29.大戦略
先の世界大戦を乗り越えたエンドラクト新王国には、問題が山積していた。
戦地帰りの男性たちが帰郷することで全国的に国土の復興ははじまり、市井の生活は自然と息を吹き返し、国内経済は緩慢に回復するだろう。
が、エンドラクト新王国の財政は破綻する可能性を抱えたまま、当分は予断の許さない状態が続くと考えられている。
6年間弱という長期に渡った戦時中、エンドラクト新王国は国体の存亡を賭け、死ぬもの狂いで国内外向けの戦時国債を限界まで刷り、決死の覚悟でそれを捌いた――そして停戦後、今度は死ぬもの狂いで返済をしなければならなくなった。戦時国債で調達した戦費は、国家歳入の5、6倍であり、当然これは数年、10年程度で償還できる額ではない。
また戦没者の遺族に対する弔意金と遺族年金、戦傷者に対する保障が、小国のエンドラクト新王国にとって馬鹿にならない額に上っており、財政をさらに圧迫している。
支出の爆発的増加。
……対する収入は、戦前に比べてきわめて減少している。
いくつかの例外を除いて、都市部や工業地帯はヴィルヴァニア航空艦隊の絨毯爆撃によって消滅している。当然ながら第2次産業、第3次産業からの収益は、大きく減退しており、こちらも戦前水準まで回復するには数年はかかる。
総力戦を戦い抜いたエンドラクト新王国ではあるが、一部の官僚や議員が「さっさと降伏してヴィルヴァニア帝国の属領になったほうがまだ良かった」、とうそぶくほど窮乏しているのだ。
さらに、外に目を向けてみる。
エンドラクト新王国をとりまく国際情勢は、いまだ不穏だ。
戦争は終結した――わけではない。連合各国とヴィルヴァニア帝国陣営が交わしたのは、とりあえずの停戦協定と、たった1年間という期限付和平条約。3000万の死者と1億を超える身体障害者を生み出してなお、得られた“平和”はその程度のもの。1年後に再び和平条約が更新される確証は、ない。
しかもエンドラクト新王国を初めとする大陸中部の国々では、「再びヴィルヴァニア帝国の宣戦布告が、大陸中部の国家に対して為された場合、リランド民主共和のような大陸西部の大国が友軍として参戦してくれる可能性は低い」という噂が流れ始めている。
市井から政府首脳部にまで厭戦気分が蔓延する大陸西部の国々は、遠く離れた大陸中部の国々を助けるために再戦などしないだろう、というのである。
最悪の場合。
エンドラクト新王国や大陸中部の国々は、独力による防衛戦争に臨むことになるかもしれなかった。
所謂「詰み」に近いこのエンドラクト新王国で、責任ある立場――大臣の座に就きたがる物好きな人間はそうそういない。
新王国暦109期に召集された新王国統一議会は、国民の代表たる議員を各行政の長――大臣職に据えることに膨大な時間を浪費した。
政党内閣制を採るリランド民主共和ならば、最も多くの票を獲得した政党が内閣を組織するが、エンドラクト新王国は政党内閣制を採らない(そもそも表立って議員がつるみ、徒党を組むこと自体が忌避されている)。新王国統一議会は、立法機関であると同時に、行政機関でもあるのだ。
各行政の長となる大臣職は、統一議会全議員242名から立候補者を募り、その後、議員同士の互選投票によって決定する。そうすることで国民の代表たる議員が、各省庁の官僚たちを統率する、という建前が完成している。
が、この109期新王国統一議会では、大臣職に立候補する者はほとんど現れなかった。
心身ともに消耗する重責と、昼夜を問わず新聞記者に追われる生活が待っていることを思ったとき、大臣職は誰もが就きたくないと考えるものなのである。
しかも大臣職といっても、実際に物事を動かすのは他でもない官僚だ。大臣職の権限は小さく、野心家の議員からしてもうまみは少ない。そのくせ、なにか問題があれば責任をとる立場であるから、いよいよ成り手は少なくなってしまう。
大臣職の任命という些細な問題により、貴重な時間が浪費されていき――ついに統一議会議長を務める国王が重い腰を上げ、議員たちへ自ら説得にあたった。それにより、ようやく109期新王国統一議会における諸大臣任命が成り、統一議会本会議を開くことが可能となった。
……こういった事情もあり、デモクラシア・オルテル・ライオは所謂“1年生議員”でありながら、それなりの役職を得ることが出来た。
“外務副大臣”、デモクラシア・オルテル・ライオ。
それが彼女の肩書きである。
◇◆◇
「最悪の事態を考えた場合、我がエンドラクト新王国は、単独で対ヴィルヴァニア帝国戦に臨まなければならない。もちろん通常兵器の質・量、人的資源の面で、彼我は比較にはならない。敵に侵略を躊躇させ、そして有事の際の切り札となるのは、唯一“魔力反応弾”しかない」
醜い古傷で顔面を彩る男、新王国軍上級大将ヘイトル・タイジウ・スリニは、臆することなく堂々と魔力反応弾武装論を述べる。
対して小会議室に詰めた他の十数名の反応は、芳しくない。
彼らは外交・国防問題の解決を目指す、109期新王国統一議会出席者の有志から成る「エンドラクト新王国外交・国防小会」。軍部枠により議会に出席出来る新王国軍上級大将4名や、国防意識の高い議員、外交に精通する議員が集う、国政にも影響を与えられるだけの一党である。
「戦略的には戦争抑止力となり、戦術的にも強力な反応弾がなんとしても必要なのだ」
「で。その金がどこにある」
強弁を続けるヘイトル上級大将に対し、半ば呆れて口を挟んだのは、翼竜騎兵用の戦闘服に身を包んだ痩せ気味の男――ミネーテン・サカス・ゲンダリオン上級大将。新王国軍航空総隊司令官を務める彼は、航空戦力の拡充に身命を賭する狂信的「航空主兵論者」であるが、航空戦力とは無関係な他人には厳しい現実主義者であった。
「魔力反応弾の実戦化には決して短くない研究期間と、そして新王国最高紙幣が4、5億枚(=日本円換算で4、5兆円)は必要になる。これは無理だ。弱りきったエンドラクト新王国の財政で、この額はどうあがいても捻出できん」
この意見については、満場一致。
デフェンマン・アルン・コルンス上級大将、新王国軍中央兵站本部長を務めるアバッハ・ヴェルゼルシ・ガトナ上級大将も同様に頷き、もちろん軍部枠外の議員もそれぞれ空戦狂の意見にそれぞれ賛意を示した。
だがヘイトル上級大将は、あくまでも持論を堅持する。
「確かに並大抵の努力では、予算を捻出することは出来ない。だがエンドラクト新王国400万の民が草木を食み、木の根をかじってでもやるしかないのだ。その他にエンドラクト新王国が生き残る術はない」
「いや、ある」
よく通る凛とした声による反論。
外交・国防小会の構成員たちが、いっせいに声の主の方向へ視線をやる――その先には自信に満ち溢れた挑戦的な表情を浮かべた少女がいる。
「デモクラシア・オルテル・ライオ議員……」口を挟まれたヘイトル上級大将であったが、彼は不快や怒りの表情を浮かべることはなかった。むしろ逆で、興味や期待を込めて聞き返す。「では貴女ならどうするというのだ?」
エンドラクト新王国外交・国防小会の構成員は無言のまま、値踏みするような視線をデモクラシアに向けている。
鳴り物入りで政界入りした彼女だが、その実際的な政治能力は未知数。
(名実ともに優れた新人議員か、それとも家名に頼る令嬢議員か)
評価を下すのにちょうどよい機会だ、と外交・国防小会の構成員はみな思う。
それを知ってか知らずか。
デモクラシアは堂々、短く言い放った。
「エンドラクト新王国は、外交力で生き残る!」
「外交力?」
「次なる戦争において、リランド民主共和をはじめとする大陸西部国家の支援がある可能性は薄い――危機感を持っているのは、われわれエンドラクト新王国だけではない。我が友邦。先の大戦で辛酸を舐めた大陸中部の国々は、みな危惧しているはずだ」
(そこで大陸中部国家を束ねた新軍事同盟を完成させ、ヴィルヴァニア帝国に対抗する――か)
ヘイトル上級大将をはじめとする構成員たちは、内心で失望した。
目の付け所は悪くはない。が、誰もが一度は思いつくであろう、平々凡々とした案でしかない。
「デモクラシア議員。簡単には言うが、ある程度の規模の新軍事同盟を完成させるにはかなり骨が折れる。それに悔しいがな。我が新王国に協力的な大陸中部の友邦数ヶ国が束になったところで、ヴィルヴァニア帝国にはかなわない」
ミネーテン・サカス・ゲンダリオン上級大将が、デモクラシアに対して諭すように反論する。
が、デモクラシアは不敵な笑みを浮かべ、余裕の態度を崩さない。
「数ヶ国? 軍事同盟? 誰がそんなことを言った」
「なに?」
「私は大陸中部の全国家を、統合するつもりでいる」
デモクラシアがぶちあげた壮図に、誰もが思考を一瞬停止させた。
その隙を、彼女は逃さない。
「在野の頃から考えていた私個人の構想だ。個々の国が総力戦体制を築き、連合して戦うなど非効率的――常にヴィルヴァニア帝国の脅威に晒されている大陸中部の国々が生き残るには、平時からあらゆる国がひとつの統制の下に動くべきだ」
「馬鹿な……国家統合など」
ヘイトル上級大将は、無意識の内に震えた。
壮大に過ぎる戦略だ。というよりこれは戦略ではない。夢想だ。
同じく現実主義者の航空屋ミネーテン上級大将も、動揺したままに口を挟んだ。
「だいたい国内でさえ反対者が噴出するだろう、国外の連中も抑えなければならん。未曾有の大事業だ、そんなものできるはずがない。政治体制も統合軍の指揮系統も――すべて新たに作らなければならない、無理だ」
「無理ではない。可能だ」
が、動揺する構成員たちとは対照的に、彼女は力強くうなずいた。
「イェルガ立法国。アブソリウト連合王国。シルスタス大芸術国家。コウネリチルナ主体共和国。そしてコミテエルス共同体。こうした国々の首脳たちは、すでに私の構想に賛同してくれている」
「きょ、虚言としか思えん」
「虚言かどうかは、すぐ分かることだ。数日後に私は“国際平和機構の創設”という意見書を発表するが、それに各国の要職が賛同してくれる手筈になっている」
「……コミテエルス共同体と手を組むなど、正気の沙汰ではないぞ」
誇大妄想だ、と首を振る彼らを前にしても、デモクラシアは揺るがない。
彼女は突如として顔面を凍らせ、冷徹な表情を張りつける。それからエンドラクト新王国外交・国防小会の会員ひとりひとりを、その燃える灼眼で見据えた。
「この後我々は生き残るため、悪鬼にでも助力を乞うべきだ。国民の生命よりも国家の主義主張体面を重視するなど、馬鹿馬鹿しい」
それから彼女は、もう一度決断的に言い放った。
「エンドラクト新王国は、外交力で生き残る!
産業、経済、人的資源、軍事力、そのすべてで劣る我が国が一国でヴィルヴァニア帝国に抗し得る道理などない。
……ならば足りないものは、外に求めるしかないだろう。あくまで私個人は魔力反応弾に反対だが、必要とあらばリランド民主共和に供与させればいい。どうせ大陸西部の国々は、われわれ大陸中部国家を盾にしたがっているのだ。ならば我々は十分な対価を求めてもいいだろう」
静まり返った構成員たちを前にして、「だが」とデモクラシアは言葉を続ける。
「この大戦略も、私の独力では完成し得ない。どうか協力を頼む」
想定外の戦略案。未曾有の壮図。
夢想としか思えない大戦略に、外交・国防小会の会員たち――新王国軍上級大将たちから古参の議員までは、顔を見合わせるばかりで即答を避けた。




