5.決別
「我々がするべきことは、新たな戦争に備えることではない!
我々が全力を挙げるべきなのは、戦争の被害者――約40万の傷痍軍人と故郷を焼かれた同胞への救済である!
そしてこれは、我がエンドラクト新王国一国だけが抱えている問題ではないのだ! 全世界の国々が凶悪なる戦禍に喘いでいる。そんな時分に再・軍拡競争など、馬鹿馬鹿しいとは思わないかッ!?
だがしかし国内にはこの惨憺たる実情を無視し、再び戦争を望む排外主義・軍国主義・私欲至上主義勢力――簡単な言葉で言い換えれば、“人間の屑”が存在している!
彼らに対して我々は、断固として対決しなければならない!
では戦争を望む“人間の屑”とは、誰のことか!
その筆頭は現職の、トルンパ・アーミン・トラディッス新王国統一議会議員!
資本家のヴィワリオ・ミテイ・ミスハサ!
彼らは私利私欲のために戦争を歓迎し、また望んでいる! ……」
蜜柑、と大書された木箱の上に飛び乗り、路上で演説をぶつデモクラシアの周囲には、自然と人だかりが出来た。障害者、青年、浮浪者、主婦、少年、会社員――様々な社会階層の人々が、彼女の一挙手一投足を注視し、その言葉に酔う。
軍縮の必要性と生活保障制度の充実を、国内のみならず世界全体へ呼びかけよう。
だがその前に国内の反・平和主義者――人間の屑どもを排除しなければ。
彼女が発信する言葉は、過剰で、過激で、強力だったが、人々の心をよく毒した。
(「常に明確な敵を作り、それを罵倒する」――素晴らしい人気取りの手法だな)
演説をぶつデモクラシアの傍らに常に控え、仲間に無言で指示を飛ばす護衛役のファゼルはそう思う。
反戦平和団体「カヴェリア」結団から3日。
デモクラシアの街頭活動は、順調な滑り出しを見せていた。
特にエンドラクト新王国の新首都「エイシーハ」における彼女の演説と、駐新王国ヴィルヴァニア帝国大使館前における反・反応弾運動の反響は大きかった。
彼女の支持者・協力者は、デフェンマン上級大将、召使セルン、ファゼルのたった3名から、爆発的に増加。平和運動には単なる労働者や傷痍軍人が参加するだけでなく、一部の新聞記者や芸術家達も肩入れしつつあった。
(怖いぐらいにうまくいってる)
ファゼルは群衆に気を配り、手信号で部下の退役軍人達に指示を下しながらも思う。
戦争に疲弊し、苦しい日々を送る人々は、無意識の内に「責任者」「敵」を求めていたのかもしれない。
そこに「敵」を明示して、それを徹底的に弾劾するデモクラシアが現れたのだ。
彼女に支持が集まり、運動参加者が爆発的に増加したのは、当然と言えば当然の流れであった。
そのあたりを理解しているのか、彼女は徹頭徹尾攻撃の手を緩めなかった。
軍縮運動や反・反応弾運動等の反戦平和運動に賛同しない人間を、「反知性主義者」「反人間主義者」「人間の屑」「善良な国民を苦しめることが生きがい」「戦争を娯楽に感じる人種」「世界中の糞を掻き集めた値打ちもない人間の顔をしたなにか」と、あらゆる誹謗中傷の言葉を尽くして非難した。
そして過激な言葉の数だけ、彼女は支持者を増やした。
「……。
仮に彼らの政治・経済活動をこれ以上許せば、何が起きるか?
……それは、再びの戦争だ!
エンドラクト新王国民500万は死滅し、後には戦争で儲けた金で優雅に暮らす一握りの裏切り者だけが残るだろう!」
だがファゼルには、懸念もある。
(急激な支持拡大と過激な言論――。
彼女に「敵」と名指しされた軍備拡張路線の提唱者や一部資本家が、「反撃」に移るのも時間の問題だろう)
これだけ激しい非難をされて、黙っているはずがない。
しかもその反撃手段が言論である保証は、どこにもなかった。
むしろ権力と金が有り余っている彼らは、もっと直接的な解決手段を選ぶかもしれない。
(……想像より厳しい仕事になるな)
ファゼルは内心、この仕事を請けたことを後悔し始めている。
◇◆◇
その晩、王臣筆頭ライオ家の屋敷に戻ったデモクラシアは、最初の障害と対決することとなった。
「単刀直入に言うぞ、デモクラシア。投書や演説といった反戦活動のいっさいをやめろ」
デモクラシアの父――ライオ家当主リチャルド・レオハルト・ライオの書斎に呼び出されたデモクラシアは、久方ぶりに説教を食らっていた。
「黙っていても、お前がやっていることは全部知っている。
新聞だって読んでいるし、お前が街角に立って色々と喚いていることはトルンパ殿から伺った。デモクラシア、お前は――」
「なら話が早い。私はこの国と世界の未来を危惧しているのです。いま行動を起こさなければ――」
「うッうん」
安楽椅子にかけた50絡みの男は、わざとらしく咳払いしてデモクラシアを黙らせる。
「いいか。
このエンドラクト新王国では、最高法・国内法ともに言論の自由を認めている。
それは誰にも侵害出来ない権利だ。当然、俺がお前の運動を強制的に止めさせることは出来ない。
だからこれは、懇願だ。運動を止めてくれ。でなければお前は、トルンパのような保守派議員や一部の資本家に謀殺される」
(しかも俺は、お前を守ってやることは出来ない)
王臣筆頭ライオ家は名誉と莫大な財産をもつ名家であり、王室・貴族・軍部とも密接な関係を維持している。だがしかし新興勢力――軍需産業等に関係する議員連中・軍部保守派・資本家と対決するほどの政治力はない。
……さりとてリチャルドは、愛娘を諦めたくもなかった。
リチャルドにとって次女デモクラシアは、妻リパブリアとの最後の子供だった。彼は近代医学・伝統的魔術による治療もむなしく、産褥熱で亡くなった妻に「この娘を何不自由もなく育ててみせる」と誓ったのだ。
「考え直してくれるか、デモクラシア」
「……直接的な妨害があることは、すでに想定済みです」
「連中の影響力は強大だ!
ごろつきの襲撃程度ではすまないぞ。国家警察さえも敵に回るかもしれん」
「なら国家警察を潰します」
「馬鹿野郎ォ! そういう次元の話をしてンじゃないんだよ!」
ついにリチャルドは、怒声を張り上げた。
なぜそこまで自身の娘が反戦平和運動に固執するのか、彼にはわからない。
だがしかしここで退けば、デモクラシアが手の届かない場所に行ってしまうことは分かっていた。
「地に足つけて、現実的に考えろ!」
暴力を辞さない敵対勢力に、デモクラシアと反戦平和団体が勝てるはずがない。
政治力でも同様だ。いまは言論・宣伝で人気を集めることが出来ているようだが、それも保守系大手新聞社が「デモクラシアは売国奴」「デモクラシアはヴィルヴァニア帝国の手先」と触れ回るまでの話であろう――少なくとも、リチャルドはそう考えていた。
だが一方のデモクラシアは、顔色ひとつ変えず平然としていた。
そして、言い放つ。
「……お父様のご忠告はそれだけですか」
「なに!?」
「ご心配なく、私はこの闘争に勝ちます」
「お、待てい!」
踵を返して退出しようとするデモクラシアに、面食らったリチャルドは安楽椅子から立ち上がる――が、「次は新王国統一議会の議場でお会いしましょう」と拒絶の言葉を投げつけられて、硬直してしまう。
「では」
リチャルドは立ち上がりかけた中腰の姿勢で、扉の向こうに消えるデモクラシアを見つめることしか出来なかった。反戦平和運動のみならず、統一議会総選挙立候補さえ目論んでいるとは――リチャルドはあまりの衝撃に、しばらく思考を放棄した。