はるかなる宇宙の神秘
彼女とつるむ様になってから数日が経過した。今日の曜日は金曜。大手電機メーカーSUNNY製の携帯端末が言う事には、現在時刻は十一時半らしい。集合予定時刻は十時だ。彼女が指定してきた。
駅前のちょいと広い広場に置かれたベンチに腰掛け、空を見上げれば曇天だった。自慢ではないが僕は晴れ女だ。どこかに遊びに行くイベントがあると大体晴れている。なのに曇天。これはあれだろう。きっと彼女が雨女で、晴れ女と雨女をぶつけた結果なのだろう。
少し離れた場所にはバス停に立ち並ぶ人々が居る。円形の道路に侵入し、待ち人を迎えては走り去っていく車がある。皆、どこか目的地に向かっていた。僕は向かえていないかった。
黙ってメールを出す。もう四件程度発信しているが返事はない。嫌がらせなのだろうか。僕は嫌われているのだろうか。だとしたら泣きたい。
「君、どこの中学?」
俯いて端末を弄る視界に影が差す。ほら来た。女の子が一人で暇そうにしていると来ると言うあれだ。チャラい金髪のニーチャン方がヤングでナウいガールと一緒にディスコで踊って、ティータイムを共にし、最後は夜の街、大人なホテルに消えていくというあれだ。分かりやすく言えばナンパだ。
だけども中学と言うのはいただけない。僕はれっきとした高校生であり、尚且つ中学生と思って声をかけるのは、重大な事案を発生させる事になる。
誤解を正し、事案の芽を潰すのは善良なる一般市民の義務だ。平穏な社会は皆さまのご協力から生まれます。ノット犯罪。僕の横の看板にもそう書かれている。
「僕は高校生……ですよ」
紺色の制服。腰に下げるは警棒とその他色々の物騒な代物。ベストには無線機が付いており、袖には黄色の腕章。書かれた文字は『少年補導員』。真面目そうな顔。頭の上にはこれまた紺色の帽子。
「……今日は創立記念日で休みなんですよ。お巡りさん」
そこに居たのは天下の公僕。警察官だった。
「あ、本当? 一応確認させてもらえるかな。生徒手帳かなんかある?」
警察に逆らっても良いことはない。それに後ろ暗い事もない。無い筈だ。露出事件はただの事故だ。それに僕だとバレていない筈だ。そう信じたいが目撃者が多すぎる。服の中では大量の汗を流しつつも、表情はにこやかにバッグから生徒手帳を取り出し、その中に挟んだ生徒証を見せつける。
「梅津歩さん。長良上高校……うん。今日休暇だね。すいませんねえ。ご協力感謝します」
「お巡りさんやけに多いですけど、なにかありました?」
確認後、一転して丁寧な対応となる。ぺこぺこと頭を下げながら返してくる。そういえば今日はやけに警官の数が多い気がする。そこかしこに一人ないしは二人組の警官がうろついているし、パトカーも何度も見ている。ここが交番前と言うだけでは説明がつかない量だ。
「ああ。ニュースでやってませんでしたっけ? 国際的な犯罪者集団が入国した可能性があるんですよ。アホ集団ですけど、はた迷惑な連中です」
「アホ?」
国際的な犯罪者集団と言う物騒な言葉と、アホと言う単語がどうにも結びつかない。それに迷惑そうな口調ではあるけど、どこか楽観的と言うべきか、ほのぼのとした雰囲気すら感じられる。一種の悟り切った雰囲気だ。きっと僕は今怪訝そうな表情なのだろう。
「ああ、ほら、あれですよ。下着泥棒の変態集団」
「ああ……あれですか」
言いよどむお巡りさんに、死んだ眼で応じる僕。きっと彼の頭の中には、僕と同じイメージが形作られているのだろう。女性物のパンツを頭にかぶった、スーツ姿の変態を。
パンツを頭にかぶって下着の窃盗を繰り返す団体。WWPBが日本に入国したと彼は告げていた。地球上に存在する。いや、現在国際宇宙ステーションに居る女性宇宙飛行士も含めた全女性の敵だ。
「是非とも逮捕してください。応援してます」
「う、うん。君も気を付けてくださいね。最近は不審者も増えてるんで。この前は女性の露出狂が出たとか……」
息が詰まった。突如浴びせられたボディーブローは、ノーガードだった腹部の急所に直撃する。冷汗が頬を伝うのが感じられる。
「ん? どうしました?」
「家の近所なんですよ……。女の恥です!」
こんな僕を見てご先祖様はなんと思うのだろう。事故ではあるにしろ、自分がやったことを他人面で罵倒するこの僕を。きっと嘆き悲しむだろう。ファンキーでロックなご先祖様だったらもしかしたら笑い転げるかもしれないが、その確率は低いだろう。
「ああそうなの。気を付けてください」
そう言って彼は通りの方へ歩いて行った。汗で服の中がダバダバに濡れた僕を残して。
疲れたと脱力すればポケットの中の端末が震える。緑色のライトがちかちかと点滅していた。メールが届いた様だった。彼女からの返信だと良いが、どうせ企業の御案内メールだろう。
指紋センサーでロックを解除。画面上部を下にスクロールし、通知欄を表示させる。差出人は高島佐那。
「んお?」
やっとこさ返信が来たみたいだった。タップし内容を確かめる。
件名はごめんなさい。本文は寝過ごした。今向かう。
「ちっ」
舌打ちの一つも出よう。端末を投げなかっただけ上等だと自分を褒めてやりたい気分だった。あと数分で来れるのかと問いかけてみる。
返信は二分後だった。件名はReだけであり、特に何も入力しなかったのが分かる。本文はあと十五分、とだけ記されていた。
ポケットからもう温くなったレモンティーを取り出し、一口煽る。残ったわずかな液体が口に流れ込み、それに比例してペットボトルが軽くなる。
すっからかんになったボトルをゴミ箱に放り込み、ベンチに再度腰掛ける。彼女が来るまであと十五分。実に暇な時間だった。
「ごめん。待ったでしょ」
彼女の声がした。ドラマでよく見るデートのシーンでの彼女役がよく言うセリフを発していた。だとするならば僕は男役か。同じような立場に立ってみて初めて彼氏役の懐の広さが分かる。僕には到底、『さっき来たばっかりだよ』、なんてセリフは言えそうにない。
イラつきを腹の底に押し込め、なんてことない様子を演じ、彼女の方へ向く。皮肉の一つでもぶつけてやろう。
「お茶が温くなるくらいには―― だっさ!?」
想像してみて欲しい。三つ編みおさげ二本を垂らした眼鏡が似合いそうな、見た目文学少女がだ。お腹にでかでかとリトルグレイがプリントされたシャツを着て、その上にアイラブユーフォーと白く印字されたパーカーを羽織っている姿を。
笑うしかないだろう。だっせえと思わず言ってしまうだろう。出来る事なら他人面して離れたいだろう。それがこっちに近寄って来るのだ。
悲しい事に、それが待ち人なのだ。
「だっさ? ああ、脱柵ね。なんでいきなり自衛隊用語を? まあいいや。待たせてごめんね。良い店知ってるの。食べに行きましょ」
「自衛隊用語? ……うん。行こうか……」
ダッサクとなんぞや。自衛隊用語が何故出てきた。そもそも僕はただ遊びに行こうと誘われただけだ。どこに行くかも聞かされていないし、何をするのかも知らない。確かに小腹が空いたけど、食事処に誘うにはちと強引じゃないかと思う。
というかシャツってネタじゃないのか。なんでそんな平然と着こなせてるんだ。
「どこに行くの?」
「ああ、喫茶店よ。美味しいのよこれがまた。ところで、私を見て何か思う事ない?」
そんな彼女が彼氏にいうようなこと言わないでおくれよ。服装にはあえて触れないようにしているんだから。それ以外には特に気が付くことはない。服装のインパクトが大きすぎる。
「え、えと。髪でも切った?」
「切ったように見える?」
僕は沈黙する。この沈黙の意味は彼女に余すことなく伝わったみたいだった。髪を切ったようになんて見えないさ。
「どう? この服、お洒落でしょ?」
冗談で言っているのか本気で言っているのか分からない。出来れば冗談であってほしい。煉瓦で舗装された様な見た目の、中々にお洒落な通りを、進行方向だけを見る事を止める。彼女の方をちらりと見る。
自慢げな顔だった。自信に満ち溢れた顔だった。
「ママー! あのお姉ちゃん――」
「しっ! ほらー孝麿君。向こうに綺麗なお花が咲いてるよー!。綺麗だねー!」
見も知らない孝麿君のお母さん。とても良い判断です。危ない物を排除し過ぎるのは逆に教育に悪いと言うけど、世の中には本当に触ってはいけない物もある。そこら辺の見極めがきっちり出来てる満点に近い対応、実に見事です。
ただ、息子さん凄い名前ですね。まるで平安貴族だ。
親心ゆえに触れさせない危険物。それに触れなければならないわが身の不幸よ。この悲しみと苦しみはどこに持っていけば良いのだろう。偉大なるハーレム神よ。ラノベの主人公よ。教えて欲しい。
「ああー……。前衛的だね。お洒落を解さない連中には理解できない超次元のファッションだね。異相次元の存在なら理解できるんじゃないか」
決して一秒以上連続して見るようなことはしない。僕の方から見える文字。先ほど気が付かなかった、腕の所に小さく印字されている文字。
『落としても文句言わねーから良い戦闘訓練の的だぜ。米空軍一同より』
恐るべし米軍。人類以上の科学力を持ち、なおかつ無限にも等しい宇宙を渡る異星の民を的と言い切れるその戦闘力。さすが地球最強の軍隊だ。映画だと毎回劣勢に立たされるが、きっとあれはリアルに描くと冒頭の十分で完結してしまうからだろう。
「あら、良い事言うじゃない。異相次元の存在って、なんかかっこいいフレーズね」
本当に彼女の自信はどこから湧いて出てくるのだろうか。脳みそ醗酵して頭蓋骨内部にガスが充満してるんじゃないか。
「ああ着いた着いた。この店よ」
「……これ喫茶店?」
「イエス喫茶店」
彼女が指さした店を見る。隣には麗しきメイド喫茶がある。きっとライバル店なのだろう。僕はそっちに入りたかった。
でも残念なことに、僕が入る店はその隣だ。
首から下が白タイツに覆われ、股間をもっこりさせた世紀末風モヒカンの男が、良い笑顔でボディーブレードやってるデッカイ看板がある。ご丁寧に飛び散る汗と、ボディーブレードがぶんぶん揺れているエフェクト付き。
店自体はどうかと言うと、黒塗りかつ、外壁のところどころに見たことも無ければ聞いたことも無い、文字とも図形とも分からない模様が、ショッキングピンクで描かれている。
隣はメイド喫茶。周囲はコンビニやら塾やらが入ったビル。本屋もある。本屋は良い物だ。ゲームセンターだってある。家電店もあり、店先では最新のテレビを宣伝している。普通の街だ。
けっしてこんなイカレた店が有って良いような場所じゃあない。
「どうしたの立ち止まって。入ろ?」
「ぼかあ隣のメイドちゃんに会いに行きたいなあ」
彼女は不快そうに眉をひそめた。
「時々思うんだけど、梅津さんってレズの気があるんじゃないの?」
「わっかんない」
ああそう、と彼女は適当な返事を一つ返して店内に入っていった。扉を開ければ鈴の代わりにプーピーと不快な電子音。客を入れる気があるとは思えないし、入っていく客なんて彼女以外には見えない。十二時に入り、食事の時間帯なのにだ。周囲にオフィスだって少なくはない。
「ちっ」
ここで立ち止まっている訳にも行かない。渋々店内に足を踏み入れる。
不協和音を乗り越えた先、意外と落ち着いた空間が広がっていた。西洋の伝統建築風の内装だ。色んな国の文化をごったにした、日本人が思い浮かべるこれぞ西洋、と言った雰囲気。例えるならば、アメリカ人が思い描いた日本像に近いだろう。中国やら韓国文化やら、そのほかのアジアンテイストが入り混じった日本家屋。それに近いだろう。
「こっちこっち」
彼女が壁際の席から手招きをする。のんびりとくつろいでいる様子からここの常連だと分かる。パーカーを脱いでいた。脱いでしまっていた。
「ぷっ!?」
シャツの背面には二人のおっさんに両手を吊るされたリトルグレイ。捕獲されてるじゃないかお前。おっさんがいい仕事したと、何かをやり遂げた人間にしか出来ない澄んだ目をしていた。
「なに笑ってるの。ほら座ったら」
「うっひっひっひ。うんひひひひひひ。それ卑怯ひいいいっひひ」
椅子に腰掛けた瞬間の出来事だった。店内にバブル期のディスコの様な、ぎらっぎらのライトやらレーザーやらが炸裂する。爆音かつ、脳みそに突き刺さる訳の分からん音楽がかき鳴らされる。
「ひいあっひゃああああああああああああ! ひいあふー! いえーあああああああああああ! ウェルカムオキャクサーン!」
バーテンダーの服着たおっさんが、店の奥からやけにハイテンションで突撃してくる。意味わからない言語をのたまいながら店のカウンターをジャンプで飛び越える。そのままターンを決め、グラスを取り上げ、空いた片手で指パッチン。店内BGMは静かなジャズに切り替わる。
「いらっしゃいませ」
打って変わってダンディーな声。布切れでグラスを拭き始める。
「え……」
「マスター。チャレンジメニュー始まったと聞いたけど?」
状況が呑み込めず放心状態の僕を余所に二人は会話を始めた。彼女はさっきのマスターと思しき不審者の奇行には何も触れない。さっきのは何だったんだろうか。僕の幻覚なのか。おかしいのはこの店ではなく僕だったのだろうか。
「何食べる?」
「え? あ……」
「おすすめで良い?」
「あ、は、はい」
出てきたハヤシライスはとても美味しかったとだけ言わせて貰いたい。なんだか悔しい気分だった。
かび臭い年代物の家具が置かれた部屋で、年季入りのソファーに腰掛けてコーヒーを優雅に嗜む。そう言われて大半の人はどんな想像を膨らませるのだろう。きっとマホガニー製の光沢美しい机とか、カチコチ音を立てる振り子時計とか、はたまた昔に使われていた雑貨だとかなんとかが置かれた棚などを思い浮かべるだろう。白髪の紳士がパイプをふかしていそうな光景だ。
僕だったらそんな光景を思い浮かべる。
彼女は現在部屋に居ない。コーヒーを持ってきて一口飲んだは良いが、お菓子を忘れてきたと言い階下に向かった。その直後に『腹痛!』と一言絶叫してから扉が乱雑に閉められる音が聞こえた。
きっとトイレで孤軍奮闘頑張っているのだろう。原因は分かっている。先ほど喫茶店で一緒に食べた昼食。そのデザートのアイスだろう。まだシーズンではないのにバケツアイスなるチャレンジメニューを掲げた無謀な店。それに立ち向かう無謀と書いて馬鹿と読む生粋のUFOマニア。
本来フードファイターが挑むべき難敵にジャンル違いの娘っ子が挑んだのだ。結果は意外や意外、彼女の勝利に終わった。きっと味覚障害と呼ぶにふさわしいいレベルのいかれた甘党舌が、その機能を十全に発揮したのだろう。是非とも亜鉛のサプリでもなんでも飲んでほしい。
数十分時を置き、真夏でもないのに敗北してしまったはちみつソースのバニラアイスが、うら若き乙女の臓物の中から逆襲したのだ。まるで現代版一寸法師だ。
正面から見つめてくるつぶらな瞳の持ち主を眺める。低身長。顔と言うより頭が大きい。肌は灰色。つるっぱげを通り越して体毛がゼロ。
アメリカのマニアが部屋に置いてそうな、皆が想像する宇宙人の像だ。像が僕を見つめていた。
半ば悟ったような気持ちで周囲を眺める。本棚には関連書籍、ちっちゃなUFOと宇宙人のフィギュア。隣の棚には隕石と書かれたネームプレートが付いた小瓶。中身の石はそこら辺の河原の石と区別がつかない。
壁一面にはミステリーサークルのポスター。机の上は訳の分からない資料の山。ベットはシーツ毛布に至るまで徹底的に宇宙人の柄か、宇宙の柄。銀河だである。宇宙の神秘がこの部屋に凝縮されている。きっと宇宙人をこの部屋に連れてきたら、ドン引きして二度と地球に訪れないと、僕のバイブルである高校入学に誓える。
ずっと浮かべている乾いた、けれども穏やかな笑顔を崩すことなく高島佐那特製ブレンドの甘ったるい泥を、ほんの一ミリグラム以下の分量だけれども、口に流し込む。流し込むというのは適切ではない。むしろ唇を湿らせるといった方が正しい。
強すぎる甘味は逆に苦く感じると聞いたことが有る。微妙に、本当に微妙に残ったコーヒーの苦みと、圧倒的な甘みが混じりあい、舌が痺れているこの感覚がそうなのだろうか。とにかくつらい。
大体これをコーヒーと呼ぶこと自体おこがましい。コーヒー風味の牛乳と呼んだ方が良い。わずかなコーヒーに大量のミルク。そして世にも恐ろしい事に人工甘味料をぶち込んで調合された劇薬。気付け薬にはぴったりだ。瀕死の人間だって蘇生する事だろう。
だってこれ、飽和してるんだもの。溶けきっていない甘味料が底に大量に溜まっている。スプーンを突っ込んだらシャリシャリした感触がある。人間の飲み物ではない。犬も飲まないどころか豚も飲まない。
笑顔でこれを差し出された時は嫌われているのかと思った。死すらも覚悟した。見た目からして白だ。コーヒー要素なんて、若干練乳に着色された茶色要素しかない。それを笑顔で飲めと、我が愛しの友人はおっしゃられた。飲むふりして難を逃れたと言いたいが、大量の特製ブレンドが唇に付着したことにより、一時的に感覚は失われた。
「世の中、色々な人種がいるんだねえ」
「宇宙の神秘は無限大! 無限大!」
僕の独り言に反応した宇宙の神秘人形君が録音された音声を繰り返す。そして黙る。地球に直接手足が生えたその姿。つぶらな黒い瞳がチャーミングポイントなのだろう。宇宙の神秘ではなく、地球の神秘だ。
「何だったんだ。今日は……」
「第一宇宙速度! 第二宇宙速度! 第一! 第二!」
「そこは第三じゃないのか……」
狂ったように宇宙宇宙と連呼する濁った眼の宇宙の神秘人形君と無気力にそれを聞く僕。
春から初夏へ移り変わる間の時期。ゆっくりと陽が落ちていき空は茜色に染まっていた。窓から見える夕日が、なんだかとても綺麗に見えた。