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椿よどうか散らないで

 しばらくの間、カメリアの言葉の意味を咀嚼できずに見つめ合っていた。言葉を受け止めることはできるのに、飲み込むことはできない。

 だが、僕はあまり驚かなかった。むしろ、心の何処かにはやっぱりそうなんだ、という納得があった。

 次に口を開いたのは、カメリアの方。


「ごめんね」


 それは、何に対しての謝罪なのか。飛びかかってきて馬乗りをしてしまったことか、魔女であることをひた隠しにしていてしまったことか。或いはその全部かもしれない。


「お前は、どうして」


 言いたいことは沢山ある。けれど、なかなか相応しい言葉が見つからない。脳裏を様々な記憶が断片的に駆け抜けていくのを感じながら、結局僕は陳腐な問い掛けしかできなかった。


「お前はどうしてこんなことをしたんだ」

「こんなこと、っていうのはどれのこと?」


 尋ね返されてしまうと、すぐに答えることすらできなかった。

 自分の不甲斐なさに嫌悪感すら抱きながら、必死に答えを見つけて、苦し紛れにぽつりと零す。


「……僕を、帰さないことだ。この霧はつまり、お前が作り出したものっていう認識で、合ってるんだろう?」

「そうだね。正しいよ」


 カメリアの睫毛が、伏せられた赤い目を隠してしまう。声こそ穏やかであるが、カメリアが何を思っているのかは伝わってこない。

 正しいか否かで物事を捉えがちな僕ではあるけれど、でも、カメリア。

 どうして分からない? 僕は今、正しいか正しくないかの事実が聞きたいんじゃない。お前の気持ちを余すとこなく吐露して欲しいだけなんだよ。


「カメリア――」

「そんな声で俺の名を呼ばないでよ」


 僕を遮った彼の声は、心なしか少し苛立ちを含んでいた。


「やめてよ、苦しくなるから。……ああ、解放されたい。この苦しみから解放されたいよ。だからお願いだよ、どうか聞いて、アルストロメリア」


 ――俺の我儘で身勝手極まりない懺悔を、どうか聞いて欲しい。


 そう前置きしてカメリアが語り始めたそれは、魔女の名を引き継いだ者の残酷な半生だった。



 ***



 俺の名前はカメリア。先代の母からその血を受け継いだ、魔女の子孫だ。


 さて、何処から話せばいいだろう。君に話さなければならないことは山ほどあるけれど、まずは質問に答えなくてはならないね。

 何故、霧の魔法をもってしてまで、君をここに引き止めたのか。答えは至って簡単さ、君に帰って欲しくなかったんだ。

 君に限ったことじゃない。今までも迷子の客人が訪れる度に思ったよ。

 ああ。この人が一生、俺と一緒に暮らしてくれればいいのに。そうしたら退屈じゃないし寂しくないのに。

 だからその度、魔法を掛けた。霧を作って森から出られないようにして、家に引き止めた。美味しいお菓子を振舞って、引き止めた。もしくは言葉や身体を巧みに使って、男も女も籠絡しようとした。


 だけどアルストロメリア。君は多くの客人の中でも特別だった。

 楽しい話を沢山してくれたし、俺と仲良くしてくれた。それだけなら、他にもしてくれる客人はいたよ。でも、君はそれに加えて何物にも代え難い素晴らしいものを持ってる。


 それはそう、清廉さだよ。


 眩しいくらいに君は清らかで、薄汚れた俺は危うく失明するかと思ったね。

 だけど、だからこそ。自分が持っていないものだからこそ、俺は君を妬ましく思うと同時に好きになってしまったんだ。

 街に戻れば多くの人に信頼される君。自分を心配してくれる友人がいる君。君のようになりたいと憧れて、怖くなった。


 今まで感じたことのないくらいの恐ろしさだったよ。霧が晴れたら君は帰ってしまう。他のどんな客人が帰ったとしても、君だけは絶対に帰したくなかった。ずっと一緒にここで暮らして欲しいって、思っちゃったんだ。


 ……まあ結局、失敗しちゃったけどね。森全体を包み込む大掛かりな霧の魔法を永続的に発動させ続けるのは、魔女の子孫たる俺にも流石に無理だったみたいだ。今こうして、深夜に休んでいるのを君に見つかってしまった。これで嘘で塗り固められたカメリアの仮面は破られて、俺は君に嫌われるって訳か。あはは、意外性も何もないエンディングだね。


 さて、次に魔女について話そうか。この際ヤケクソだ、俺が知ってることの全てを君に話すよ、アルストロメリア。

 陽都の民たちは皆、魔女について、“強力な魔法を使い人間を魅了する恐ろしく穢らわしい女”と定義しているらしいね。でもそれは間違いだ。

 魔女が必ずしも女であるとは限らない。いや、最初は女であったはずだった。でも、時が経ち、その称号が魔女の子に、更に子の子にと受け継がれていくうちに、後継者が女であるとは限らなくなっていったんだ。そして、俺がその例の一人。五代目の魔女だ。


 ……ああ、そうだ。まだ言っていなかったね。魔女は世襲制なんだよ。魔女の子が魔女になって……え? 魔法史について詳しい友人に教えてもらったから知ってる?

 ……ふーん、その人は随分と魔女について明るいんだね。よく調べたものだよ。

 質問してもいい? もしかしてその友人って、あのスピラエって人?

 へぇ。そうなんだ。――やはりと言うべきなのかな。……ああ、いや何でもないよ。ただ、多く情報は残っていない魔女について調べるなんて不思議な人だね、君の友人は。


 友人、か。……いいなあ。

 俺も、もし魔女じゃなかったら。もしこんなにも醜い心じゃなかったら、君の友達になれたの?

 いいや、仮定の話はよそう。現実は何も変わらないのだからね。



 さあ、アルストロメリア。名残惜しいけどそろそろ時間だ。最後の審判を下してよ。君は俺に、どれ程の罪を問うの?


 やっぱり魔女らしく火炙りにするのかな。それとも、陽都の兵士に俺を突き出す? 君が大切にしているあの銃で撃ち殺してくれてもいいよ。

 天使曰く、魔女が一人残らず根絶やしにならないと陽都は滅びるらしいからね。



 アルストロメリア。ほら、君が選んで。

 



 ***



「この花は、何ていう名前なんだ?」


 地に落ちていた薄桃色の花弁の花を拾い上げ、尋ねる。先程、カメリアの魔法で咲いたものだ。

 生憎、僕は花について詳しくない。名前も分からないし、占いの方法や花言葉にも明るくない。酒場の店主のカモミイルは花について博識で、町娘の相談事なんかにも乗っていたが、僕はいつもそれを横目に知り合いと情報交換するだけだった。

 この花は、何というのだろう。

 丸みを持つ花弁の内側には、幾つかの斑紋が浮かび上がっていて、茎は付け根のところで捻れている。可憐というよりは、華やかだ。こんな花は見たことがない。もしかしたら陽都の花屋には売られているのかもしれないが、リーゼ街ではこんな華美な花はお目にかかれない。


「アルストロメリアさあ、俺の話聞いてた?」


 唐突に花の話を始めた僕に、カメリアは拍子抜けしたような、呆れたような、でも少し安堵したような顔をした。だけど、自分を赦そうとする甘えた自分が赦せないようだ。次の瞬間には眉を顰めて語気を強めた。


「アルストロメリア」

「なあ、何ていうんだよ」

「アルストロメリア!」

「教えてくれよ」

「だからっ、アルストロ……はあ。…………ゆめゆりそうっていうんだよ」

「ん?」

「ユメユリソウ。夢百合草。はい、これで満足?」


 ゆめゆりそう。

 確かめるように口に出して何度か繰り返す。ゆめゆりそう。随分と可愛らしい語感だ。

 ゆめゆりそう、ゆめゆりそう、と呟き続ける僕に、カメリアは胡乱げな目を向けた。


「さっきから何をぶつぶつと言ってるんだよ」

「特にこれと言って理由はないけど。お前がこの花を咲かせたんだなって思っただけだよ」


 カメリアの魔法を見て、僕は心を震わせた。こんな美しい光景があるのだと驚かされた。美しい魔法を使う、でも少し寂しがり屋で他人の存在を求めてしまう魔女が、ただそこにいるだけだ。それの何が罪に問われるというのか。


「カメリア。僕は魔女狩りの依頼を受けて、この森に来たんだ」


 この綺麗な花を咲かせる魔法は、果たして命を狙われる程の罪になりえるのか。


「魔女に会ったら、そいつを見極めようと決めていた。よく見て、よく話して、絶対に間違わないようにしようって。その魔女が善良か、それとも人類の害悪か判断して、もし後者なら僕が手を下すつもりだったんだ。何より、僕自身が後から後悔しないように、自分にとって最も正しいと思える選択をするって」


 そしてたった今、結論が出た。


「僕はお前を罪に問わないよ、カメリア」


 これが僕が考え抜いた上で出した最良の選択だ。

 だが、きっと僕より多くの時間、一生のうちの数割をこの命題のような問題の解決のために費やしてきたであろう当人は、僕の考えとは相入れなかったらしい。

 カメリアは、僕が手の中で弄んでいた薄桃色の花を強引に奪い取り、その場で握り潰した。


「どうしてなんだよ……!?」


 はらりはらり、と散って落ちる花弁は、まるで涙のよう。


「どうして俺に優しくしてくれるんだよ!? 俺は君を騙してたのに! 本当だったら、こうしてバレたりしなければ、もっとずっと君をこの森の檻に閉じ込めてたはずだったんだよ! 今までも何人もの客人を騙したし、帰ろうとした人には乱暴なこともした! それにっ……それに俺は魔女なんだ。生きてるだけで陽都を滅ぼす呪われた魔女の一人なんだよっ……! それなのにどうしてっ」

「うるっさいな!」


 放っておけば一生続きそうな弱音と世迷言の連鎖を、大きく真っ二つにかち割った。

 僕がこんなにも大声を出すとは思っていなかったカメリアは、零れ落ちんばかりに赤い目をまん丸にさせた。

 でも、怒鳴ってでも伝えておかなければならないことがある。


「御託ばっか並べて何なんだ! 僕はそんなことが聞きたいんじゃない!」

「……じゃあ、どうしろって言うんだよ!?」

「そんなの決まってるだろうが!」

「分かんないよ! 分かんないから訊いてるんだよ!」

「だったら今教えてやるから、よく聞け!」


 簡単なことで、わざわざ訊くまでもないことだ。

 でも、今までそれを受け止めてくれる相手がいなかったカメリアには、教えてやらねばそれができない。だから僕が教えてやる。



「――お前は、どうしたい?」



 魔女だとか、陽都のためだとか、そんなのは全て忘れて消えて去った後で残るもの。お前の望みは何だ。

 自分の望みというものを、カメリアは知らなかったようだった。誰も聞いてくれる人がいなかったから、望みを言葉にすることがなかったのだろう。

 呼吸すら忘れたカメリアが、赤い双眸をこちらに向けて、真っ直ぐに僕を見つめた。再び夜に静寂が戻る。

 不意に夜風が僕たちの間を吹き抜けた。宙を舞う薄桃の花弁の中、やっと答えを見つけたカメリアが、



「……生きたい、です」



 か細い、でも確かに意志のある声でそう言った。

 ほら、やっぱりこんなに簡単な答えだった。

 それなら話は早いとばかりに、僕は微笑んだ。つられたカメリアも、薄っすら泣き笑いを浮かべた。


 こうして、僕は決めたのだ。このカメリアの望みを叶えるためならば、例えどんな脅威が現れようと立ち向かってみせると。

 それが正しい選択なのだと信じて疑わなかった。後にどんな結末が待っていようと、僕が悔やむことは決してないだろう。


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