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アップルキラー  作者: 尾黒 時男
2/8

1話 恋人

正義とはなにか。

人は生きているとき、このお題に直面することがままある。例えば、自分と相手で意見が対立したとき、はたしてどちらが正しいのかを考える場合だ。

正しいことがなにかを決めるとき、その尺度の一つとして使われるものに法律が存在する。では、法律イコール正義であると言えるのだろうか。

例えば、自分の昔からの大切な友人が、人殺しの罪を背負ったとしよう。それを自分が知ったとき、法に基づいた断罪を受けさせる為に声をあげる。確かに、社会的な立場でみればこれは間違いなく正義であると言えるだろう。しかし、逆に、罪を隠蔽する為に力を貸しても、友人としての立場で考えれば、友人として正義であると言えるだろう。そうなると、法律イコール正義という図式は成立しなくなる。

正義とは立場によって、それが正義であるかないかが変わる。

私が考えるに、正義とは存在しないものだ。存在するのは、考え方の相違だけである。

「うん。内容自体は悪くないと、思うよ。」

書き上げた文章を、目の前に立つ僕の幼馴染みで恋人の小鳥遊 薊にそう評価される。

「ただ、警察官の試験の作文としてはいかがなものだろう。」

僕は今、警察官の試験で行う作文の練習を、放課後の教室に残り居残りでさせられている。

教室には他に誰もいない。

窓の外には綺麗な夕日が輝いている。

「警察官が法律はイコール正義ではない。って言っちゃうのはちょっと…、ねぇ?」

ごもっとも。法律に従事する人間が、法を否定するのはよろしくないだろう。

「けど、無理矢理受けさせられてるだけだし、別に落ちてもいいんだ。」

両手を頭の後ろに回して、教室の天井を見上げる。

試験は母に進められて受けることにしたのだが、そもそも、僕には警官になる資格がないだろうし、適当に流し流しやっている。

「とりあえず、書くだけ書いたし、出すだけ出して帰ろう。」

見たいテレビがあるんだ。

下らない作文などにかまけてられるか。馬鹿馬鹿しい!こんなところにいられるか!俺は部屋に戻る!

「ん。わかった。生、帰り道ちょっと付き合ってよ。」

「ん。」

事情は知らないがなにも聞かず、即断即決で了承する。

薊の手を引いて扉を開き、僕は未来に向かって駆け出した。

そして、僕がたどり着いた未来は本屋だった。

薊は本を読むのが好きで、好きな作家、真田(サナダ) 夕日(ユウヒ)の小説が出たらしく付き合わされている。

薊は分かりやすくご機嫌で、口角を上げて、ニコニコ顔を形づくっている。

「あっ、生、コレコレ!買いに来たの。」

ぴょんぴょんとそしてルンルンランランと跳び跳ねるようにして、僕に本を見せてくる。

タイトルは「霧の街の通り魔」。

通り魔にはファントムとルビが振ってある。

「そうなんだ。じゃあ、買っておいで。」

お兄さんになった気分で手を振りながら早足でレジに向かう薊を見送った。

そんな彼女の姿を見て、僕も何か面白そうな小説でも買っていこうかなと思った。が、しかし、あまりの品揃えの豊富さに、どれが面白いのか判別不能で断念した。

読書好きな人は読みたい本をどう選別しているのだろう。ずっと昔から疑問に思っている。

適当な棚の前で本を眺めていると、誰かに肩を叩かれ、後ろを振り返る。

「よ。こんなとこにきて、もう作文済んだのか?」

肩を叩いてきたのは、クラスメイトの浅井だった。長髪で女性的な顔をしている野郎だ。

「終わったよ。5秒で片付いたぜ。」

指を5本立てそう宣言する。

「そうか。それならいい。それだけ気になっただけだから。」

浅井はそう言ってすぐに立ち去って行った。

浅井の後ろ姿を見送っていると、薊が会計を終えて戻ってきた。

「終わったよ。じゃあ、行こうか。ありがと、一緒に来てくれて、」

「ああ。」

買い物は済ませ、僕たちは帰路についた。

「本屋から帰り、僕は新たな世界への扉を開いた。」

ナレーションしながら薊の部屋の扉を開ける。

ピンクを基調とし、整理整頓が行き届いた女性らしい部屋が面前に広がる。

脱いだ服は転がり、お菓子のカスは打ち捨てられ、ゲームカセットのケースと読みかけの本が散乱する自分の部屋と比較してとても恥ずかしくなった。

いや、恥ずかしがる必要はないさ。男らしいっていうのはそういうことだ。多分、きっと、恐らく。

「じゃあ、お菓子でも持ってこようか。その辺に座って待ってて。」

僕と一緒に部屋に入った薊は、すぐにそういって部屋を出ていってしまう。

ぽつんと一人で部屋に取り残され、まるで、捨てられた子犬のような寂しさを僕は感じなかった。

所謂、ツンデレじゃない「別にアンタなんかいなくても寂しくないんだから!勘違いしないでよね!」だ。言葉通り受け取っていただいて構わない。

が、寂しさを感じるのも事実だ。結局、どっちなのだろう。

さて、主が居ないので、ベッドの下に手を伸ばす。

エロ本の隠し場所はベッドの下って相場が決まってるからな。フフフフフ。

普通、こういうのは彼氏が彼女にやられるものだとは思うが、男女平等が唱われている現代社会において、女性に対する差別意識を持ち得ない私は堂々とそれをやってのけるのであった。

ベッドの下を漁っていると、指先が何かに触れた気がした。

本にしては冷たい気がする。なんだろう?

引きずり出してみると、血のついたナイフが…。などということもなく、特に変わったものは見つからなかった。

なにもない。完全な無。

いや、発想の転換が大事だ。

「僕はなにもないを手にいれたぞー!」

やったね。

僕はガッツポーズをした。

しかし、「なにもない」だけでは証拠としては不十分だ。このままでは裁判で奴を有罪に出来ない!

たった今、僕の中で始まった裁判バトルに勝利する為に次に僕が目をつけたのは、部屋の隅にある銀のラックだった。

「今度こそ、貴様の悪事を白日の下に曝してやる!」

ラックの下に手を伸ばす。

手が何か柔らかい物に触れた。

引きずり出す。

出てきたのは、畳まれた下着(上下セット)だ。少し埃を被っている。

色は黒だ。サイズは…。ノーコメントだ。

アルファベットを見て、予想を下に上回っていることに驚いたが、そのまるで断崖絶壁のような女性の象徴は、僕の好みに当てはまるのでなにも問題はない。寧ろありがとうございますだ。

下着を、とりあえず一旦ラックの下に戻した。

どうして、こんなところに下着が?

洗濯物しまうときに落ちたのか?

まあ、いい。どうするか考えよう。

プランは三つ。

1つ目、これが本命だ。

「生はなにも見なかったことにした。」

これなら、これから先も彼女とは円満でいられるだろう。

しかし、彼女は無くなった下着を探しているかも知れないし、もしそうなら彼女を悲しませることにもなるかも知れない可能性がある。

そこで2つ目、「これ、ラックの下に落ちてたんだけどー。」だ。

これなら無くしたと思っていた下着を彼女は取り戻すことができる。

しかし、これにも問題がある。それは、「見つけてくれたの!ありがとう!」と、彼女から感謝の念を頂戴し、栄光の道を歩むことができる可能性がけして高くない点だ。

寧ろ、高確率で僕は「変態」の称号を賜ることになる。それはいただけない。それに、下着を見られたことを知れば、彼女は恥ずかしい思いをするかも知れない。


そこで1、2の選択肢を踏まえた上での第3の選択肢だ。

3つ目。大穴、「なにも言わずに僕の鞄へゴーイングシュート!」

どうせ見なかったことにするなら僕が頂いても同じことだよね!

彼女に恥ずかしい思いをさせず、僕の懐を温めるという、正にwin-winな方法だ。

大穴と言ったが、存外、これが一番いい方法かも知れない。

うん。そうしよう。

僕はラックの下に手を伸ばし、下着を取り出した。

「ただいまー!」

その瞬間、ドアノブが捻られ、薊が扉から姿を現した。

僕は電光石火のごとき、疾風の速さで、ラックの下に手にした下着を放り込む。

高校時代、三年間、武道に明け暮れた日々で培った反射神経が役にたった。

もしバレて、まるでゴミを見るような目で見られながら、まるでゴミに話しかけるような声のトーンで「最低、死ねばいいのにー。クズだね。犯罪者だね。ゴキブリ以下だね。ゴキブリのくその方がまだましだね。キモい。今すぐ死ね。」なんて言われたら、僕のガラスの心は砕けて生まれ変わり、新たな世界に旅立って、悶えながら息を荒くしてしまう未来が予想できる。とはいえ、薊がそんな言葉使いをする未来は予測不可能なのだが。

「あ!お帰り!待ってたよー!お、オレンジジュースだね。いっただっきまーすっ!」

バレてはないとは思うが、とりあえず誤魔化そう。

彼女が手に持っている、お盆の上に乗せられたオレンジジュースを頂く。

ごくごく。一気飲み。

「はー!染みるぜ!戦いで疲れた戦士の体を癒してくれるね!ゲームなんかじゃジュースで体力回復するものもあるけど納得だなー!いやー!うまい!もう一杯!CMには是非呼んでください!」

「私、テレビ局の人じゃないから私に言われても困るなー。」

薊はそういいながら、折り畳みのテーブルの上にお盆を置いた。

「じゃあ、お菓子食べよう。」

薊は机を挟んで反対側を指差す。

僕は逆らわず、指示通り薊の目の前に陣取った。

お菓子を食べながら薊は小説を読み始める。

「それ、どんな話なんだ?」

薊が本を読み始めて10分ほど、真剣な顔で読んでいるので、邪魔するのも気が引けたのだが、好奇心には勝てず、気になって聞いてみた。

「タイトルから通り魔の話だっていうのはわかるけど。」

薊が本から顔をあげる。

「うん。そうだね。えっと、この話に出てくる霧の街では、連続して通り魔殺人が起きてるの。それで、捜査に来た刑事の主人公たちが、紆余曲折あって街に閉じ込められてしまうんだ。それで、主人公の仲間たちが徐々に消えていき…、まあ、クローズドサークルだね。」

「なるほど。」

「そういえば、っていうか、この本見て一番最初に思ったことだけど、最近、この辺りでも連続通り魔殺人が起きてるよね。」

「うん。そうだね。」

おっかないよねー。しかも、僕、はんにーん!アハハハハ!とは言わなかった。

あ、勿論、薊は僕が犯人ってことを知らない。

「これ読んでると、私も怖くなってくる。先週も、女大生と、会社帰りのサラリーマンが二人でしょ。」

サラリーマンは、記憶にございません。秘書が勝手にやったことです。いや、真面目に覚えがない。「それ、女大生はいいから、サラリーマンの方、詳しくわかる?」

「えっとね、ニュースで聞いた話しだけど、二人のサラリーマンが会社帰りに襲われて、殺されたの。」

「えっとね。全身を刃物で滅多刺しにされて、身体中を切り刻まれて…、死んだって聞いた。」

なるほど。後は把握しなければならないことが一つ。リーマンの方も僕が疑われてるのかどうか。

疑われてるなら、もし捕まったときリーマンのはアリバイ証明に使えるかもしれない。

「今までの奴と同一犯なのかな。」

「警察は、別人と見て調べてるって言ってたかな。」

なるほど。正解だ。

「今までの通り魔は被害者が全員女性で殴打が致命傷になっているけど、今回のは被害者が男性で、刺し傷が致命傷になってるからって。」

概要を一通り聞かせてくれた。

つまり、今、この街には、男性を狙う通り魔と、女性を狙う通り魔の両方が生息してるわけか。後者は僕だけど。

「ねえ、生。」

僕の顔を見ながら、薊が不安そうな表情をする。

「どうしたの?」

「うん。私、ちょっと、怖い。」

肩を震わせる。ちょっと、ぐらいでは無さそうだ。

「大丈夫だよ。薊は多分、大丈夫。」

「なんで?生が守ってくれるからとか?」

いや、女性狙いの通り魔は僕だし、僕が狙わないから。薊には、絶対に手を出したりしない。

「通り魔は、もっと…、か弱い人を狙うよ。」

こういう時のお決まりのジョークだと思う。

いや、薊は見るからに「か弱い女の子」だけど。

か弱い女の子ぽさが服を着て一人歩きをしてるような女の子が薊だけど。

薊がか弱くないのなら、全地球上の全女性が恐らくか弱くないだろう。

そこまで含めてのジョークと言うわけだ。

「ばか…。」

そう呟いた薊に軽く頬をはたかれた。まったく痛みはない。ゲームでいうところのmissだ。しかし、攻撃は外れた!かもしれない。

当たってるからmissの方だな。

しばらく、二人で沈黙する。

「ねえ、真面目な話だよ。生は私を守ってくれる?」

顔を覗き込まれて聞かれた。

「2.5m以内に居てくれれば絶対に保証する。」

3mからは自信がない。

「じゃあ、生から離れないようにしよう。それなら守ってくれるんだよね。」

頷いて答える。

「勿論、絶対に。」




三日後。


薊が襲われた。





僕は、街の病院に来ていた。

病院は、どこもかしこも真っ白で、この無菌室というべきか。実際無菌室なんだろうが、そんな景観が好きになれない。

まるで、お前のような心の薄汚れた人間は、便所で雑巾でも食ってろ!ばーかばーか。と言われているような錯覚には別に陥らない。

薬の臭いが鼻につくのもマイナスポイントだ。

薬の臭いを嗅いでると、後付けで、あれ。もしかして、具合悪いんじゃないか?って気になって、体調を崩す。一種のプラシーボ効果かな。

ナースステーションで、薊の病室をお尋ねした。

髪の毛を金髪に近い色に染め上げた派手目な見た目のナース、吉田さん(見た目のわりに名前が普通。)が病室を教えてくれた。

2501号室が薊の病室だ。

途中、自販機で薊の好きなりんごジュースを買って行く。

事件は、三日前起きた。

これは薊が母に話した内容を、薊母から又聞きした形で知った話だ。

薊が夜の8時頃、家で本を読んでいると母に呼ばれたらしい。

薊が用件を聞くと、すぐ近くのコンビニまで買い物に言ってほしいと言われた。

薊の家は、夜ご飯を食べるのが9時ぐらいと遅く、料理に必要なものがあるのだが、母は手を離せない状態だった。

薊は、最初、通り魔のこともあるし、こんな時間には外に出たくないと思ったようなのだが、コンビニまでが距離にして200mも離れていなかった為、大丈夫かと思い向かったようだ。

家を出て、家がすぐ近くにある僕に電話を掛けようとも思ったようなのだが、それも悪い気がしたようで取り止めにしたみたいだ。

コンビニで頼まれていたものを買って、家まで戻る途中、電信柱の影に黒いパーカーを着た怪しい人が立っていた。

全身、真っ黒な服装で、田舎町なこともあるため辺りが暗く、この日は月明かりもなかった為、気づいたときにはかなり近くにいたそうだ。

薊は怖いと思って、反対の歩道に移ってから、早足にそいつの隣を抜けようとした。

そいつを通り過ぎると、そいつも反対の歩道に移り、同じようにして薊に着いてきた。

早足の薊の後ろを、一定の距離と一定の速さを保ちながらついてくる。

コツコツコツ

コツコツコツ

男は薊とまったく同じペースでついてくる。

薊はたまらず、体を震わせながら駆け出した。

そいつも走りついてくる。

少しずつ、いたぶるようにだんだんと薊にそいつは近付く。

必死で薊は逃れようとするが、そいつは少しずつ少しずつ、距離を縮めてくる。

しばらく走り、そいつは薊のすぐ後ろへ。

そして、そいつは薊の背中にナイフを降り下ろした。

肩甲骨付近にナイフが突き刺さり、薊は悲鳴をあげる。

勢いよく、血が体から滴り落ちる。

しかし、家までもう十数歩の距離にいる。

必死に痛みを堪えて走り続けた。

次に、男が横凪ぎに振るったナイフが薊の左の二の腕を削り取る。

とくとくと、静かに出血。

もう一度、次は右のわき腹。

切りつけられ肉が抉れて落ちた。

この時点で家にたどり着く。

鍵をかけずに家を出たことが幸いした。

素早く扉を開け、素早く扉を締め、鍵をかける。

キッチンで料理していた母が「どうしたの?」と顔を覗かせた。

血だらけの娘を見て、母は血相を変える。

「…通り魔…。」

薊の言葉に反応して、母はすぐに救急車を呼び、警察に通報した。

そうして、病院に運ばれて現在に至る。

以上が薊から聞いた話だ。

この話を聞いて、僕はもし薊が本当に殺されてしまったらと考えて、すごく怖くなった。

薊が僕の近くから失われるなんてことは考えられない。

本当に助かって良かった。

勿論、薊を傷付けた犯人は許せない。見つけ出して、報いを与えようと思う。

人を傷付けた者には、相応の報復を…。因果応報。

鮮やかなブーメランだ。全て自分に帰ってくる。

扉を開けて病室に入る。

病室は個室で、他の患者はいない。

薊はベッドの上で本を読んでいた。

本当に薊は本が好きなんだな。

本に少し嫉妬する。ということはあり得ない。

もともと僕は嫉妬深い方かも知れないが、さすがに無機物は羨望の範囲外だ。

薊の手には包帯が巻かれている。後は衣服で隠れて見えないが、恐らく背中にも、わき腹にも、同じようにして包帯が巻かれているのだろう。

近くにより、ベッドのすぐ近くにある椅子に腰かける。

額に手を当てながら「調子はどうだ?」と尋ねる。

「別に風邪ひいてる訳じゃないよ。」

知ってる。

薊は「そうだね。」と言って微笑みながら頷く。

「痛みはだいぶ引いたかな。まだ傷痕、びりびりするけどね。」

「そっか…。」

「そんなことよりさ、病院ってやることないから退屈だよね。」

背伸ばしをしながら、体を右に左にくねらせる薊。

シャツがめくれてヘソが見える。そして、その横にはガーゼで被われた傷口も見える。

こうして見るとウエストがかなり細い。

きれいな腰回りしてるな。と、いう感想を抱いた。そして、きれいな腰回りを傷付けた犯人に殺意を抱いた。

「そんな君にプレゼントをプレゼンツするプレゼンテーションを行います。」

そう宣言して立ち上がる。

「えっ、なになに!」

笑顔で小さく静かに拍手をしながら僕を見る。

「では、まずはこれ。駒はいくつかあるのですが、最初は歩を動かさなければ始まらない。そう、これは将棋でいうところの歩。りんごジュース!」

ペットボトルのりんごジュースを、年代物のワインを扱うような持ち方で、薊に贈呈する。

「あ、りんごジュース!ありがとう!」

薊は嬉しそうに受け取り、早速、口をつけた。

「歩は口の中で金に成りました。」

その君の笑顔、まるで黄金のよう。いや、もっともっと価値がある。見るものの心を癒してくれる。

薊がりんごジュースを飲み終わらないうちに次に行く。

「次は、見舞いといったらこいつは欠かせない。ディフェンスの要、サッカーでいうところのゴールキーパー!お花!カーネーション!」

僕は鞄からカーネーションを取り出した。

「あ、お花だ。綺麗だねー。」

暢気を絵に書いたような表情でカーネーションを見つめる。

「この花瓶、使うぞ。」

「うん!」

窓に空いてる花瓶があったので、水を入れ、花をいける。

最初に花を渡そうと思ったとき、スノードロップ(花言葉はあなたの死を望みます。)で不謹慎ギャグ、ブラックジョークをやるか、アイビー(花言葉は死んでも離れない。)で、もし亡くなってもついて行くから安心してね!ピース!するかで悩んだのだが、前者は意味を知った薊が本当に泣いちゃう可能性があったため、また、あまりにも常識外れな行動な為、自粛した。だいたい薊がいなくなったら一番傷を受けるのは、きっと僕だろうが。

僕は薊に楽しんで欲しいのであって、傷つけるのは絶対避けたいのだ。

次に、アイビーだが、亡くなること前提というのが、やはりおかしいので、自粛した。ついていくって部分に関しては、多分、きっと、本気…、なんだろうな。

それで、最終的には無難なカーネーション(愛情)を選択するに至った。

…あ、今更だけど、薊には花なら薊を渡すって選択肢もあったか。

これは花言葉は知らないが、名前に使われることもある花な時点で悪い意味なわけがないだろうし。

ミスったかな。

自分の名前と同じ花って、きっと喜ばれただろうな。

仕方ないか、次に取っておこう。

そんな頻繁に病院になんてお世話になって欲しくないけどね。

気を取り直して、次のプレゼントプレゼンツ。

「次がラスト、コイツだ。退屈な世界は今、終わった!新たな世界へようこそ!小説!薊の好きな真田 夕日の小説だ。」

やはり、予想通りこれが一番受けが良かった。とりにして正解だ。

「えっ!?本当?見せて、見せて!」

両腕を伸ばして催促する。

「ほら、これ。「欠落の魂」。確か、読みたいんだけど、探しても見つからないって前に言ってただろ?」

僕から本を受け取った薊が「うん!うん!」といいながら本を胸に抱えてベッドを転がる。

「ありがとー!」

「いえいえ、礼には及びませぬゆえ、どうかご自愛ください。」

これで全部、お見舞いの品々は渡し終えた。

「さて、以上でプレゼンテーションは終了になります。ご意見、ご感想等は事務局の方までお問い合わせください。」

私からは以上、です。

続きましては、ご質問お尋ねコーナーをさせていただきたいと思います。

「あのさ。薊、聞いておきたいことがあるんだけど。」

話を断ち切って尋ねる。

本当は真っ先に聞いておくべき事柄だったのだが、色々と諸事情(警察に根掘り葉掘り聞かれ、精神的に参っているんじゃないか、とか。あるいは、思い出させたら怖い思いをさせるんじゃないか、とか)により聞きそびれていた。

今の状態なら話を聞いても大丈夫かと思うので、訊ねる。

「薊を襲った相手、どんなやつだった?」

今回の事件、概要については一通り聞いたのだが、犯人がどんな奴かについては聞いていなかった。「えっとね。変なマントみたいなの来てたから、顔はよく分からなかったけど、髪の長さと体格からいって、多分、女だった。」

薊は体を震わせる。

「えっと、身長は、私より大きかったかな。」

薊の身長は154cm.なので、あまり参考にはならないか。

「でも、本当に、それしかわからないの。必死だったから。」

「うん。」

薊の頭を撫でてやる。

「まあ、あれだな。今度から夜道を歩くときは、どんな些細なことであっても僕を同伴させること。夜の7時以降、事件が解決するまでは、絶対だ。」

少なくとも、サラリーマン二人と薊を襲った犯人が「いなくなる」までは。

薊の小指を勝手に取り、ゆびきりをする。

「約束だ。」

薊はコクコクと頷いた。

「わかったよ。私だって、もうあんな思いしたくないしね。約束する。」

針千本飲ますと指切りった。

ただ約束を破って還らぬ人となったら針を飲ますのは不可能だが。…そうならない為の約束だ。


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