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17.法治国家にいてはならない怪物

 中央大陸暦944年、風の月の10日。早朝。


 エイシーハ中央区の街路樹に、死体がひとつ吊り下げられていた。その姿は凄惨である。半裸に剥かれ、全身に痛々しい打撲痕を残した死体の姿は、出勤する人々を驚愕せしめた。明らかに自殺ではない。

 そして死体の首には、看板が1枚括りつけられている。


「私は売国奴です。

 死してお詫びします」




◇◆◇




「……以上、被害者は4名。被害者はみな撲殺された形で連日、発見されています。

 この執拗さといい、みな“売国奴です”“ヴィルヴァニア帝国の手先です”といった札を括りつけるあたりといい、おそらく国民防衛戦線といった過激な保守派の犯行だと思われます」


 その2日後。

 カヴェリアの主要な構成員たち十数名は、高級宿泊施設の一室を借り、緊急会議を開いていた。看過できない事態が進行中であった。連日、カヴェリアの構成員が襲撃され、物言わぬ死体にされて吊るされている。

 円卓に着席し、不安や怒りの表情を浮かべる参加者たちを見回したファゼルは、言葉を続ける。


「エイシーハ国家警察署刑事課が、現在これを殺人事件として捜査中とのことですが、信頼できるかはわかりません。

 我々は早急に、自衛の態勢を整える必要があります。未だ構想段階ではありますが、有志から成る複数個の警備分隊を創設し、夜間巡回をするべきかと」


「いや、それでは甘くはないか。

 これは明らかに国民防衛戦線の脅迫的犯行。奴らの事務局を強襲し、一挙殲滅しては」


「冷静になって頂きたい。不用意に事を起こせば、今度こそ我々は国家警察に解散させられます」


 参加者の中から出た強硬論を穏やかに抑えながらも、ファゼルは舌打ちしたい思いでいる。


(まさか「国家警察が信頼できない」、と口にする日がくるとはな……)


 すでに撲殺され、吊るされた被害者は4名。

 状況を考えれば、国民防衛戦線関係者の犯行であることは疑いようがなく、そして手をこまねいていれば、また次の被害者がカヴェリア関係者から出ることは間違いない。

 だが国家警察は、国民防衛戦線に対して及び腰だ。


(まだ証拠が揃わない以上、国民防衛戦線に対して本格的捜査ができない。それはまだ分かる。だがこちらの警備依頼を断るとは、どういうことだ)


 それどころか国家警察は、明らかに危険に晒されているカヴェリア関係者――善良なる市民をただ静観するだけにとどめている。

 これではもはや反戦平和団体カヴェリアは、他の誰かを頼ることなく、自衛の態勢を整えるしかなかった。


「ファゼル下士の言うとおりだ」


 デモクラシア・オルテル・ライオも、出来得る限り冷静な声色をつくり、ファゼルの意見に賛同する。

 が、その赤い瞳は燃えていた。

 それどころか彼女の周囲に浮かぶ魔力が、派手な音を立ててときおり爆ぜる。

 デモクラシアからすれば、国民防衛戦線のささやかな抵抗がうっとうしく、腹立たしくて仕方がなかった。


(小石に足をとられた気分だ!

 人々の不満を他人や他国に転嫁し、危機意識を煽って小金を稼ぐ人間の屑どもめえ)


 猛然とした怒りを抱えたデモクラシアは、国民防衛戦線に対し、すぐさま無慈悲な復讐戦を挑みたいところであった。連中を叩き潰す手段など、いくらでもある。向こうが闇討ちを仕掛けてくるならば、こちらは連中を全員消し炭にしてやってもいいぐらいだった。


 ……だが、いまは無理だ。

 先日の抗議事件のせいで、おそらく国家警察のカヴェリアに対する監視は厳しくなっているに違いない。爆発的に増加した参加者の中にも、間違いなく密偵が紛れているだろう。

 いま連中に対抗して、非合法な反撃を仕掛けることは出来ない。


「われわれは彼らの冒涜的脅迫行為に屈してはならない。早急に自衛の態勢を採る。

 いずれ連中には、自由精神を踏みにじった報復を加えなければならないが……」


 デモクラシアの言葉で、議場における強硬論は立ち消えた。

 結局、会議で決まったのは、受身・消極的な対策を採ることであった。

 まずカヴェリア関係者は可能な限り、集団行動すること。そして有志からなる警備分隊を創設し、カヴェリア関係者の護衛や居住区の見回りをする。国民防衛戦線との交戦は、国内法で認められている正当防衛の域を出ない範囲で行う。

 またこの脅迫的事件を機に、カヴェリアから離れる者が続出するだろうが、これは生命に関わることであるから、原則として離脱を引き止めないことが決定した。


(敵策源地をこっちから叩きにいけないのは辛い)


 やはり、とファゼルは思う。

 機を見計らって、打って出る必要がある。連中に襲撃を止めさせるには、それしかない。

 だが、それはもちろん非合法な行為だ。組織的な暴力行為など、法治国家で許されることではない……。


(これは戦争の方がいくらか楽かもしれないな)


 暴行・殺人と非合法活動を辞さない無法者に対して、こちらは法律の範囲内で対応しなければならない。これが戦争であったなら、ファゼルは今すぐ強襲班を作り、敵事務局へ火炎瓶を投げ込み、小銃の十字狙撃で決着をつけただろう。

 それが出来ないのが、もどかしかった。


「では、これにて閉会とする」


 デモクラシアが解散を告げる。

 それをファゼルは、上の空で聞いていた。

 彼の視線は、窓の外を向いている。地上10階から見える空は、重苦しい曇天だった。


「くそう――」


 隣の出席者が何かを言おうとした瞬間、ファゼルは窓の向こう側に――なにか黒い塊が飛んで来るのを見た。


「伏せろッ!」


 ファゼルが怒鳴り声を上げるのと、黒い塊が激突して窓硝子が砕け散るのは、ほとんど同時だった。そして1発音(=1秒)とせず、床に円筒の物体が転がるのをファゼルは視認する。


(あれは――!?)


 何かと考える前に、彼の身体は勝手に動いていた。

 目蓋をきつく閉じ、両腕で顔を覆う。

 それに一瞬遅れて、室内は白で塗り潰された。


「あああ゛あぁああ゛あ」


 強烈な白光が去った後、残ったのは一時的に視覚を奪われた人々の叫び声。

 隣席の男が苦悶の声を上げながらのた打ち回るのを横目に、ファゼルは拳銃を引き抜いて、硝子片が散る窓際に立った黒い塊――侵入者を照準に収める。


「なんだ貴様はぁあ゛っ!」


 が、彼が引き金を引くよりも早く、彼の上官が動いていた。

 デモクラシアが端整な顔立ちを歪ませ、全身から憎悪と殺意をほとばしらせる。

 と、同時に爆風、轟音、衝撃――部屋に居合わせた者の大半が、次の瞬間には壁に叩きつけられていた。

 ファゼルも例外ではない。デモクラシアの無差別的かつ爆発的な魔力干渉が生み出した爆風により、彼の身体は硝子片や椅子と一緒くたになり、壁際へ叩きつけられる。


(くそっ、室内で爆発の魔術を使うか普通!?)


 小声で悪態をつきながら、悲鳴を上げる関節と痛む身体を叱咤して、上半身を起こすファゼル。そして彼は視界に、直立不動のまま佇む3人を見た。

 まずひとりはこの半閉鎖空間に存在する魔力に干渉し、これを炸裂させた張本人、デモクラシア。

 もうひとりはその従者、デモクラシアの思考・行動を知悉し尽くす召使セルン。


 そして最後のひとり。

 黒い外套を纏い、聖句や魔法陣がびっしりと刺繍された籠手を着用した人間が、窓際に不動の姿勢で立っている。手には、刃渡り2歩間(=約1m)の両手剣。

 肝心の顔は、分からない。光学系の認識阻害魔術が掛けられているのか、もやのようなものが、顔のあるべき場所に掛かっている。

 穏やかな来客者ではない。


(こいつは生半可な相手じゃない)


 爆風と衝撃の最中でも手放さなかった拳銃を持ち上げながら、ファゼルは空恐ろしいものを感じていた。地上10階への強襲を敢行する大胆さ。閃光弾と認識阻害魔術は、暗殺者の常套手段と聞く。さらに爆発の魔術を防御しきったあたり、魔力操作の能力にも長けていることは明らかだった。


(こいつは熟練の――)


 だが彼の主のデモクラシアは、不敵にも笑ってみせる。


「ほう……誰の許しを得て、貴様はそこに立っている?

 ここは反戦平和団体カヴェリアが、きょう一日借用している。無用の客人にはお帰りいただきたい」


 彼女の声色からは、静かな怒りが滲んでいた。

 またデモクラシアの一連の行動とその声色から、主の殺意を汲み取ったセルンもまた自動拳銃を構え、周囲に魔力を掻き集めはじめている。


 しかし一方の襲撃者も、大胆不敵に「嫌だね」と言い放った。

 その声色は、地声ではない。魔術により明らかに加工されており、奇妙な高音となっている。


「無用ではない。用ならある。

 デモクラシア・オルテル・ライオ以下、カヴェリア関係者を殺す」

「国民防衛戦線に依頼されたか」

「さあ」


 襲撃者は爆発・火焔魔術の使い手と、2つの銃口を前にしても、いっさい怯んだ様子がない。

 それだけの実力者ということだった。顔を隠し、声も抜かりなく加工しているあたり、その道の人間であることは明らかだ。

 しかも余裕綽々。無駄話に応じるあたり、時間を気にする必要もないらしい。一瞬でこの場の人間全員を殺すことが可能なのか、あるいは従業員や警官が駆けつけても関係ないのか。


「殺しに来た?」


 デモクラシアは時間を稼ぐつもりなのか、情報を引き出すためか、まだ無駄話を続ける。


「貴様どうやら労働もせず、納税もせず、法律を守ることもしない人間のくず――冒険者か」


 冒険者、という単語に、ファゼルは反射的に震えた。


 冒険者とは、法律により統治されている法治国家各国にとっての汚点である。

 依頼主から金を受け取り、単独で怪物退治から連続殺人まで行う超人。

 熟練の冒険者となると、各国警察の特殊部隊さえ逮捕が困難であるため、結果的に法の外にいる存在になる。そんな冒険者達の中には、それを良いことに傍若無人の限りを尽くす者も多い。

 彼らは単騎あるいは少人数の戦術に精通する一方、集団戦や組織での行動を好まないため、戦場ではほとんど無力な存在である。が、街中や室内における対人戦では、冒険者は誇張抜きで最強だ。


(国民防衛戦線が用意した刺客――そうとしか、思えない)


 ファゼルの内心の動揺を他所に、両者の会話は続いていく。


「暴力で他人を脅迫し、言論を封殺する――その行為、この国では万死に値するぞ。大悪人め」

「そのとおりだな。だが私たちは地上の必要悪さ。

 行政に縛られることなく、迅速に怪物を駆除し、法による裁きを回避する悪党を斬り捨てる。我々がやらなければ誰がやるのだ?」

「くだらん。……いや、その籠手、その両手剣。

 貴様の名、よもや知っているかもしれん。

 そういえば、兄が言っていたか。冒険者“黒獣くろいぬ”という名を」

「たしかにお前の兄には、幾度か世話になっているが。見逃すつもりはない。ではな」


 そして、無駄話が終わった。

 瞬間、黒獣の傍で視力を失ったまま突っ伏していた参加者の背中から、血飛沫が上がる。

 それを見ていた「はずの」ファゼルは、驚愕する。


「な……!」


(剣の軌跡が、見えなかった!)


 頭の片隅で恐怖を感じながら、ファゼルは冷静に引き金を引きながら立ち上がる。

 またもうひとつ、セルンの自動拳銃が火を噴き、轟音とともに鋼鉄の弾丸を吐き出した。


 が、当たらない。

 黒い外套を纏った彼(彼女?)は、容易にこれを回避してしまう。

 その動きには、なんの魔力の揺らめきも感じられない――つまり彼は射線を予測し、あとは単純な物理視力と反射のみで、音速に近い弾丸を避けているのだった。

 ふたりが放った拳銃弾は全て、その背後――地上10階の空へと消えていく。


「なんで当たらない!」

「冷静になってください」


 思わず声を上げたファゼルを、セルンが注意する。

 彼女はすでに弾の切れた拳銃を捨てている。

 そして周囲に滞留する魔力を掻き集め、これを魔弾として連射し始めた。


 白光を曳きながら翔る魔弾が黒獣へ殺到する――が、これを黒獣は剣の腹で偏向させ、その軌道を反らせていく。


「化け物かッ」

「どうりで逮捕が出来ないわけだ」

「暢気に言ってる場合じゃない! 弾幕が切れる前に、逃げてください!」


 悠長に構えるデモクラシアに反駁しながら、ファゼルは空の弾倉を交換し、再び弾幕を張る。

 が、冒険者が被弾することはない。銃弾は冒険者の刀身に弾かれるまま、火花を散らしながら検討外れの方向へ飛んでいく。じりじりと詰まる彼我の距離。しかも黒獣は防御に専念するだけでなく、あたりに転がる関係者達の生命を、一瞬で奪い取っていく。


「ちくしょう、あっという間に!」


 ファゼルの拳銃、その弾倉から弾が切れる。

 次の瞬間、黒獣が跳躍した。更にこの怪物は何もないはずの虚空を蹴り、2段、3段と多段跳躍してみせる。そして彼は、飛び交う魔弾とファゼルの頭上を軽々飛び越えて、セルンの傍に着地した。


 途端、刃が一閃する。


「セルン嬢ッ!」

「だいじょうぶです」


 頭上を飛び越されたファゼルが振り向くと、そこは激しい剣戟の最中であった。

 熟練冒険者の刃とセルンの握る2振りの短剣が、1発音間(1秒間)に数回ずつ激突する。両者の刃の軌跡さえ、常人の肉眼には確認出来ない。火花と毀れた刃の屑が飛び、けたたましい金属音が室内に響き渡る。

 デモクラシアの召使兼護衛役の実力もまた、人間の域を脱していた。軽度の麻痺が残る左腕を防御に専念させ、自由自在の右腕を振るい冒険者の急所を狙う。


 が、相手が悪すぎた。


 剣戟の最中、セルンの限界はすでに見えていた。ファゼルの動体視力では見切れない速度の斬撃を防ぎきるのは、困難を極める。紺を基調とした制服は既に破れ散り、内側に着込んでいた鎖帷子も解れ始めている。そして大腿や肩口からは、少なくない出血がみえた。


「この野郎ォ!」


 ファゼルが腰から銃剣を引き抜き、冒険者の横合いを衝こうとする。

 新王国式格闘術の熟練者であるファゼルではあるが、彼はこの高度な斬撃の応酬に割って入り、生き残る確信は到底なかった。が、目の前の決闘や窮地に陥る仲間を見過ごすほど、彼は賢くはなかった。愚者の勇気の持ち主であった。実際、そのまま攻撃を試みれば、彼は冒険者の振り向きざまの一撃を受けて落命していただろう。


 しかし、その時である。

 それまで魔力操作に専念していたデモクラシアが、突如として哄笑した。


「ではな、さらばだ!」


 次の瞬間、空間が爆発した。

 常人には抗いようもない爆風が、室内を駆け巡る。粉塵一緒くたになった抗いようのない衝撃が、ファゼルとセルンを飲み込んだ。

 一方、熟練冒険者は余裕綽々。自身をその空間に繋ぎ止め、魔力で編んだ防壁で爆風を遮断する。


(また爆発の魔――なあ゛っ!?)


 そしてファゼルはまた再び、爆風に吹き飛ばされるまま――今度は壁ではなく、破れた硝子窓から地上10階の空へと叩き出される。


「あああああああ!」

「落ち着け!」


 重力に囚われて落ちていく。

 恐慌。だが定まらない視界の中、ファゼルは自身の後にセルンやデモクラシアが続いていることに気がついた。


(なるほど、爆風を利用しての脱出か!)


 爆風を防御することに専念した黒獣は、当然こちらの行動に反応できない。

 すぐには追ってはこれないはずだ。

 だが――。


 下を見やれば、凄まじい勢いで石畳の地面が迫ってきている。


「うわああああああ!」

「だから落ち着け、ファゼル下士!」


 デモクラシアの叱咤が、上から降ってくる。

 と、空気抵抗よりも確かな抵抗を、ファゼルは全身で感じ始めた。魔力抵抗。空気中に存在する魔力が、デモクラシアの魔力操作により圧縮されて、一種の抵抗となる。ファゼル達の落下速度は、みるみる内に減速していった。


「……一時はどうなるかと思った」


 そして地面に着く頃には、落下速度はほぼ0。

 3人は無事、地面に足をつけることが出来た。


「は? えっ、なに!?」


 周囲の通行人たちは突如として上から落ちてきた3人に驚き、またぽっかりと硝子窓が割れた宿泊施設を見上げ、呆然としている。

 爆発音を聞きつけたのか、警邏の一般警官達も集まりつつある。


 が、この襲撃はまだ終わっていない。


「諦めが悪い……」


 見れば10階の窓から、黒い塊が降ってくるところであった。

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