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茶会で追憶を

 窓の外は今日も深い霧に包まれている。

 銃を磨いていた手を止めてちらりと外を眺め、溜息をついた。天候は一向に変わらない。今日も帰れそうにない。

 その時、壁に掛けられた大きな古時計がその鐘を鳴らした。ボーン、ボーンと三時を告げる音が部屋の中に響く。

 図ったようなタイミングで、奥のキッチンからそいつは現れた。


「はーい、おやつの時間だよ。今日はアップルパイね」


 料理をしていたので、長い深緑の髪は一本に纏められている。

 ミトンを着けっぱなしの手が持つ皿には、甘い匂いを漂わせる焼きたてのアップルパイがあった。勿論、シナモンは欠かさない。


「カメリア、お前本当にシナモンが好きだな」

「うん、好きだよ。アルストロメリアは好きじゃないの?」

「いや、好きではあるけどな……」


 流石に毎日食べようとは思わないな。

 シナモンたっぷりのアップルパイを目の前に、カメリアはうきうきと楽しげだ。


「ほらほら、おやつなんだからそんな物騒な武器は仕舞ってよ」

「待ってくれ、あとちょっとで終わるから」

「ちょっとだけだよ? 冷める前に食べた方が美味しいんだから」


 カメリアという魔法使いに出会ってから一週間が経過した。


 結論から言うと、カメリアは魔女ではなかった。当たり前だ、いくら髪が長くてお菓子作りに長けていても、カメリアは歴とした男なのだから。

 僕はこの家に辿り着いたあの日、何故僕がこの森に来たのか――つまり、“人を魅了し惑わす赤い目の魔女”を討ち取りに来たのだということを、素直に話した。するとカメリアは、


『冗談。俺は魔女じゃないよ。ついでにその魅了するとか惑わすとかも身に覚えないからね』


 と、笑った。ただ噂が一人歩きしていただけだったようだ。森から帰らない者がいると話すと、この森はほぼ毎日霧に覆われているため、遭難者が続出するのだと教えてくれた。僕もその一人だという訳だ。


『たまに迷ったまま俺の家を訪ねてくる旅人や冒険者もいるんだ。俺の楽しみはね、そういう人と一緒に色んな話をして、お菓子を振る舞うこと。でも、霧が晴れるとみーんな帰っちゃう。それがちょっと寂しいけどね。』


 森の魔女の噂がデマであったならば、ここに留まる意味はない。だというのに僕は、スピラエと逸れたあの日から、カメリアの好意に甘えて宿を借り続けている。というのも、帰ろうとする僕をカメリアは慌てて引き留めたのだ。


『家に帰る? とんでもない! この天気で森を横断するなんて愚の骨頂さ。俺の家に泊まるべきだよ、霧が晴れるまでね』


 霧の中でスピラエの逸れたという前例がある僕は、その言葉に逆らうこともできず、大人しく好意に甘えることにした。

 カメリアとの生活を通して、色々と分かったことがある。

 まず、この森は完全に外と断絶された、封鎖的な世界だということ。霧という物理的要因もさることながら、カメリア自身も封鎖的な考え方の持ち主だった。この森の外に出たことは一度もないと、彼は言う。何故だと問うと、


『だってそれが、お母様の言いつけだからね』


 というマザーコンプレックスが露呈するような返答をくれた。

 なんでも、カメリアの一族は代々この森でひっそりと暮らし、魔法を脈々と繋いでいくことが役目であるらしい。

 そしてもう一つ分かったことは、カメリアがとんでもなく強大な魔力を持つ、凄い魔法使いであるということ。スピラエもなかなかの実力者だったので、今更魔法のことで驚いたりしないだろうと思っていたのに、彼が呪文を詠唱するところを見て、目を見張ってしまった。

 まるで歌を歌うかのように滑らかに紡がれる、非魔法使い()には理解できない言語。途端に種から芽吹いて、早送りで咲き誇るプランターの花々。幻想的な光景は、多分、生涯忘れられないだろうと思った。


「ん? 何、ジロジロこっち見つめちゃって。悪いけど俺、男だからね」

「心配しなくてもいいぞ勘違い野郎」

「ひっど!? 酷くない!?」


 そんな綺麗な魔法を使えるカメリアがどうして、人々を魅了し惑わす魔女だと勘違いされてしまったのだろう。

 カメリアは男だ。魔女ではない。人に害をなすようには見えないし、嘘をついているとも思えない。

 でも、だとしたら何故、そんか物騒な噂が立ったのか? 火のないところに煙は立たぬ。何かしらの理由があるのとは明白だった。


「……お前は、いい奴だよな」

「え? ちょ、いきなり何?」

「帰れない僕を泊めてくれて、お菓子を作ってくれて、欠点といえばガキっぽい軽口が過ぎるぐらいで……」

「あのさ、俺って今褒められてるの? 貶されてるの?」


 いけない。ついうっかり自問自答が口から零れてしまった。

 カメリアは赤い目を胡乱げに彷徨わせたが、僕の失敗したという顔に何かを感じたのだろう。その視線をテーブルの上の銃に注ぎ、話題を変えた。


「それ、不思議な形状だよね。銃器、であってる?」

「ああ、これか。特注品なんだ」

 

 泥沼に嵌りかけた思考から脱出したくなって、磨いたばかりの銃身をつぅっと指でなぞってみる。磨けば磨くほど黒光りする様は美しい。


「確かに銃なんだけどな。これは特別だ」

「トクベツ?」

「魔法と科学、二つの両立があって初めて成立した発明なんだ。僕の知り合いが作ってくれた」


 シランが僕に託してくれた、この世に二つとない芸術品。それがこの銃、マギカライフルだ。


『アルストロメリア。あんたにならこの銃を託しても大丈夫だって思ったから、私たちはこれを作ったんだよ。その重み、よ〜く噛み締めてよね』


 科学者、魔法使い。文明の垣根を超えた協力者たちの力を合わせ、シランが先導する開発グループがこの世に産み落とした魔銃、マギカライフル。


「普通の銃じゃ、魔法使いたちが持つ魔力防御壁バリアーを撃ち抜くことはできないだろ。でも、これはそれを可能にするんだ」

「はぁっ!? 何それ怖っ。魔法使いたちはさぞかしその武器が忌まわしいだろうね」

「いいや、そうでもない。だってこれは、魔法使いの協力があったからこそ、完成したものだからな」


 そこで返事が急に途切れた。不思議に思って顔を上げると、言葉を失うカメリアの姿があった。


「おい、何でそんな間抜け面晒してんだよ」


 微妙な表情で瞠目するカメリアに思わず苦笑が漏れた。赤い目は零れ落ちんばかりに見開かれている。


「だ、だって……どうして魔法使いは、自分たちの身の安全を犯す武器なんて作ったのさ……?」


 当時の僕も同じ思いを抱いた。

 マギカライフルをシランから手渡され、しかし僕はその銃に掛けられた責任の重さに困り果てていた。

 でもその時、スピラエは言ったのだ。


『別に、その銃のためにアルスが変わる必要なんてないんじゃないですか。アルスはそのまま自然体でいればいいんですよ。ワタシを救ってくれた、魔女と魔法使いたちのために立ちはだかってくれたキミだから、マギカライフルはキミの手に収まったんです』


 みんな、僕を過大評価しすぎなんだけどな。

 僕はただ、罪悪感と後ろめたさが死ぬほど嫌いだから助けたり救ったりしてるだけなのに。

 でも、そうして信頼してもらえているんだと思うと、胸が温かくなる。


「信頼の証、なんだと思う」

「……そっか、信頼かぁ……」

「ああ」

「俺の一族が森に引きこもってる間に、『陽都』の民は……変わったんだね。いい方向に」


 カメリアは目を伏せて呟いた。心なしか嬉しそうに見える。


「……あ、忘れるところだった。ほら、早く食べないとだよ、冷めないうちにね!」


 仕切り直しとばかりにフォークを渡され、僕は細心の注意を払ってケースに銃を仕舞った。

 向かい合わせにテーブルに着いて、いただきます、と二人で声と手を揃える。

 フォークを突き刺すとさく、と軽い感触が伝わってくる。小さく切り分けて口に含むと、鼻まで抜けていくようなシナモンの香り。甘く煮た林檎には、微かに酸味も残っている。


「美味いな」


 素直な感想がぽろりと溢れてしまった。向かい側から、にやりと得意げな笑み。


「だろぉ? なんたって俺が作ったんだからね」


 銀のフォークの切っ先をこちらに向けて、唇の端をペロリと舐めるカメリア。


「最近はあんまりお客さんがいなくてさ。一人で作って、一人で食べてたんだ。やっぱり、こうやって誰かに食べてもらえるのって楽しいよ」


 お代わりを勧められて頷くと、より一層嬉しそうに、切り分けたパイを皿に乗せてくれた。


「でも、寂しいな。霧が晴れたら君も帰っちゃう。今までのお客さんもそうだった。あーあ、もうずっと外が真っ白だったらいいのに」

「それは僕が困るな。早く帰らないと。逸れたスピラエが気掛かりだし、あいつも心配してるだろうし」

「スピラエって……ここに一緒に来て逸れたっていう友達のこと?」

「そうだ」

「……ふーん」


 アルストロメリアは、スピラエのところに、帰りたいんだね。

 誰に向かって言うでもなく、何となくといった風に、カメリアは言った。だが、それは聞き捨てならない。


「変な言い方するなよ。ただ単に余計な心配を掛けたくないだけだ。あいつはいつも大袈裟なんだ」

「仲、いいんだね」

「まあ……友人だからな。色々壮絶な経緯があったけど」

「いきさつ?」


 カメリアがぴくりと反応して首を傾げた。いかにも「気になる」という顔だ。森から出ない生活をしてきたらしいカメリアは、好奇心旺盛で、どんな話でも聞きたがる。

 英雄なんて大それた通り名がつくきっかけとなった、あまり話したいとも思えない出来事だが、爛々と赤い目を輝かせてせがまれては断れない。


「三年前、僕とあいつが十五歳の時の話だ」


 ――思えば、僕が自分の口からこの話をするのは初めてかもしれない。


「魔女狩りの標的になってる奴が、僕の住む街にいたんだ。銀髪で青い目の、凄い魔法を使える奴」


 これは物凄い黒歴史で、死んでもスピラエやシランやリーゼ街の知り合いには言えないのだけれど。


「綺麗だと思った。一目惚れこそしなかったけど、一瞬で目を奪われたんだ。小さい女の子が可愛い人形に喜ぶみたいに、その綺麗な少女に見惚れた」

「ふんふん、そしてそこから、魅惑の銀髪少女とアルストロメリア少年の甘酸っぱい恋の物語が始まるって訳か!」

「いや始まらないからな」

「えっ、何で!?」

「何でって……」


 ああ、どうしてあの頃の僕はあんなにも面食いだったのか。


「…………だよ」

「へ?」

「…………だから、……だよ」

「何々? もっと大きい声で言ってよ」

「何度も聞き返すなよ!」

「え、何で俺が怒られてるの!? 理不尽!」


 意味が分からず疑問符を浮かべまくるカメリア。しつこく食い下がってくるので、もう半分ヤケになって僕は叫んだ。


「――だから、そいつがスピラエだったんだよ!」


 ……ああ、くそ。これは僕の人生において最も反省すべき点だ。僕は一生、あの時スピラエなんかに見惚れてしまったことを後悔し続けるだろう。何たる屈辱だ。

 唐突な暴露に理解が追いついていないらしいカメリアは、言葉の意味を確かめるように繰り返した。


「……ん? 待って待って、銀髪の魔女に初恋しちゃって、それが実はスピラエで、そんでもってスピラエは君の友達で……?」

「初恋じゃないし、ついでに反復するな!」


 数秒の間の後、やっと事の成り行きを飲み込んだらしい。カメリアは空気まで震えるような音量で盛大に笑い声を上げた。


「うっそだろ! ……ふっ、あっははははっ! それってつまり、気になった相手が実は男でしたっていうオチってこと!?」


 返す言葉もなく黙りこくったことが、より一層カメリアの笑いを誘ったらしい。今度は目尻に涙まで浮かべて腹を抱えた。


「そりゃあショックだろうねアルストロメリア少年は! 一生のトラウマもんだよ……ふはっ、ああダメっ……ふはははっ、ひぃ、お腹痛いっ」

「いつまで笑ってんだよ!」


 閑話休題。

 やっと笑いの渦から解放されたカメリアは、かなり体力を消耗しながらも、機嫌が下降している僕に謝った。


「ごめんごめんってば。俺が悪かったよ」

「お前なんて脳味噌までシナモン漬けがお似合いだよ」

「何その可愛い悪口。……それで? 話の腰を折っちゃったけど、続き聞かせてよ」


 もう一切れあげるから許して、とアップルパイの皿を見せられたので、お代わりを二切れでチャラにしてやることにした。絶対に誰にも言うなよという口封じも忘れない。

 一族の決まりであるからといっても、いつこいつが外の世界に足を踏み出すともしれない。その時、僕の知り合いが万が一この話を聞いてしまったらと思うと胃が痛い。スピラエの耳に入ることを何としてでも阻止するのは勿論だが、シランに聞かれた場合も最悪だ。ネチネチと揶揄いのネタにされることだろう。


「それでも何もないけどな。それを切っ掛けにスピラエと知り合って、いつの間にかつるむようになってた」

「魔女と非魔法適合者が?」

「ああ。そういう風によく不思議がられるけどな」


 魔法と科学という住み分けは確かに存在する。だが、友人関係を結ぶに当たってはさしたる問題ではない。

 これが僕とスピラエが出した結論だ。


「つうか、スピラエは魔法使いだけど魔女じゃないぞ」

「え? じゃあ何で迫害されてるの?」

「だから、皆勘違いしてたってことだ。スピラエは男だ、魔女にはなり得ない」


 その時、カメリアは困ったような、気まずいような、妙な顔つきをして眉を下げた。

 とても気になって指摘しようとしたが、すんでのところでそれを飲み込んだ。薄々と感じていたカメリアが隠している事実に触れてしまうような気がしたから。


「男は魔女ではない、ね。――うん、そうだ。その通りだよ」


 シナモンに包まれた穏やかな一週間の終焉は、もうすぐそこまで迫っているのだと知った。

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