2.令嬢と閣下の密約
新王国軍中央大廃兵院は、戦傷兵3971名を収容する軍事施設である。
大戦争で重傷を負った彼らはここで治療を受け、社会復帰を目的とした身体機能回復訓練に励み、いずれ退院して郷里へ帰る。
あるいは――不幸にも重度の介護を必要とする者は――この施設で一生を過ごす。
ここを訪れたデモクラシアら一行は、解説役のデフェンマン上級大将と施設の責任者の案内の下で、かなりの時間を施設見学と戦傷者との交流に費やした。
当初、デフェンマン上級大将以下軍関係者は、うわべの綺麗なところだけをデモクラシアに見せるつもりであった。
だがしかし、それでは彼女は満足しなかった。
悲惨な戦争の実態に嘆き悲しみ、将兵達の自己犠牲に心打たれる(演技をしたい)彼女は、より多くの戦傷兵や重体の戦傷兵と話す機会を求めたのである。
「その、ひ、ひどい戦いでした。
去年の冬はとてつもなく寒くて、あと吹雪がひどくて。
視界が悪くて、じ、じう(銃)は何の役にも立ちませんでした。
おれの親友のカンローは、戦う前に凍え死にました。
パンもがちがちに凍りついたので、斧で割って配りました。
寒さと雪で死ぬかと思ったとき、ビルバニア(ヴィルヴァニア)の連ちうが来ました。
吹雪でしうじう(小銃)を撃つ暇もなくて、おれは前の敵を円匙で殴りました。
……それからはよく分からないです。気づけばここにいました。
その、指は何本かなくなってしまいましたけど、でも生きててよかったです。村も大じう夫みたいですから、もう少ししたら帰ります。デモクラシアさま、話を聞いてくれてありがとうございます」
「言っちゃ悪いが、戦争のおかげでご覧の有様だよ。
……まあここでの暮らしは悪くない。“十分すぎるくらいに”戦傷者年金も出るし、なんとかやっていくつもりさ。
願わくは将来、俺たちのことを忘れて戦傷者年金や遺族年金を減額したり、廃止したりしないでもらいたいもんだね。
これは脅迫ではなくてあくまで忠告だが、こうした福祉の制度が削減されるようなことがあれば、俺たち戦傷者の幾許かはあんたらを許さないだろうよ。刺し違える覚悟、捨て身でなにかやるさ」
「デモクラシア様は戦況が悪化してもなお、エンドラクト新王国領内に留まっていらっしゃった。
私が所属する第19歩兵連隊を、戦時中に訪問してくださったこともありました。たいへん尊敬しています。父や妹にも自慢したいです」
「みなさんに褒めて頂くようなことは、何もしてないです。
僕が配属されていた防御陣地はひたすら砲爆撃の目標になっていましたから、それを地下壕でずーっとやり過ごしてたってだけです。
気が狂った奴も出ましたけど、みんないまは元気になりました。
……この勲章ですか?
これは撃墜された友軍騎を助けるためにちょっと遠出したとき貰ったもので、本当に大したことはないんですよ。
こっちの傷はヴィルヴァニアの空中強襲連隊の融合騎にやられたものですけど、もう直ってます。
ただ不死者に噛まれた時の傷がぐずぐずでなかなか……。
この傷が完治したら都会で仕事を探します。
僕の村はその、もう廃村になってしまったようなので」
デモクラシアは時間が許す限り、戦傷兵達の話を聞いて回り、そして彼らを激励した。
調合薬と血、糞尿の臭いが入り混じった空間へも彼女は平気で入っていく。
その姿に施設関係者はもちろん、戦傷兵達も慌ててしまう。
と、同時に彼らは畏敬の念さえ覚えた。
片腕片脚を吹き飛ばされた戦傷兵達と、面と向かって話そうとする令嬢など早々居るものではない。
王臣筆頭ライオ家次女の来訪に、感動のあまり涙ぐみ、ついには号泣する将兵まで現れるほどであった。
だが戦傷兵の中には、高級貴族を快く思わない者も当然いる。
「この偽善者がッ――だいたいお前らが戦争をおっ始めたんだろうが!」
彼らがデモクラシアを口汚く罵る一幕もあったが、彼女は逃げることもなくその批判を受け止めた。
「申し訳ありません、デモクラシア様!」
「おい貴様っ、この御方は王臣筆頭ライオ家次女――」
「構いません。開戦の責は私にもあります。彼の指摘は正しい」
自身に対して批判的な戦傷兵の罵詈雑言を、デモクラシアはむしろ好ましく思った。
こういう発言を許すことで、器の大きさを周囲に誇示したり、他の貴族の子弟よりも人徳がある、と印象づけることが出来るからだ。デモクラシアの目的はもっぱら「戦傷兵や周囲の歓心を得る」「反戦・平和への関心がある、と周囲に知らしめる」ことにある。
一部の戦傷兵に罵倒されたり皮肉られたところで、どうと言うことはない。
◇◆◇
「兵もたいへん喜んでおりました。ありがとうございます」
「いやこちらこそありがとう、上級大将閣下」
戦傷兵の慰労を終えたデモクラシアは、離れの一室でデフェンマン上級大将と遅い昼食を摂った。
質素な机に並ぶ料理は、この廃兵院で食べられている廃兵院食である。
これは当初、高級貴族の子女に相応しい昼食を準備しようとした人々を、「戦傷兵の人々と同じ物を食べよう」と制したデモクラシアの希望だった。水を大目で炊いた粥と薄いスープ、摩り下ろして柔らかくした魚肉――健康な人間にはとっては物足りないが、体力の落ちている戦傷兵にはうってつけの献立を、彼女は喜んで食した。
そして簡素な食事を終えた後、デモクラシアは上機嫌で上級大将と会話を交わした。
「しかし戦争とは不愉快なものだな。
戦争は労働人口を拘束し、消耗させる。戦費も馬鹿にならないが、崇高な自己犠牲の精神を発揮してくれた英雄達と、英雄の遺族に支払う年金の額も膨大だ。
そしてなにより戦争がなければ、膨大な死者と重傷者達はいまも平穏な日常を過ごしていただろうに」
「仰るとおりです。その責任は抑止力としての役割を果たせなかった、そして終始劣勢であった我が新王国軍にあります」
「いや、貴官らが悪いのではない。
私は思うに――戦争という存在を必要悪として、また選択肢のひとつとして許容している国際社会・世界各国が諸悪の根源なのではないかな?」
熱っぽく語るデモクラシアを前に、デフェンマン上級大将はいちおう頷いた。
「……たしかに全世界の国家と人々が戦争に対して、強い嫌悪感を持てば戦争は起こりません」
だがそれは理想、夢想でしかない。
国民の生活に責任をもつ国家同士の利害の調整は、時に話し合いでは解決出来ないことがある。そうした場合には、やはり両者は力に訴えて相手を屈服させ、納得させるしかない。
戦争根絶など、稚気じみた夢だ。
(デモクラシア様は聡明なお方だ。それが分からないはずがない)
だがしかしデモクラシアの表情は、真剣そのものである。
「大戦争の戦禍を誰もが経験した現在だからこそ、戦争撲滅を声高に叫ぶべきだと私は考えている。
戦争反対、戦争根絶、軍備縮小、世界平和。
非現実的、夢想だと言って諦めるのは容易い。だがしかし挑戦しなければ、人類文明は発展しない。
希代の大嘘つきと指弾されたビサス・グェ・ライオは、ついに翼竜の人工繁殖に成功させ、人類文明全体に寄与した。ファーネン・ピロウ・アルンは散々馬鹿にされながらも、誘導能力をもつ魔弾の開発に成功した。
そしてヴィルヴァニア帝国の干渉軍を前に、クライスラ・モセン・エンドラクトが独立を決意しなければ、今日のエンドラクト新王国はない!」
彼女の気迫は凄まじい。
デフェンマンはその勢いを前にして、彼女が自身の戦争論を冗談ではなく本気で語ったのだ、と確信した。彼はやはり(戦争撲滅など唱えるだけ無駄だ)と思っていたが、心のどこかでは(この娘ならやれるかもしれない)とも感じていた。
そんな彼の心中を知ってか知らずか、デモクラシアは紅の瞳に燈す火炎を爆発させた。
対面に座るデフェンマンへ、ずい、と上半身を乗り出して早口でまくしたて始める。
「上級大将閣下。これはまだ父にも相談していないことだが……。
私は、次の新王国統一議会総選挙に、一般自由枠で立候補するつもりでいる!
これは議員として世界平和に関する私の意見を広く表明し、諸外国の連中に反戦を説くためだ。ライオ家次女、という肩書きは国内ならともかく外国では通用しないのでな」
「そうですか」
「だがしかし私は自由選挙を勝ち抜くために必要なものを、何ひとつ持っていない!
……そこでどうだろう上級大将閣下。
平和への投資と思って、私を支援してはくれないだろうか?」
と、ここまで一気に喋り終えたデモクラシアは、ふうと一息をつくと、背もたれに寄りかかって目を閉じた。続いて、乱れた息を整える。
一方のデフェンマン上級大将も、瞳を閉じて思案した。
(国際的に反戦運動が盛り上がることは、新王国と新王国軍にとっては利益に繋がる。
新王国は小国だ、軍事力に注げる予算には限界がある。もし再び周辺諸国が無秩序な軍拡競争を始めれば、新王国はそれに付き合うことは出来ない。彼我の軍事力の差は、悪夢的なまでに拡大する。
だがここでデモクラシア様が国際的に反戦運動を巻き起こし、軍縮の風潮を生み出せれば――)
「いいでしょう、デモクラシア様。
ただ確認しておきますが、軍部がデモクラシア様を応援することはありません。あくまで私が、一個人として支援するだけです」
デフェンマン上級大将は彼女を支援することで、自身と新王国が不利益を被ることはない、と判断した。
ちょっとした冒険にも思えるが、ここで反戦運動の首魁となるデモクラシアに恩を売っておけば、将来の反戦運動をある程度は操作出来る。反戦運動は諸刃の剣だ。周辺諸国に運動が波及せず、国内だけで盛り上がった場合は目もあてられない。
一方のデモクラシアは、「本当か! ありがたい!」と無邪気に手を打って喜んだ。
「それで、デモクラシア様。必要な支援というのは……金銭でしょうか?」
「それもある! もし父が私の出馬を許さなかった場合、立候補等の選挙戦に掛かる金は、そっくり全部自分で調達しなければならないからな。勿論、上級大将閣下のほかにも、金銭面での支援はとりつけてあるが……。
閣下には、“人”も紹介して欲しい」
「“人”、ですか?」
これはデフェンマン上級大将にとって予想外の依頼であったが、理にはかなっている。
「金」「人(=候補者の支援スタッフ)」「縁(=コネ)」。
この3つがなければ選挙戦は戦えない、というのが、新王国における常識である。
仮にデモクラシアがライオ家当主である父の了承を取り付けられなければ、当然彼女はライオ家の「人」を動員出来ず、ひとりで選挙戦を戦わなければならない。
そうした事態を回避するための方策か。
「ですがデモクラシア様、私が新王国軍将兵を率いて選挙戦をお手伝いすることは出来ません。新王国軍は公の秩序を守る――」
「それはわかっている。デフェンマン上級大将には、退役した士官や下士官、予備役の士官から信頼出来る者を紹介してもらいたい。それと選挙戦が始まったら、ここの戦傷兵にもそれとなく私が立候補することを報せてやってくれ」
新王国軍の現役兵を動員しての手伝いは出来ないが、退役士官の紹介であればなんら問題はない。またデモクラシアが立候補することを知った戦傷兵達が、自発的に彼女を手伝うことも同様である。
デフェンマン上級大将は「なるほど、了解しました」と返事をして、うなずいた。
「うん。よろしく頼む。上級大将閣下の支援は、私にとっては1個師団による援護のように、心強く思える。
だがしかし、さすがだな貴官は! 市井で“新王国軍の良心”と呼ばれているだけのことはある!」
「いえ、“新王国軍の良心”などと――ただ給料分の働きをしているだけです」
「では私も上級大将閣下の支援の分だけ、存分に働こう。
……なに、貴官の意図するところは分かっている。私が反戦の一大旋風を起こせば、周辺諸国の国民は軍縮を叫ぶようになる。そうなれば新王国が侵略される可能性は、ぐっと減るだろう」
政治に関わる話はそれでいったん終わり、あとは他愛のない雑談が続いた。
この後の旅程について、茶葉の話、菓子の話――上級大将は談笑しながら、内心でこの密談を省みる。
(デモクラシア様に支援を約束したのは早計だったか?
いや私が断ったところで、彼女は諦めるような性格ではないだろう。
ならば先程の考えのとおり、我々軍部が彼女の運動に干渉出来る余地を残しておいた方がいい。仮に議員となった彼女がなにか大失敗を犯したとしても、この程度の個人的な支援なら、私が責任を追及されることはないだろう……)
「いやしかし、デモクラシア様。新王国統一議会総選挙はきっかり3月後ですから、組織づくりを急がなくてはなりません。立候補表明は2月後ですが、その前に存在感も強調していかなければ」
「うん。いま幾つかの新聞に寄稿の準備をしているところだ。街頭で活動する予定もある」
デモクラシアは精力に溢れていた。
上機嫌で自身の戦略を述べると、「どうだろうか」とにこにこと笑う。
十代らしい笑顔と、紅の瞳を輝かせる彼女を前に、デフェンマン上級大将も毒気を抜かれて、つい笑ってしまった。
【デフェンマン・アルン・コルンス】
人類男性。物語開始時点の年齢は58歳。
エンドラクト新王国の軍事組織、エンドラクト新王国軍の高級将官であり、階級は新王国軍上級大将。上級大将という階級は組織内において、上から2番目(元帥・上級大将・大将……と続く)であり、上級大将は新王国軍全体でも4名しか存在しない。また上級大将は設けられている軍部枠により、新王国統一議会へ(選挙を経ることなく)議員として出席する権利が認められている。そのため上級大将という地位にあるデフェンマンは、軍部内において強い発言力を持つばかりか、国政にも「軍部の代表者」として一定の影響力を持っている。
このデフェンマン・アルン・コルンス新王国軍上級大将の性格を言い表すならば、穏健・堅実であろう。無欲でもある。これまで協調性と堅実な仕事ぶりによって、昇進を重ねてきた。一方で政敵や敵軍の奇策、意表を衝いてくる作戦には弱い。また自身がそういった投機的な戦略・戦術を採ることもほとんどない。
先の大戦中は東部方面軍総司令官として、東部戦線(対ヴィルヴァニア帝国戦線)を指揮。堅実な作戦指導により、ヴィルヴァニア帝国軍の新王国占領を阻止した。
だがしかし彼自身の成功とは裏腹に、彼の家族は大戦争の戦禍を免れることは出来なかった。中隊長として東部戦線へ参戦した彼の長男と、徴兵された貿易商の次男は戦死している。




