12.暗雲晴れず(後)
軍部における軍拡派、ヘイトル・タイジウ・スリニ上級大将は苛立ちを隠せない。
彼は宛がわれている議員控室の中を、うろうろと早足で歩き続け、時折立ち止まっては表情を歪ませる。遥か昔の格闘戦で負った刃傷跡や、潰れた鼻筋をもつ彼の険相は凄まじい迫力がある。
彼には現況が受け容れ難かった。
王臣筆頭ライオ家次女の拘束は失敗し、一連の計画は逆効果にも彼女の人気を底上げする結果に終わった。
(所詮は一市民活動家、と侮っていたか。俺は)
デモクラシアを軽侮していたことを、彼自身認めざるをえない。
まさか新王国軍、新王国魔導主神会に彼女の支援者が居るとは、そして他国が彼女のために掣肘を加えてくるとは思わなかった。予測さえしていなかった。口先と威勢だけの市民団体など、国家権力の前に雲散霧消する、そう思っていた。
(つまるところ、俺は慢心していたのだ)
だが彼を苛立たせている理由は、それだけではない。
なぜ反戦・軍縮を掲げるデモクラシアに、支持が集まるのか。
(戦争抑止の力とは、敵に開戦を躊躇わせる強大な軍事力だ。
平和を実現するのは、軍縮や世界平和の理想では決してない。
平和を創造し、維持するのは、自国領防衛のみならず、侵略国に報復を加えられる軍隊。
それがなぜ、人々にはわからない? 隣国の帝国主義者ども相手に、交渉による戦争回避が可能だと、本気で思っているのか?)
ヘイトル上級大将は、新王国軍に長年奉職してきた。
彼は前線勤務はもちろん、外国での観戦武官の経験もあり、周囲からは軍事・外交に精通する専門家、と評価されている。そして彼自身、誰よりも国際関係の現実を知っている、と自負している。
その彼からすれば、デモクラシアの主張はまったくの的外れに思えてならない。
……実を言えば、デモクラシアも本気で軍縮を説いているわけではない。彼女は単なる人気取りのために、反戦平和運動に邁進しているのであるが、そんなことは国防に対して頑なな信念もつ上級大将には想像出来なかった。
だが軍拡路線の信奉者であるヘイトル上級大将も、軍事以外の分野に無理解なわけではない。
(エンドラクト新王国は、戦禍に喘いでいる。
そんなことはこの国の住民なら、誰もが知っていることだ。
我が国が抱える身体障害者の数は約40万。戦災孤児の数は、2万から3万とも言われている。彼らを手厚く保護しなければならない、というのは至極真っ当な話。俺も当然、賛成だ。
……だがしかし、軍事予算は少なくとも倍に増額すべきだ)
復興にかまけて軍備を怠れば、待っているのは属国化の未来だ。
(我々は単独で戦争を抑止する力、自国を防衛する力を持たなければならない)
ヘイトル上級大将は、一種の焦燥感に駆られていた。
先の大戦に参加した連合国軍は、軒並み疲弊している。大陸西部の国家の中には、「もう大陸中部の紛争に巻き込まれるのはごめんだ」と考える人間も多い。
……つまり仮に近い将来、ヴィルヴァニア帝国がエンドラクト新王国に対して宣戦を布告した場合、連合国軍がこの国を救援する可能性はかなり低いのである。
故にエンドラクト新王国軍は、単独でヴィルヴァニア帝国軍に拮抗しうる戦力を備えなければならない、とヘイトル上級大将は考えていた。具体的には魔力分裂反応弾の実戦配備や、化学・生物兵器の研究、亜音速で飛翔可能な戦闘翼竜の養成、機械化歩兵の拡充――やらなければならないことは、無限にある。
だが現状、全く以て予算が足りない。
(特に反応弾が重要だ。
他の装備近代化が不徹底に終わっても、1発で都市を蒸発せしめる反応弾さえ実戦配備出来れば、ヴィルヴァニア首脳部は反応弾による報復を恐れて、おいそれとは開戦出来なくなる……)
そして次点で、前述したような最新鋭の攻撃兵器が必要となる。
(次なる戦争は、必ず敵地――外で戦うことだ)
エンドラクト新王国は、小国だ。
国土に縦深がほとんどない。そのため国内で防衛戦を展開すれば、市民生活・国内産業は壊滅的打撃を被る。
それをエンドラクト新王国軍将官達は戦争中、嫌になるほど思い知った。
(故に次の大戦は、敵軍を敵国領域内で殲滅するべきだ。それが可能な軍事力を早急に整備すべきなのだ)
「閣下、ヘイトル上級大将閣下!」
そこでヘイトル上級大将は、我に返った。
その声の主は部屋の片隅で、横柄そうに椅子にもたれ掛かり、煙草を吹かしている。
「あの小娘が忌々しいのは、私も同感だが。少し落ち着いてはどうだ」
彼は、由来不明の勲章と、金糸で悪趣味に飾り立てた黒の上着が印象的な男――トルンパ・アーミン・トラディッス。
軍需産業で食っている市民の支持を集め、あるいは多くの人々に排外主義を説いて票を集めてきたこの保守派議員は、ヘイトル上級大将にとって得難き“盟友”である。デモクラシア逮捕の策謀に関わる“共犯者”でもあった。
「だがしかしあんな女のために、大の大人が動くとは。
この国もついに終わりだな。所詮、女に理詰めから成る政治の世界は分からんのに」
短くなった紙巻煙草を陶製の灰皿に押し付けながら、笑うトルンパ。
それに対してヘイトル上級大将は、曖昧に頷くにとどめた。
正直言って彼は、トルンパ・アーミン・トラディッス議員と好き好んで組んでいるわけではなかった。
(エンドラクト新王国は小国だ。人口は500万にも満たない。
この弱小国家が、20億を超える帝国臣民・属国国民を抱えるヴィルヴァニア帝国や、5億もの農民・労働者を操るコミテエルス共同体と勝負するには、男が、女が、などと言っている場合ではないだろうに)
所詮はこの保守派・国防族議員トルンパは、自分の利益になるからこそ保守派・国防族議員として活動しているにすぎない。何か確固たる信念があり、政治活動を行っているわけではないのだ。
そこにヘイトル上級大将は、不信感を覚えてしまう。
「次はもっとうまくやれる。
知人に聞いたのだが、ヴィルヴァニア帝国やコミテエルス共同体の秘密警察は、逮捕者に薬物を盛り、これを廃人にすることで官憲にとって有利な証言・自白を引き出させるらしい」
だいたいトルンパ議員の外見や仕草ひとつとっても、彼は不快感を催すことがあった。
本音を言えば、煌びやかに飾り付けられた黒の上着を見るのも嫌だったし、無遠慮に密室で煙草を吹かす無神経さにも腹が立つ。
ヘイトル上級大将は軍部内では珍しい嫌煙家であり、支給される煙草は身近な兵卒に分ける。喫煙すると心肺機能が低下する、と彼は心底信じていたし、また彼の夫人や娘、孫は煙の臭いを嫌うのだ。
(せめて一言、断りでも入れるのが常識なのではないか……?)
ヘイトル上級大将は、いずれ彼と絶交することになるだろうな、と思わざるをえない。
◇◆◇
釈放から3日後。雨の月の23日から、デモクラシアは多くの人々と会談した。
大手新聞社の政治記者、前衛的芸術家、官能小説家、聖職者、退役軍人、教育者――とにかくデモクラシアは、面会を申し入れてきたあらゆる人種に快く会った。
そして彼女は会った人々の顔と名前を、全て覚えた。
これは高級貴族の社交界で培われた、驚異的な記憶力によるものである。
「正直申し上げると、軍部においても反応弾武装論は非主流なのだ。
反応弾は喉から手が出るほど欲しい。
だがヴィルヴァニアに侵略を躊躇わせる規模での戦力化には、新王国最高紙幣が4億枚(=新王国国家予算に匹敵・日本円換算で4兆円)必要と言われている。
しかも我が国は国土が狭い。
たとえ反応弾を実戦配備したとしても。ヴィルヴァニアの先制攻撃から身を隠し、耐え凌ぐことが出来る反応弾の数はいかほどもない。敵の第一撃で、おそらく国内に配備された全弾すべてが灰燼に帰す。……これではな。
まあとにかく、お嬢様には是非とも反・反応弾の姿勢を貫いてもらいたい」
「われわれ新王国魔導主神会中央教会、および主神会全信徒は、先日の聖戦発動に関して、いっさい後悔しておりません。
残念ながら新王国魔導主神会エイシーハ教会、リイル主教は警察力執行妨害等々の現行犯で逮捕されました。ですが、すぐに釈放されるでしょう。お気になさらないでください」
「戦災孤児問題は、統一議会の議員先生方が、暖かい部屋で暢気に考えているより、深刻かつ重大な問題なのです。
新王国関連省庁は国内における戦災孤児の数を、2万と見積もっています。
が、実際にはどうでしょう。我々はその2、3倍はいる、と考えています。
彼らは路上や下水道を住居とし、残飯を漁る、悲惨で不安定な生活を余儀なくされている。あるいは冒険者集団や過激派組織、反社会的集団に利用されています。戦災孤児問題を座視することは、単に罪無き子供達を寒空に放置するだけに留まらず、社会不安を増大させる結果になります」
デモクラシアの巧妙なところは、面会者に応じて場所を使い分けたところであった。
彼女は退役将官に会う際には高級宿泊施設の一室を借り、聖職者や慈善活動家との会談には、庶民的なファゼル宅の居間を使った。デモクラシアは相手に好印象を与えられる場所と時間はどこか、最大限計算し尽している。
とにかく彼女は、来る者を拒まず会った。
そして雨の月の25日。
ファゼル宅に、ひとりの男が訪れる。
「どうも。この度はコミテエルス5億人民を代表して、ご挨拶申し上げる。
はじめまして。コミテエルス共同体人民代行部渉外課、駐新王国・コミテエルス大使館職員。マラタフ・コミテエルスです」
ファゼル宅を訪れたのは、紳士服に黒い外套を羽織った男。
丸眼鏡と口髭が印象的な彼は、不敵な笑みを引っ提げて、デモクラシアらの前に現れた。
【ヘイトル・タイジウ・スリニ】
人類男性。年齢は53歳。
エンドラクト新王国軍の高級将官であり、その階級は上級大将。
彼は日常から拙速・速戦即決を尊んでおり、その性格は軍事作戦の指揮や政略にも表れる。先の大戦では東部方面軍の後方予備軍団を指揮し、破綻しかける防衛線の応援や、後退する敵部隊の追撃といった場面で大いに活躍した。
だが一方で、粘り強さ・思慮深さを要求される消耗戦・持久戦の指導には向かない。それを彼自身も自覚しており、腰を据えた防御戦闘においてはデフェンマン上級大将を初めとする他の将官に指揮を譲り、あるいは助言をあおいでいる。
彼は目的の為には手段を選ばない性格の人間ではあるが、一種の誠実さをもっている。驚くべきことに、個人的な野心はいっさいない。ただ彼はエンドラクト新王国の国防体制について、強迫的なまでに危機感を覚えてしまっている「だけ」である。反応弾武装論をぶち上げ、軍拡を声高に叫ぶのも、その危機感・焦燥感がそうさせるのだ。
普段は妻とふたり暮らし。独立した長女と婿の間に、ふたりの孫がいる。




