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目隠して神隠し

 お母様、お母様。

 今、とっても嬉しいことがあるんです。

 家にお客様が来たんです。それもいつもとは違うお客様。一週間も家に滞在してくれているんです。霧が晴れるまではここにいるって言ってくれました。

このお客様、この人がまた、とっても優しい人なんです。俺の魔法を、お菓子を、色んなものを褒めてくれる。ああ、この人を森の奥に隠して帰したくないなあ。


 だから俺は、ずっと霧が晴れないようにしようと思います、お母様。



 ***



 真夜中。僕が借りている部屋には時計がないから正確な時間は分からないが、恐らく二時過ぎとかそのくらい。

 あまりの静けさに、逆に目が覚めた。

 上半身だけをベッドから起こし、辺りを見回す。枕元には、ケースに収まったマギカライフル。備え付けの古惚けた鏡には、黒髪が寝癖で少し跳ねた、変に目の冴えているアルストロメリアの姿。

 ――待て。どうして真夜中にも関わらず、自分の姿がこんなにも見えているんだ?

 思わず振り返って窓を開け放った。すると、


「……晴れてる」


 思わず目を疑った。

 今まで、来る日も来る日も空を見上げ続けても決して晴れることがなかったあの濃霧が、すっかりその姿を潜めていたのだ。初めて森から眺める空は、想像していた夜の森の風景よりもよっぽど明るかった。漆黒の闇の中に、白銀の月光が静かに浮かび上がって、それはまるで暗い室内で灯されたランプのように煌々と光っていた。

 ふと、遠くで鳥の鳴き声が聞こえた気がした。慌てて窓から身を乗り出して耳を澄ませると、確かに聞こえる。これは梟だろうか。


 この森は、生きているんだな。


 当たり前のことを再確認させられてしまった。霧がどうしようもなく深かったものだから、この森が死んだように眠っている気がしていたのだ。でも、そうではなかった。ここは鳥も獣も住む、呼吸をする森なのだ。

 晴れているからといって、まさか夜中に森を突き進むような愚か者ではない。でも、どうしてだか外に出てみたい衝動に駆られ、気づけば窓の縁に足をかけ、外に飛び出していた。

 芯まで冷たくなるほどに張り詰めた、でも心を穏やかにするような緑の空気を肺腑の奥まで吸い込んで、身体中に森を感じた。

 カメリアは、毎日をこんな揺蕩うような森の箱庭の中で過ごしているのか。この気分を知る前の数分前までの僕には、それを息苦しいことのように思われていたが、案内そうでもないのかもしれない。閉鎖された森は少なくとも監獄ではない。箱庭だ。それでも些か狭いけれど。

 暫くぼうっと夜風に当たっていると、だいぶ身体が冷えてきた。もう戻ろうと窓に再び手を掛けたその時だ。小さな声が僕の鼓膜を震わせた。


「……カメリア?」


 返事はない。空耳だろうかと思ったところで、また聞こえた。旋律のようにも聞こえるこれは――


「――カメリア」


 家の裏に回ると、やはりそうだった。そこにあったのはカメリアの後ろ姿。先ほどより明瞭に聞こえてくるのは、呪文の詠唱。メロディを奏でるように滑らかに、そして楽しげに。


「悠久なる生命の営みよ、この刹那を駿馬となって駆け抜けよ――Alstroemeria L. 」


 僕には理解できない不思議な言語が紡ぐ魔法。誰がこれを呪詛と呼ぶのか。

 カメリアの魔法は淡い光を無数に生み出した。光はふわりふわりと周囲を飛び回り、彼の掌の中に吸い寄せられた。

 それは例えるならば、生命力の光だった。

 カメリアの手の中から芽を出して現れた小さな双葉。かと思うと、魔法の光を吸収してすぐに成長し、蕾を膨らませ――やがて、花を咲かせた。


「凄いな」


 声を掛けられてやっと僕の存在に気がついたのか、カメリアの背中がぴくりと震えた。


「魔法って綺麗なんだってこと、お前に教えられたよ。スピラエはあんまり使って見せてくれないから。やっぱりお前の魔法は凄いよ。…………カメリア?」

「……き、た?」

「カメリア……?」


 背中から伝わってくる程の、電気すら帯びて感電するくらいの、緊張感。

 カメリアはゆっくりと振り返った。その赤い目に動揺と絶望を湛えて。


「――アルストロメリア……いつ、起きた?」


 生み出したばかりの白い花は、腕からはらはらと零れ落ちた。それすら気づかないようで、彼は覚束ない足取りでこちらに歩み寄ってくる。


「どうした、カメリア? お前、何をそんなに動揺して」

「いつ」

「……ついさっきだよ。目が覚めたら月明かりが綺麗で、空が晴れてて、外に出たくなったんだ。でもこれで、もう明日にでも帰れ――」

「見るなっ!」


 突然飛びかかってきたカメリアに不意を突かれ、避けることも受け止めることも出来ず、押し倒された。


「ちょっ、おい! 何すんだよ?」


 様子がおかしい。満月を背景に見たカメリアの目は、確かに僕を見つめているのに、焦点が合っていないために、視線は交わらない。やっとかち合ったと思った瞬間、彼の手によって僕の視界は覆われた。


「ダメだ見るな! 見るな見るな見るなッ! 晴れた空なんて見るな! それは、それは……そう、夢だ! 全部夢なんだよ。……夢だから。起きたらまた霧に包まれてて、全部なかったことになる。だから眠って、アルストロメリア。早く、眠ってよ……」


 ああ、嫌だな。

 泣き出しそうなカメリアの言葉で、概ねの予想がついてしまう自分の察しの良さが、嫌になる。

 瞼に触れているその手の指先が冷え切っているのは、夜風のせいだけではないのだろう。

 僕は抵抗を止めた。口も開かない。そうして沈黙を貫き続けてどれ程の時間が経っただろうか。僕に馬乗りになったまま身を硬くしていたカメリアも、やっと落ち着いて譫言を止めた。耳鳴りがする程静かな夜が漸く戻った。


「カメリア。この手、退かしてくれるか」

「……やだ。今の俺、きっと酷い顔してるから」

「別にどんな顔だって気にしないけどな」

「いいや、気にする。だって醜い」

「醜い?」

「魔女、みたいな顔してるよ」


 絞り出したようなカメリアの声。

 そんな、被告人席に立たされたみたいに苦しそうにしなくていいのに。僕は責めたりしないから。


「じゃあせめて、上から退いてくれないか。いい加減重いから」

「あはは、重いって失礼だなあ……」


 力なく笑いながらも退いてくれるが、相変わらず目隠しする手はそのままだ。僕らは目隠しをされながら向かい合うという不思議な構図になった。


「そろそろ、酷い顔はマシになったか」

「……うん」

「じゃあいいよな」

「……うん、いいよ」


 緩やかに冷たい目隠しが解けて、視界が開けた。

 そこに飛び込んできたのは、再び霧に包まれた森の中で、泣き笑いする彼の姿。

 なるほど、確かに酷い顔だ。


「カメリア、一つ聞いていいか」

「うん、なんでも聞いて、アルストロメリア」

「お前は、魔女か」


 何故だろう。明日の天気でも尋ねるような何でもないことのように、自然と口が動いた。

 カメリアは小さく頷いて、その場で一礼して見せる。


「俺の名前はカメリア。この森に棲み人々を魅了する、愛の魔女さ」



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