1.廃都視察
【デモクラシア・オルテル・ライオ】
主人公。人類女性。物語開始時点の年齢は16歳。
エンドラクト新王国の建国に携わった重臣の末裔、王臣筆頭ライオ家の次女。業火を連想させる紅の瞳と、肩まで伸ばした銀髪が外見上の特徴である。
その美しい容貌から国民の人気は高く、また高級貴族令嬢という立場は、知識人や政治家を惹きつける。だがしかし彼女がもつ最も強い武器は、心中に秘める頑強な意志と手段を選ばない非情さである。恐るべき野心家であり、権力を握るためならば、収賄・脅迫・拉致・殺人と違法行為も辞さない。
大戦争の最中は都市部を離れて疎開していたものの、彼女自身の強い希望もあって、エンドラクト新王国領内に踏み止まり、新王国軍の激励に努めた。
更に彼女は戦後すぐに王臣筆頭ライオ家当主である父を動かし、戦禍に苦しむ国内を視察して回る旅行に出た。国内視察の表向きの理由は様々(新王国軍将兵の慰労・都市部の復興状況の確認等)だが、真の目的は単なる「人気取り」にすぎない。
地平線の彼方まで広がる焦土。
ヴィルヴァニア帝国西方に存在する小国、エンドラクト新王国の領域は荒廃し、未だ復興の目途は立っていない。ヴィルヴァニア帝国航空艦隊――大型爆撃騎1000騎編隊による執拗な絨毯爆撃により、エンドラクト新王国の名だたる都市圏と穀倉地帯は、文字通り消滅していた。
国土に万単位の弾痕を残し、終結した「大戦争」から1ヶ月。
新王国暦109期・緑の月の27日。午前。
王臣筆頭ライオ家次女、デモクラシアは、瓦礫と廃材の山の前を前にただ立ち尽くしていた。
彼女の長靴が踏み締める大地は、灰と骨が混じる焦土。
目の前の廃墟には戦前、20万を超える人々の生活があった。
……が、いまはない。
戦禍に苦しむ国民と戦傷兵を激励し、国土の現状を視察するためのこの旅路の途中、幾つもの荒野と廃墟を見てきたデモクラシアでさえ、呆然とさせられる光景であった。
「ここが……?」
「はい。にわかには信じられないと思いますが、かつての新王国首都カヴェリッタです」
デモクラシアの傍らに立つ解説役を務める初老の武官は、彼女へ静かに告げる。
が、デモクラシアは首を横に振った。
「この屑の寄せ集めが――!」
齢16歳の貴族令嬢には、理解出来なかった。
デモクラシアは、カヴェリッタという街をよく知っている。
新王国首都カヴェリッタは純白の漆喰で化粧された街並みと、今時珍しい石畳の路地が美しい街であった。
公衆衛生が高度に発達しており、汚物はおろか塵屑ひとつない道々。
等間隔に並ぶ街路樹は、季節の移ろいに合わせてその姿を変え、人々の目を楽しませた。
彼女にとってカヴェリッタは、ただ美しいだけの街ではない。
市域全体を城壁が囲み、巨大な城門がそびえる「絶対不変、不動の存在」でもあった。
特に古代に築かれた城壁は、壁全体に聖句や魔法陣がびっしりと書き込まれており、戦前までは「7指間(=210mm)級重砲を運用する砲兵連隊の集中射でも、傷ひとつつかない」「ヴィルヴァニア帝国魔術教導隊の支援を受けた数個歩兵師団でさえ、カヴェリッタ攻略には数月を要するだろう」と評されていた。
それが、こうなるとは。
「――この屑の寄せ集めが、世界で最も慎ましやかで美麗なる都市、カヴェリッタだというのか!」
「その……とおりです、デモクラシア様。ヴィルヴァニア帝国のたった1発、1発の反応弾が、このカヴェリッタを灰と煤と瓦礫の街に変えたのです。反応弾とは魔力が分裂する際に発生する――」
「黙れ! 貴官は私に敵の優れた戦術や技術力について講義して、だから新王国軍は被害を予測出来なかった、攻撃を阻止出来なかった、とでも言うつもりか!?」
デモクラシアは肩までかかる銀髪を振り乱し、解説役の武官を指弾して怒声を浴びせた。
彼女の薔薇が如き、紅玉が如き、地獄の業火が如き、紅の双眼は激しく燃えていた。頬は紅潮し、銀眉は吊り上がり――彼女の整った顔立ちは怒りで歪んでいる。
対する武官――濃緑色の制服を金糸と勲章で飾り立てた初老の男は沈黙し、ただただ少女の視線を受け止める。
また他の随行員達はみな歯を食い縛り、批判を甘受する。そうして憤怒の表情を浮かべる少女の顔と足元に広がる焦土の間で、視線を行ったり来たりさせていた。
彼ら随行員らは、みな少女の言葉がもっともだと思い、偏に自身の無力さを悔いていた。
新王国統一議会議員も高級官僚も新王国軍高級将官も、誰もが現代兵器に対する認識が欠けたまま、戦争に臨んだ。
――多少の犠牲は出るだろうが、それは新王国軍の将兵。
しかもそれは一握りの、不幸な将兵だ。
とりあえずこの戦争、我々は参加国数・人的資源・生産量で優っている連合陣営に与している。この戦争の勝利は、もはや間違いない。戦後にはヴィルヴァニア帝国の脅威は消滅し、幾許かの賠償金と発言力が得られるはず。
もしかすると新領土まで獲得出来るかもしれない――。
その程度。
彼らにはその程度の、甘い認識しかなかったのである。
「犠牲者数は?」
「このヴィルヴァニアの卑劣な攻撃により、カヴェリッタ市民86791名が――」
その彼らの心情を知ってか知らずか、デモクラシアは激昂した。
「ヴィルヴァニアが、ヴィルヴァニアの卑劣な攻撃が、ではない!
貴官らが、カヴェリッタをつまらない廃墟にした!
貴官らが、カヴェリッタ市民86791名を殺したッ! そう心得ろ!」
自責の念から沈黙したまま、不動の姿勢を取る随行員達。
一方のデモクラシアは、崩壊して黒い灰が積もる瓦礫の山――かつての首都カヴェリッタの城門を睨みつけると、しばらく何も言葉を発しようとはしなかった。
風が吹き抜けると、灰が撒き上がり黒い旋風になって一行を襲う。
それでもデモクラシアは、自身の純白の婦人服や、美しい銀髪が汚れることを厭わず、ただただ辺り一帯を見回していた。
……実際のところデモクラシアの心中に、市民の生命を悼む感情などまったくない。
(この大都市を灰燼にせしめるとは!
軍事力とは、国家の暴力装置とは、なんと強大な力か――!)
むしろ彼女は、カヴェリッタを消滅させた帝国軍の威力に強く惹かれていた。世
界を支配し、問答無用であらゆる構造物を消滅させられる圧倒的な暴力。
軍事力とは、デモクラシアが欲して堪らない力のひとつだった。
だがしかしそれを口にするほど、彼女は無神経ではない。
それから5詠(=約5分)ほど、彼女はかつての城門前に立ち尽くしていた。
が、ふと我に帰ると、視線を自分に付き従う随行員達へと戻した。
すでにその顔面から、険は消えている。
それどころか、寂しげな微笑さえ浮かべていた。
そして事もあろうか、彼女は随行員達に頭を下げた。
「いや。その、すまない。
私はたったいま思わず貴官らを侮辱したが、その言葉を撤回させて欲しい。
私にもまた、カヴェリッタ市民の生命を守ることが出来なかった責任がある。責任を転嫁し、怒鳴りつけて申し訳なかった」
この謝罪に随行員らは首を振り、皆口々に「いえ、そんな」と言った。
実際のところこの少女、デモクラシア・オルテル・ライオに責任はまったくない。
名家として知られる王臣筆頭ライオ家の人間であっても、彼女は何ら権限のない次女だ。エンドラクト新王国の国政を動かす新王国統一議会へ、高級貴族枠で出席出来るのは、ライオ家であっても当主――彼女の父親のみである。
初老の武官は責任感の強すぎる少女へ、諭すように言った。
「デモクラシア様。責任はもっぱら新王国統一議会に参加する小官のような一部将官や、同じく議会の出席者にあります」
だが今度はデモクラシアが、首を振る番であった。
「いや、違う。この戦禍の責任は、貴官らだけにあるのではない!
私にもある。正確にはこの地上に存在する諸国家に属する全人類に、その責任はあると思う」
「と、仰いますと」
「世界各国が相互に軍事同盟を締結した際、誰もがそれを自国防衛のためと喜んだ。
両陣営が反応弾を実用化した時、誰もがそれを新たな抑止力になると喜んだ。
だが誰ひとりとして“判断を間違えた”時のことを真剣に考えてはいなかった。
誰かが警鐘を鳴らさなければならなかったのに、私や他の人々は終始、無関心だった」
随行員達は、沈黙した。
ある者は感銘を受け、ある者は考えすぎだと責任感が強すぎる少女を憐れんだ。
彼女の言は、悪く言えば生意気な空想に過ぎなかったし、これを中高年の学者が説けばみな笑ったに違いない。だがしかし生意気な空想を語ったのは、むさ苦しい男ではない。名家の令嬢。
彼らは、もっぱら好印象を彼女に抱いた。
……そのあたりの感情の機微を、デモクラシアは計算済みである。
(うまくいった)
心中で彼女は、微笑した。
実際のところ彼女はひとっ欠片も、開戦に対する自身の責任を感じてはいない。
(もし仮に戦前に反戦を唱えていれば、“あいつは馬鹿だ”を後ろ指をさされるのが精々だっただろうよ)
世界各国の軍事同盟締結。大国による反応弾開発。こうした恐怖・脅迫的政策が、均衡・平和を生み出していたも事実である。
そんな「不安定な平和」を享受していた人々の前で、仮に反戦平和運動をやったとしても、ほとんど意味をなさなかっただろう。
……だがしかしデモクラシアは、そんな思考を億尾にも出さない。
そのまま「責任感の強い高級貴族の令嬢」としての発言を終えた。
それから溜息を、ひとつついた。
「自分語りというか、無駄話が過ぎた。上級大将閣下、この廃都カヴェリッタを是非見学したいのだが、予定はどうだったかな」
「デモクラシア様、見学は不可能です。
現在のカヴェリッタは危険です。路面の崩落が至る所で確認されており、下水道・地下道には不死性の怪物が棲みつきました。復興も始まりません――怪物の掃討や土壌汚染の調査を急がせておりますが、恐らく今後10年間は復興に着手出来ないでしょう」
「うん……そうか。むしろ上級大将閣下、このカヴェリッタは復興を試みることなく、このまま保存した方がいいのではないか?」
「その意図は?」
「再び侵略を企む覇権主義者や、反応弾を信奉してやまない軍国主義者といった反知性的連中がまた現れるとも限らない。そこで人々には、反応弾のもたらした災禍がいかなるものかを知ってもらいたい。
……実物があるかないかでは、教育の効果が違うだろう」
なるほど、と随行員の何名かは首肯した。
また、とデモクラシアは、まだ話を続けた。
「誤解を恐れず言えば!
これだけの戦禍を経験して、まだ過剰な軍事力と膨大な数の反応弾が平和を担保する上で重要である、と考える人間は馬鹿か狂人だ。
だが将来現れるかもしれない人間の屑――覇権主義的・排外主義的指導者は、馬鹿か狂人であるが故に、“反応弾がもたらしたカヴェリッタの惨劇など虚偽で、記録は後世に捏造されたものだ”などとのたまうかもしれない!
そういう事態が起こる可能性を考えると、カヴェリッタは廃都のまま保存した方がいい」
……端的に言えば、デモクラシア・オルテル・ライオこそ人間の屑である。
彼女の構想は、市民86791名が落命した街を見世物として晒す、ということだ。
これは国際社会に向け、エンドラクト新王国が「大戦争の被害者」であることを強調する「政治」。そして今後必然的に盛り上がる反戦運動や、反・反応弾運動にて新王国が有利な立場になるための「政治」でもある。
だが随行員の中でこの胸糞悪い「政治」に気づいた者は、そうそう多くはなかった。
解説役の武官――デフェンマン・アルン・コルンス新王国軍上級大将は、彼女の真の目的がカヴェリッタの政治利用にあること。そしてデモクラシアの本性に薄々気づいたが、特に異論を差し挟んだりはしなかった。
国際的な反戦運動や、反・反応弾運動の興隆。
これにより周辺諸国が軍縮に着手すれば、新王国軍としては大いに助かるからである。
「……たしかに仰るとおりです」
「常勝の貴官に賛成してもらえると、私も嬉しい。
不遜に思われるかもしれないが、もしよければデフェンマン上級大将閣下には、次期新王国統一議会にこのカヴェリッタ保存の提案をして欲しいのだが」
「はい。微力ではありますが小官、必ずや次期議会にて被爆都市カヴェリッタの保存を献策いたします」
「うん。ありがとう」
デモクラシアが自分よりも40年は長く生きている上級大将に笑いかけ、場の空気が和んだところで、一行は廃都カヴェリッタの視察を切り上げ、近隣の新王国軍中央大廃兵院に向かった。
講和より僅か1月。
長きに渡った大戦争の戦禍に苦しむ国内を回るデモクラシアの視察は、この時まだ始まったばかりであった。




