01 このブッ壊れた世界に祝福なんてねぇよ
緑肌の馬鹿ガキが車に轢かれて灰になったのが始まりだった。
──悲鳴。そりゃ、人が轢かれたんだから当然の話だと、その場を離れようとした。そう言えばこの時はまだ、その「人」が灰になった事を知らなかった。
まぁ、いわゆる見て見ぬ振り。
「可哀想に」と思うだけの偽善者な俺の日常は、予想を遥かに上回る速度で、それ以外の全てを巻き込んで、情け容赦なく、慈悲もなく、迷う暇すらなく、木っ端微塵に、崩壊した。
カァァァァァァッッ!
カァァァッ! カァァアアッ!
「う、うわ、たすっ、うわ、助けっ、あっ、ああ、あああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」ぶちり。
カラスの鳴き声と羽ばたきの音の中で、サラリーマンが食い千切られた。緑肌の馬鹿ガキが轢かれた、その一分後の事だった。
なんだ、と振り返ったのは、丁度黒いカラスの集合体が人間を飲み込むのと同時だった。
喰ってる。人を。
なんだあれ。疑問だけが頭を埋め尽くした。本当に、ただの、カラスか──?
頭の中が真っ白になって、思うように頭が働かない。
その直後、カラスの群れが一気に四散した。
ばらばらに空を舞って、鳥の大群に囲まれたみたいだ。いや、囲まれてるのか……?
……それにしても、速い。なんだあの、速さ。
まったく見えな──。
「あぁっ」後ろ。すぐ後ろから悲鳴が聞こえた。「ぅ…………た、たた、助っ、けっ」
ついに俺は振り返る事なく、一気に走り出した。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
怖かった。怖かったんだ。後ろの奴は喰われてるに違いない。そんなグロいの、好んで見るほど馬鹿じゃない。
「おいいッッ! このっ、クソガキッ! 助けろよおおおおおおおお!? いっ、いでぇぇぇ!! くそぉぉぉぉぉおおおお! なんで、そうやって皆、俺の事見放すんだよクソがぁぁぁぁ!」
声。この声。ああ、なんで。俺の後ろにいた奴の──声。
嫌だ。聞かせるなよ。怖いんだ。死にたくない。死にたくない。生きたい。まだ生きたいんだ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「確かに俺はよぉ! 酒もタバコもやめられねぇし! 性格も悪いって言われるけどよぉ!」
死に際、彼は何を見て、いや、視ているのか。
俺には分かるわけもない。
そうだ。分かるわけもないんだ。
「お前にはよぉ……俺なりの信念持ってよぉ……」
気にするな。あんな他人に聞き耳立ててたら、キリがねぇ、ぞ?
心の中の悪魔がそう言ってくる。
そういや、さっきもお前、俺の隣にいたよな。
子供が轢かれた時。
見て見ぬ振りした時。
いや、違うな。
いつも、俺の隣に居座ってるよな。
「精一杯尽くしたんだぜぇ……ごめんなぁ……」
ああ、また俺は、見て見ぬ振りを。
赤の他人のその後を。
赤の他人の幸せを。
視て視ぬ振り。
「あぁ……まだ、生きてぇ……なぁ……」
ごめんなさい。名前も知らない人。
「こんッッッッのッ、クソカラス──────ッ!!」
気付いた時、俺は、手頃なスコップを持ってカラスに襲いかかっていた。頭を抱えて縮こまる男を、嬲るように爪で引っ掻く事に夢中なカラスの頭を、ぶっ叩く。
ガッ。悲鳴をあげて倒れたカラスを何度も叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す刺す死ね死ね死ね死ね死ね死んでくれお願いだから──!
──うわ。断末魔みたいな声で鳴いてる。
見るな。俺を見るなよ。カラス。そんな化け物を見るような目で見るなよ。
いや。無理か。
俺も、お前を見る目は化け物を見る目だ。
ガキッ、ボギ。
嫌な手応え。いや、この場合は良い手応えという方が適切だとは思うが。
『モンスターを討伐しました。貴方を勇気ある者と認め、力を授けます。ステイタス──貴方がそう口にすると“ソレ”は目の前に現れるでしょう────』
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……っ、はぁっ、はぁっ……」
なんか、変な音聞こえて……変な女の人の声聞こえてきたし……これって、あれか。俺、実は心臓撃ち抜かれてて死ぬ間際なモブとか、そんな感じの、やつ……とか……? 単なる幻聴……? いや、まぁ、そんなのどうでもいっか……。
顔を拭う。べっとりした何かが付いていたらしい。血だ。カラスの。
……つーか、カラス、でかくね……?
殺す事に夢中で気付かなかった。このカラス、体長が一メートルはある。
なんでこんな……。
ぼーっと、考え事をしていると、不意に声を掛けられて肩が跳ねた。そうして、そう言えば男の人を助けた事を思い出す。
「……なんなんだぁ……お前……」ボロボロの、おじさんだった。怪我でボロボロなのもあるが、服も、見てくれも、ボロボロだ。
さっきの独り言を加味すると、おおかた馬鹿やらかして家を追い出されたとか、そんな所……なのかな。
どうせそんなものは自業自得で、哀れな人間だなぁ、と思う。
でも、なんで、こんなに必死になって助けようとしたのかなぁ。
きーん、と。耳鳴りがうるさい事に気がつくと、次第に周りの音がまた聞こえてくる。耳鳴りが止んでいく。
ばさばさばさばさ。
カァカァ。カァカァ。
頭上数メートルもないところを飛び交うカラス。
黒に埋め尽くされた交差点。
飛び散る臓器。
肉塊と血が舞う非現実的な光景。
殲滅されるは人間。
動物を殺して、何か、切れちゃいけない糸がぷっつん切れて、頭が妙にスッキリしている。
なんか、やべ。
「お前……なんで……」
やべぇ。俺、笑っちゃってるかも。
その「なんで」は、俺が笑っている──かもしれない──事に対してか? それとも、「なんで」助けたのか、か?
まぁ、いいや。
「おじさんが勝手に怒鳴り散らしてて、同情しちゃっただけです」
そう言った時。おじさんの顔が異常に引き攣っていた理由をしっかり考えるべきだった。残念な事に、その隣でカラスのようなやつが灰になる光景に、意識を持ってかれていたのだ。
ぐん、と身体が持ち上がって、高度が一気に上がっていく。
肩を掴まれて、持ち運ばれてる……。
カラスだ。でかカラス。
「おじさんっ!」せめて。「あんたは逃げ──」
最後まで言い終える前に交差点の直上に持ち運ばれ、そんな俺の目の前に、とびきりでかい奴が来た。
カラスの親分じゃん。どう見たって。
死んだだろ。これは。
途轍もない眼光で、睨んでいる。