ることを思うと、下手に怪我はしたくない。
クロは目の前の男に注意を払いながら、どこか抜け出せそうな場所がないか目を走らせた。
「逃げ道がないか探しているなら無駄だぞ。ここには入り口の他に、明り取り用の小窓くらいしかないからな」
クロの耳がピクリと動いた。下にいる男を見下ろす。
男がそんなクロを見上げ、ぞんざいにいい放った。
「大人しく下りてくるなら手荒な真似はしない。だが、妙な真似をしたら、そのときは観念してもらう」
「妙な真似、ねえ」クロは顎に人差し指を当てた。
「それってどうやって判断するの?」
しばらく待ってみたが、男の返事はなかった。――って、おい。考えてなかったのか。
先に聞いておいてよかった。男の言葉を真に受ける気はないものの、もしも信じて飛び降りていたら、グッサリやられていたかもしれないわけだ。
どうやらこのヒト、一見まともそうに見えるけど、ちょっとあぶないやつらしい。
クロが棚の上でじっと男の顔を見ていたら、男が不機嫌な声を投げて寄越した。
「どうせ逃げ場はないんだ。いいから下りてこい」
「いやいやいや、待って? いまの会話で“はーい”っておりてくヒトがいたら、一度そいつの顔を見てみたいよ」
「じゃあどうする? いつまでもそんなところにいるわけにもいくまい」
確かに男のいう通りだ。しかし、クロはにやりと笑った。
明り取り用の小窓。
正面の棚に目を向ければ、木枠で切り取られた四角い穴から外の灯りが洩れてきている。ネコを舐めてもらっては困る。
クロは全体重を前にかけ、棚を前方に倒しながら、正面の棚に飛び移った。
棚に乗せてあった物がばさばさ派手に落ちながら、下にいた男に向かって倒れ込む。不意をつかれた男が慌ててその場を飛び退いた。ほんの一瞬、クロから気が逸れる。
クロにはその一瞬で充分だった。
男が再度クロを見たときには、クロは小窓の前にいた。
男を見下ろし、舌を出す。
「じゃあね~」
「なっ――おい! 待て!」
ネコの肩の可動域は広い。頭が通れば大抵の場所は通り抜けられる。
クロはなんなく小窓をすり抜けると、外へ身を躍らせた。
* * * * * *
「はー、変な奴もいたもんだねえ」
こんな夜分にヒトの屋敷の庭をウロついているクロも、充分変な奴なのだが、自分のおかしさに気づかないのはクロに限った話ではない。
「ここはさっさとあの絵に描いてあったヒトの顔を見て、ずらかったほうがよさそうだ」
またいつ、さっきの奴に出くわすかわからないし――そこまで考えて、はたとクロは気がついた。
自分の部屋で見たあの絵を思い出す。顔からパーツが飛び出した福笑いのような顔。
「あの絵のヒトに会ったとして、どうやって確かめたらいいの!?」
結婚の話が出たとき、母から名前を聞いたような気もするけど、そのときのクロの頭の中は、ふざけんなの文字でいっぱいだった。つまり、まったく聞いていなかった。かろうじて覚えていたのが“トリ族族長の息子”ということだけ。
クロは額に手をやると、その場にへたり込んだ。
己の浅はかさに嫌気がさす。
ここまできて、ようやくそのことに気づくとは。顔も知らない、名前も知らないでは、本人に会ったとしても確かめようがない。
耳を澄ませば、捕吏の鳴らす笛の音がここまで届いた。これでは、例え名前を知っていたとしても、その辺のヒトを捕まえて案内してもらうわけにもいかない。
ちょろっと来て、見て、帰るだけのはずが、とんだことになってしまったものである。
クロは急に疲れを感じた。肩に重たい石でも乗っているような気分だ。
「……はあ、帰ろうか――って思ってたとこなのに」
クロは身体を横にねじると、背後に迫った刃を、手元に隠していた爪で弾いた。
金属同士がぶつかる硬質な音が高く鳴る。クロは素早く後転しながら地面に手をつき勢いよくジャンプ、距離を取りつつ立ち上がると、襲ってきたヒトに目を向けた。
「またあんたかあ」
半ば想像していたとはいえ、ピタリと予想が当たってしまい、うんざりしたクロの口からため息が漏れた。
「さっきもそうだったけど、後ろから狙うなんて卑怯にもほどがあるんじゃない?」
狩りをする際、獲物の背後を取るのは基本だが、クロはあえて文句をいった。
目の前にいたのは、先ほど貯蔵庫でちょっかいをかけてきた男だった。
さっき手にしていた小刀とは違い、いまは刀を持っている。
あれで諦めるとは思っていなかったけど、なにも本当に追ってくることはないのになと思った。
対する男は、自分の一撃を防がれたことに驚いていた。
丸腰の相手に本気を出すのも大人げない。一応、怪我をさせないようにと刃を寝かせ、平打ちに打ち据えようと振り下ろした刀は、ものの見事に弾かれた。弾いたのは紛れもなく金属だ。
まじまじとクロを見る。
「……暗器か?」
「さあねえ」
わざわざ手の内を明かす必要はない。クロはぺろりと指を舐めた。
「どこまでもふざけた奴だ」
地を蹴ったのは同時だった。
クロとしてはもはやここに用はないし、とっとと帰りたかったが、変に背中を見せようものなら、なにをされるかわからない。だったらちょっとからかって、隙を見て逃げたほうが、まだなんとかなりそうだった。
男が横に振った刀を、にょきっと伸ばした爪で弾く。
右手で払い、左手でカウンターを狙う。届いた、と思った爪は、しかしなにも引っ掛けてはこなかった。器用に躱した男が走り抜けざまこちらを向く。
クロは屋敷の壁を背にして立った。
二人その場で動きを止め、静かに見合う。
男が声をかけてきた。
「お前、名前は?」
「ヒトに名前を聞くときは、まず自分から名乗れって習わなかった?」
そういうと、男がおかしそうに笑った。
「……ヒジリだ」
ヒジリ……クロが心のなかで復唱すると、ヒジリと名乗った男が目で訊いてきた。
クロはぺろりと舌を出すと、事も無げにいい放った。
「教えてあーげない!」
そういって踵を返すと、身の丈以上もある壁をひらりと超えてその向こうへ姿を消す。
クロは屋敷の壁を乗り越えると、早々に樹から飛び降りた。地面に足をつけた瞬間、手近な茂みの中へ飛び込み、薄闇に紛れてトリ族の里を出る。
目的は果たせなかったが、気晴らしはできた。
ネコの里に戻ったら、シロに面白い男がいたと土産話をしてあげよう。
それはほんの少しの油断だった。
目の端を黒い影がよぎる。
とっさに身をよじって躱せたのは、クロの超人的な身のこなしのなせる業だった。
完全に避けたと思ったはずなのに、お腹の辺りの布が浅く裂ける。
刀で切りつけてきたのかと思ったら、そうではなかった。意趣返しのつもりだろうか。クロはチッと舌打ちした。
「あんたもなんか隠してんの?」
「さあ、どうだろうな?」
地上に降り立った男の足元が不自然に抉れている。最小限の動きでクロへと向き直った男が不適に笑った。
避けたと思ったヒジリの蹴りがクロの服を裂いたのだ。この場合、靴の先になにか仕込んでいると考えたほうが自然である。
クロはじり、と後退った。
幸い、ここはもう森のなか。樹木の生み出す濃い闇が、クロの姿を隠してくれるだろう。
クロは身を翻すと、一目散に駆けた。身を低くして音も立てずに全力で走る。
ある程度、トリ族の里から離れれば、ヒジリとかいう男ももう追ってはこないだろう。
逃げ切る自信はあったのだけど……。
クロは髭に違和を感じ、直感のまま右に跳んだ。直後、クロのいた場所にカカカッと羽が突き刺さる。見た目は柔らかそうなのに、その羽軸は硬そうだ。
ヒジリはどうやら飛び道具まで持っているらしい。
クロは逃げる速度は落とさず、後ろに向かって叫んだ。
「もー! あんたしつこい!」
「お前が大人しくしないのがいけないんだろう!」
「捕まるとわかってて、大人しくするヒトなんかいるわけないでしょ!」
「違いない」
声は耳のすぐ後ろで聞こえた。
えっ、と思う間もなく抱きつかれる。
「いい加減、神妙に――」
そういったヒジリの声が途絶えた。
むにゅっとした感触がヒジリの手に伝わる。確かめるように何度か揉んだ。
「お前――」
さてここで、トリ族についての講釈に、しばしお付き合い願いたい。
トリ族は分業がきっちりしていて、外で働くのは男、家を守るのが女、と昔から決まっている。
子供が無事に巣立ったあとも、ひとりで食っていけるようになるまで、男がしっかり働いて、面倒を見る。トリ族の男は甲斐甲斐しかった。
妻は一人と決めたら浮気はしないし、家族のために身を粉にして働く。
育児の終わった女たちは次の子を身ごもるまで、家をしっかり守りつつ、ふらっと出かけては遊楽に耽る。育児のあいだ、家にこもりっ放しになるから、憂さ晴らしをしたいんだろう。とはいえ、女たちが里から出ることは、まずない。
そんなものだから、ヒジリは自分たちの習慣に当てはめ、里を出て、こんなところまでやってきたクロのことを男だと思っていた。
クロの体型もよくなかった。
スイカやメロンとまでいかずとも、服の上からわかるくらい、もう少し膨らみがあればこんな間違いは起きなかった。
理解の及んだヒジリが声を張った。
「女か!」
「――っこの、ヘンタイ!!」
涙目になりながら、クロはにょきっと爪を伸ばすと、ヒジリの顔を思いっきり引っ掻いた。




