第六節 束の間のひととき 2話目
「――それじゃ、おやすみなさいパパ」
『ああ。俺も風呂に入ってからすぐ寝るよ』
長期戦の際に無駄に鍛えられた料理スキルで最低限の料理は作ることができたが、これから三人をきちんと養っていくにあたって、まともな料理も作れるようにならなければならないだろう。
ラストに任せても良いかもしれないが、俺の料理に何を入れられるか分かったものじゃないから止めておこう。
「さて、と……」
「ッ!」
今一瞬でギラついた視線を受けた気がするが、あらかじめ釘を刺しておこう。
『余計なことはしなくていいからな』
「分かっていますわ、主様」
絶対分かっていないやつの返事だ。めちゃくちゃ企みを持った微笑みが俺に剥けられている辺り、絶対にこいつ何かしてくるぞ。
『……頼むから風呂くらいはのんびり入らせてくれ』
俺はそう言って、リビングから大浴場の方へと一人向かっていった――
◆ ◆ ◆
「――あ゛ぁー……生き返る……」
なんておっさん臭いことを言ってしまったが、もうアラサーだからセーフだろ。
「それにしても、相変わらず小規模戦が多い世界だな……」
スピット湿地帯での一戦のような、敵対した国との小競り合いはほぼ常に起きているといってもいい。俺もシロさんもそういった戦地を渡り歩き、NPCなりプレイヤーなりを倒して経験値を稼いできたからこそ今がある。
「ガレリア奪還もそれに比べれば規模が大きいが……物足りないな」
ここらで一つ大きな戦争でも起きればギルドの経験値稼ぎもできるだろうし、何より今のギルドの名声や地位を取り戻す呼び水となり得る。
入浴したまま全身を放り投げるように伸ばしきり、湯気で見えなくなりつつある天井を眺めながら俺は一人呟く。
「この百年で隅に追いやったつもりだろうが、俺達は必ず返り咲く……」
このベヨシュタットに再び君臨してやる……最強のギルドとして。
「……その為にも、今は疲れを癒やすか」
しばらくのんびり浸かった後に身体を洗おうと風呂をあがり、シャワーの方へと向かったその矢先――
「――失礼します」
「ッ!? まさか!?」
その声に俺は即座に振り返り、そして脱衣所から繋がる扉の方へと視線を向ける。
「主様、お背中をお流しいたしますわ」
「っ、ちょちょちょ、ちょっと待て!」
そこには一糸まとわず風呂場へと足を踏み入れるラストの姿が――って、まずい!
「残心!」
全身に蒼いオーラを纏って精神の動揺を抑えるが、視界の暴力も遮らなければ――
「はーい主様、まずは腕からしっかりと洗わせていただきますわ」
俺の浅い考えを見抜いてか、ラストは視界を伏せていた俺の腕をわざと引き剥がし、自分の身体にあてがって泡を立てるようにこすりつけ始めた。
「こうして、んっ……しっかり洗わないと……」
「落ち着け俺、素数を数えるんだ……!」
2、3、5、7、11――って腕の感触がぁああああ!?
「待て待て待て! 余計なことをするなって言わなかったか!?」
「? 私はあくまで主様のお身体を想ってのことでしたのに……」
だからといってそんなしゅんとした表情をするな、罪悪感が湧くだろ! なんか俺が悪いみたいな雰囲気になってるし!
『だから洗ってくれること自体は嬉しいが、なんか動きが怪しいんだよ……』
俺の言葉尻をとって何か悪いことでも思いついたのだろうか。ラストはそこからいたずらっぽく笑みを浮かべながら、わざとらしく疑問を抱いて俺に投げかけてくる。
「何がおかしいのでしょうか? このラストに教えていただけませんか?」
『えぇと、だからその――』
「何が、おかしいのでしょうか?」
ここぞとばかりに泡だらけの身体を密着してくる辺り確信犯だったのだろうが、この時の俺は密着したばかりに吸い付くように触れてくる二つの大きな柔らかいものに意識を取られ、混乱のあまり言葉を上手くキーボードに打ち込めずにいる。
「だから……だからっ……」
「だからだけでは全く分かりませんわよ? あ・な・た・さ・ま」
くっ……しかしここで残心を解こうものならまたなし崩しになってしまうのは間違いない。
俺はさっとシャワーを手に取ってラストについた泡もろとも身体を流し、そのままさっと風呂の方へと向かう。
『とりあえず一緒に入れ。話はそれからだ』
「っ! わ、わかりました!」
少しやり過ぎたと思える程に冷静な態度を取りながらラストに背を向けると、流石に気がついたのか動揺した後に素直に俺に続いて浴槽へと足を踏み入れる。
「…………」
「……あ、あの! お気を悪くしてしまったのでしたら謝ります、どうかお許しください」
「……はぁ」
そこまで分かっているなら何故やってしまったのかと問い詰めたかったが、残心を発動していたおかげでそこまで言うことなく溜息を一つ漏らし、そして冷静になってラストに改めてこう告げた。
『……時と場合を考えろと、いつも言っているはずだ』
「……はい、申し訳ありませんでした」
折角リラックスできると思っていたのに、今度は演技ではなく本気でしゅんと沈んでいるラストを見て少し気まずくなってしまった。そしてそれを誤魔化すように俺はラストの肩を引き寄せると、そのまま再び足をのばしてゆっくりと浴槽の縁に寄りかかり、ステータスボードを開く。
『……ほら』
「これは……?」
残心を解いた俺がその場に出したのは、本当ならば一人で嗜むつもりでマルタから密かに購入していた熱燗セットだった。
『アシャドールから輸入した嗜好品の酒だ。本当は俺一人で飲むつもりだったが……お前も少し飲んでみるか?』
「よろしいのですか? それに主様、お酒はあまり強くなかったはずでは……?」
『……いいんだよ。雰囲気だけでも買う価値があったんだよ』
銭湯で日本酒――俺にはちょっとだけこのシチュエーションに憧れがあった。とはいえ少し飲んで満足するよりは、ラストにも飲んで貰った方が買った価値があるというもの。
『こういった息抜きも必要って事だろ?』
「で、では……ごくっ……おいしいです……」
呑んでいる姿も妙に色気があって残心を解いたのは間違いだったかと思ったが、少々顔を赤らめた彼女の美しさに酔いしれることができるのなら、それはそれでよかったのだろう。