彼岸花
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その花には幻覚作用があると言う。
五感を麻痺させ、人を夢見心地にさせる。
紅の花弁。その花から発せられる甘美な香りに、人々は酔いしれる。
倉科ゆずるは、道端に生息するその花を見付けた。
毒々しいまでの紅色の花弁に、ゆずるは立ち止まり、それを見つめた。
普段使用している通学路で、空き地になっている場所に、その花はたった一輪、咲いていた。
今朝通った時は気付かなかった。否、まだ今朝は咲いていなかったのかも知れない。とにかく、ゆずるはその花に心を奪われた。
そう広くも無かったが、雑草一つ生えていない殺伐とした空き地である。その様な中に、たった一輪だけ、と言うのにも心惹かれた。
ゆずるはその花を丁寧に掘り起こすと、根を傷付けないように周囲の土も一緒に手の中へ収めた。まるで硝子細工でも扱う様な手付きで、ゆずるはそれを家に持ち帰った。
手頃な大きさの植木鉢に、ゆずるはその花を丁寧に埋めた。ガーデニングが趣味の母親の持ち物から拝借した植木鉢である。数え切れない程ある植木鉢であるから、一つ無くなっても気付かないだろう。
自室の出窓の、一番日当たりの良い場所にその植木鉢を置いた。
普段、植物や動物に滅多に関心を示さないゆずるも、その花だけは違った。
太陽の光を浴びて、美しく輝く深紅の花弁。ゆずるはその様子をうっとりと見つめた。
夜になると余計にその美しさは際立った。
月光を浴びて、艶かしく輝く深紅の花弁。甘美な香りが辺りを包み込み、ゆずるは何とも言えない心地良さを覚えた。
透き通った透明な水面に身体を委ね、ふわふわと漂う感覚。
ゆずるはその心地良さに酔いしれた。全身を委ね、深紅の花弁が誘う甘美な誘惑に溺れた。
ゆずるは毎日飽きる事無く深紅の花弁を眺めた。しかしその紅色は次第に色を失って行っているかの様に思えた。
水をあげてみた。肥料をあげてみた。
しかし結果は同じだった。それどころか悪化する一方だった。
ゆずるには植物に関する基礎知識が無い。母親にそれとなく訊ね、あれこれと教わってみたものの、花弁は徐々に色を失っていった。
なんて事だろう。
ゆずるは困惑した。深紅の花弁がなくなる。甘美な香りも弱まっている。
あの心地良い感覚は、もう得られないのだろうか。
そしてふと思い立った。
あの深紅の花弁が何かに似ている事に。
それは『血』だ。
深紅の花弁は深紅の血の色に似ている。
ゆずるは机の引出しからカッターナイフを取り出した。そして左手の人差し指にその刃をあてがった。
ぷっくりと、小さな血溜りが指先に浮き上がる。不思議と痛みは全く感じなかった。
ぽたりと植木鉢の中に垂らした。一瞬、それが喜んだ気がした。
次の日、深紅の花弁は以前の色を取り戻していた。ゆずるは歓喜した。その夜にはあの甘美な香りまでもが戻っていた。
ゆずるはまたその甘美な香りに酔いしれた。ふわふわと水面を漂い、ただただ心を無にして。
だが、その幸せも長くは続かなかった。紅色も香りも、また徐々にその効果を失った。
その度にゆずるは自分を傷付け、花にそれを与えた。
「ゆずる、大丈夫?」
血の気の失せた友人を気遣うように、緒方智夏はその顔を覗き込んだ。
ゆずるの腕には包帯が巻かれていた。そしてその顔は真っ青で、今にも倒れそうな感じだ。
この一週間で、ゆずるは急激に体調を崩して行った。辛うじて登校はして来てはいるが、その顔色からは長い闘病中の病人を思わせる。
「大丈夫?」
智里はもう一度訊ねた。
「大丈夫」
ゆずるは小さな声で答えた。
小さく答えて、ゆずるは腕を庇うようにしてその包帯を隠した。
智夏とゆずるは、小学校からの友人だった。親友とまでは呼べないにしても、一緒に遊び、一緒に下校したりと、それなりの友情はあった筈だ。
ところが、一週間前からゆずるの様子は変わり、一緒に遊ぶ事も一緒に下校する事もなくなった。それに加え、劇的なまでの体調の変化だ。
智夏は困惑した。
友人が何か困ってる事があるのであれば助けたい。そんな意思が智夏にはあったからだ。
だが、当の本人は何も語ってはくれない。それどころか完全に心を閉ざしてしまっている様に見えた。
「ゆずる、何か困った事があるのなら助けになるから。友達でしょ?ねぇ、お願い。話して」
智夏は意を決してそう切り出した。ゆずるの目は何処か虚ろで、その目が智夏を認識しているかどうかも定かではなかった。
「…本当に助けてくれるのか?」
数秒の沈黙の後、ゆずるが呟く様にして言った。
その目は智夏を捉えてはいたが、淀んでいる様に見えた。ゾクリと智夏は身を強張らせた。
「本当に助けてくれるのか?」
再度ゆずるが問うた。
智夏はこくりと頷いた。それ以外の動作が出来なかった。
ゆずるは、智夏に泊まって欲しいと言った。理由は言わなかった。智里もあえて何も聞かず、それを承諾した。
学校が終わり、一度帰宅して宿泊準備を整えた智夏は、ゆずるの家へ向かった。
ゆずるの家に到着すると、学校での様子とは正反対のゆずるが笑顔で智夏を迎えた。一瞬躊躇したが、促されるままに家へと招き入れられた。
夕食は既に用意されていた。ゆずるの母親も笑顔で智夏を歓迎し、三人で和気藹々と食卓を囲みながら晩餐を楽しんだ。
全く予期していなかった展開に、智夏は最初戸惑いを見せたものの、直ぐにその雰囲気に馴染み、楽しんだ。
夜はゆずるの部屋で寝る事になった。ゆずるのベッドの横に、母親が布団を敷いてくれた。
ゆずるの部屋はいたってシンプルで、目立った物と言えば出窓に置かれた一輪の植木鉢だった。それは深紅の花弁を持ち、窓から降り注ぐ月光に照らされて艶かしく輝いて見えた。
「いいだろ、その花」
不意にゆずるが言った。
「ああ。綺麗な花だね。何て言う名前?」
「さぁ」
ゆずるが花の傍へ寄った。窓から差し込む月光で、ゆずるの表情は窺えない。
「ふぅん、解らないんだ、名前」
「うん」
ゾクリ。智夏は身を強張らせた。何だか様子がおかしい。その事に気付いたからだ。
ゆずるの表情を読み取ろうと智夏は目を凝らしたが、逆光で窺い知る事が出来ない。
ゾクリ。
また寒気がした。智夏はゆずるの意識を他へ向けようと必死に他の話題を探した。
だが、一種のパニックに陥っているのだろうか。何も思い浮かばず、それどころか何故か恐怖心が芽生えてきた。
何故だか解らない。解らないが、怖い。怖い。k
「ゆずる」
智夏は相手の所在を確認するかの様に、呼びかけた。だが、返事は無い。
確かに目の間に居る筈なのに。
「この花はね」
ゆずるが唐突に語り始めた。
「真赤な、紅いの花弁をつけるんだ。夜になると月の光を浴びて、甘美な香りを振り撒く。そして僕を夢の世界へと誘ってくれるんだ」
ゾクリ。
「でも、最近こいつ元気がなくてさ。だから栄養をやらないと」
こいつ、とゆずるは言った。まるで恋人を呼ぶかの様に、その声には愛情がこもっていた。
「助けてくれるって言ったよね」
智夏は後悔した。
「言ったよね」
黒い影が、目の前に迫る。
「血、頂戴」
その花には幻覚作用があると言う。
五感を麻痺させ、人を夢見心地にさせる。
紅の花弁。その花から発せられる甘美な香りに、人々は酔いしれる。
ゆずると智夏は小学高学年の設定です。
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