ep2.18 マオの兄妹達
前回、魔王は望月家の晩餐へと招待され、特に断る理由もないためご相伴にあずかることにしたのだった。
当主である秀吉からは妙に厚い信頼を受けて歓迎されている魔王だが、全身黒のピッチリスーツにマントを羽織った筋肉ゴリラの容貌は、控えめに言っても不審者である。ファッションセンスはともかくとして、顔だけは整っていたが、それを差し引いても顔のいい不審者であることに変わりはない。
しかし望月家の住人は、先代当主である信長の奇天烈な友人関係に慣れ親しんでいるので、信長の友人であると言われれば、どんな変人が現れても大概は納得してしまうのだった。むしろまともな者が信長の友人を名乗ったら怪しむくらいである。
そんなわけで、どう見ても怪しい筋肉ハゲの魔王だが、案外すんなりと望月家の食卓に迎え入れられていたのだった。
「それでは皆揃ったところで、食事を始めましょう。いただきます。」
当主秀吉が合掌して号令をかけると、それに倣って他の面々も合掌し「いただきます」と揃って復唱した。
これに少し遅れて魔王も同様に合唱と呪文のルーティーンをこなした。郷に入っては郷に従えという、賢者の教えを守ったのである。そして、魔王は元居た世界で、賢者ことマオの祖父・信長が行っていた食前の儀式を思い起こし、なるほどこちらの世界の文化だったのかと、一人で納得したのだった。
魔王をもてなすために普段よりも少し豪華な料理が並んだ晩餐会は、口数少なく粛々と取り行われ、特に何事もなく緩やかな時間が経過していった。
―――晩餐会の開始からしばらくして……
各自がそれぞれのペースで料理を堪能して、食卓が落ち着いた頃合いで、望月家サイドに動きがあった。具体的にはマオの兄夫婦と実姉の三人が、揃って魔王の席へとやってきたのである。
これに気付いた魔王はゆったりと席を立ちあがり、迫りくる三人の前に立ちはだかったのだった。
まずは先頭に立っていた長身の美形男性が先陣を切り、眩しいイケメンスマイルとともに魔王に声を掛けた。
「こんばんは、ルシファーさん。私はマオの兄で、望月零次と申します。」
マオの兄こと望月零次は、小柄なマオとは血の繋がった正真正銘の実の兄でありながら、身長190㎝近い長身を持つが、これは高身長モデル体型の母からの遺伝である。そんな長身の零次をしてなお、魔王の方が頭一つ分くらい背が高く、加えて零次は母譲りのすらりと長い手足と引き締まった肉体をしているので、前後左右に分厚い魔王のわがままボディと並ぶと、実際の身長差以上に魔王の威容が際立つのだった。
しかし熊の様な大男を前にしながら、一見優男の零次はまったく物怖じしておらず、父秀吉と同様に魔王に右手を差し出して握手を求めたのだった。
これに魔王は快く応じ、差し出された右手を取りつつ自己紹介の文句を返した。
「うむ、既に知っているようだが、余はルシファーだ。よろしく頼む。」
零次は魔王のごつくデカい手をがっしりと握り返して、熱い握手を交わすと、続けて後に並んでいた二人の方に向き直って紹介を始めた。
「ついでに紹介させていただきますが、こちらは私の妻の朔夜で、こっちの無愛想な方は妹の伊呂波です。」
「こんばんは~。朔夜と申します。」
朔夜と呼ばれた女性は少々間延びした声で、ぽわぽわとしたおっとり笑顔と共に魔王に挨拶をした。
「どうも。伊呂波です。」
フレンドリーな朔夜とは打って変わって、伊呂波の方は馴れ合う気はないと露骨に態度で表しているのだった。
二人の外見について補足しておくと、朔夜は150㎝弱の身長に小柄で控えめな体格、髪は性格同様にフワフワな髪質の白髪ロングヘアーを腰まで伸ばし、顔立ちはマオ程ではないが年齢不相応に若々しく、幼いとすらいえる美少女フェイスをしていた。また服装は服飾系の仕事をしている伊呂波の勧めで、顔立ちと体型に合ったフリフリのロリータファッションを常用しているが、当人は無関心で言われるがままに着せ替え人形になっている状態だ。ちなみに年齢は零次と同い年の36歳で、三人の子供を持つ立派なアラフォー女子だ。
一方伊呂波の方は、ふわふわ脱法美少女の朔夜とは対照的な、170㎝オーバーの長身モデル体型で、黒髪ストレートロングの和顔美人で、端的に言えば負けヒロインスタイルだ。自身の容貌に合わせて和服を好んでおり、日本人形がそのまま成長した様な姿の伊呂波だが、その顔はやはり年齢とは不相応に若々しく、高く見積もっても高校生くらいの顔立ちをしていた。ちなみに御年30歳のおひとり様であり、年齢と結婚の話をすると命の保証はない、地雷原の様な危険な女だ。
ところで、マオの兄である零次も含めて、望月兄妹は実年齢とはかけ離れた若々しい姿をしているわけだが、秀吉と出会った当時から容姿が一切変わっていない、年齢不詳の美魔女である母からの遺伝である。なお、朔夜は件の母とは無関係なので、彼女の容姿が幼いのは、また別の理由であるが、これ以上は長くなるので機会を見て語る事にしよう。
さて、話を戻して、魔王に対して正反対の態度を示した朔夜と伊呂波であったが、魔王は二人の態度の違いを特に気にすることなく、よく言えば誰に対しても平等に、悪く言えば傍若無人な様子で、通常運転の魔王ムーブそのままに二人の挨拶に応えたのだった。
「うむ、聞いての通りだが、余はルシファーだ。ところで、ヒデヨシにはすでに話したことだが、元来魔王である余に名前はない。しかし、それでは不便であろうとマオに名付けて貰ったのが、ルシファーと言う名だ。」
何度目かの自己紹介をした魔王は、今さらながら自身の名前の来歴を改めて説明しておくことにしたのだった。
と言うのも、望月家の住人達の名前を聞くに従い、どうにもルシファーと言う名前が、彼らの命名規則からは外れた、異様な名前の様に感じたためである。魔王の感じた違和感は、単に日本人名と英語名の差異であり、実際のところ、どう見ても日本人には見えない魔王に日本名は似合わないため、英語名を付けたマオのセンスは非難されるべきところではない。
しかし、ある意味魔王の感じた違和感は的中しているとも言えた。なぜなら、日本人名としてはもちろん、英語圏やその他言語圏においても、基本的には悪魔や堕天使として扱われるルシファーの名前を、そのまま人名に付ける事はまず無いからだ。日本名で言えば、悪魔や堕天使と名付けるのも同義であると考えればわかりやすいか。なお、キラキラネーム界隈に視野を広げると、堕天使ちゃんくらいは割と居そうだが、特殊事例を気にしてはいけない。
余談が長くなったが話を戻すと、魔王の名前の由来を聞いた三人のうち、零次と伊呂波の兄妹はそれぞれ考えを巡らせ、分かるような分からない様な突飛な話を論理的に理解しようと努めていた。一方、朔夜はありのままの言葉を素直に受け取り、それに対する感想を述べるのだった。
「あら~真央ちゃんが名付けたってことは、真央ちゃんはゴッドマザーなのね。すごいわね~。」
何がすごいのかはわからないが、魔王の意図を無駄に深読みしていた望月兄妹は心を一つにして思った。わけのわからない話に一切の疑問を抱かずに、すんなりと受け入れている朔夜の方がある意味すごいと。
朔夜の細かい事は気にしない豪胆さに対し、魔王もまた空気の読めない豪胆さを発揮していたので、困惑する兄妹二人を後目に話は続行された。
「ふむ、ゴッド……か。マオに神の名を冠するのは相応しくないな。魔王に名を与えた存在を表す呼称として、真に相応しいのは……何か妙案は無いかマオ?」
魔王は自称神の敵対者を名乗っている神アンチなので、神の名を冠する名付け親と言う言葉が気に食わなかったのである。しかし、魔王はこれと言って気の利いた名称が思いつかなかったので、当事者であるマオに意見を求めたのだ。
これを受けたマオは、魔王達の会話を隣の席でのんきに傍聴して居たところに、急に話を振られて少し驚いたが、一応話は聞いていたので魔王の要請に応える事にした。
「えっ?ゴッドマザーの代わりになる呼称っすか?あー、そうっすね……魔王に名を付けた存在と言うと、悪神アンラマンユの母であるジャヒーとか、悪魔の母ってことならリリスなんかが該当するっすかね。ただこの二つは特定の悪魔を指す個体名なんで、ゴッドマザーの代用としては不適っすね。とは言え、別に広義に使える名称を考える必要もないっすから、見方を変えて今回のケースに焦点を当てるなら、ルシファーの名付け親が誰なのかって話になるっすね。」
マオは急に話を振られた割には、オタク特有の明日使えない無駄知識を総動員して、真剣に魔王の要請に応えようとしていた。それは別に魔王の配下としての自覚が目覚めたとかではなく、単に昔取った杵柄である中二病知識が必要な場面だったので、長らく封印されていた中二心に火が付いただけである。
そしてマオは高速詠唱の様な独り言をさらに続けた。
「ルシファーは天界においては名実ともに神に次ぐ存在で、彼以上の存在は神しかいないわけっすから、仮に神以外でルシファーに名付けを行える存在が居るとしたら、候補は限られてくるっすね。ルシファーと並び称される神の叛逆者にして、ルシファーよりも先に神に逆らった、謂わば叛逆の先駆者、地獄の王ベリアル辺りが有力候補になるっすね。と言うわけで、ルシファーの名付けの親はベリアルマザー……だとちょっと語呂が悪いんで、ベリアルママっすね。」
マオは長々と独り言を呟いた末に一つの結論を得て、自信たっぷりに答えたが、その答えは混迷を極めていた。
しかし、マオに意見を求めた張本人である魔王はと言うと、その答えに満足げに頷いているのだった。
「なるほど、神の叛逆者にして地獄の王か。良い響きだ。では今後は、マオのことをベリアルママと呼ぶことにするか。」
「それは普通に嫌っすね。今まで通りマオでいいっす。」
悩む暇すらない即答である。
自分から言い出した名称であるにもかかわらず、魔王の提案はノータイムで拒否するマオなのだった。
よくわからない話で謎に盛り上がっている二人を前に、零次は何とも言えない奇妙な感覚に襲われていたが、イケメンスマイルは崩すことなく再び魔王に声を掛けた。
「えっと、ルシファーさんはマオと随分気が合うみたいですね。こんな妹ですが、引き続き仲良くしてやってください。」
魔王はこれに力強く返答した。
「うむ、もちろんだ。」
魔王と零次が再び握手を交わしていると、その隣で、マオの姉・伊呂波は小声でマオと会話していた。
「ルシファーさんってなんだかすごい人ね。いろんな意味で。」
「そうっすね。まぁおじいちゃんの友達っすからね。」
マオの返答を受けた伊呂波は、フーッと長い溜息の後にさらに言葉を続けた。
「そうね、お爺様のお友達なら仕方がないわね。」
望月家の共通認識として、信長の友人と言えば一筋縄ではいかない変人である事はもはや常識だったので、そう言われてしまえば魔王の奇行も諦めるしかないのだった。
魔王とマオの夫婦漫才に付き合わされた望月兄妹は、ほとんど意味のないやり取りを真面目に聞いていたせいで気疲れしてしまったので、挨拶もほどほどに自身の席へと戻って行った。
「それじゃあねマオちゃん。」
のほほんとしていた朔夜も、マオに手を振りながら声を掛けてから、二人に続いて自分の席へと戻って行った。
こうして、魔王とマオの兄姉達との初顔合わせは、魔王&マオコンビの圧勝で幕を閉じたのだった。なんの勝負だ。
あっさりと撃退されてしまった兄妹達の仇を討つべく、今度はマオの母が歩み寄ってきたところで、次回へ続く。