水曜日のカレー
「鞍馬さん! 母の様子がどうもおかしいのよ」
高校生のその娘さんは、はじめてご両親とご来店頂いたあと、うちが気に入られて何度もリピートして下さっています。
「どういうことでしょう? 」
こういうときは、とりあえずお客様の気が済むまでお話しを伺うことにしています。そして後日来られたときには、ご自分からおっしゃらない限りお話しを蒸し返すことはありません。お客様のお話を、お聞きしては忘れていくのも店主の仕事といえるでしょうか。
その日娘さんはかなり焦られたご様子で、その先をお話しして下さいました。
「水曜日にカレー、ですか? 」
「そうなの! なんかね、ここんとこカレーが多いなって思ってたんだけど、それがいつも水曜日だって、最近気づいたの」
「前日の火曜日がカレールウの特売日なのでは? 」
無難な回答をお出しすると、ホケッとしていた表情が思わず笑いに変わり。
「え…。アハ、やだ鞍馬さんったら。でもね、不思議に思ったから聞いてみたのよ、母に」
「はい、それでなんと? 」
「そしたらね、ちょっとあわてた感じで、え? そうだったかしら? なんてわざとらしく言うのよ。これは何か隠してるなーって思ったんだけど。その時は聞かなかったの。でもね、よくよく様子を見てると、カレーを作る水曜日は何だかとってもウキウキしてるの、だからー」
彼女はときたまカマをかけたり、お父様にもお聞きしてみたようですが、なかなかシッポをつかませない(とは、彼女の言葉です)ので、しばらくキリキリしていたようです。
そんなとき、違う高校に通うお友だちが、お母様を街で見かけられたそうです。
「その子の通ってる学校が創立記念日でね。中学が一緒だったから、母のこともよく知ってるの。すごくおしゃれしてね、でね、とっても嬉しそうにしてたって。ねえ、これって何だと思う? もしかして、浮気? 」
「どういう、ことでしょう? 」
「だってー、晩ご飯にさっさとカレーを作って、そんでもっておしゃれして、嬉しそうに街を歩いてるなんて、誰かに会いに行くにきまってるじゃない」
お話しがよく見えなかったので聞き返すと、とんでもない答えが返ってきて、こちらも驚きです。
「ええ。確かにおしゃれして誰かに会いに行くことはありますが、それが男の方とは限らないですよね。女性同士のお集まりに行かれるときも、おしゃれにはかなり気合いが入るとお伺いしたことがありますので」
「そうだけどー」
どうも納得いかないご様子です。
「ねえ、鞍馬さん! お願いがあるの」
そして、またとんでもない事をおっしゃいます。
「今度、母のあとをつけてくれない? 」
数日後。
――誠に勝手ながら、本日のランチはお休みさせて頂きます――
店の戸口に、いきなりこのような張り紙を出させて頂くのは、これが初めてです。
私だけなら固くお断りしたのですが、間の悪いことに、この話が冬里の耳に入ってしまいました。
「ふうーん。面白そうじゃない? やってあげようよ、不貞の真相と尾行調査」
「冬里…」
「俺もやりたいっす! えーと、浮気って決まったわけじゃないっすけど、彼女、ホントに心配してて、可哀想になっちまう」
また、海よりも深いため息が出てしまいました。
まったく、この人たちは。
「仕方ありません。ただし、こんなことは今回限りですよ。もしわからなければ、今後一切この問題には関知しません」
「ラジャ! 」
「だーいじょうぶ。僕たちが失敗なんてすると思う? 」
そんなわけで、私たちは携帯を手にお母様の尾行に当たっています。
「今、×市駅の改札を出ました。×通りを北へ向かっています」
「りょーかい。予想通り百貨店前交差点へ向かってるね。そっちで待ち受けるよ」
ふたりともかなりノリノリで、こちらが恥ずかしいです。
「あれ? ちょっと方向が違う、ようです。しまった! 」
すると、夏樹が慌てた様子で連絡してきました。どうやらお母様は、2人の予想とは違う動きをされているようです。
しばらくすると、私が任された通りを足取りも軽く、本当に嬉しそうにこちらへやって来るお母様の姿が見えました。あいにく隠れられそうな場所が見当たりません。私はふと上を見上げたあと、お母様にお声をかけました。
「こんにちは、どちらかへお出掛けですか? 」
「あら、鞍馬さん? そうなの、ちょっとね。そういう鞍馬さんは? お店は大丈夫なの? 」
「はい、実はどうしても観たい映画がありまして。それが今日までですので、店の方はお休みしてしまいました」
私はそう言うと、真上にあるロードショーの看板を仰ぎ見ます。すると、お母様はなぜか嬉しそうに、手を叩かれました。
「まあ! 鞍馬さんもこの映画が観たかったのね? 私もなのよ! ギリギリひと月に1度ある、ここの映画半額デーまでだったの! もう、嬉しくって! 」
「映画半額デー? 」
「そうよ、水曜日にあるの。しかも月に2回もよ! 私若い頃から映画が大好きでね。でも、レディスデーもたびたびだと、お高くなるからかなり我慢してたのよ。それがね、あるときお友達にここのことを教えてもらって。ここってね、よそがあまりやらない、レアな映画が来ることがあるの。この映画もそうよね」
「はい」
「だから、この日はカレー作って晩ご飯の心配せずに出かけてくるのよ。そうだ、せっかくだから一緒に見ましょうよ! さあさ、行くわよ」
お母様は私の腕を取って、意気揚々とチケット売り場へ向かいます。
嫌な予感がしたのは、言うまでもありません。
「鞍馬さん…。ひどいわ…、貴方が母の浮気相手だったなんて」
「いえ、ですから」
「もういいわ、父には黙っててあげる」
「あの日は本当に偶然」
「だ・か・ら」
彼女は、いたずらっぽい笑みでウインクなどしつつ、取引を持ちかけてこられました。
「今度は、私とデートしてね! 」
カウンターには、お母様と私が腕を組んで映画館へ入っていく姿が、はっきりと写っている写真が置かれていました。その横で含みのある微笑みを浮かべるのは、誰あろう冬里。
まんまと仕組まれましたね。
まったく…。
水曜日の不可解なカレーのお話しでした。
珍しく、というより初めてかな?鞍馬くんの語りで、続けて2話お送りしました。
いつもどっしりと構えて皆を包み込む鞍馬くんですが、内心ハラハラしたり恥ずかしがったりしてるんですね。ただし、それで慌てふためいたりはしない、かな。
まだカレーのお話し続きますので、このあとも遊びにいらして下さい。