第三節 足がかり 2話目
流石に先程切り捨てた相手がまずかったのか、それまで賑わっていた市場に微妙な居心地の悪さを感じる。俺が近くを通る度に緊張感が生まれ、狭かった人通りに広い空間ができあがる。
「フン……最初から主様のために道を空けておけばよいものを」
『余計な言葉で煽るな、ラスト』
それにしてもあの男、ボリスといったか。密告に戻ったと考えるのが普通だろう。恐らくは俺の戦いを見て真っ正面から戦っても意味が無いと判断したのだろうか、あるいは他に何か策でも考えているのか。
幸いにもレベル的には相当な差はあるはず。闇討ちなんて画策したとしても返り討ちにしてやれる。
「……主様?」
『いや、なんでもない』
考えるだけ無駄だ。それよりも買い物を済ませたいが――
『――さっきので俺が買い物ができる様な雰囲気じゃなさそうだ』
仕方がない。子爵と遭遇する前にこの場所を去る方が色々と面倒事を起こさずに済む。
やはり感情にまかせた行動はろくなことにならないと首を振ってため息をついていると、俺の視界の端に僅かな取引の可能性が映り込む。
『そういえばさっきから市場を歩いていても見当たらないと思っていたら』
「あっ! 黒侍さん! やっぱりいらっしゃってしてくれたのですね!」
これは幸運というべきか、さっきの場所が市場の中心とすれば、マルタが風呂敷を広げている場所は市場から外れている。その為か先程の面倒事を目にしていなかった様子のマルタは、屈託の無い笑顔で俺を迎えている。
「どうぞどうぞ! こちらが私の商品になります!」
『そうか。折角だから見せて貰おう』
見たところ品揃えも悪くはない。あれだけの大きな荷物を抱えているだけあって、雑貨や交易品、そして更に幸運なことに衣類も揃っている。
俺が色々と物色をしている中で、ラストは俺の隣で興味なく商品を眺めている。
『どうした? 何か気に入ったものがあれば買ってやるぞ』
「いえ、結構です」
きっぱりと断るあたり、よほどマルタのことが気に入らなかったのだろうか。ツンとした態度を取り続けるラストであったが、ふと彼女の視線にあるものが映り込む。
「これは……」
思わず手に取ってしまったものとは、ラストのような妖艶な肉体美を持つ者を更に際立たせるような、妖艶さの中にも気品を漂わせるような黒の衣服だった。
「それですか? 流石は黒侍さんお連れの方、お目が高いですね! それは――」
『知っている。少数民族が編み込んだ特注品だろ?』
「へっ? 知っているのですか?」
ああ。知っていて当然だ。何故ならそれは――
「主様がくれた服に似ている……」
『……マルタ、この服はいくらだ?』
「あっ、ええとですね、結構高額になるんですけど……」
「っ! 主様! このようなものなど――」
『気にするな。俺が買いたいから買っただけだ』
百年前よりも裁縫技術が進んでいるためか、相応に華美なデザインをしている。しかしそれでもまだ彼女の美しさには遠く及ばない。だが彼女が着ればその美は何倍にでも増すだろう。
『次にどこか宿屋に入った時にでも着替えて貰おうか』
「……っ! 主様……!」
感極まって口元を両手で押さえるラストを見る限り、思い出の品と似たものを買うことができたようで本当に良かった。
『さて、後はこれとこれを貰おうか』
「ありがとうございます! やったよおばあ様! 私、ちゃんと商売ができたぁー!」
恐らくマルタが今まで所持したことが無いであろう金額分の金貨での取引を終えると、俺のステータスボードにはこれから先の長旅における必需品一式が揃っている。
「本当に、ありがとうございました! これでおばあ様のところに帰られます!」
『それはよかった』
俺の方も数日分の食料や衣類など、目的の品が全て揃って満足していた。これでこの町に要件は殆ど無い。
『後は子爵に目をつけられていないかどうか、目をつけられたとしてどう対処するべきかだが……』
「皆! ミミル子爵様が“巡回”なされるぞ! 道を空けろ!!」
……丁度いいところにやってきた、というべきか。
「ほっほっほ! 頭が高いぞ貴様等! 控え控えぇい!!」
権力の塊というべきか、脂肪の塊というべきか。いずれにしても剣技でのし上がるという過去のベヨシュタットの習わしはとっくの昔に風化してしまっているらしい。
裸の王様とでも形容すべきか、剣術のけの字も知らないような人間が、腰元に華美なだけの剣を挿げて、三人のお供を連れて道のど真ん中を馬で闊歩している。それはかつての俺にとっても、今の俺にとっても非常に不愉快な光景だった。
「ほっほっほ! 余の前にひれ伏せ! 貴様のところの年貢を上げてやろうか!」
「ひぃっ! 申し訳ありません!!」
「ふぉっほっほ!」
既に跪いて頭を垂れている者に対して、もてあそぶ様な言葉を投げかける様を見て、俺もラストもほぼ同じを抱いていた。
――虫ケラが粋がるな、と。
「な、なんかやばそうな雰囲気ですよ! 黒侍さんも頭を下げて――」
『何故下げる必要がある?』
「主様の言うことがごもっともですわ」
恐らく市民は俺のことを愚か者だと思っているだろう。彼らにとって子爵こそが絶対的な支配者。その支配者に反逆するなど、まさに愚か者の所業。
だが俺は、今作も前作も変わらない。邪魔をするなら誰であろうと、斬り捨てるのが俺のやり方。
「……ん? なんだ貴様は」
「貴様こそ何のつもりだ? この豚が」
早速の舌戦。今の彼女はというと、誰の目から見ても絶世の美女“奴隷”にしか見えないようで、ミミルという男にとっても只粋がっているだけの奴隷としか思われていない様子。
「おーい、誰の奴隷だ? 百歩譲って手元においてやるくらいの美貌はあるみたいだが、躾がなっていないな」
「自分の体型すらまともに調節できない豚の癖によく言えましたわ」
この言葉に相当の苛立ちを覚えたのか、子爵は額に青筋をたてて剣を抜き、その切っ先をラストに向ける。
「こっ……この女を引っ捕らえろ!! 徹底的に拷問にかけて、裸で土下座をさせてやる!!」
「はっ!」
だからなんでこの町の人間はピンポイントで俺をカチンとさせるような言葉を吐くんだと、怒りを通り越してあきれ果てていると、ミミルのお供三人がラストを捉えようと向かってくる。
「豚屑風情が……いいだろう、くびり殺して――って、主様!?」
「抜刀法・参式――霧捌ッ!!」
今度は先程のような一瞬での斬撃では済ませない。俺はすり抜けざまに霧を払うかのように刀を振り回し、今度は三人をあっという間になます切りに斬り下ろしてしまう。
『さぁて、どうするよ子爵様?』
俺はあえて刀を納刀せず、そのままわざとらしくくるくると回し、そして次はお前だといわんばかりに切っ先を真っ直ぐに子爵の方へと向ける。
「なっ――貴様何をするつもりだ!? 私は子爵だぞ!! 私に手を出すということはこの地に、この国――ベヨシュタットに手を出すということだぞ!?」
『だからどうした? 子爵風情が、一体何をどうするというんだ?』
俺が忠誠を捧げた国は、この瞬間に死んだ。否、既に死んでいたことをようやく理解できた。
だったらもういい。反逆者と言われようが、どうでもいい。
――この国を、元の由緒正しきベヨシュタットにするためならば、俺は反逆すらいとわない。
「……なんだ、リベリオンワールドってそういうことか」
キャストライン出身の男の反逆による戦乱という意味でつけられたタイトル名だろうが、今の俺にとっては別の意味になってくる。
『ここが足がかりだ。ここから俺は、この国を正す』
「正すぅ!? 馬鹿め、本当に頭がおかしいのか!? お前は一体何者なんだ!?」
『俺か? 俺は――』
――“元”刀王、だ。