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魔女を殺す国

 

 ***


 むかしむかしのお話です。

 その世界には『陽都ひと』と呼ばれる都市国家がありました。

 『陽都』は魔法を生み出し、その恩恵を授かる、奇跡の都市でした。人々は恵まれた土地で平和に過ごしていました。

 そんなある日のことでした。『陽都』の空を白銀の霆が走り、天上の鐘が鳴り響いて、美しい天使たちが舞い降りました。後の時代の人々は、彼らのことをこう称します。


 “Demonic angel”


 ――何故って、この天使たちの予言の所為で、多くの人々が虐殺されることになったのですからね! 旧宗教の神聖の、なんと野蛮なことでしょう。

 天使たちは恐れ慄く人々に語り掛けました。


「魔女を殺しなさい。この国に潜む魔女たちは、人間にとって害ある存在です。悪い魔法で人々を誑かすでしょう。そして魔女を放逐しなければ、『陽都』は滅ぼされるでしょう。さあ人の子らよ、魔女を一人残らず根絶やしにしなさい」


 人々は怯えました。『陽都』の住人にとって、滅亡は最も恐ろしいものだったのです。豊かな生活を手放すなんて、絶対にできません。

 やがて人々は、魔女狩りを始めました。

 何処に魔女が潜んでいるかわからない。ひとりでも逃がしたら『陽都』は滅びる。国をあげての魔女の捕獲と処刑が始まりました。

 ある者は隣人は魔女であると密告しました。

 ある者は自分の娘は魔女ではないかと疑いました。

 ある者は気に入らない学友を魔女に仕立て上げました。

 大人も子供も関係なく、怪しい者は殺されました。


 それが悲劇の始まりだと、カタストロフは笑いました。



 ***





 ――人生の終焉の時、後悔しない生き方が出来ればどんなに良いだろう。


 『陽都』の整備された大通りの石畳は、見た目こそ綺麗だが、硬くて足の裏には優しくない。

 肩に背負った武器入りのケースの重みと相まって、一仕事終えた後の身体に負担を掛けてくる。

「魔女狩り、ねえ」

 赤い目を持つ不気味な少女が、森に棲んでいるらしい。

 酒場の店主から魔女狩りの依頼を押し付けられたのは、つい今しがたのことである。

 小さく溜息を零した。それを感知した魔法人形のオートマタが近寄ってきて、「コンニチハ、私トオ話シマセンカ」とプログラム通りに語り掛けてくるのを、おざなりに追い払う。

 森の奥地に棲まう魔女。その魔女は、森に迷い込んできた者を惑わし魅了すると言う。魔女狩りに向かった強者も次々にやられ負傷し、帰ってこない者までいるらしい。

 店主から泣きつかれて渋々引き受けたものの、正直なところ僕では手に負えないのは明白だ。

 昔は何を間違ってしまったのか“リーゼ街(貧民街)の英雄”なんておかしな通り名がついていた僕であるが、ここ三ヶ月で倒した敵は、近所のドラ猫と屋根裏の蜂の巣だ。そんな腕の鈍りきった僕にこの依頼とは、あの店主、遠回しに僕に死ねと言っているのだろうか。

 恨みを買った覚えはない。だが図らずも恨みを買ってしまうことも、なきにしもあらずである。僕にとって取るに足らない行為だったとしても、店主に取っては重大な出来事であった可能性は十分にある。自分と相手の価値観が常に同じではないと思い続けることこそが、人間関係を円滑にする魔法だ。――ああ、いけない。魔法はダメだったんだ。

 とにかく、僕が店主に恨まれるようなことをしたか、一つ一つ思い起こしてみよう。今日のジョッキは曇ってるな、なんてぽつりと呟いたことか? それとも店主が作ったクリーム・シチューに調味料をぱらぱらと振りかけたことが癇に障ってしまったのだろうか?

「おや、おやおやおや? そこにいるのはアルストロメリア君ではないですか!」

「うげ」

 思わず条件反射で顔を顰めるが、通りの向こう側から歩み寄ってくる銀髪の男は、僕の反応など意に介さずに近づいてきた。数年振りの再会のように両手を広げて抱擁を求めながら迫ってきたが、さっと身を引いて回避する。

「ううむ、相変わらず冷たい反応ですね、アルス」

「相変わらず気色悪い言動だな、スピラエ」

「えへへ、自覚していますよ。ワタシ、気色悪さではそんじょそこらの変態にも負けませんから」

「威張るなよ……」

「威張りますよ。それがワタシのアイデンティティですからね。アイデンティティ、重要ですよ。自分の同一性アイデンティティとは何か、アルスは考えたことあります?」

 哲学モドキの質問に「少なくとも気色悪さではないな」なんて適当に返しつつも、僕の視線はスピラエの腰に携えられた、細身な彼には凡そ不釣り合いな剣に注がれた。

 スピラエは元魔法使いだ。魔法使いも魔女に対するそれ程理不尽なものではないが、やはり酷い迫害の的となっている。魔法を捨てなければ晒し首だ。だからスピラエは杖を捨てて魔女狩りの差別から逃れた。

 そんなスピラエに魔女狩りの話をするのは、些か配慮に欠けるというものだろう。右手にある、店主に押し付けられた森の魔女の手配書をそっとポケットへ捩じ込もうとしたのだが、

「アルス、それは何です?」

 その決定的な瞬間を、スピラエは見逃してくれなかった。

 逃げ場をなくしふらふらと彷徨う僕の右手の手首を、スピラエの剣に慣れていない綺麗な手が掴む。細いくせに存外握力があった。

「アルス」

「あー、分かった。分かったって……。隠すつもりじゃなかったんだよ。でもお前にわざわざ見せたくもなくてさ」

 観念して手配書を手渡し、スピラエの耳元で囁く。

「酒場の店主、あいつからの依頼だよ。魔女狩りの」

 “魔女”という言葉に人々は敏感だ。たちまち注目を浴びてしまうこととなるだろう。だから道に行く人々に聞こえぬよう、声を落とした。

 僕の答えに瞬きと逡巡をしたスピラエは、いつものにやけ面を取り戻したかと思うと、僕の手を取った。

「ここで話すのも何ですし、取り敢えずワタシの家に来てくださいな。アルスのために用意した特別なお茶があるので。お気に入りのペアティーカップ、アルスだけには片割れを使わせて差し上げますよ」

 スピラエがいつもの調子をすぐに取り戻してくれたのはありがたかったが、ハートが飛びそうなウィンクはやめてほしい。鳥肌が立った。



 ***



「なんでしたっけ、森の魔女?」

 ところ変わって、僕とスピラエは向かい合ってテーブルに着いていた。

 古くはあるものの掃除が行き届いているスピラエの住処には、魔法道具が所狭しと敷き詰められている。本の壁を埋め尽くすのは、ほとんど魔導書だ。たまに植物図鑑と紅茶愛好家の雑誌が混じっている。

 スピラエは杖を捨てている――表向きは、捨てたことにしている。だがスピラエは、自分の家に密かに魔法道具や魔導書を溜め込み、日夜魔法研究を続けている。所謂隠れ魔法使いというやつだ。バレたら即断頭台行きである。

「そう。酒場の店主から依頼を受けたんだよ、魔女狩りの」

 水色の花柄が散りばめられたティーカップ――スピラエは同じデザインの桃色のものを使っている――で苺と小手鞠のフラワーティーを頂きながら、請け負った依頼内容を説明する。

 森に魔女が棲んでいること。魔女は多くの強者たちを返り討ちにしていること。

「森の魔女とかいう彼女が、とんでもなく愚か者ということはわかりました」

 一通り話を聞いたスピラエは、ティーカップに視線を落としたまま呟いた。

少し驚いた。スピラエが人を貶めるような物言いをするのは珍しい。だが、「お前はこんなことを言わないはずだ」とか決めつけることがどれだけ人の尊厳を踏みにじることかは、わかっているつもりだ。

「どうしてそう思う?」

静かに尋ねると、スピラエの細い指は、壁に立てかけられた杖を指差した。銀色の杖が忘れ物のように置き去りにされている。

「まるで、自分は魔女ですと宣言して回っているような振る舞いではないですか。現に行方不明者が出ているから、魔女だと疑われているのでしょう。静かに暮らしていれば、目をつけられることはなかったはずです」

「それは、何も彼女のせいで行方不明になったとは限らないだろう。勝手に迷って帰ってこれなくなったかもしれないじゃないか」

きっと、疑心暗鬼に囚われた今の『陽都』の人々なら、点と点を無理矢理つなげてでっち上げることになんの躊躇いもないに違いない。ここ数年の『陽都』には、嫌な空気が蔓延していた。息をしていると心や考え方が汚染されていくような成分が酸素に混じっている。

スピラエは机上のクッキーに手を伸ばした。軽い音を立てた噛み砕かれるのを聞きながら、紅茶のカップを傾ける。浮かんでいる小手鞠の花が揺れた。苺の香りが鼻腔をつつく。

「それに加えて、討伐に来た者たちを返り討ちにしているのもいけませんね。反抗すればますます疑われるのは当然ですよ」

「それは、自分を殺そうとする者が来たら反抗するのは自然な反応じゃないのか。殺されてしまったら元も子もないだろう」

「赤い目なんていう、いかにも疑われそうな身体的特徴を隠さないのもいけません」

「目なんて隠しようがないだろうが!」

もう我慢ならなかった。やはり、今日のスピラエはおかしかった。これは本人に直接言うべき事柄だ。

カップを置いて、向かいの席のスピラエを見据える。向こうはまたクッキーに手を伸ばしていた。

「無茶なことを言うな。そんなつもりはない行動を非難されて、魔女扱いされることもある。――それはスピラエが一番よくわかっているだろう」

「アルスはなぜ、そこまで魔女に肩入れするのですか?」

「肩入れしてるんじゃない」

僕は、僕が正しいと思うことを貫くだけだ。

「先入観で決めつけて判断をして、後悔することになるのは嫌だからだ。真実かどうかわからないうちは、疑うよりも信じていた方が後悔しないと僕は思う」

 スピラエが息をついた。深呼吸をするようにゆっくりと。しばらく沈黙が落ちて、スピラエは徐に立ち上がった。古ぼけた本棚から慣れた手つきで一冊を選び抜いた。分厚く豪奢な、だがやはり古ぼけているその本は、どうなら魔導書の類いらしい。

「あなたが森の魔女についてどんな判断を下すのか興味があります……ので、いいでしょう。ワタシが魔導書を読み解いて得た情報をあなたにお伝えします」

スピラエの声音から重苦しさが消えたので、僕の方も息をついて肩の力を抜いた。やれやれ、さてはスピラエ、僕の意思を試したな。相変わらずひねくれたやつだ。

「そもそも、今や忘れ去られている事実なんですけどね。この魔導書によると、魔女はこの『陽都』に、たった五人しか存在しないのですよ」

「え?」

 思わず耳を疑った。だったらこの国に無数にいる魔法を使う人々は何だって言うのだ。

「一から説明するとですね、同一の存在と見られがちな“魔女”と“魔法使い”には、大きな違いがあるのです。単に男で魔法を使う者が魔法使いで、女で魔法を使う者が魔女という訳ではないんです。――ここまではお判りです?アルストロメリア君」

「お、おう」

 ずいずいっとスピラエの顔が接近してきたので、たじろぎ身を捩ってそれを躱した。条件反射である。

「ならば! 魔女の定義とは一体何か?ワタシの研究結果によれば…………魔女とは元を辿ればただの魔法使いに過ぎないのです!」

「…………おう」

 拳を掲げ、重大事実のように言い放ったスピラエだが、僕はというと大した反応を返せずにいた。

 そんな僕を、スピラエは「何故驚かない?」とでも言いたげなじとっとした視線を送ってくる。だが生憎、魔法不適合者で非魔法使いである僕には、何が凄くて何が凄くないのかの判別がつかないのだ。

「えっとつまり、どういうことなんだ?」

「では、とーっても分かりやすいように更に噛み砕いて説明しましょう」

「僕が悪いのは分かってるけど馬鹿にされてる感が否めない言い方だなお前」

「まさかまさか、とんでもない。――それでですね、まず最初に、『陽都』で魔法を初めて発見した五人の女賢者がいました。彼女らは――」

 ――彼女らは魔法の存在に歓喜し、深くその道を極めた。やがて魔法の存在は『陽都』中に広まり、沢山の弟子になることを望む者たちが、五人の元に押し寄せた。

 五人は話し合った。魔法が広まり、『陽都』が発達することは良いことだ。だが、強大な力を有する魔法を、悪用せんとする者が現れないとも限らない。どうしたものだろうか。

 すると、五人の中で最も魔法を使いこなしていた、謂わば統率者のような立ち位置にあった女がこう提案する。

 自分達は他の魔法使いと画一化するため、自らを“魔女”と名乗ろう。

 そして他の魔法使いたちを正しく教え導き、彼らが道を違ったときはそれを断罪する。私たちは常に先導者であるべきだ。

 皆はそれに賛同した。

 こうして、五人の魔女に魔法を授かった魔法使いたちが次々に現れ、『陽都』の魔法は瞬く間に発達することとなった。

 つまり魔女とは、あらゆる魔法使いたちの頂点に立つ、魔法の創始者たちのことを指すのである。

 そして時は流れ、五人の魔女の血も脈々と受け継がれた。今もこの『陽都』の何処かに、魔女の系譜を持つ子孫がひっそりと暮らしているだろう。

「……なるほどな」

 研究結果というよりはお伽話を聞いた気分だが、これも立派な魔法史学の研究なのだろう。

「じゃあ僕たちは、五人しかいない魔女の子孫を殺すために何百もの冤罪を被った女魔法使いを殺してきたってわけか」

「そういうことになりますかね」

 僕はスピラエを見た。

 スピラエも僕を見た。にこにこ笑っている。

 数秒間の沈黙の後、僕はスピラエの頭部を思いっきり叩いた。

「いったあっ!? ちょ、ちょ、アルストロメリア君!? 何たる暴挙ですか! いくらワタシが気色悪いと言ってもマゾヒスティック的性癖は持ち合わせていませんよ!?」

「聞いてねえよそんなこと……つうかお前何でにやけてんだ!」

「いやあ、研究成果を人に話すのは初めてでして、嬉しくてつい口角が緩んでしまい……って、ワタシが笑ったから殴ったと言うんですかキミは!」

「ちっげえよ! 僕が言いたいのはなあ……!」

 それ以上、告げるべき言葉が見つけられなくなってしまった。

 危うく刹那的な感情に任せて、スピラエを怒鳴りつけるところだった。何故その研究成果を公表しなかった、それさえあれば殺されずに済む魔女と呼ばれた罪なき人々が何人いたんだ、濡れ衣を着せられて迫害される気持ちをお前は誰よりも知っているはずなのに、と。

 だがすぐに我に返った。もしこれを公表すれば、スピラエ自身も非難されるのだ。魔法の研究をすることすら、今の『陽都』は許しはしない。片っ端から処刑する今の『陽都』のやり方を非難するようなこの事実を公表すれば、魔女を庇っていると言われかねない。もはや『陽都』から、魔女の存在だけでなく、魔法そのものが排除されるまでは時間の問題、そういう局面まで来ているのだ。

 そしてスピラエは、殺される誰かよりも自分の方が大事だと判断した。保身を取った。自分が可愛かった。二者択一の法則だ。それを責めることは僕には出来ない。もしスピラエが保身より他人を取ったとしたら、その時こそ僕は自分を大切にしろと責めるだろう。スピラエの行動は正しかったのだ。

 だが、これで僕がこれからするべきことも決まった。

「スピラエ」

 スピラエの表情にいつもの戯けた色は見当たらなかった。まるで叱られた子供のよう。僕が喉まで出かかってすんでのところで飲み込んだ怒り、それをぶつけられると思っているのだろう。懺悔する罪人のような面持ちに、僕は心中笑った。

 スピラエは馬鹿だ。これだからお前は、非情ぶりながらも優しい。

「僕は森に行く」

「……何故。依頼だからですか?」

「違う」

 金には困っていない。店主には悪いが、この依頼は断っても良かった。

 それでも森に行こうと思ったのはスピラエのせい。いや、スピラエのお陰だ。

 往生を目の前にして自分の人生を振り返ったとき、絶対に後悔しない選択をして生きていくこと。それが、己の人生に僕が課した最大の目標だ。

 色々なことを鑑みた結果、後悔しないためには、常に正しいことをするべきだという結論に至った。

 だから僕は森へ行く。魔女と恐れられる者に会って、真実を知る。そして、自分が取るべき最善の選択をする。

「行って、かの魔女が本物の魔女なのかを見極めてくる。本物じゃないなら刺客から守る。もし本物なら……殺すべきかどうか、よく考えて判断する。よく見て、よく話して、決して間違いがないようにしてくる」

 一瞬だけ唖然としたが、スピラエには僕の持論を随分昔に話したことがある。それで合点がいったのだろう。スピラエはいつものように笑った。

「これだからキミと友達をするのは楽しいんですよね、アルストロメリア君」

「僕は変態の友達を持った覚えはないけどな」

「酷いですよアルス!」

「変態の自覚あるのかよ……」

 スピラエの微笑はやけに清らかに見えた。

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