再会
「あ――楽しかったなあ」
一通り見て、商店街を出ると、葵さんは背伸びをする。いつも以上に笑ってて、楽しそうだった。
「ありがとう、穂乃香に、蓮。平治」
素直にそう言われると、こっちもうれしくなる。
「……あたしも、ありがとうございます」
なんだか急に、そんな言葉が出た。
「なぜだ? 礼を言うのは私のほうだが……」
「いいんです。あたしもなんとなく、言いたくなったので」
彼女は、「葵さん」だ。
あたしの母じゃない。
そもそも母と、重ねる必要はなかったのだ。そのことに気がつかせてくれた。
「そうか。でもうれしいものだな。そんなふうに言われると」
平治さんが車をまわしてくる、というので、あたしたちは3人で待っていた。
「本当に、楽しかった。これで心残りが一つ消えたよ」
その物言いに、なんとなく引っかかるものがあった。けれど尋ねる前に、
「平治の奴、遅いな。ちょっと見てくるから、おまえたちはここで待ってろ」
葵さんはあっとうまに行ってしまった。
蓮君と二人きり、バス停側に寄る。
「……ぼくも、楽しかったです」
彼が急に口にした。
「どうしたの? やけに素直じゃない」
「ぼくはいつも素直です。それよりも、ちょっと気になることがあって」
「今度は何?」
「さっき穂乃香さんたち待ってる間に、平治さんからいろいろ話を聞きまして」
「ふんふん」
あたしも少し、機嫌がよかった。そのせいかしっかり、彼の話に耳を傾けている。
「葵さんのことや、彼女の家のこと。それから、彼女のお父さんのこと」
お父さん、という言葉に、胸がわずかに痛くなる。
その時だった。
人混みの中で、あたしはある人に目がいく。
気がつくと、その人を追いかけていた。
「――待って」
背中だけだった。
なのに、わかってしまった。
思わずその人の服を、つかんでしまう。すると相手は気がついて、振り返った。
あたりまえの反応だ。
その人はゆっくり、あたしを見た。
――間違いない。
ほぼ毎日、その人を見ているのだ。空気を感じているのだ。同じ空間を所有しているのだ。
そう、間違えるはずがない。
父の、ことを。
なぜ見つけてしまったのか、わからない。あたしがどこかで考えていたせいかもしれないし、まったくの偶然かもしれない。
どちらにしても、驚きを隠せなかった。父が、いること。そして父と出会ってしまったこと。
服をつかんだものの、あたしはしばらく呆けてしまっていた。
「……あの?」
父だ。絶対にそうだ。顔は確かに若いけど、声や骨格、そして雰囲気は、二十年前でもそうそう変わるものじゃない。
「……どこかで、お会いしました、か?」
父はいつもと変わらず、やわらかい口調で話す。顔も多少戸惑っているけど、拒絶ではない。
だれに対しても、そうなのだ。
優しくて、優しすぎて、胸を痛めることも多い。あたしはそんな父が好きだけど、すごく心配になることもある。
「……あの?」
反応を返さないあたしに、もう一度問いかける。
「あ、あの……」
どうしよう。なんて言ったらいいか、わからなかった。
「――すみません、知ってる人によく似ていたものですから」
そう言ったのは、あたしを追いかけてきた、蓮君だった。
「念のため、確認させていただいてもいいですか? その……あなたのお名前は?」
「僕、ですか? 日向と言います。日向真澄です」
確信を、得る。
あたしは胸のあたりを、ぎゅっと掴んだ。
「そうですか。すみません、やはり人違いだったみたいです」
蓮君は頭を下げて、あたしの手を引く。
「失礼しました。では」
ぐいぐいと、引っ張られて、あたしはされるがままになった。
元の場所に戻ると、ようやくあたしは口を開いた。
「……ありがと」
手はまだ、ぎゅっと握られたままだ。小さいな、と思った。あたしよりも、ずっと小さい手。
「怒られるかと思ってましたけど」
蓮君は肩をすくめる。あたしは軽く笑って顔を上げた。
「もう、かわいくないなあ……」
空を見た。まだ日が高いのか、まぶしく感じる。
「さっきの……穂乃香さんの、お父さんですよね」
ちょっとだけ遠慮がちに、でも蓮君の口調は確信に満ちていた。さすがとしか言いようがない。
「そうだよ。名前聞いてくれたおかげで、はっきりした」
「名字、一緒でしたもんね」
あたしは肩の力を抜いた。なぜあんなに緊張していたんだろう。自分でも、わからない。
「若くても、父は父だね。あんまり変わってないから、すぐにわかった。でも会ったからって、どうしようもないっていうか……」
あたしが話をしたいのは、二十年後の父だ。伝えなきゃならないことは、胸の奥にちゃんとある。
「それがわかっただけでも、よかったじゃないですか」
となりを見ると、蓮君も同じように空を見ていた。
「そうかな」
「そうですよ」
「でもどうせなら、もうちょっと話したかったなあ」
「止めないほうがよかったってことですか?」
「今だから言えること」
今度はあたしが肩をすくめる。
「二十年前っていうと、社会人かあ。でもまだ仕事始めかな」
「……ちなみに、ご職業は?」
「看護師、です」
あたしの言葉に、蓮君の瞳が、一瞬大きく開かれた気がした。
「もしかして、迷ってる進路って……」
「そう。そういうこと」
本当に察しが早い。今からそんなんで、大人になってから大変なんじゃないだろうか。余計な心配をしていると、
「なるほど。他にも気になるものがあるんですね」
「まあ……ね」
「迷うってことは、まったく違う職種ってことでしょうか」
「なんか、尋問されている気分」
言葉とは裏腹に、口調は軽やかだった。
「気に障ったんでしたら、すみません。後学のため、というか、ぼくにとっても人事じゃないと思ったので」
そこまで言われて、あたしもふと考える。
「それって……蓮君も将来のことについて、悩んでるってこと?」
「大まかに言えば」
「え……でもまだ小学生でしょう。悩むにはちょっと早いんじゃ……」
そこまで、言いかけた時だった。
「二人とも、待たせたな」
ようやく葵さんと平治さんが来る。
将来の、こと。
きっとだれもが通る道だ。
そしてだれもが、一度は疑問に思う道なのかもしれない。