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怒れる鈴懸

 アルストロメリアが何故、この街の住人に英雄と呼ばれているのか。

 もはやこの街には知らない者はいないけれど、この私が語ってあげよう。君みたいに、最近になってここに移り住んできた奴は何のことだかさっぱりだろうからね。


 スピラエって男を知ってる? まあ知らないだろうけど……え、知ってる? ……何?変人奇人で有名だって? ……ああ、まあそういう面でもある意味有名だけどね。

 でもスピラエは、もっと別の面でもよく知られた人間なんだよ、このリーゼ街においてはね。


 数年前の天使たちの言葉、君も知ってるでしょ。

「魔女を殺せ、魔法を捨てなければ『陽都』は滅びる」

 豊かな人々も貧しい人々も、あの時は何も変わらなかった。貴族や王族が魔女狩りに血眼になるのと同じように、このリーゼ街でも魔女排斥の運動が起こったんだ。

 そして、その標的として矢面に立たされてしまったのが、スピラエだった。


 え? 何で男のスピラエが魔女狩りの標的なのかって?

 ……ほんっっっとーに、信じられないと思うけどね。数年前まで、あの男は女性と見紛う程に美しかったんだよ!

 今は短い銀髪も、昔は背中まで届くほど長くてね。そして何より、無口だった。今だって黙ってさえいれば美青年にカテゴリされるスピラエだよ? そりゃあもう絶世の美少女魔女に見えたって訳。

 そんなこんなでスピラエは女だと勘違いされた挙句、魔女に違いないと決めつけられて無数の殺意と悪意に追いかけ回された。


 それを庇い救ったのが、一人の非魔法使いの少年。アルストロメリアだよ。


 あいつは公衆の面前でスピラエの首根っこを掴んだかと思うと、その美しい銀髪をばっさりと切り落とした。

 そして言ったんだ。「何故気付かないんだ? こいつは男だぞ。魔女じゃない。それ以前に何故、女で魔法を使うからといって殺されなくてはならないんだ? お前たちは結局、自分が気に入らない人間を魔女だと称して殺したいか、もしくは自分の不安感を他人を害することで解消したいだけだ。それは端から見ると滑稽で醜悪だぞ」


 そんな言葉で収束するような事態ではなかった筈だった。

 でも、どうしてだろうね。アルストロメリアの言葉には不思議な力があったんだ。その話に耳を傾けた者は、皆一様に自らを恥じた。それからというものリーゼ街では、完全にとは言いがたいものの、大っぴらな魔女狩りや魔法差別はなくなった。


 そしてアルストロメリアは正義の代弁者として一目置かれるようになり、英雄とまで言われるようになったって訳。本人は嫌がってるけどね。

 その時からだよ。アルストロメリアとスピラエが友人になったのは。勿論、スピラエがどんどん残念な変人奇人変態野郎に変貌していったのも、ね。


 ――さて、無駄話をしているうちに仕上がったよ。はいどうぞ。

 これからも天才シランちゃんの工房をご贔屓にね!







 アルストロメリアが私の工房を訪れたあの日から一週間が経過した今日、召集の連絡が寄越された。

 エンジェル・キラーの製作で忙しい私を呼びつけるとは何事だ。これで下らない用事だったらどうしてくれようか。……いや、下らない用事だった方が余程マシか。

 だが、不穏な予想ほど的中してしまうのが世の常というものである。

 私は雑然としたリーゼ街の、工房から程ないところにある酒場の扉の前に立っていた。所々のペンキが剥げたぼろい掛け看板には“close”の文字が並んでいる。看板の言葉を無視して、私は扉を押し開けた。

 不快な蝶番の悲鳴と、やけにけたたましいドアベルの音に、中にいた者が一斉に私を注目した。知った顔ばかりだ。


「シラン、来てくれたのね」


 カウンターの向こう側から駆け寄ってきた女性はカモミイル。この酒場の店主を務めている。美人店主として有名で、貧乏人の街であるリーゼ街にある店だが、彼女目当てにお忍びで飲みに来る貴族もいる程だ。

 だが、今日のカモミイルは乱れた髪で化粧すらしていない。いつも完璧に微笑んでいる彼女の姿は何処にもなく、憐れに思えるような狼狽ぶりだ。


「シラン……」

「情けない声出さないでよカモミイル」


 思いの外、私の声は冷たかった。知り合いのこういう姿を見るのは、苦手だ。いつもは理性の仮面に隠れているその裏側を覗き見てしまうようで、勝手に気まずくなってしまう。


「そう熱り立つなよ、シラン。八つ当たりしたって状況は変わらないんだから」


 すぐそばのカウンター席から、若い男が窘めてきた。名前は分からないが、顔には見覚えがある。アルストロメリアのお陰で救われた魔法使いの一人だ。

 だが、ここに集った連中に冷静な人間なんて一人もいやしない。私も含めて、だ。


「それで、状況は?」


 だからこそ、出来るだけ落ち着きを払った声で尋ねた。

 私が今しがた冷たい対応をしたからか、少しは憔悴から立ち直ったカモミイルが、沈鬱な面持ちで答えた。


「一週間経ったわ。私が魔女狩りの依頼の話をアルストロメリア君に持ちかけてから一週間。彼は帰ってこない」


 ああ、考え得る最悪の展開トップ3に入るような危機的状況だ。

 こういう展開だって、あり得ない訳ではなかった。でも、私たちは皆、心の何処かで楽観視していたのだ。アルストロメリアならやってくれる。彼なら必ず戻ってくる、と。

 甘かった。馬鹿だった。英雄と呼ばれていたとしても、実際のアルストロメリアは、ただのアルストロメリアなのに。


「私のせいよ」


 カモミイルは俯いたまま、か細い声を絞り出した。


「私が悪いの。私が、あの子に無茶な依頼なんて持ちかけたから。あの子なら大丈夫だって、根拠のない推測をして、そのせいで……!」

「やめてください」


 自責に駆られる彼女を止めたのは、薄暗いフロアの隅で静かに佇んでいた男。

 艶やかな銀髪に隠れてその表情は読み取れないが、見え隠れする眼光は人を射殺してしまえそうな色をしていた。


「やめてください。誰がなんと言おうと、アルスがいなくなった責任はワタシにあります」


 こんなスピラエの姿には、見覚えがある。

 アルストロメリアに救われてすぐの、まだ人間不信から立ち直っていなかった頃のスピラエ。魔女の容疑を掛けられて深い傷を負っていた頃の姿。


「ワタシがあの時、濃霧の中でアルスを見失ったりしなければ、こんなことにはならなかった。こんなことなら、気色悪いと罵られてでも、アルスの手を握って森を進めば良かった」

「おいスピラエ、自分を責めるなよ。カモミイルさんもさ」


 やり直せるならばこうした、ああした、と譫言を繰り返すスピラエを、カウンターの男が制止した。

 だが、スピラエは怒鳴りもしなければ泣き出しもせず、静かなままに続けた。


「いいえ。責めているのではありません。ワタシが言いたいのは、自分が仕出かしたことの責任を、どうか自分自身で取らせてほしいというお願いです」


 スピラエがゆっくりと立ち上がった時だ。非魔法使いの私ですら分かるような、重い衝撃が走った。魔力だ。重苦しく、呑み込まれてしまいそうな黒々とした魔力が、彼から噴き出している。


「スピラエ、何を……」

「ワタシが殺します」


 ――かつて、スピラエは魔女と罵られて殺されかけた。


「森に住むそいつが魔女だからではありません。そいつの罪は、アルスを奪ったことです。ワタシの責任で、あの森に住む罪深い魔女を断罪させてください――アルスを、ワタシに救わせてください」


 そんな立場のスピラエが、魔女を殺すと口にした。彼は一体、どんな面持ちでこんなことを口走ったのか。人の心に敏くない私には、理解できなかった。が、必死なのは伝わった。スピラエは今、どうにかしてアルストロメリアを取り戻したくて必死なのだ。友人を失うかもしれない局面は、誰だって怖い。

 不安に押し潰されそうな人がいた時、アルストロメリアはどんな選択をする?

 きっと、励まして力になってやるんだろう。それが正しい判断だと思って。


「スピラエ、あんた本当に馬鹿だね」


 でもここにアルストロメリアはいない。だから私は、代わりにスピラエの前に立ちはだかった。


「……ワタシは何か、間違ったことを言いましたか」

「いいや、間違ってないよ。でも馬鹿だ。だってそうでしょ? 空は青いねとか、雲は白いねとか、シランちゃんは天才だねとか、当たり前のことを今更言われても反応に困るじゃん」

「……シラン」

「アルストロメリアを取り返す? そんなの、当然でしょ」


 シランの濁った青い目と視線がかちあった。真夜中の迷い子のような孤独を湛えていた。機械弄りばかりしていたからつい忘れるところだった。機械は完全だから美しいのだけれど、人間は不完全だから美しいのだ。


「でもスピラエ、一人で行かせたりなんかしないから。私も行くよ。あんたらも行くでしょ?」


 振り返って集った奴らに尋ねる。


 今日、ここに集まった者は皆、アルストロメリアの善行に救われた奴ら。


 カウンターの男はスピラエと同じように魔法差別に苦しんでいたところを、彼の言葉に救われた。

 その隣に座る赤毛の少年は貧しさのあまり盗みを働こうとしたところを、彼に止めてもらった。

 テーブル席の双子の少女は見世物小屋で飼われていたところを、彼の手で外の世界に連れ出された。

 彼は自らの善行は単なるエゴイズムで、決して人助けではないと言うのだけれど、そんなものは関係ない。理由はどうあれ、救われたのだ。


 アルストロメリアのためだから、ここにはこんなにも多くの有志が集った。


 私の問いかけに、その場にいる全員が各々返事をした。ばらばらで纏まりはないが、向かっている方向は同じだ。

 士気の高まりで微かに温度が上昇したフロアの中で、スピラエは私にしか聞こえないほどの小さな声で呟いた。


「――アルスは、こんなにも愛されているのですね」


 嬉しさとか寂しさとかを全部ごちゃまぜにしたような困った声だった。

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