3.宣伝戦開始
“……(前略)我々は未だに危険な綱渡りを続けている。
我々が「軍拡反対」「戦争反対」の声を上げないまま逼塞し、世界各国が大戦争の教訓を忘れたままでいれば、第2、第3の大戦争は再び起こり、億単位の生命が失われるであろう。
またこれまで荒唐無稽と考えられてきた、「全面戦争による人類滅亡」の可能性も真剣に論じられるべきである。1発で10万の人々を消し飛ばす反応弾を撃ち合う戦争が勃発すれば(後略)……”
中央大陸暦950年・新王国暦109期
雨の月の2日 『日刊 新王国』寄稿欄
デモクラシア・オルテル・ライオ「大戦争の教訓を忘れるな」より一部引用。
◇◆◇
国内視察から我が家に戻ったその日から、デモクラシア・オルテル・ライオは自分の部屋に篭りきりになった。
年季が入った机に向き合い、ただひたすら用紙に筆記具を走らせる。
執筆しているのは、新王国内で発刊されている新聞へ寄稿する反戦論。
総選挙前に自身の存在感を強調し、また都市部の知識人を味方につけるには論壇に立つことだ、とデモクラシアは考えたのである。
「……“たしかに開戦の直接的な原因は、覇権主義に傾倒したヴィルヴァニア帝国にある。だがしかしヴィルヴァニア帝国首班と軍部を非難し、弾劾していれば”……? 少し書き直した方がいいか? ……うー、詰まったな」
「デモクラシア様。休憩なさいますか」
「うん、そうする」
背後から声を掛けられたデモクラシアは、うーんと背伸びすると、首を回して筋肉をほぐし、さっさと用紙と筆記用具を片付けてしまう。
そして彼女が机の上を片付けるのを見計らって、デモクラシアの後ろに控えていた召使が、ティーカップの乗ったソーサーを机上に置いた。
「ご苦労、セルン」
デモクラシアはカップに口をつける前に、ソーサーを持って来た召使をねぎらった。
だが濃紺を基調とする制服を纏った召使、セルンは、無表情のまま頷いてみせただけで何も返事をしない。ショートカットに切り揃えた黒髪と漆黒の瞳が印象的な彼女は、極めて無口であり、普段から必要最低限のことしか喋らないのだった。傍からすれば不遜・怠慢にも思えるが、デモクラシアはそれを彼女の魅力のひとつと捉えている。
(ただまあ、こういうときに困るがな)
セルンは雑談の相手にはならない。
デモクラシアは無言で、ティーカップを口につけた。
セルンが淹れたのであろう紅茶の風味は、完璧だ。デモクラシアは満足した。彼女は能力のある人間が好きであり、かつ自分に都合が良い人間がもっと好きだった。彼女にとってセルンは能力といい、その忠誠心といい、その両方を満たす稀有な人間である。
ティーカップの中身が空になったところで、デモクラシアは「そうだ」と椅子を動かして、座ったままセルンに向き直る。
「ところで聞きたいことがある」
「はい」
「父上は私が引き篭もっていることに関して、あとは私が新聞へ寄稿した論説を読んで何か言っているか?」
傲岸不遜、唯我独尊のデモクラシアであっても、頭が上がらない人間がふたりいる。
ひとりはエンドラクト新王国国王陛下。
もうひとりは父――王臣筆頭ライオ家当主、リチャルド・レオハルト・ライオである。
デモクラシアは父にいっさい相談せず、言論活動を開始していた。また最近デモクラシアは部屋に篭りきりであり(食事も部屋で摂っているため)、父と顔を合わせていない。
……彼女は市井の少女と変わらず、父と話をするのが億劫であったのだが、同時に最大の支援者にも、最大の敵にも成りうる父の反応を気にかけてもいた。
「セルン、どうだ?」
「なにも」
セルンは直立――といっても、黒のニーソックスに包まれた彼女の左脚は変形しているため、姿勢は若干左に傾いている――のまま、言葉少なに否定した。
「本当か? もう少し詳しく話せ」
「はい、デモクラシア様。
ご存知のとおり、あの男は複数の朝刊を購読しております。当然、デモクラシア様が寄稿された論説文も読んだことでしょう。ですが私の知る限り、彼は感想や批評を口にはしておりません。またデモクラシア様が御部屋にて執筆活動に邁進されていることに関しても、特には」
「そうか。……ありがとう」
セルンの言に、デモクラシアはとりあえず安堵した。
と、同時に悩んでもしまう。
(議会総選挙に立候補する旨、いつ切り出すべきか――)
デモクラシアは、父が苦手であった。
父は自分が自由に出来ない存在であるどころか、自分に干渉して操作することが出来る存在である。誰かにへつらったり、お伺いを立てるのが我慢ならない彼女にとって、父親は顔さえ合わせたくない人間と言えた。
「デモクラシア様」
「うん?」
色々思案しているところに珍しくセルンが話しかけてきたため、デモクラシアはいったん思考を止めた。
「どうした」
「デモクラシア様の崇高な思想は公に認められるでしょう。
しかしながら、好戦的な、野蛮な、非知性的な連中が、この新王国にも一定数存在することを忘れてはいけません。遅かれ早かれ、そういう反動どもが雇った私兵の襲撃があると愚考いたします。
具体的には排外・差別主義の権化トルンパ・アーミン・トラディッス。
軍国主義者どもの首魁ヘイトル・タイジウ・スリニ新王国軍上級大将――」
デモクラシアはなんだそんなことか、と思いつつも、付き合ってやることにした。
「そのときはセルンが守ってくれるではないか、心配はしていない」
「私ひとりでは限界があります。彼らが冒険者を雇い、刺客として放ってくる可能性も考えられますので」
令嬢渾身の冗談にもセルンはくすりともせず、無表情を保ち続けている。
セルンが笑ってくれないとまるで私が馬鹿者ではないか、と思いつつもデモクラシアは、咳払いした。
「実はちゃんと考えている」
「そうでしたか。出過ぎたことを申し上げました」
「いや。そういう細かいところまで気が回るあたりが、セルンの良いところだ。
……すぐに私は反戦の精神の下で組織を作ろうと考えている。そしてそこには、デフェンマン上級大将に紹介してもらった退役士官を参加させるつもりだ。彼らに私の護衛をやってもらう」
「なるほど。ですが、御身には細心の注意を払ってください。
ああいう連中は、我々人間の常識では到底思いつかないような、卑怯な策を平気で弄するものです」
セルンの言葉に抑揚はない。
だが好戦的な人間への嫌悪感は、隠しようがなかった。
戦火により故郷と左半身の自由を失った彼女は、好戦的な軍人や政治家を嫌悪している。一方で困窮していた彼女を拾い上げ、彼女と彼女の一家を救済したデモクラシアには絶対の忠誠を誓っていた。
セルンの素っ気ない言動から滲み出た感情。
それに触れたデモクラシアは、満足した。
「うん。気をつける。……もう下がれ。休憩は終わりだ」
「はい」
セルンは自由な右手で空のティーカップを乗せたソーサーを持ち上げると、一礼して踵を返す。そして不自由な左足を半ば引き摺るようにしながら、デモクラシアの部屋を退出した。
一方のデモクラシアは頬杖をついて自分の前髪を弄りながら、自身が率いる反戦団体について夢想しはじめた。
実を言えば、彼女はこのまま3ヶ月後の新王国統一議会総選挙に臨んだとしても、間違いなく当選するであろう、と楽観的に考えていた。
競争性のある一般枠に、高級貴族の令嬢が立候補する――その話題性は高い。
(だが組織づくりも疎かには出来ない)
今から反戦団体を作ったところで、次の選挙までに支持母体・集票組織へ急成長させることは困難だ。だがしかし平和主義と思想的に相容れない排外主義者や、軍国主義者達の襲撃から身を守る私兵組織にはなるだろう。
(そして最終的にはこの国を牛耳る「多数派」にしてみせる)
……立憲君主制の国家において、多数派であることは絶対的な正義である。
【セルン・アカタシ・ペイン】
人類女性。初登場時の年齢は16歳。
王臣筆頭ライオ家に仕える召使であり、デモクラシアに10年来の忠誠を誓っている。
ショートカットに切り揃えた黒髪と漆黒の瞳が魅力的な女性だが、表情は常に硬く、周囲の人々には、「冷徹」「無感情」な人間であると勘違いされている。またセルンは身体的なハンデ(左腕に軽度の麻痺、左脚の変形、慢性的な神経痛等)を抱えており、彼女のことを知らない人間からすれば、その姿が奇異に映ることがある。
彼女は常に濃紺を基調とした召使用の制服を纏い、許されている限りデモクラシアに付いて回る。というのは彼女が、儀礼から外国語、国内法・国際法に精通している優れた召使であり、同時に魔術・射撃・医療を体得している心強い護衛役でもあるからである。
セルンがデモクラシアに忠誠を誓う理由は、その過去にある。
彼女は地域紛争の最中に重傷を負い、命からがら難民としてエンドラクト新王国に入国したものの、彼女と彼女の一家は酷く困窮していた(食糧や住居は新王国が支給したものの、彼女の医療費や現実に生活する上で必要な現金がなかった)。
そこに当時6歳であったデモクラシアが現れ、彼女を拾い上げたのである。「素性の分からない者を雇うわけにはいかない。しかも左半身が麻痺しているのでは、召使として役立たない」とデモクラシアの父は彼女を叱ったが、彼女は父の言を無視し、デモクラシアはセルンを事実上の「直参の家来」としてしまった。
これによりセルンと家族は、貧困から脱することが出来た。以来、彼女はデモクラシアに忠誠を誓い、公においても私事においても、その期待を裏切らない働きをしている。
また地域紛争により故郷を追われた過去からか、彼女は好戦的な軍人・政治家、戦争自体を嫌悪している節がある。