ep2.19 エストリエ
―――前回のあらすじ
マオの兄姉並びに義姉である望月零次と伊呂波、零次の妻・朔夜との初顔合わせを友好的に乗り越え、なんとなく信頼を得た魔王とマオのコンビだったが、三人が去っていくのと入れ替わりに、今度は望月家の裏ボスであるマオの母がやって来たのだった。
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前回、望月兄妹の身の上に触れる中で年齢についても軽く言及したが、改めて確認すると、長男の零次が36歳、長女の伊呂波が30歳、ついでに朔夜は零次と同じく36歳だった。
特に隠しているわけではないので、ここでマオの年齢も明かしておくと、彼女は当年取って24歳のぴちぴちギャル(死語)である。
余談はさておき、魔王とマオの目の前にやってきた望月母だったが、まずは魔王の顔をひとしきりじっと見つめ、何やら勝手に納得して「あらまぁ、困ったわね……」と意味深に呟いた。その後、何事もなかったかのように姿勢を正した彼女は、堅苦しくない程度に畏まった様子で改めて挨拶を始めた。
「ごきげんよう魔王様。私は真央の母で、望月リリーと申します。どうぞよしなにお願いいたしますわ。」
挨拶の前にじろじろと顔を見る行為は、一般論から言えばまぁまぁ無礼だったが、そんな細かい事は気にしない魔王はリリーの挨拶に快く応じた。
「ああ、こちらこそよろしく頼む。」
そう言うと、魔王はリリーとマオとを交互に見比べて、さらに続けた。
「なるほどマオの母君とあって、二人はよく似ているな。背丈はだいぶ違うようだが。」
魔王の言葉はただの事実確認で他意はなかったが、それを聞いていたマオはモデル体型の母とちんちくりんの自分が比較されて、なんとなく負けた様な気分になってしまったのだった。
マオにとって母や姉と比較されるのはよくある事で、これまで特段気にしてこなかったのだが、魔王の言葉にだけは妙に引っ掛かり、母に対して対抗心を燃やしている事実に彼女自身驚きを感じていた。しかし、それが魔王に対する淡い好意から来る嫉妬心の発露であるとは、恋愛経験皆無の喪女ニートには理解できないのだった。
不意に胸に浮かんだモヤモヤの正体が何なのか分からず、薄い胸に手を当てて首を傾げたマオだったが、原因が魔王の言葉である事だけははっきりしていたので、鬱憤を晴らすように魔王の脇腹にボディーブローをかましながら、恨み言を述べた。
「やっぱりルシファーもお母さんみたいな、すらっとした美人が好きなんすか?」
マオのヒョロヒョロパンチなど当然の如くノーダメージだった魔王だが、何やら怒っている様子のマオの真意が読めなかったので、顎に手を当ててしばし頭を捻る事になった。しかし気の利いた返しも思いつかなかったため、ありのままの事実を述べる事にした。
「よくわからんが、身体的特徴に好悪を感じた事は無いな。強いて言うならば意志の強い者が好ましいが、背丈は関係ないからな。」
魔王の答えは戦う相手に求める条件についてであり、恋愛的な意味での好き嫌いとはまるで無関係の的外れな話だったが、魔王が容姿に興味がないという情報を得られたマオは、胸に掛かったモヤモヤが消えて、一転して上機嫌になったのだった。
「ふ、ふーん。そうなんすねー……」
乙女心と山の天候は変わりやすいのだ。
ところで、恋愛無関心の魔王と恋愛弱者の娘のやり取りを目の前で見せつけられていた母リリーは、一筋縄ではいかない相手を選んでしまった娘の行く末を案じつつも、放っておいた方が面白いことになりそうなので、何も言わないことにしたのだった。悪魔めー。
―――ここで少々補足
先述の通り望月三兄妹は実年齢と比して、異常に若々しい外見をしているのだが、その不老遺伝子の元凶たる彼らの母リリーは、36歳児の息子が居るとは到底信じられない、悪魔的に若い美貌を持っている。
リリーの顔立ちや髪色、目の色などの特徴は末娘のマオと似通っており、外見年齢が8歳児相当の現在のマオを、そのまま20歳くらいにした感じである。また、その肉体は伊呂波の長身モデル体型そっくりそのままなので、二つの特徴を合わせると、マオの顔面を伊呂波のボディに悪魔合体した感じの女性だと言える。
少し昔話をすると、彼女はかつて海外でフリーのモデルをしており、年齢国籍人種その他一切不明の謎の美女として活動していたのだが、学生時代に海外留学していた秀吉が一目惚れし、なんやかんやあってお互いに惹かれ合って付き合ったのが、夫婦の馴れ初めである。
二人の恋模様については詳しく語らないが、現在58歳で還暦目前の秀吉は、留学当時大学入学して間もない18歳の青年であった。つまり秀吉とリリーが出会ったのは40年も前の出来事なのだが、彼女は当時から現在に至るまでの40年間、その容姿に一切の変化が無いのである。
現在も変わらずモデル活動をしているリリーだが、何十年もの間あまりにも外見が変わらないので、モデル界隈では畏敬の念を込めて、美魔女超えてもはや美悪魔と呼ばれている。カリスマモデルならぬカリスマデビルなのだ。
───
魔王は結局何故マオが怒っていたのかわからぬままだが、ひとまず機嫌が治った様子なので、まあいいかと理由を考えるのはやめたのだった。
それから魔王は、再度リリーへと向き直ると、両目に魔力を集中してリリーの全身を解析しながら話し始めた。魔王の奥義が一つ、解析の魔法スキャンだ。
「ふーむ、この魔力は天使……それと悪魔、性格には夢魔の魔力も混じっている様だな。天使と悪魔の混成種となると、、吸血種かあるいはネフィリムか、いずれにせよ水と油を混ぜる様なものだから大抵は不安定な魔力となり、精神性向としても破壊衝動が強く、破滅的な種族になりがちだ。しかし、リリーは安定している様だな。両親の相性がよほどよかったのか。」
魔王は淡々とリリーの魔力を解析して、彼女の両親の種族やらなんやらを看破していった。
「ご慧眼ですわ魔王様。そこまでお分かりでしたら、隠していても仕方がありませんし、改めて自己紹介致しましょう。私は数多いるリリンの一人、吸血種エストリエのリリーと申します。」
魔王の解析魔法により、不老の悪魔の正体が赤裸々に看破され、当のリリーもその内容をあっさりと肯定したのである。
母親が実は人間ではないと言う、割と衝撃の事実が明かされたわけだが、二人の話をすぐ隣で聞いていた娘のマオは、特に慌てるでもなく結構のんきしていた。
なぜマオが平然としているのかと言うと、それは母の正体を知っていたから、と言うわけではなく、そこには別の理由がある。
まず前提として、魔王が本当に異世界からやって来た存在であると正しく認識しているのは、この場においてはリリーだけなのだ。そしてマオ含めた望月兄妹達は、魔王の言動を気合いの入ったコスプレイヤーのロールプレイ程度にしか思っていなかったので、二人のやり取りを見ても、母が魔王の演技にノリノリで付き合っているのだと解釈していた。それゆえ、まさかその内容が紛れもない事実を述べた物であるとは、夢にも思っていなかったのである。
ちなみにリリーの伴侶である秀吉だけは、恋仲になる前のなんやかんやの段階で本人から直接聞いたので、リリーの正体を知っている。なお事情を聞いた当時は秀吉も半信半疑であまり信じていなかっのだが、何年経っても変わらない容姿やら、不意に見せる身体能力の高さから、それが事実であると後に確信を得ている。
さらにもう一人、この場にはマオの兄嫁である朔夜も同席していたが、彼女は魔王とリリーの話を全て素直に信じた上で、それでもなお、「はえー、そうなのかー」くらいの感想しか抱いておらず、まるで気にしていなかった。ある意味一番の大物である。
少々脱線したが魔王とリリーの会話に視点を戻す。
意を決して正体を明かしたリリーは、妙に反応が薄いマオや他の兄妹達の様子を訝しんだが、ひとまず気にせずに目の前の魔王に集中した。
そして件の魔王はと言うと、リリーが明かした種族名エストリエについて考えていた。長い時を生きる魔王をしてなお、聞き覚えが無い種族だったためだ。
「して、エストリエとは、どういった種族なのだ?」
魔王は特に捻る事無くシンプルに質問した。
これにリリーが答えた。
「簡潔に言えば、エストリエとは淫魔と吸血鬼を足した様な種族ですわね。要するに吸血や吸精によって他者から糧を得ることが可能なのです。ただ、エストリエには吸血衝動が無いですし、吸精行為も普通に食事をしていれば必要ないので、自ら邪悪に走らない限りにおいて、普段の生活は人間と変わらないと言えます。それと、神聖系の魔法や退魔の力が効かない点も、吸血鬼や淫魔とは異なりますね。概して当人の性格次第ですが、天使にも悪魔にもなれる、善悪どっちつかずの存在と言ったところでしょうか。」
魔王は深く頷きながらその内容を吟味すると、さらに質問を続けた。
「なるほど、エストリエについては了解した。ところで、エストリエと人間の間に産まれた子は何になるのだ?」
そう言って魔王がマオに視線を向けると、マオもまた魔王の方を向いたので、目と目が合う状態となった。魔王は解析魔法を使ってマオの魔力を確認していたが、それには多少時間がかかるため、二人はじーっとしばらく見つめ合うことになった。
そうして無言で見つめ合っていると、マオはなんだか気恥ずかしくなってきて、思わず目を逸らしてしまうのだった。
何やら甘い雰囲気を出している娘をニヤニヤと眺めながら、リリーは魔王の問いに応えた。
「エストリエと人間の間に産まれるのは、男の場合は人間で、女の場合はエストリエと人間が半々となります。うちの子の場合は、伊呂波がエストリエで、マオは人間ですね。」
「ほう、そうなのか?マオにもそれなりの潜在魔力がある様だが。」
魔王はスキャン結果から、マオに表出していない魔力があると見破ったのだ。
魔王の疑問を受けたリリーは、マオと零次を順に見つめてから答えた。
「男である零次も同様ですが、エストリエの子は人間として産まれても魔力自体は受け継いでいますからね。ただ、人間は魔力を扱う能力が低いので、意識的に訓練しない限りは眠ったままになるのです。」
「なるほど、そう言う事か。合点がいった。」
魔王は諸々に納得した様子で、うんうんと頷いたのだった。
まぁまぁ複雑な望月三兄妹の秘密が明かされたが、当の本人達はその事実を本気にしてはいなかった。しかし幸か不幸か、エストリエは人間として暮らす分には、美人過ぎるのと年を取るのが遅い点を除けば人間と変わらないため、実はエストリエであると明かされた伊呂波の生活に影響はないのだった。