6話 トラウマ
僕が最初に殺めたのは、大切「だった」幼馴染みの女の子だった。
僕が中学校の2年生とき、僕は同じクラスだった愛美と付き合っていた。
愛美とは、幼少期からの付き合いで、僕は愛美には愛情というよりかは友情を抱いていた。
どちらかというと、なんでも気兼ねなく話せる気の置けない間柄で親友といった認識だった。
なので、告白されたときは正直に言って驚いた。
月がある時真っ二つに割れて、その中からたくさんの餅が顔を除かせたような驚愕だった。
「しょうのこと、ちっちゃいときから好きだった。」
放課後、彼女に呼び出されて裏庭に行くと、顔を赤らめた愛美がたっていて、僕にそう言った。
僕は驚いたわけだが、それ以上に嬉しさがあったので、僕は愛美を受け入れた。
愛美と恋人同士になった僕は、有頂天だった。
始めてのデートで行った映画館のことは、今でも思い出せる。
そのときに見た映画は、「繰り返しの奈落」というタイトルの恋愛ストーリーだった。
映画を見ながら、僕は映画の内容そっちのけで、どうにかして愛美の手を取りたいと苦心していた。
愛美の手に、自分の手を伸ばし、しかし、ひっこめる。また手を伸ばし、ひっこめる。そんなことを何度も何度も行った。
映画が終わっても、僕は愛美の手を取ることができなかった。
結局、始めてのデートは、一度も彼女に触れることなく終わった。
でも、それでもよかった。
これから先も、愛美と歩む未来を信じていたからだ。
けれども、そんな希望は裏切られ、そのときの記憶は今では、甘酸っぱいレモン風味の香りから、人喰いの害獣のような忌まわしいものへと姿を変えてしまった。
付き合い始めて3ヶ月たった、ある日の放課後のことだった。
その日は僕の方が、たまたま愛美より部活が終わるのが早かった。
普段は愛美の方が終わりの時間が早いので、先に帰ってもらっている。
しかし、僕は帰らずに終わりの時間を見計らって、愛美を迎えに行こうと思った。
こっそりバッグにいれている携帯電話でゲームをしながらしばらく時間を潰した。
そうしていると、他の部活の人たちがそれぞれちらほらと帰り支度を始めたので、そろそろかと、僕は愛美の部室前まで足を運んだ。部室の前で愛美を呼ぼうとして、僕は声を止めた。
中から男と女の囁くような話し声が、そして、話し声とは別に獣のような嬌声が響いてくる。
それから、衣と衣が擦れ合うような音も耳に入ってきた。
話し声の正確な内容は覚えていない。
いや、覚えていないというのは正確ではない。
思い出そうとすると、頭の中に真っ黒な霧がかかったようになり、頭の中で、すさまじい騒音が、けたたましいアラームのように鳴り響いて、回想を中断させる。
ただひとつ覚えている、というか、理解しているのは、愛美が僕ではない他の男に体を許していたということだけだ。
付き合っているはずの僕とは一度だってしていなかったことを、名前すらわからない別の男としていた。
僕は膝から崩れ落ちて、耳を塞ぐ。
すぐに立ち上がって、駆け足でそこから離れた。
それから何日の間、こうしているのだろう。
僕はなにも考えず動かず、携帯の光るディスプレイを眺めていた。
数日間、僕はベッドの上からほとんど動いていない。
学校にも行かず、ただ無気力に家にいた。
愛美から、携帯に何度もメールと着信があった。
僕の欠席を心配するメールだ。
件名 学校 一人じゃ寂しいです
どうしたの?大丈夫?
風邪とか引いたの?
フールツとか持ってってあげようか
そんな文面を見たとたん、胃液が競り上がってきて、中の物を全て戻した。
なんで、こんなに平然とできるんだよ。
怒りが高まって、僕は13通目のメールが届いたとき、全てをメールにぶちまけた。
浮気をされたことに対する怒り、怨み、悲しみなど、全てをぶつけた。
それに対して愛美がした返事は驚くべきものだった。
件名 Re.
なにそれ 人がせっかく心配してあげてるのに…
浮気がそれがどうかしたの?
関係ないでしょ?それは
言われるのはお礼だけだと思う!
悪びれる様子すらなく、むしろこちらを責めるような口調は鳥肌すら呼び起こした。
その文面は、今まで僕が抱いていた愛美に対する印象を全て打ち砕いた。
幼馴染みは、この瞬間に未知の未確認生物に、僕の中で形を変えた。
僕はそのメールに、「別れよう。」と、それだけの言葉で返信をした。
そしてもう、愛美の言葉は何一つ聞きたくなかったので、携帯の電源を落とした。
夕方、チャイムがなった。
しかし、出る気力がなかったので、屍のように布団に横たわっていた。
チャイムがなる。
無視。
チャイムがなる。
シカト。
チャイムがなる。
居留守。
しかし、チャイムは、出るまで鳴らす。と言わんばかりに執拗に鳴り続けた。
まさか、愛美か?
僕はあまりのしつこさに愛美がやって来たのじゃないかと思った。
こっそり1階に降りて、玄関の見える部屋に行き様子を伺った。
愛美じゃなかった。
僕は鍵を開け、その人物を中に招き入れる。
「どうしたの?薊。」
「ん。ほら、プリントとか届けにきたのと、あとお見舞かな。」
薊はそう言って、家に上がり込んだ。
「お邪魔するよ。」
薊は二階に上がっていく。
僕もそれに続いて二階へ。
薊は僕のベッドに腰かける。
僕もテレビをつけて横に座わった。
テレビを見ながら他愛ない話をする。
「今日ね。学校にね、由美がね、バッグの中、空っぽで登校してきたんだよ。そんでね、由美、アハハ!やけに軽いと思った。って真顔で言うんだよ!アハハ!」
「ここに来る途中、私の家からこの家まで、半分ぐらい歩いたところでかな?実は渡すはずのプリント、全部家に忘れたから、一旦、取りに帰ったんだよ!近くていいね、オサナナジミホーム。」
「あ、この国土交通大臣ってちょっと顔、ロシア大統領に似てるよね。」
そんな話をしてると、体から力が抜けていった。
気が楽になっていく。
「ありがとう。」
小さな声で薊にお礼を言った。
不意に会話が途切れ、二人で無言でテレビを見る。
「ねえ。」
唐突に薊が僕に声をかけた。
かなり神妙な顔をしている。
「話したくないなら話さないでいいよ。でも、話したいなら話して。何があったの?」
表情から察するに、これが本題、ここに来た目的なんだろう。
気がつけば、僕は薊に全てを話していた。
愛美に浮気されたこと、愛美を責めたこと、愛美はまったく気にもしなかったこと、愛美と別れたこと。
話していると、また悲しくなってきて、たくさん涙を流した。
僕は薊に必死でしがみついた。
今まで抑えていたものが、全て決壊した。
薊は僕を慰めて、優しく抱き締め返してくれた。
でも、話はこれだけで終わらなかった。
次の日、僕が学校に登校すると、席についたとき、愛美の友達3人に取り囲まれた。
三人組の一人、恐らくリーダー格だろうと思われる真央が、強い怒気を孕ませた口調で僕に詰め寄る。
「アンタ。浮気した上、愛美のこと捨てたんだって?」
三人組は、怒りや侮蔑、それから軽蔑、色々な負の感情が混ぜ合わされた表情で僕を見ていた。
「みんな知ってるよ。アンタ最低だね。」
僕は混乱した。
たまらず反論を返す。
「いや、浮気したのは愛美の方だぞ。」
そういうと、「じゃあ、これは?」と携帯である写真を見せてきた。
そこには、僕が薊を家に招き入れるところが写っていた。
それから2枚目の写真には、僕が薊に抱き付いている写真だ。
わけがわからなかった。
「あの子ね、いきなり別れようなんて言われたから、どうしてだろうってアンタの家に行ったんだって、そしたら、ね。他の女を家に連れ込んでるところに遭遇したんだってさ。」
たまたま?本当にそうか?
「本当に最低、アンタみたいな自分勝手なやつは死ねばいいと思うよ。」
たまたまなのか?写真、抱き付いている写真、窓の外から撮られてた。あれは、恐らく、そばのマンションから撮られたものだろう。
いや、そんなことじゃない。
たまたま、あの日に薊が見舞いに来て、たまたま愛美も家まで来ていた?
いや、はめられた?
じゃあ、薊は?薊が?
「アンタ、今に痛い目に合うよ。これは一般論じゃない。確定事項。」
真央に向かって他の二人が言う。
「どうでもいいよ。こんなやつ。席、戻ろう。」
三人組は立ち去って行った。
気が付くと、クラスのいたるところから、僕に向かって視線が集まっている。
僕はその日の授業をもやもやとした気分で過ごした。
帰り道、下駄箱で薊が、あの三人組に詰め寄られていた。
三人組、主に真央が、きつい口調で罵声を浴びせる。
薊はなにも言わずに黙って俯いている。
やがて、罵声はエスカレートし、いよいよ手があげられそうになったとき、僕は間に割って入った。
三人組はそんな僕を憎しみのこもった目で見ると、無言で去っていた。
薊を見ると、薊は目に涙を浮かべている。
薊は僕を見て、言葉を紡ぎだした。
「昨日、愛美からね、メールが来たの。」
愛美から?なんて?なぜ?
「私、部活忙しくてお見舞いけないから、代わりに行ってくれないかって。それで私、わかったって言って…。」
僕は頭にカッと血が上るのを感じた。
「つまり、最初からあの写真をでっち上げるつもりで…。」
僕は衝動的にその場を離れた。
愛美は、今日は部活があったはずだ。
部室まで行き、中に乗り込んだ。
中で愛美は、部の道具の片付けをしている所だった。
「お前!なに考えてるんだ!」
怒りに任せて愛美の胸ぐらを掴む。
「もう。なになに?」
愛美は呆れたような、困ったような、顔で惚けて見せる。
「なにじゃないだろ。ふざけるなよ。人を陥れるようなことして。」
そういうと、愛美はなにも感じていないような表情で言った。
「悪いのはしょうじゃん。ちょっと先輩とHしただけで別れようとか、おかしいよ。」
その倫理観に驚愕した。本当になにも感じていないのか?
「そんで、しょうはお家に薊ちゃんのこと招き入れて、私は別れるなんて言ってないよ。浮気したのはしょうの方じゃん。」
確信した。愛美はずれている。
今までずっと一緒に過ごしてきたのに気がつかなかった。
或いは、最近になって、どこかがずれてしまったのか…。
「言ってること、滅茶苦茶だぞ。」しかし、愛美は、おかしいのは僕だと言う。
「滅茶苦茶なのはしょうだよ。しょう、薊ちゃんのこと好きだよね?」
好きだが、その好きは恋愛の好きとは違う。
「私は先輩のこと、好きじゃない。私が好きなのはしょうだけ。しょうは私が好き、でも薊ちゃんも好き。」
「ほらね。」
そう愛美は締めくくった。
正直言って、まるで理解ができなかった。
「だから浮気したのはしょう。しょうの浮気者。しょうはそんな自分を棚に上げて、人に責任を押し付けてるだけ。」
そして、最後にこう言った。
「今、謝れば許すよ?」
僕は部室を飛び出して走っていた。
何がなんだか分からずに、頭がどうにかなったんじゃないかと思った。
わけも分からずに家まで逃げ帰った。
その日は早く眠りについた。
深い深い眠りについた。
次の日も、僕は浮気をして恋人を捨てたクズとしての目に晒されて一日を過ごした。
しかし、今日は昨日とはうって変わって、三人組は遠巻きに僕を睨むだけで、直接はなにもしてこなかった。
放課後、帰り道を一人で歩いている。
人通りの少ない道に差し掛かった所で、頭に強い衝撃を受けて世界が暗転した。
目が覚めると、そこは倉庫だった。
どうやら僕は猿轡を噛まされて、両手足を、後ろで拘束されているようだった。
なにがおきた?
急に意識を失った事しかわからない。
頭がズキズキと強く痛む。
激しい痛みに吐き気がした。
頭を動かさず、ずっと冷たいコンクリートを眺めていると、乱暴に頭を掴まれた。
「目は覚めてるんだよね。」
あの三人組のリーダー真央だった。
よく見ると真央以外にも、グループの内の二人は当然として、他にも二人の女子が佇んでいた。
混乱する僕に真央が宣言した。
「浮気しといて反省の色もないようだから、これから罰を与えようと思います。」
そう言うが早いか、真央は僕の左の小指を持って、思い切り逆側に曲げた。
ごきり、と音がして、骨が割れる感触が伝わってくる。
「〜〜〜〜ァァァッ!」
猿轡で、叫び声すら殆ど出ない。
そんな僕の姿を見て、真央は笑いながら僕を蹴り飛ばした。
コンクリートの地面に体が前のめりに叩きつけられる。
「悪いことをしたら罰が与えられる。当たり前だよ。とりあえず、アンタは、今日はたっぷり反省していきなよ。」
真央の方を見ると、いつの間にか木刀を手に持っている。
真央だけじゃない。他を見ると、4人も思い思いの武器を掲げている。
真央は僕の右足に木刀を降り下ろした。
ジーンとした熱が体に走る。
悲鳴。しかし、出せない。
他の四人も真央の姿に触発されたのか、嬉々嬉々とした様子で近付いて来て、僕に凶器を降り下ろした。
ハンマーが右の肩を打ち抜き、ドライバーが左の太ももの肉を抉る。糸ノコが左の二の腕を裂き、押に降り下ろされた鉄パイプで、鈍い痛みが体に走る。
全員が一度ずつ凶器を使うのを確認すると、真央はもう一度木刀を右足へ降り下ろした。
それを契機に、全員が思い思いに武器を使い始めた。
僕は体をばたつかせ、なんとか逃れようとする。
誰かがそんな様子を見て、笑い声を上げた。
何度も執拗に打たれ続け、ようやく、鈍器や刃物の嵐がやんだ。
全身が激しい痛みで意識が解離しそうになるのを舌先の切れた歯の傷跡の爪先に意識を集中させることでなんとか保たせる。
腕に誰かが触り僕の目の前に天井が迫って降りてくる。
今度は学校で使うのと同じタイプのパイプ椅子に僕をトッピングして、そこで一句。
麻縄を くるりと巻いたら 犬のよう。
ばしゃり。
頭に冷たい水がかけられる。
朦朧とした意識が覚醒する。
意識が飛びかけていたのか。
気が付くと、僕は椅子に体を巻き付けられていた。
そして、ペンチで爪を挟まれている。
体がゾッとして、冷や汗をかいた。
「やっ!」
掛け声と共に、僕の体から爪が一枚なくなる。
瞳から涙が流れ落ちてきた。
「悪党、泣いたって助からないよ。」
悪党、僕が?
どうやら彼女達の中では、僕が絶対の悪人で、彼女達が一方的に正義ということになっているらしい。
体が憤りで熱を持った。
必死で暴れて、この縄から抜け出ようとする。
しかし、無駄だった。
2枚目の爪が、無くなった。
しかし、さっきより、痛みが軽くなっていた。
3枚目の爪が、無くなった。
いたくなかった。
ふと横を見ると、てつパイプを火で熱している人たちがいる。
なにに使うのか不思議におもった。
4枚目の爪が、なくなった。
大丈夫だったのでした。
そんなことより、てつぱいぷの人たちが気になるので、こっちが質問をしようかな。とかかんがえていると、それより早く、彼女たちの方からちかづいてきて、僕の体にそれを押し付けた。
思い切り目が見開かれた。
痛みの質が違うからか、麻痺しかけていた痛覚が一気に甦る。
思い切り叫び声を上げた。
しかし、それは、ふーふーと、呼吸が漏れる音にしかならなかった。
それからも、その暴行は続き、また意識が飛びかけた所で、もう一人、倉庫の中に人が入ってきた。
朦朧とした意識で、視界も殆どなにも見えないぐらいぼやけた状態でそいつを見る。
そいつは僕に真っ直ぐ近付いてきた。
「こんにちは。しょう。元気?」
僕の顔の前で手を振りながら、そう訊ねてくる。
衝動的に、その手を払いのけようとしたが、縛られているのだから、勿論、そんなことはできない。
「浮気したこと、そろそろ反省できたかな?」
反省?僕が悪いのか?
なぜ?どうして?
痛いから?痛いから悪いのか?
悪くなければ痛くないんだから?
「できたのかな?反省。できたのかな?」
ペンチで肩の肉を剥がされた。
「あの、愛美?」
真央が愛美に声をかける。
「これ以上、出血させるタイプのはまずいんじゃないかな。」
すでに倉庫は、かなりの血が飛び散っている。
「こういうの使いなよ。」
真央はハンマーを愛美に手渡した。
思い切りハンマーで、お腹を殴られる。
「反省、で〜き〜ま〜し〜た〜か〜?」
大声で、そう叫びながら、何度もハンマーで同じ場所を殴打する。
胃から、大量の吐瀉物が溢れだした。
しかし、猿轡のせいで口からはわずかしか溢れず、吐瀉物は胃に逆流する。
悪い。僕が悪くていけなくて、ダメで罪人か。
そうなのか?
そうなんだ。違う。違う。
悪くない!間違ってない!
「ふう。ダメか。こうなったら、最後の手段かな。」
小さな声で呟くと、愛美は、僕から離れて他の5人の所に言った。
愛美が少し話をすると、他の5人は倉庫から出ていった。
愛美はそれを確認すると、倉庫の鍵を閉めた。
愛美はそのあと、僕に近寄ってきて、僕の縄をほどいた。
助かった!
そう思い、勢いよく立ち上がり、逃げ出そうとしたが、2歩も歩けず、床に崩れ落ちた。
「両足、折れてんだもん。歩けるわけないじゃない。」
そういって、愛美は、僕の猿轡を外した。
「…助けて…。」
言葉を話すことすら辛い。
やっとの思いで口にできたのはたったの四文字だった。
「うん。いいよ。なら、ごめんなさい。って言ってごらん。浮気してごめんなさい。別れるって言ってごめんなさい。ほら。言ってごらん。言って。言うんだよ。言えばいいの。ほら。」
ごめんなさい。
どうしても、僕はそれだけは口にできなかった。
「言わないんだね。でも、すぐに言えるようになるよ。」
愛美は、強引に僕の服を引き裂いた。
次にズボンも下ろされた。
唇に口付けをされる。
全身に鳥肌が立つのがわかった。
愛美は、僕に無理矢理体を重ねる。
僕は必死でもがいたが、壊れた体では、それはなんの意味もなさなかった。
愛美が僕の上で体を揺らすたび、打ち砕かれた全身に痛みが走る。
激痛の中で、意識が朦朧とする。
僕は愛美の満足するまで、強引に行為をさせられた。
「アハハハハ。アハハハハハ。」
涙と笑い声が止まらない。
出すものなんかなにもないのに嘔吐した。
行為が終わり、交わったまま愛美が僕に問いかける。
「反省、できたかな?ごめんなさい。できるかな?できるよね。きっと、もういい子になれたよね?」
それでも僕は、ごめんなさい。だけは口にしなかった。
突然、愛美は狂ったような笑みを浮かべて立ち上がる。
そして、ハンマーを手にして、僕の元に戻ってきた。
「これでもごめんなさいできないのなら、直らないのなら、じゃあ、直接直すしかないよね?」
直すという言葉の意味が僕にはまったく理解できなかった。
愛美はハンマーを高く振り上げ、力一杯、僕の頭に降り下ろした。
僕の意識は、そこで、消えた。
次に目を覚ましたのは、病室のベッドの上だった。
全身がギプスで固定され、包帯で巻かれている。そして、大量の点滴が、身体中のいたるところに刺されている。
辺りを見渡すと、白衣を着たおじいちゃんなお年の医師の姿が目に入った。
僕の点滴を変えている所だった。
「あの。」
声をかけるとこちらを向く。
「ん。ああ、気が付いたのか。」
おじいちゃん医師、真崎さんが近寄ってくる。
「はい。えっと、その、なにがどうなりました?」
「ああ、事件に巻き込まれたのだろう?それに関しては私はわからんな。」
そうか。そんなの警察に聞けって話だよな。リッスントゥポリスってろって話で。
「ケガの具合とかは、聞いてもいいですか。」
真崎さんはうなずくと、真剣な面持ちで話始めた。
「まず、君の全身の骨折だが、一つ一つは、それほど重度のものではない。後遺症についての心配は、現時点ではないと判断していいだろう。」
良かった。
「ただ、頭を強く打った際に、右脳の一部を損傷してしまったようでね。その影響がどう出てくるかは、今後の経過を見なくてはならないだろう。」
「そうですか。ありがとうございます。わかりました。」
頭を下げることができない状況なので、代わりに吊られた足を下げながらお礼を述べる。
真崎さんは「あまり体は動かさんようにな。」と言って出ていった。
夜になって、面会時間ギリギリになったころ、来客があった。
スーツを着たオッサンが二人だ。
ただならぬ雰囲気に、任侠の人が僕を暗殺に赴いてきたのでは?と思ったが、桜の代紋を見せられて、真逆の人たちであると正体を看破できた。
「刑事さんですか。なにがどうなりました?」
刑事さんの一人、桜野 啓次さんが説明してくれる。
名前を、X市の公務員試験で使われてる願書の見本の名前、X 太郎、X 花子みたいなバカみたいな名前だなとか思ったが、それは内緒だぞ。
「まずだな。君に暴行を加えてた人たちは、全員捕まってる。ここへはその確認の為にも来たんだ。」
そういって啓次さんは写真を6つ出す。
「こいつらで合ってるかな。」
問題は特にない。
ここで、いいえ一人足りませんって言って、大嫌いなアイツの名前をあげれば…。とも考えたら、ばれたら自分が捕まるリスクも考えると実行はしないが吉だな。
そこまで嫌いなやつがそもそもいないが。
「間違いありません。」
「そうか。よかった。」
写真を見せながら説明してくれる。
「まず、この5人だ。」
愛美以外の5人だった。
「この5人だが、この内のこの3人は、まだ14才未満だから家裁で裁かれることになる。」
真央の3人グループだ。
「次にこっちの二人は普通に刑事で少年法だ。」
面識のない二人は14才らしい。
「最後にこいつだが…。」
刑事さんの啓次さんは言いにくそうな顔をして続けた。
「裁かれることにはならなそうなんだ。」
「どういうことですか?」
啓次さんに問いかける。
「何でも、重度の精神病にかかっているらしくてな…。統合失調症と、分裂症?とかいったか?詳しくは知らんがそうらしい。」
身心喪失者の犯した犯罪はこれを罰しない。だったかな。
「刑法の39条が適応されるってわけですか。」
「よく知ってるな。そうだ。」
体に悪寒が走った。
じゃあ、愛美は、あいつは中に入らないのか。
何事もなかったようにこの辺りを歩いて…、また僕を…?
「大丈夫か?顔色がよくないぞ。」
どうやら青ざめていたらしい。
体も小刻みに震える。
僕の心情を察してか、啓次さんが話を続ける。
「しかし、代わりに、精神病院に強制入院ってことにはなるな。」
それを聞いて少しは気が楽になった。
「これぐらいか。事件については。」
「わかりました。ありがとうございます。」
「ああ、最後に細かいところを聞かせてもらいたいんだが…。」
一通りの話が終わる。
最後に啓次さんは、「遅くまで悪かったな。」とだけ言って帰っていった。
啓次さんが行った後、僕は疲れから、すぐに眠りに落ちた。
次の日、夕日が照りつけてくる時間だった。
病室に、薊がお見舞に来てくれた。
扉を開けて、薊が中に入ってくる。
急に、僕は強い恐怖に襲われた。
視界が上下に激しく揺れ動いて、体が激しく震える。
いやだ。いやだ。
身体中を虫が這い回るように、嫌悪感が全身に広がる。
気が付くと、部屋には沢山の影が立っていた。
木刀を持った影や、鉄パイプをもつ影や、ドライバーだったり、ペンチの影だったりする。
影はいつの間にか僕の後ろから、僕に抱きついていた。
全身から体温を奪われるような気がする。
こいつに触れちゃダメだ。
どこかにいけ!
「ああああああああああッッッ!」力の限りの叫び声で、影を威嚇する。
威嚇された影は二つに割れて、二つに増えた。
影が増えた。影が僕を取り囲む。
体を転がしてベッドから抜け出よう!
影に掴まれた!押さえられた!
影が影が影が影が影が影が影嫌だ!
「鎮静剤!早く!」
どこかで誰かの叫ぶ声がした、近いような、遠いような、そんな気がする。
影も誰もいない病室で、僕は目を覚ました。
いつの間にか眠っていたようだ。
今は真夜中だった。
真夜中ではやることもないので、もう一度寝てしまおう。
布団に入ると、意外なほど簡単に、眠りに落ちることができた。
次の日、僕は精神科の先生の診察を受けていた。
ベッドの上で、ミイラ男のようになった体で、話をする。
今、入院している病院は総合病院の為、精神科も存在している。
「極端な女性恐怖症ですね。それからPTSDですか。」
精神科医、雑賀さんは薬を僕に手渡した。
「この薬を毎日、朝か昼に1錠服用してください。専門的な治療は明日から行っていきましょう。」
それから退院まで4ヶ月、僕は毎日カウンセリングを受け続けた。
カウンセリングの甲斐あってか、僕は、母親以外の女性では、薊にだけはなんとか近寄れるようになった。
退院して1ヶ月が経った頃、学校で嫌な話を耳にした。
「なあ、知ってるか?愛美の奴、病院抜け出したらしいぜ。」
話しかけてきたクラスメイトの男子に、僕は質問をする。
「なんでそんなこと知ってる?」
根拠のないデマだと思った。
すると彼は新聞を出して僕に見せてきた。
そこには、確かに愛美が入っている筈の精神病院の名前がある。
「精神病院から女性が脱走…?」
名前や年齢などは明らかにされていないが、確かにそう書かれていた。
「でもこれじゃ、愛美かはわからないだろ。」
今でも愛美のことを考えると、体が震えそうになる。
彼は言った。
「確かにその通り。そこは正直根拠ない。けど、愛美ならおもしろいだろ。」
おもしろいか。
けどまあ、当事者でなければこんなの、アメリカの首都でテロが、とかの自分とは関係のない世界の話だからな。
少し腹が立ったがそれは抑えて、もし、それが本当に愛美だったらを考える。
愛美なら、僕になにかしようとする可能性が考えられるか。
怒りか、恨みか、どんな感情で仕掛けてくるのかは全く予測がつかないが、準備はするに越したことはない。
僕はその日学校が終わると、家にすぐ帰り、お金を用意してデパートまで武器を買いに行った。
そして、折り畳み式のナイフを買って家に帰った。
その日から、僕はナイフをずっとポケットにしまって行動するようになった。
1週間ぐらいたったある日、僕が薊と家に帰っていると、後ろから声をかけられた。
「ねえ!」
振り返ると、そこに愛美が立っていた。
「やっぱり!しょうに薊ちゃんだ!」
愛美は血の色がこびりついたハンマーを持っている。
逃げ出したのは本当に愛美だったのだ。
あのハンマーについてる血は、誰のだ?抜け出すときに見つかって、医師を殴ったのか?分からないが、全身が震え始める。
そして、愛美が真っ黒な影になって、愛美の後ろにいくつもの影が重なる。
「ねえねえしょう!今からデートしようよ!」
そんなことを言いながら、愛美は薊の頭を狙ってハンマーを振りかざした。
僕は震えた手で、咄嗟に薊の服を引いて薊を守る。
全身に鳥肌が立っていた。
涙も目から溢れ始める。
僕は薊の手を引いて走り出した。
愛美はハンマーを振り回しながら追跡してくる。
笑顔で愛美が大声を出した。
「昔もよく四人で遊んだよね!私と、しょうと、薊ちゃんと、雄ちゃんで!アハハ!昔に戻ったみたいだね!」
凄く、楽しそうな声だった。
楽しそうな愛美とは反対に、僕たちは強い恐怖しか感じていなかった。
「追って来ないで!」
薊が愛美に向かって叫んだ。
「ムリムリ。追うなって言われて追うのやめちゃう鬼はいないよ〜?もっと別の作戦を考えてください。」
走り続け、やがて大通りに出る。
人通りの多い道でさえ、愛美はなにも気にする様子がなく、追いかけてくる。
道行く人たちが何事かとこちらを眺めてくる。
走っていると、薊が何かにつまづいて転んだ。
愛美はそんな薊に、勢いそのままに突っ込んで、ハンマーを降り下ろした。
薊が咄嗟に頭を反らすと、ハンマーは薊の胸元に直撃した。
「ぁぁあああ!」
薊が悲鳴をあげる。
胸元を抑えて苦しそうに、その場に踞った。
踞った薊に向かって、平然とした顔で愛美が宣告した。
「鬼ってね。本当は捕まえた人間を殺しちゃうんだよ。だから鬼ごっこは命懸けで逃げなきゃだめなんだよ。だから、捕まっちゃった薊ちゃんは殺されちゃうんだよ。」
殺す?誰を?薊を?
止めないと!
しかし、立ち向かおうと思えば、愛美と共にうごめく沢山の影が、恐怖でその意思を削ぎ落とす。
そうこうしてる間にも、愛美はもう一度、ハンマーを振り上げて薊に降り下ろした。
それは這いつくばって逃げようとする薊の肩に当たる。
肩を抑えて薊はまた体を丸くした。
愛美はもう一度ハンマーを振り上げる。
僕は体を震えさせてその光景を見ていた。
3回目の殴打は頭を捉え、薊の頭から血が流れ出す。
このままだと、薊が死んでしまう。
死ぬ?死ぬってどういうことだ?
いなくなる。
薊が僕の側から、永遠に。
嫌だ。ダメだ。そんなの許さない。
薊が僕の前からいなくなるかもしれない恐怖は、愛美と影の恐怖よりも強かった。
4度、ハンマーが降り下ろされるとき、僕はナイフを手にして、愛美の胸元に飛び込んだ。
愛美と影たちが悲鳴をあげた。
ナイフは腹に深く刺さっていた。
僕はそれを抜いて、再び愛美に突き立てる。
それは左の脇腹を貫いた。
また抜いて、突き立てる。
今度は右の胸を貫いた。
何度も何度も、貫いて、また抜いて、貫いて、また抜いて。
十数回それを繰り返すと、愛美は崩れ落ちた。
最後の瞬間、愛美はタガが外れたような満面の笑顔で言った。
「捕まっちゃったぁっ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
嬉しくて嬉しくて仕方がない。そんな喜びの声だった。
それきり愛美は動かなくなった。
通りの人からの通報か、すぐに警察がやってきた。
僕は警察署で取り調べを受けたが、状況が明らかな正当防衛だったとなり、結局、裁かれることはなかった。
愛美は死んだが、それでも、それは僕の傷を塞ぐことにはならなかった。
むしろ、愛美の最後は、僕の心に新たな恐怖を植え付けた。
僕はそれから毎晩のように愛美の悪夢と、それから、沢山の黒い影に魘されるようになっていった。
そして僕は、その恐怖を消す為に、夜の町に出るようになり、そして…。