放課後カレー
ランチが終わって、ディナーまでのわずかなあき時間。
僕が彼女に呼び出されたのは、そんな夕刻前の事だった。
「紫水さーん、こっちこっち」
へえ、このカレー屋ってちょっと前までカウンター席しかなかったのに。
ずいぶん人気が出てきてるんだね。
そう、ここは、チェーン店でありながら本格的な味が売り物のカレー専門店だ。
移転して真新しく改装された店内には、大きめのテーブルがいくつもレイアウトされている。
そんなテーブルの1つで僕を呼んでいるのは。
最近『はるぶすと』にちょくちょくお茶しに来てくれるようになった女子高生だ。あ、もちろん最初はご両親と一緒にランチにだったんだけどね。
「ごめん、待たせたかな? 」
ニッコリ微笑んで言うと、彼女はちょっと焦りながら言う。
「いえいえ! 私も今来たばかりです! 」
と言う割には、目の前に開いたカレーのお皿があるんですけど。
僕が笑顔を深めてテーブルを指さすと、彼女は今度はテヘッと笑って言う。
「えへー、ちょっと空腹に耐えかねて…」
うんうん、若いんだね。
カレー屋に来てカレーを頼まないのは、ありえないー、かな。けど僕いま、カレーって気分じゃないんだけどな。そんな風に言うと、彼女は可笑しそうに答えてくれる。
「アハハ、紫水さんらしーい。いいんじゃないですか、飲み物だけでも」
と、目の前にメニューを広げる。
さすがはファミレスタイプのカレー屋だね。ドリンクはもちろんのこと、スイーツまで充実してるよ。僕は、無難にホットコーヒーを頼むことにする。
すると、彼女がメニューを見ながら言った。
「あー、これ美味しそうー」
「え? 」
「実はね、さっき頼んだのってミニサイズだったの。でね、思ったより量が少なくって。あーどーしよー。ええい! やっぱり頼んじゃう! 」
と言うわけで、今、僕の目の前には、とろーりチーズがかかったミニサイズのカレーと、ホットコーヒーが置かれている。
「じゃあ、これは頼むね」
そう言いながら、カレーの皿は彼女の前に押しやった。
「はい! 喜んで! 」
どこかの居酒屋のような返事をして、満面の笑みでスプーンを持ち上げる。
うんうん、若いんだね。
「ところで」
と、僕は最初の疑問を投げかける。
「なんでここなの? 」
「ハフッ。は? 」
カレーをひとくち食べた彼女が、? と僕を見る。
「君みたいな女子高生が悩みを相談するのに、カレー屋ってなんでかなーって。しかも、ここって君のテリトリーからは、かなり離れてるよね」
そう。まわりを見渡すと、この時間、テーブルの席を占めているのは野郎がほとんど。
うら若き女子高生が放課後に立ち寄るのは、かなりレアかもね。それにここって、彼女の通っている学校とも、彼女の自宅とも、少し離れている場所だ。
すると、もぐもぐと口を動かしていた彼女は、きちんとそれを飲み込んでから、おもむろに言った。
「だって、同級生には絶対聞かれたくなかったんだもの」
話を聞くと、家に帰る途中には、おしゃれだったり可愛かったりするカフェは、けっこうあるそうだ。
「けど、そういう所には絶対知り合いがいるの。で、知り合いじゃなくても制服が物を言って、誰それが男の人といた、とか、どんな感じだった、とか、そういう話は光より早く校内に伝わるの」
「ふうーん」
まあ太古の昔から、その手の話は、特に女性が絡むと電光石火のごとく広まるよね。
「で、ここを選んだの。今週はカレーがない週だからいいかなって」
カレーがない週っていうのに少し引っかかったんだけど、それはあえてスルーして、僕は先を促した。
「で、同級生には絶対聞かれたくない話って? 」
「うん、実はね、私、鞍馬さんにデートの約束を取り付けたいの。…だから、…紫水さん、協力して、お願い! 」
ははあ、恋愛が絡んでるのか。それは聞かれたくないよね。けどそうじゃなかったんだよね。
「うーん、それってかなり難しいよ。シュウはトンチンカンだもん」
「え? アハハ、そうね。鞍馬さんって堅苦しそうよね。でも、違うのよ」
「何が? 」
「恋愛云々じゃなくて、鞍馬さんとデートしてる所を、アイツに見せつけてやりたいのよ! 」
どうやら友だちの中に、大人(って言っても三十すぎたばかり)の男性と付き合ってる子がいて、その子が事あるごとに恋人自慢してくるんだって。
「大人の男性の良さは、付き合ってみないとわからないわよ、とか。デートのときもエスコートの仕方が素敵なのよーとか。包容力が断然違うわよね~、とか。あんたたちなんか、お知り合いにもなれないでしょ、ってな感じ! でね、はっと思い出したのが鞍馬さん! でね、でね。1度直接お願いしたのよお。けど、きっぱりお断りされちゃったの」
そりゃあそうだろうね。
「だから、紫水さんからなんとか頼んでほしくてー」
「ダメに決まってるよ、シュウは石頭だもん。夏樹じゃだめなの? 」
と、代替案を提示してみる。
「朝倉さん? そりゃあ朝倉さんはカッコいいけど、ちょっと若すぎるのよねー。あ、紫水さんも考えたんだけど、もうちょっと年取ってる方が良いの。その点、鞍馬さんはバッチリなのよね」
僕より年取ってるって、同い年なんだけどな。
まあ、見た目はシュウが一番おじさんだから仕方ないか。
「ね、お願い。お願い。おねがーい」
手を合わせて必死にこっちを見つめてくる。幼くて可愛いね。そのときふと、今週はカレーがないっていうさっきのフレーズが頭に飛び込んできた。
「ねえ、今週はカレーがないっていうのはどういう意味? 」
「はあ? 」
そして僕は、彼女のお母さんの話を聞き出す。
月に2回の映画半額デー。
だからその日はカレー。
おしゃれして、嬉しそうに出かけるお母さん。
僕の中に、あるシナリオがどんどん出来上がっていった。
「うん、なんとかなるかな」
「ホント?! 」
「ん、でもその前に、夏樹の前で演技してもらわなくちゃならないけどね」
夏樹を落とすのは簡単。
「え! お母さんの、う、浮気?! ええっと…、あ、泣かないで~! わかった、わかったよ。ぜえったい調べてあげねからね! 」
役者はそろったね。あとはシュウをそこに連れて行くだけ。
と言うわけで、彼女のデート大作戦は見事成功。同級生のアイツに鞍馬さんとのデートを見せつけてやってるのよー、っていう、意気揚々としたメールが届いて安心してたんだけど。
やっぱり僕はまだシュウを見くびってたんだね。
「紫水さん、お願い! 」
「もう同級生には浴びるほど見せつけたんだよね? 」
「うん、でも今度はそうじゃないのよ。私は本気よ、本当に鞍馬さんとおつきあいしたいの! だって…」
と、頬を染めてうっとり言う彼女。
「鞍馬さんって、すごく素敵だったんだもの」
あちゃー。
まいったな。
どうやら彼女もシュウ風邪にかかっちゃったみたい。
シュウ風邪って? それはね。天然の人タラシであるシュウの一時的な虜になることを、僕はそう呼んでいるんだよね。
で、無駄だと思って彼女の意向を伝えたんだけど。
「…まったく。1度だけだって言ったはずだよ。あとは冬里がなんとかしてくれるんだよね」
かたくなに拒否を繰り返すシュウ。こうなったシュウを動かすのは、ハルでも難しいかもしれないね。
シュウ風邪は放っておいても自然治癒するんだけど、それじゃあ面白くないよねー。
さあーて、今度はどんな手で、彼女を諦めさせるかな。
冬里視線のお話しです。
水曜日のカレーから少し時間がさかのぼったあたりですね。遊びで終わるはずだったデートが、ややこしいことになっています。さすが最強天然人タラシ、鞍馬 秋。
冬里も一般人相手におかしな手を使わないでね。
まだカレー話は続きそうですので、このあともどうぞ遊びにいらして下さい。




