第6話:崩壊
「……これでいい?」
「ありがとう、千影……助かるよ」
俺は首筋に出来たアザを千影に処置してもらった。
彼女は俺のアザに湿布を張りながら、
「やっぱり……何かおかしくない?」
「おかしいかもな」
昨日の出来事を思い返して俺は改めて考える。
どこからが“夢”でどこからが“現実”だったのか。
夢と現実のあやふやさ、すべてが夢か。
それともすべてが現実なのか。
「何が現実で何が夢か。境目がよく分からない」
その辺すらも分からなくなってきた。
「……どうなってるんだよ、ちくしょう」
不安と焦りから苛立つことしかできない。
「俺には気になる事があるんだ」
俺はこれまでの話をまとめて千影に説明する事にした。
踏切で出会った少女の事。
そして、人身事故にあった女性の境遇。
窓についた手形、昨日の少女の幻や、このアザのことも……。
「その女の人が言ってた……あの女って誰? その人と寝たの?」
「そこに突っ込まれても……。俺も知らないって」
「儚げな美少女、そんなに気にしてたんだ? 可愛かったの?」
「あ、あの……千影? もしかして、不機嫌?」
千影は俺に呆れた顔を見せた。
「……誤解だっての。別の意味でシリアスな雰囲気になりそうだ」
「慧が浮気なんてするほど甲斐性があるようには思えない。だから、信じてる」
「その信じ方は男として寂しい。とにかく、俺は何もしてない。最後に彼女を見たのが俺と言う可能性があるんだよ」
「だから、幽霊に取り憑かれた可能性がある。さ迷う彼女の怨念が貴方を殺そうとしている理由は何? ……なんかよくあるじゃん。こういう時って、何かその人に関係するものを持ってたり、そういうのはないの?」
怨念というのなら、その矛先が俺に向けられる理由があるはず。
しかし、俺は何もしていないし、何も持っていない。
あの子と会って話したのもただの偶然だ。
「まったく心当たりがない」
「偶然、私たちが狙われているという事?」
「……そうかもしれない」
俺は少女の事を思い出したくないけれど思い出す。
「彼女は俺に言った、愛して欲しいって」
西岡の話だと、人身事故でなくなった女の子は二股されて捨てられたと言っていた。
……つまり、考えられるのは俺をその相手と勘違いしている?
いや、そうじゃないな……。
はじめのあの態度は羨ましい、妬みとも思えるものだった。
「愛されているのね。そう言っていたから、俺達の事を羨ましく思っていた?」
「自分は好きな人に愛されていなかった。だから、私たちを狙うの?」
「ありえる話だろ。それだと、かなり八つ当たりじゃないか」
幽霊に八つ当たりされるとはね。
「リア充爆発しろってやつか」
「それで恨まれてたら理不尽すぎるわ」
「他人の恋路を邪魔する幽霊。なんてひと迷惑な存在だ」
もしも本当にそうなら、と俺は肩をすくめた。
いくらリア充だからって幽霊の呪われる事はないだろうに。
「ねぇ、この部屋を出よう? ここにいたら危ない気がする」
「それだと根本的な解決にはならないんじゃないかな」
「私の部屋に来た時は何もなかったわ」
「このアパートが……この部屋が問題の物件だってことか」
確かに幽霊のような目撃談が多いこともある。
ただ、今回のような出来事が起きたのは最近の事だ。
「でも、こんなことが起き始めたのは最近だぜ」
「色々と調べてみた方がよさそうね?」
不安なのだろう。
肩を震わせる千影の手を俺は握り締めた。
「これ以上、お前には関わって欲しくないのが本音だ」
「私も、できればそうして欲しいけど。慧が傷ついてる姿をみたら放ってなんておけないよ。私は……慧が好きだから」
俺達はその恐怖と向き合おうとしていた。
それがどれだけ無謀で、恐ろしいことなのかを理解していなかったのだ。
まずは管理人に話を聞いてみたが、変な目撃談があるのは確かだが、幽霊物件と言うことはないらしい。
俺の前の住人も何の問題なく退去している。
となると、やはりあの場所に行くしかない。
俺はあの踏切へと再び足を向けた。
蒸し暑さにじんわりと肌から汗がふきでる。
「……なぁ、どうして俺にこんな真似をするんだ?」
花束が置かれたその場所に俺はひとり言のように呟く。
この場所で自殺した少女がいた。
一人寂しく、この場所で命を絶った。
セミの鳴き声だけが聞こえる、踏切を眺めながら、
「誰も人通りもなく、薄暗いこの場所で最後の時を迎えるとしたら、どんな心境なのだろうか」
最後に会った時のあの子の顔を思い浮かべる。
『でも、私は……』
あの言葉に続く言葉は何だったんだろうか?
儚げで辛そうな顔をしていた。
深い悩みを抱えていたのだろう。
思い込んで、死を覚悟してしまっていたのかもしれない。
「俺に何か言いたい事があったのかな」
最後の去り際に何か話を聞いてやれていたら。
「俺は……キミの声を聞くべきだった」
この事件は起きなかったのかもしれないのだから。
あの子の顔が消えてくれない。
「西岡が言っていたっけ。あんまり引きずられるなよって」
その通りだな。
考えれば考えるほどに、あの子の顔が思い浮かんで、考え込んでしまう。
「幽霊、か」
現実にそんなものがあるなんて。
人間って言うの体験するまで信じられないものだ。
これからどうなるのか不安で仕方がない。
「今の俺に何ができるって言うんだ?」
夏は暑く、涼しげな風を感じる。
「……キミは、そこにいるのか?」
少女がまだここにいるのなら答えて欲しい。
「――俺はどうすればいいんだ?」
俺の言葉は夏の風に乗って消えていく。
何の手だてもないままに、夜を迎えた。
その夜、本物の恐怖と対面することになる。