10.反戦平和団体「カヴェリア」 対 新王国国家警察(後)
新王国暦109期・雨の月の20日。
夕闇迫るエイシーハ市中央区に轟いた銃声は、その場に居合わせた多くの人々を驚愕させ、動転させた。
このとき最初に発砲した犯人は、抗議者でも警官でもない。
事態を深刻化させる銃声を響かせたのは、抗議集団の中に紛れ込んだ過激派組織、国民防衛戦線の手の者であった。
彼らの狙いは明解だ。
発砲することで事態を激化させ、抗議活動を鎮圧させる口実を、機動隊に与えようと目論んだのである。
「撃ったのはどこのどいつだ? 警察か!?」
「警察? 機動隊が撃ってきたのか!」
「鼻覆え、鼻! 目もつむれ! 煙来てる!」
「撃たれたッ、撃たれました! 発砲許可を!」
「参加者はただちに解散しなさい! これは違法であり、検挙の対象となる!」
「射手は煙弾を全弾撃ちこめ。煙幕が晴れた後に突入。一挙に検挙する」
機動隊員達が組み立てた簡易な発射器が、発煙筒を山なりの軌道で続々と撃ち出した。
路上へ転がり落ちた筒は、朦々と催涙性のある煙幕を吐き出す。
抗議者達は鼻や喉に激痛を覚え、のたうち回る。が、彼らがどうなろうが、機動隊員の知ったことではない。彼らは“非殺傷性”の発煙筒を、ひたすら撃ち続けた。
エイシーハ中央区官公庁街は、濃密な白で埋め尽くされる――かに思えた。
「煙幕が晴れます――!」
「なんだと、そりゃ早すぎる!」
密集隊形をとり、突入準備を整えた濃紺の警備集団は驚愕した。
乳白色の煙幕が、突如として吹き荒れた強風に吹き飛ばされ、掻き消える。
そして現れたのは、純白の装束と大盾を構えた狂信集団。
その先頭に立つのは、新王国魔導主神会エイシーハ教会のリイル主教。
「新王国魔導主神会エイシーハ教会は、国家警察の市民に対する背信行為に失望した!」
彼女はなんら臆することなく、強大な国家権力の代行者達に大喝する。
「我々はデモクラシア・オルテル・ライオ釈放、同胞に対する発砲事件の再捜査が決定するまで、抗戦を躊躇わない!
人間は主神が考案した言語・筆記・発話を、自由に操る権利を生まれながらにして保持しているものだ!
この自然権は、国内法を以てしても制限することは出来ず、そして銃口を以てしても封殺することは出来ない!」
機動隊員の間に、無言の動揺が広がる。
表現の自由は、確かにエンドラクト新王国最高法が保障しており、そして国家警察警察官はみな、その最高法を擁護し、自由民主主義を守護することを宣誓して任官されている。
彼らを一挙鎮圧するということは、任官時の宣誓に背く行為ではないか?
が、第4機動隊の隊長は、機動隊員らに考える時間を与えなかった。
「……我々はこれより、往来交通妨害集団を検挙する!」
「1、2、3ッ――突き崩せ!」
「オオ――ッ!」
国家警察警備部機動課第4機動隊の吶喊。
漆黒の大盾と警棒を構えた国家権力が、一丸となって狂信者の集団へ殺到する。
対する信徒達は臆することもなく、“我ら主神のひとしく被創造物”“自由弾圧に断固抵抗”といった宗教的文言が書き込まれた大盾を構え、これを迎え撃つ。
「検挙!」
「臆するな、神助がある!」
両者の盾が激突すると、狂信者の戦列はすぐに綻びが生まれた。
給料を貰って日々を鍛錬に勤しむ機動隊員と、日頃は慈善活動や市井の仕事をしている信徒の間には、やはり膂力に差がある。
屈強な機動隊員に圧迫され、体勢が崩れた信徒は、容赦なく警棒で打ちのめされ、引き摺られて拘束される。
「ちくしょう、放せっ! 助けてくれ!」
「出るな、突出するな!」
「戦列を守れ、孤立するな!」
だがしかし、信徒側も負けてはいない。
暴徒の検挙に熱中するあまり、戦列から孤立した機動隊員が居れば、すかさず包囲し、自陣の内側へと引き摺りこんでしまう。そして狂信的な群集の最中へ呑み込まれた機動隊員は、四方八方から蹴りを入れられ、踏みしだかれた。
「水平撃ちだ、発煙筒を水平でぶち食らわせ」
「直射すれば死傷するおそれが――」
「連中の盾を狙え。それで崩せる」
業を煮やした機動隊員は、本来ならば禁止されている催涙弾発射器の水平撃ちを始める。
その発煙筒の初速は、直撃すれば人間の顔面や肋骨を容易く粉砕するほど高速だ。
狂信者達は頑迷に抵抗したが、着弾の衝撃に耐え切れず転倒する者が続出。また中には煙弾を盾ではなく生身で受けてしまい、骨折して苦痛に悶える者も現れた。
「物理的後退は、自由の後退と同義だ! 魔術戦用ォ――意!」
悲鳴と怒号が飛び交う最中、エイシーハ教会主教のリイルは、周囲を必死に叱咤激励する。
だがしかしすでに限界が迫りつつあることは、明白だった。
「火炎瓶ッ――あいつだ、あいつを検挙!」
「構わん、あいつを撃て! 交戦規定から見ても、正当な武器使用だ!」
「伏せろ、伏せえ゛え゛っ」
主神会と第4機動隊の秩序立った集団戦は、騒乱全体から見れば、まだ穏やかな方であった。
第1機動隊や他の警官隊が突入した路地では、騒ぎを聞きつけて昼頃から合流しはじめた反社会勢力が、彼らと激しい戦闘を繰り広げていた。
彼ら無政府主義者や、国家警察に対して個人的怨恨のある無法者達は、火炎瓶や拳銃、違法改造した自作の連発銃で武装しており、極めて危険かつ無統制の連中であった。
「迂回しろ、迂回! 狙撃され――あ゛あっ」
「サイムッ! ……小隊、付いて来い! 助けに行くぞ」
「待て、早まるな! いま銃対があれを排除する、それまで待て!」
彼ら暴徒の攻撃により、第1機動隊からは死傷者が続出した。
発煙筒のお返しとばかりに石と火炎瓶が投げつけられ、更に小銃弾が容赦なく機動隊員の盾を貫通し、彼らの胸や腹に飛び込んでいく。
対する第1機動隊も、彼ら暴徒に対して一切容赦しない。
発煙筒を煙幕代わりに撃ちまくり、白煙の最中を駆けて彼我の距離を一気に詰めた機動隊員達は、力任せに盾と警棒で暴徒達を殴りつけ、ひとりひとり無力化していく。小火器持ちの暴徒に対しては、小銃で武装した銃器犯罪対策班が狙撃を繰り返し、次々とこれを射殺していった。
「反撃へ、自由軍が進む。
市民よ、我らは戦う。
郷土、国民、自由を賭けて」
混沌とした乱闘が各所で起こる最中、エイシーハ国家警察署前で『エンドラクト国土防衛歌』の合唱が始まっていた。
その歌い手は、ファゼルら退役軍人組。彼らはあくまでも非暴力的な徹底抗戦の姿勢を貫き、警察署前で所謂「人間の鎖」を組んでいた。
「自由を賭けた闘争に怯みはしない。
エンドラクトは、民主主義国家なのだ。
ひとりひとり自由の護り手。銃弾が侵略を挫く。
ひとりひとり自由の護り手。銃剣が侵略を挫く」
「解散しろ、解散!」
この人間の鎖を排除すべく、警官隊が退役軍人らに掴みかかるが、屈強な男達の連帯はそう簡単にはほつれない。
焦れた治安維持課の幾名かは、これ見よがしに長刀を抜くが、抗議者達がひるむことはなかった。拳銃や長刀の使用には厳格な規定があることを、退役軍人らは知っている。
「反撃へ、自由軍が進む。
侵略者よ、我らは戦う。
郷土、国民、自由を賭けて」
「傷痍軍人だ、傷痍軍人から崩せ!」
「この野郎、所詮片脚では踏ん張れまい!」
「警察力執行妨害の罪で現行犯逮捕する!」
人間の鎖の弱点――身体的障害を負う傷痍軍人に目をつけた警官隊は、何の躊躇もなく片脚が義足の傷痍軍人に数名掛かりで掴みかかる。
「それが官憲のやることか!」
「抗議の続きは署でしてもらう!」
「我々には精神の自由があるッ、それを弾圧などヴィルヴァニアと変わらん!」
「自由を賭けた闘争に怯みはしない。
エンドラクト、民主主義国家なのだ。
ひとりひとり自由の護り手。銃弾が侵略を挫く。
ひとりひとり自由の護り手。銃剣が侵略を挫く」
傷痍軍人達は簡単に引き倒されてしまうが、その後も取り囲む警官らに対して抵抗を試みる。
が、この警官隊の卑劣な戦術により、「人間の鎖」に穴が開いた。
合唱、怒号、悲鳴。気の短い警官は退役軍人らへ警棒で殴りかかり、抗議者達はただ無抵抗のまま打ちのめされていく。
「検挙、検挙しろ!」
「もう終わりだッ手間取らせやがって!」
またひとり、またひとりと退役軍人達は警官に拘束されていく。
こうして言論の自由を護るための戦いは、終焉を迎えつつあった。
◇◆◇
同時刻。
エイシーハ市議会議場に隣接する、市立図書館の小会議室に設置された「エイシーハ暴動対策本部」。
「エイシーハ中央区における暴動は、すでに大部分を鎮圧しております」
そこではちょうど、エイシーハ国家警察署地域部治安維持課課長が、国家警察の幹部達へ、事態の報告を行っているところであった。
「あと1宴間(=1時間)もすれば、篭城中のエイシーハ国家警察署との連絡も回復する見込みです」
治安維持課課長――恰幅のいい中年男は、なんら恥じることなく暴徒鎮圧の成果を語った。
彼は端的に言えば、人権意識が欠如している警官であった。
抗議者の集団など、単なる往来交通を妨害する犯罪者集団としか思っていない。もちろん相手が横暴な要求を掲げて運動する連中ならば、そういう認識の下で検挙されても止むを得ないだろう。
が、今回の抗議運動は、国家警察による不当逮捕に端を発している。
そしてデモクラシアの不当逮捕を主導したのは、他でもない治安維持課課長であった。
(これで潜在的不穏分子の処分と、保守派政治家との繋がりが出来た。
まさに“1発の銃弾で2羽を射止める”とはこのことよ!)
国家・政府の運営は、政治・経済に精通した一部の人間に任せておけば良いのだ。
それに口を挟んでくる身の程知らずの愚か者など、警棒で殴られて当たり前。
「我が国の転覆を謀る反政府勢力も、これで大人しくなるでしょう」
治安維持課課長は自信満々のまま、報告を終えた。
「……」
が、自信過剰の中年男が着席するとともに、国家警察庁長官以下、国家警察幹部の間には妙な空気が生まれていた。
ちら、ちら、と幹部達が、せわしなく視線を動かす。
「……?」
「エイシーハ国家警察署地域部治安維持課課長」
中年男が妙な雰囲気に首を傾げるとともに、ひとりの男が決然と起立した。
厳格な表情と4歩間(=2m)近い体躯は、周囲に否が応でも威圧感を与える。
彼の役職は、警察庁警備局情報課長。国内・国外における過激派組織の非合法活動を監視し、摘発する部署の責任者である。
「貴官は国家警察官の宣誓を覚えているか?」
情報課長の不意打ち気味の問いに、中年男はうなずいた。
「勿論です」
「言ってみたまえ」
「“私はエンドラクト最高法および国内法を忠実に擁護し、命令および条例を遵守し、自由民主国家の守護者として、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、不偏不党且つ公平中正に警察職務の遂行に当たることを固く誓います”」
恥知らずにも中年男は、国家警察官の宣誓を再現してみせる。
と、対する情報課長は苦々しい表情をつくり、溜息をついた。
そうしてから、黙りこくったまま視線を空へ向けている幹部達へ宣言するように、彼は言った。
「そうか。貴官はその宣誓を蹂躙し、独断で好き放題にやったというわけだ。
……おまえを逮捕・監禁罪、および特別公務員職権濫用罪の現行犯で逮捕する」
「は?」
中年男が聞き返すと同時に、小会議室に複数人の男達が乱入する。
黒の紳士服、掌に収まりそうな小型拳銃、認識阻害の魔術が施された顔――彼らは、悪名高い情報課所属の捜査員だ。
「馬鹿な! ちょっと待て、俺は何もしてない!」
驚愕のあまり大声を張り上げる中年男の両腕が、捜査員達に抱きかかえられた。
彼は反射的に捜査員の腕を振り解こうとしたが、まったく無駄な足掻き。捜査員の腕力と膂力は凄まじく、中年男は強引に立たされる。
その様子を冷ややかに見つめていた情報課課長は、彼に対して罪状を告げた。
「お前は独断で職権を濫用し、王臣筆頭ライオ家次女、デモクラシア・オルテル・ライオを不当に逮捕・監禁している。
市民に認められた言論活動を、私的な思想から嫌悪し、職権を濫用して弾圧するなど……。これは自由民主主義に対する挑戦だ。簡単に出てこられると思うなよ」
「ちょ、ちょっと待て!
確かに俺はデモクラシアの逮捕を指示した!
が、それは議員の先生方や軍部がっ! だいたいサッチョウ(警察庁)のお前ら幹部も黙認してえ゛ぇええ゛う゛ぉ――゛」
目を剥いて反論した中年男は突然嘔吐して、胃の内容物を床にぶちまける。
「連れて行け」
情報課の有する尋問魔術――魔力を脳髄に叩き込み、嘔吐を誘発させる魔術を目の前にして、警察庁長官以下、警察幹部らはただただ表情を固くさせる。
一方、情報課の捜査員達は動じることもなく、彼を連行していった。
「これでよろしいでしょうか」
「あ、ああ」
情報課課長に話を振られた国家警察庁長官は、うなずいた。
「あとはデモクラシア・オルテル・ライオを釈放し、彼女の逮捕はエイシーハ国家警察署地域部治安維持課課長の独断であった、という線で頼むぞ」
「了解しました」
……こうして言論の自由を巡る戦いは、抗議者の預かり知らぬ場所で終わりを迎えた。
実際のところこの幕引き、国家警察庁長官さえも納得していない。
ただ新王国統一議会・総務大臣より、「出来得る限り、関係各所の威信が傷つかない形で、デモクラシア・オルテル・ライオの不当逮捕を認め、釈放せよ」と指示があったため、全責任を国家警察署の地域部治安維持課課長に擦り付けた、というだけである。
◇◆◇
「殲滅戦、自由軍が進む。
見よ、我が砲火を。
愚か侵略者の屍の上に郷土、国民、自由は繁栄する」
「自由を賭けた闘争に怯みはしない。
エンドラクト、民主主義国家なのだ。
ひとりひとり自由の護り手。銃弾が侵略を挫く。
ひとりひとり自由の護り手。銃剣が侵略を挫く……」
退役軍人らが高らかに歌い上げる合唱の歌声を、機動隊員達はただただ呆然と聞いていた。
彼らの努力は、何の意味ももたなかった。
抗議者達はエイシーハ国家警察署の前に集合し、“そのとき”を待っている。
(これじゃ俺達は何のために出張ったのかわかんねえな)
負傷した機動隊員や抗議者が、担架に載せられて運ばれていくのを眺めていた第1機動隊の隊長は、心底そうおもった。
単に機動隊の投入は騒乱を拡大し、闘争を勃発させただけであった。
(ふざけやがって! 結局こうなるなら、最初っからそうすりゃ良かったんだよ! 割を食うのはいっつも現場の隊員だ!)
検挙を免れた魔導主神会の信徒が、好戦的な聖歌を歌う。
官公庁街から離脱出来ないまま残っていた一般市民達は、敗残兵のように立ち尽くす警官に好奇の視線をやり、また口々に何事かを叫んでいる。
そして、時が来た。
エイシーハ国家警察署玄関口に、ひとりの少女が立った。
「平和と自由を愛するエンドラクト新王国民諸君に、感謝を申し上げる!」
「オォ――!」
拡声魔術で何倍にも増幅された彼女の、実質的な“勝利宣言”。
それに人々は、歓喜した。そして感動もした。
官憲の弾圧を撥ね退け、自由民主主義・平和主義・言論の自由・エンドラクト最高法第21条――その他諸々が勝利した歴史的瞬間に、彼らは興奮した。
「エンドラクト新王国万歳!」
「デモクラシア万歳!」
「万歳、万歳、万歳――!」
言論の力が、不正を糾した。
言論の力が、正義を成し遂げた――と、抗議者の多くは歓喜し、主義主張を貫き通した不屈の少女を讃える。
だがしかし歓呼の声を上げる群集の最中、ファゼルはひとり難しい顔をしていた。
(結局のところ、我々の抗議活動など痛くも痒くもなかったんだろうな)
彼は今回の一件で、思い知った。
言論など、結局は権力者が人々の不満の捌け口として誂えられた代物でしかない。
そして強大な権力は、より強大な権力“にのみ”屈服する、ということを。




