6.私兵構想
「で。お屋敷に居られなくなったので、ウチに来た……ということですか」
我が家の玄関先で訪問客を迎えたファゼルの表情は、苦い。
「うん、邪魔するぞ。なに、すぐ安い宿を見つけ次第、出て行くから心配するな」
だが訪問客ふたりは家主ファゼルの許可も得ず、玄関に上がりこんだ。
そして散らかり放題の廊下を、我が物顔でずんずんと歩き始める。
その先には子供の玩具や読み終わった雑誌の散らかる居間、そして夕飯をとるファゼルの妻と子供たちがいる。
「デモクラシア様、す、少し時間を頂きたく……!」
ファゼルがとりつく島もない。
「あら、あらあらあら! デモクラシア様ッ!? デモクラシア様がなんでこんなところに、すぐ片づけます!」
「いや事情があってな、少し世話になるぞ」
「おねえちゃん……足だいじょうぶ? いたそう」
「ご心配なく」
「ヒバキ、オリガ、ちょっと片づけて! デモクラシア様、少しお待ちください! ちょっとあんたッ! なんでデモクラシア様がウチなんかに――!」
「あとで話す! 少し黙っててくれ!」
(面白い一家だ)
デモクラシアが元下士官ファゼルの自宅を訪れた理由は、単純であった。
父リチャルドと喧嘩別れする形で屋敷を飛び出したため、彼女は住む家を失ってしまった。そこで当面の拠点として目をつけたのが、ここ元下士官ファゼルの自宅だった、というわけだ。
(居住性は悪そうだな)
狭い玄関、短い廊下、申し訳程度の居間――ファゼル家は、ライオ家の屋敷に比べれば極めて小さい。
(が、重要なのは立地だ)
ファゼル家は悪くない場所に建っている、とデモクラシアは思う。
ファゼル家の住所は、新首都「エイシーハ」北区。人口が密集する都市部で手っ取り早く支持拡大を狙いたい彼女としては、絶好の拠点だ。
「ほら、あんたも片づけを手伝って! あたしはお茶を――」
「いやお気遣いなく。それとファゼル下士をあまり責めないで欲しい。事前に断りを入れなかった私が悪いのだ。……ところで、突然ですまんがしばらく厄介になる。よろしく頼む」
「いえいえいえいえ、我が家でよければ! どうぞお使いください!」
「……」
はああああああ……と内心で溜息をついたファゼルは、しょうがなく三女ヒバキ、三男オリガと一緒に居間を片づけはじめる。
予算に糸目をつけず、応接間がある戸建を買うんだった、と後悔しながら。
また新しい上官は酷く横暴なやつだ、とも思った。
「喧嘩別れ、ですか?」
「うん。まあ有体に言えばそうなるな」
ファゼル一家と召使セルンの総力戦体制により居間が片づくと同時に、狭い食卓を転用して小会議が始まった。
「だからもう屋敷には戻れない。
さきほど言ったとおり、私とセルンはしばらくここに世話になるぞ」
デモクラシアはファゼルの妻が淹れた麦湯を飲みながら、悪びれることなく言い放つ。
「いや……デモクラシア様。もうこの際それはいいんですが」
だがファゼルが最も懸念しているのは、そんなところではない。
「どこに住むかより、資金のことを心配すべきだと思いますがね。
これで王臣筆頭ライオ家の資産を、資金源として活動することはもう出来ません。反戦平和団体の活動資金はともかく、選挙戦に必要となる資金はどうしますか」
ファゼルが最も懸念していたのは、資金面であった。
特に新王国統一議会総選挙に必要となる費用は、莫大である。
統一議会総選挙立候補者は立候補の時点で、新王国最大紙幣600枚(肉体労働者の年収の3倍、日本円にして600万円)を供託金として、エンドラクト新王国法務省へ預けなくてはならない。さらに印刷費や広告費、事務所を構えるなら家屋費等々、選挙戦は一々金がかかる。おそらく供託金と合わせて、最大紙幣800枚は必要となるだろう。
反戦平和団体「カヴェリア」は、構成員がそれぞれ収入を得ているため、極論を言えば資金がなくても活動を続けられるが、この総選挙に必要となる金を節約することは出来ない。
「ふん」
だがデモクラシアには、既に活動資金のあてがあったらしい。
彼女は食卓に置いてあった雑記帳に走り書きすると、無言のままにセルンとファゼルへそれを見せた。
――“駐新王国・イェルガ立法国大使館が、機密費から金銭的援助をしてくれる”。
「なッ――」
ファゼルは、絶句した。
イェルガ立法国はエンドラクト新王国の南方に国境を接する小国であり、先の「大戦争」においては新王国とともに、連合国としてヴィルヴァニア帝国と交戦した友好国である。
デモクラシアは言外するなよ、とばかりにその紅い瞳でファゼルを睨みつけると、雑記張を火焔の魔術で焼却した。
一片の灰も残さず、蒸発する雑記張。
煙が空中を彷徨って消えるさまを前にして、ファゼルは我に帰った。
(待て。確かにイェルガ立法国は、新王国の友好国だ。
……とはいえ、イェルガ立法国は“国外勢力”。躊躇なく手を組んでいい相手じゃあないぞ)
「違法では?」とファゼルは、端的に聞く。
と、国内法に精通しているセルンが、すぐさま解説を入れた。
「新王国統一議会議員と政治団体が、外国人、外国組織、外国人が主な構成員を占める組織から寄付を受けた場合、これは違法となります。
しかしながらデモクラシア様は、現在は私人。
外国大使館から金銭を収受したとしても、なんら問題はありません。また機密費による援助であれば、足がつくことはないでしょう。ちなみに反戦平和団体カヴェリアも、市民団体であって政治団体では“まだ”ありません」
国外勢力からの資金調達。
その利点と問題点は、明瞭である。
(イェルガ立法国大使館が金を融通してくれるなら、資金面の問題は解決する。
が、いくら法律上問題がないと言っても、国外勢力との繋がりが露見すれば、人々の不信や非難は免れないのでは……)
固い表情のままでいるファゼルに対して、デモクラシアは微笑をたたえて「大丈夫だ」と繰り返し言った。
イェルガ立法国は、謂わばエンドラクト新王国の友邦だ。イェルガ国民もエンドラクト国民も互いを「信頼出来る同盟者」としてみている節がある。何かの拍子で事が露見したとしても、エンドラクト国民の反発は僅少だろう――そういう計算が、彼女にはあった。
(恐れるべきは、イェルガ立法国政府による活動への干渉だが――我々の反・反応弾運動や軍縮運動は、「ヴィルヴァニア帝国の軍備を削りたい」という彼らの思惑と常に一致する。問題はないだろう)
「それよりも、だ。ファゼル下士」
デモクラシアが最も懸念する点は、資金関係のところではなかった。
「仮にこの瞬間、向こう見ずな連中が襲撃計画を企てていたとする。
これに即応出来る――半日以内に召集出来る護衛の人数は、現在何名になる?」
「まず私とセルン嬢。それに近隣に住む活動に熱心な傷痍軍人数名で、まあ5、6名でしょうか」
「5、6名か。まあそんなところだろうな」
「軍拡と反応弾武装を声高に叫ぶ、過激組織“国民防衛戦線”の襲撃なら簡単に退けてみせましょう。連中に市街戦の何たるかを教育してやりますよ」
元下士官ファゼルは、にやりと笑ってみせた。
彼が仮想敵とするのは、行動派・過激派で知られる「国民防衛戦線」である。
この国民防衛戦線は、好戦的な統一議会議員や、軍需産業と関係をもつ資本家から活動資金を得ている、ともっぱらの噂になっている。もちろん反戦・平和を掲げるデモクラシアとは、どうしても相容れない存在であり、早晩対立は避けられない。
ファゼルはとりあえず、彼らの脅迫・暴力に屈しない実力養成を目指していた。
「うん。それは頼もしいな」
だがしかし、彼の上官はいつも想像の上を往く。
「ではファゼル下士。国家警察には対抗出来るか?」
「は?」
デモクラシアの下問に、ファゼルの思考はいったん停止した。
国家権力執行機関がひとつ、エンドラクト新王国国家警察。
その人員は、1万3000名。地域部地域治安維持課といった国民生活の安全を守る部署から、連発銃や長距離狙撃銃を有する警備部銃器・魔術犯罪対策課、翼竜騎を運用する警備部機動課航空警備班、機械化警官を擁する警備部機動課機械化警備班、といった新王国軍と比較しても、実力で見劣りしない部署まで維持・運営する強力な組織である。
「冗談でしょう……?」
到底、実力で対抗出来る相手ではない。
また彼らに刃向かうことは、国家権力に挑戦することを意味する。警察力執行妨害罪で逮捕されるだけならともかく、内乱罪で死刑に処される可能性もある。彼らと対決する可能性など、考えたくもない――というのが、ファゼルの正直な感想だった。
しかしデモクラシアは、そのあたりを深刻に考えていないらしい。
「いや、聞き方が悪かった。国家警察の不当な捜査・逮捕に対抗出来るか、ということだ」
「国家警察の捜査・逮捕が不当であっても、実力で抵抗することは出来ません。
活動に熱心な傷痍軍人も、私も流石に相手を選びますよ。組織的に対抗すればその場で射殺されるか、逮捕後に内乱罪で死刑です。……国家警察が立ちはだかることがあれば、政治力で排除することを考えた方がいい、と私は愚考します」
「うーん。そうか」
そこでデモクラシアは、強く思った。
(いつかは絶対の忠誠を誓う「兵隊」を揃え、彼らを顎で使いたいものだ――!)
内乱により国家転覆を謀ろう、というわけではない。
ただ「権力は暴力により保たれる(=“権力は銃口から生まれる”)」ということわざもある。
せめて国家警察に、不当な捜査や逮捕を躊躇させる程度の「実力」が欲しい――権力欲・野心に溢れるデモクラシアが忠実で狂信的な手下を、そして圧倒的な暴力を求めないはずがなかった。
(平穏無事は、ありえない)
一方のファゼルは内心、空恐ろしいものを感じていた。
一部の資本家や保守派議員を敵に回す反戦平和運動、総選挙への立候補、外国勢力による支援のとりつけ、国家警察をも恐れない言動。
……ただの婦女子が実現出来る芸当では、決してない。
ここまでが「作戦会議パート」でしょうか。
次話からはもっと様々なイベントを仕掛けていきたいと思っています。