9.反戦平和団体「カヴェリア」 対 新王国国家警察(中)
新王国暦109期・雨の月の20日。早朝。
新都エイシーハに、朝の静けさはなかった。
「治安維持課は、デモクラシア・オルテル・ライオを即時釈放せよ!」
「戦友に銃を向けた真犯人の捜査を求める!」
「貴様が良心ある警官ならば、すぐさま治安維持課の課員を逮捕しろ!」
エイシーハ国家警察署を包囲した新王国軍第1師団元将兵、廃兵院を脱走して合流を果たした傷痍軍人ら約200名は、遠慮することなく罵声と抗議の声を上げた。
現役時代と同じく、鈍色・闇色・泥色の戦闘服と軍帽を被った男達の威圧感は凄まじい。その肩には古ぼけた階級章と兵科章、胸には略綬、腰には大型拳銃や銃剣がぶら下がっていて、まさに歴戦の古強者といった格好だ。
一方、彼らの包囲下におかれた署員達は、内心愕然とした。
「地域部治安維持課課長は、我々に事の真相を説明しろ!」
それでも夜勤明けの署員達は警察署正門前に集結し、押し寄せた元軍人達に対して毅然と対応する。
「待て――待たんか!
いまだ日が昇っていないためエイシーハ警察署長以下、課長級幹部はいまだ出勤していない!
そして届出のない集会は違法である! 貴様らが何者かは知らんが、即時解散せよ!」
濃紺の制服を纏った警官達は、既に腰の長刀を抜刀している。
だがこれまで数多の修羅場を潜り抜けてきた元軍人達は、刃を前にしても一歩も退かない。
「言論・表現・集会の自由は、エンドラクト最高法・国内法が保証する権利である!
また国家警察は許可なき集会を解散させる場合、“管轄する国家警察署の地域部治安維持課課長、あるいは課長補佐が署名した文書による解散命令”が必要になる!
さらに許可なき集会が違法となるのは、“解散命令が3度発せられ、それがことごとく無視されたとき”である!
つまり現時点で、我々は貴官らが下すいっさいの解散命令を聞く必要はない!」
「馬鹿を言うなッ!
そうでなくとも……この集団示威行動は、往来交通法に違反する! 往来妨害罪だ!」
「なに、我々が命を賭けてヴィルヴァニア帝国より死守した自由主義を、そんな瑣末な法律で制限するつもりか!?」
正門周辺や警察署の敷地全体を囲む鉄柵を挟んで始まった舌戦は、どちらも退かない。
だがしかし実際的な分は、元軍人達にあった。
現在のところ彼らは、国内法に対して明確な違反をしていない。
また我々全員を逮捕出来るわけがない、と彼らは鷹をくくっていた。
幹部抜き・現場の判断のみで、これだけの大人数を逮捕へ踏み切るなど出来やしない。またエイシーハ国家警察署の署員だけでは、数百人の“犯人”を現行犯逮捕するには人手が足りない。
「では我々はエイシーハ警察署長どの、あるいは地域部治安維持課課長どのが出勤されるのをここで待とう!」
「それがいい、納得のいく説明をしてもらおうじゃないか」
笑い声や引き続き抗議の声を上げる元軍人達を前に、署員達はまさに処置なしといった風情で立ち尽くす。
彼ら現場の署員らは、ただ幹部達の出勤を待つほかなかった。
だがそうしている内に包囲環の元軍人達は、その数をじりじりと増やしていく。
さらに朝日が昇り、市民が起床し始める時分には、また異質の集団がエイシーハ中央区の官公庁街に姿を現した。
「新王国魔導主神会全教会は、同胞への発砲事件に対する誠実な捜査を要求する!」
無地の長衣を引き摺りながら歩く、狂信者の群れ。
教会毎に意匠が異なる聖旗がはためき、その旗手の後には魔術的記号や聖句が書き込まれた大盾を携える聖職者達が続く。
「我々は言辞神より神勅を賜っている!
“主神が考案した言語・筆記・発話を蔑ろにする者を排撃すべし”!」
「我らの行動に神助あり! 我らの行動に神助あり!」
彼らはエイシーハ国家警察署・法律省本館周辺の道路を封鎖し、大いに気勢を上げた。
狂信的思想の下、高度に組織化された宗教組織の動員力は凄まじい。
新王国魔導主神会信徒は、宇宙全体から言語・筆記・発話といった細々とした概念まで、主神が創造したと考えて疑わない。そして死後は魔力に還り、いずれ転生するという壮大な世界観に生きる――そのため、彼らは多少の犯罪を犯すことも気にしない。
簡便な噴進砲が花火を連続して打ち上げ、幾つかの小集団に分かれた信徒達が、街中に檄文をばら撒いていく。
「なんだよこりゃ、聖戦なんて時代錯誤も甚だしいぜ」
「いや噂じゃ新王国軍第1師団が、中央区を占領したらしい」
「なんでまた」
「よくわからないけど、警察が拷問とかなんかいろいろしたって」
「なんだよお前ら知らねえのかよ! ライオ家のお嬢様が嵌められたんだよ!」
一日を始めようとしていた市民達は、困惑と熱狂でこの事変を迎えた。
退役軍人らと新王国魔導主神会による市街封鎖は、官公庁街に限定されていたため、市民生活にはほとんど影響していない。
そのため彼らの間に、一連の抗議運動に対する悪感情が芽生えることはなかった。
「だから前、話しただろうが!
デモクラシア様がいろいろやってるとき、変な連中が撃ちまくってきたんだ」
「もしかすると撃ったのは警察なんじゃないか?」
「自作自演で事を荒立てて、後からまとめて逮捕ってことか!」
市民の間では無責任な噂が飛び交い、勝手に事態が深刻化していく。
「噂じゃデモクラシア様は、酷え拷問にかけられてるらしいぜ」
「なんだそりゃ……それじゃお隣の秘密警察とやってることが変わらないぞ」
一部の市民達は義憤に駆られ、あるいは怖いもの見たさで官公庁街の抗議者集団へ合流していく。
彼らからすれば、ちょっとした祝祭であった。
商機に敏感な近隣の宿屋や居酒屋は、軒並み弁当を抗議者達へと売り始め、また無許可の出店を出し始める。
「親父ッ飯をくれ! 俺達は廃兵院から駆けつけたもんで、昨日の昼から何も食べてないんだ!」
「そこの貴様ァ――! 無許可営業は往来交通法違反だぞ!」
「なに言ってやがる! お前たちこそ犯罪者を匿ってるじゃないか、治安維持課の犯罪行為を幇助するな!」
「そうだ! 治安維持課課員・治安維持課課長を、監禁・暴行の現行犯で即刻逮捕しろ!」
正午、エイシーハ国家警察署周辺を埋める抗議者の数は、5000名を優に超えた。
対する国家警察は、なんら対策を採ろうとはしなかった。
前述の通り、エイシーハ国家警察署には夜勤明けの署員が僅かに居るだけであったし、エンドラクト新王国統一議会議事堂の警備にあたる武装警官達は、議事堂周辺に封鎖線を張っただけで積極的な警備活動にあたることはなかった。
そして、指揮を採るべき地域部治安維持課課長はもちろん、国家警察署・法律省検察庁の幹部はみな怖気づいて出勤しなかったため、事態収拾は大いに遅れた。
◇◆◇
「総務大臣! この暴動は国内法で認められている自由の範囲を、明らかに逸脱している。
この暴動――いや内乱に際して、総務大臣は新王国軍へ治安出動命令を発令し、暴徒どもを鎮圧するべきではないか」
「えー、私の認識ではですね。
本日、エイシーハ市街中央にて発生中の不許可抗議活動は、たしかに往来交通法等々に違反しておりますが。現在のところ、破壊活動につながるような運動ではない、とですね、まあそう認識しております。
これを軍事力を以て強制的に解散させることは、えー、言論の自由を保障した、エンドラクト新王国最高法第21条等々をはじめとする、新王国の法律、そして崇高なる自由民主主義に背くことになります。
また国家警察庁長官からは、通常の警察力でも対応可能な範囲である、と。
ということで治安出動命令の下令は、難しいというかもう少し議論を尽くしてからに」
「馬鹿なっ、通常の警察力でも対応可能な範囲だと?
現に収拾出来ていないではないか! せめて治安出動待機の承認が欲しい」
「ヘイトル新王国軍上級大将閣下の申し出は大変ありがたく、治安出動の可能性は……えー、もちろん排除するわけではありません。はい。
ですが国家警察庁長官は現在、すでに近隣の都市より警察力を動員を開始しており、未だ通常の警察力で対応不可能とは認められません。
この状況で国防法第78条に定められた治安維持出動命令を下すことは、法的に不可能です」
早朝より始まった騒乱も、どこか他人事。
エイシーハ市中央区に所在する統一議会議事堂を避け、北区の市議会議場へ集合した統一議会議員達は、法律の条文を引用し続ける議論を開始していた。
「いや! これは明らかに隣国、ヴィルヴァニア帝国による間接侵略だ!
帝国はデモクラシア・オルテル・ライオとその一派を利用し、市民を扇動し――」
「えー、トルンパ・アーミン・トラディッス君のご指摘は、常々正確であり、普段から大変参考にさせて頂いております。
が、残念ながらですね、国防法第78条は“総務大臣は、間接侵略その他の緊急事態に際して、通常の警察力をもつては、治安維持が出来ないと認められる場合には、新王国軍の全部または一部を命ずることが出来る”と。まあそうありますので」
(どうやら保守派のトルンパと、軍拡路線の狂信的支持者ヘイトルは多少無理してでも、抗議活動を封殺したいようだな)
半円状の市議会議場。
その隅の座席に座り、延々と続きそうな議論を驚異的集中力で聞いているリチャルド・レオハルト・ライオは、内心溜息をついた。
(デモクラシアの釈放のために、多くの人々が動いてくれたことには感謝したい。
だが国家警察にも面子がある。市民の抗議で容疑者が釈放されるなんてことは、ありえないだろうな)
「――というわけで、治安出動に関する議論は。これでどうでしょう」
「朕は治安出動に関する議論の一時凍結を望むがいかがか、異議ある者は挙手せよ。
異議者なしと認む。治安出動に関する提案を、一時保留する」
議長を務めるエンドラクト新王国国王が宣言するとともに、保守的な政治家トルンパと、軍拡派のヘイトル上級大将の、好戦的な提案は保留となった。
続いて立ち上がったのは、穏健派として知られるデフェンマン上級大将である。
「新王国軍上級大将、デフェンマン・アルン・コルンスであります。
この度の大規模抗議活動については、大変由々しき事態と受け止めております。
私が思うにこの事態を収拾する最も効果的な方策は、ひとたび王臣筆頭ライオ家次女、デモクラシア・オルテル・ライオを釈放することではないでしょうか」
「閣下の提案は、現実的ではありませんな。
デモクラシア・オルテル・ライオは、殺人・騒擾の容疑者です」
「司法を掌る律法大臣のお言葉はもっともです。
批判に応じて拘留中の容疑者をいちいち釈放していれば、国内法の威信は損なわれます。
ですが実情を鑑みるにこの事態を収拾する方法は、彼女を釈放するか、あるいは抗議参加者を銃剣で追い散らすかしかない、と私は考えます。
彼女を一旦釈放し、群集を解散させた後でも捜査は出来ます。
釈放後に決定的な物的証拠を集め、改めて起訴してはいかがでしょうか」
出来るものならな、とデフェンマン上級大将は心の中で付け加えた。
彼もまたデモクラシアを巡る策謀に勘づいていたし、それを不快に思っている人間だった。国家警察や法律省検察庁がデモクラシア釈放を渋る理由は、彼女を軟禁して無理に自白させるため以外に考えられない。
対する律法大臣は、デフェンマン上級大将の反論に少し考え込んだが、やはり首を振った。
「重犯罪の容疑者を、一時的にでも市井へ釈放することはやはり考え難い」
(やはり、駄目か)
デフェンマン上級大将が思わず表情を曇らせた瞬間、失礼します、と小声とともに議場へ入ってきた男がいる。
男は、議員ではない。濃紺の紳士服の襟には、外務省職員であることを表す徽章がついている。
彼は議場中央の席に座る外務大臣に近寄ると、何事か耳打ちした。
国内の抗議活動は自身の職掌とは関係ない、とばかりに先程まで居眠りをしていた外務大臣の暢気顔が、見る見る内に緊張の面持ちに変わる。
そして彼は決然として、立ち上がった。
「国王陛……いえ、統一議会議長!
その、ただいま議論を擁する国際問題が発生いたしました」
◇◆◇
「1機1中、配置につきました」
「よし、“警備部機動課第1機動隊・隷下全中隊展開完了”。送れ」
「はっ」
国家警察警備部機動課第1機動隊・第4機動隊、総勢296名がエイシーハ中央区外縁に展開を終えたのは、黄昏時であった。
この頃には既にエイシーハ中央区官公庁街を占拠した抗議者の数は、3万に達している。抗議者の反発を恐れた国家警察地域部治安維持課が、厳しい封鎖線を張ることをしなかったため、1日の労働を終えた人々が参加し、そのため人数が爆発的に膨れ上がったのである。
「行け行け行け行け!」
「聞けえ! ヴィルヴァニア帝国に対する政府の弱腰をぉ、我々国民はぁ! 糾弾しなければならない!」
怒号、悲鳴、絶叫。もはや統制も何もない。
彼らの一部はエイシーハ国家警察署の正門を破ろうと、疲労困憊の署員らと格闘戦を始めていたし、群集の最中で今回の一件と、全く関係のない主張を始める者まで現れる。
「先任下士どの、こりゃもう駄目です! 収拾がつかない!」
「諦めるな! 絶対に法律省や国家警察署へ略奪・放火させるなよ!」
早朝より反戦平和団体カヴェリアの仲間や、合流した退役軍人を指揮し、抗議活動を統制していたファゼルは、ここにきて匙を投げたい思いをしていた。
これはあくまで、非破壊的な抗議活動でなければならない。
仮に群集が庁舎に押し入って略奪でも働けば、外聞が悪いどころの話ではない。
暴徒鎮圧の大義名分を得た国家警察の武装警官が、連発銃片手に突撃を掛けてくることになる。
実際、中央区外縁部に展開した機動隊員と、治安維持課の警官から成る包囲網はすでに完成し、じりじりと彼我の距離を詰めてきている。
(想像以上に、集まりすぎた――)
ファゼルが内心、ぼやいた瞬間。
ついにエイシーハ中央区に、乾いた銃声が響いた。
エンドラクト新王国最高法第21条は日本国憲法第21条、エンドラクト新王国国防法第78条は自衛隊法第78条とほぼ同一です。




