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最終話:少女

 ……2年後。

 季節は流れ、夏を迎えた俺は暑さに悩まされながら額の汗を拭う。

 夕焼けと言ってもこの時間帯の暑さは半端じゃない。


「……ふぅ、暑いなぁ。いい加減にして欲しいぜ」


 あの奇妙な出来事が起きてから2年の月日が流れた。

 俺が女性の幽霊に遭遇し襲われた事件。


「ここに来るのも数か月ぶりだな」


 俺は死んではいなかった。

 あの後、アパートの2階から落下して腕を骨折する程度で済んだ。

 引きずり込まれそうになった最後の瞬間、女性は俺にある言葉を囁いたのだ。


『アナタはあの子をアイシテいるのね。心の底から、アイシテ……』


 そのまま、俺を残して女性は闇の中へと姿を消してしまった――。

 見逃してくれた、と言う事なのかもしれない。

 あの後に分かったことだが、彼女の元彼は既に亡くなっていた。

 結婚して、妻子に囲まれて幸せな日常を送っていた彼なのだが、自室で不可解な変死を遂げていたらしい。

 あの事件の1ヵ月前のことだ。


「あれが他殺だったのか、今となっては分からない」


 未解決の不審死の事件。

 容疑者のひとりである彼女について、警察の方でも行方を捜していたらしい。

 女性が終わりを迎えるまでの間に何をしていたのか。

 元彼の死にも彼女が関わっていたのではないか?

 今となっては真相は闇の中、誰も真実は知らない。


「多くの謎と未練を残して、絶望の果てに彼女は自らの命を絶った。それれだけが現実なんだ。それ以外のことはもう分からない」


 なぜ、俺達に牙をむいたのかのも、理由として分からずじまいだ。


「ただの偶然だったとしか言えないんだろう」


 俺と千影の幸せがかつての自分たちの幸福な時期を思い出したのか。

 ただの未練か、八つ当たりだったのか。

 あの事件で、無事に生き残れただけでも俺は良しとしておいた。

 ……二階から転落して、骨折したのは超痛かったけどな。


「何にしても、人の想いが起こした不思議な出来事だったとしか言いようがない」


 あの出来事の後、俺はアパートを引っ越して、千影と一緒に住み始めた。

 千影はすっかりと刺々しさも抜け、従順というか素直になったと思う。


『慧が大好きだもの』


 あの出来事は結果的に俺達の関係を深めてくれた。

 大学卒業後には結婚も視野に入れて、お互いの両親にも紹介済みだ。

 

「あんな恐怖はもうコリゴリだけどな」


 俺は久しぶりにあの線路のあった道を歩いていた。

 2年前は人身事故が絶えなかったあの場所の線路は陸橋工事されて、簡単に人が入り込めない事もあり事故はなくなった。

 その線路があった場所は現在、車道として整備されている。

 引っ越してからも時々、あの事件を思い出してここを訪れることがある。


「……あれ?」


 かつて、あの踏切のあった場所に一人の少女の姿を見かけた。

 そう、それは俺があの出来事を体験するきっかけに思えたあの美少女。


「……こんにちは」


 俺が声をかけてみると”少女”は優しげな微笑みを浮かべた。


「――こんにちは。お久しぶりです、平野さん」


 あの頃は長髪だったが、今ではショートヘアーがよく似合う。

 彼女の名前は小夜(さよ)、現在、大学1年生の女の子である。


「髪、切ったんだ? ショートカットもよく似合ってるよ」

「ありがとうございます。夏ですからね、気分転換もかねて髪型を変えたんです」


 あれから数週間後、俺はこの場所で小夜さんと再会した。

 彼女は生きていた。

 幽霊などでもなく、自殺もしていなかった。

 事件には何の関係もなかった。

 すべては俺の思い込みが原因だったのだ。

 小夜さんはただ、あの場所にいただけの何の関係もない少女だった。

 思い込みっていうのは、いろんな意味で怖いものだ。


「それにしても暑いな。小夜さんは色白だから大変そうだ」

「はい。友達と海に行くときも大変なんですよ、ふふっ」


 色白な肌に手を触れて可愛く笑う。

 俺は彼女の手元に花束があるのに気付いた。


「……またお母さんのお参りに?」

「えぇ。今でもあの人がここにいる気がして」


 偶然にもあの後、再会した時に小夜さんの存在にびっくりしたものだ。

 俺は彼女に、ここで起きた不思議な事件を話した。

 すると、彼女は苦笑いしつつも自らの事を語ってくれた。

 あの事件の一年も前の話だが、小夜さんが高校生だった頃に彼女の母はここで人身事故にあったらしい。

 自殺などではなく、不運な事故として電車にひかれてしまったそうだ。

 それ以来、彼女は母の月命日には必ずこの場所に来ていたらしい。

 

『……そこにいますか?』


 あれは亡き母に向けて放たれた言葉だったそうだ。

 今もなお、彼女の魂はここにあるのではないか。

 そう願って呟いた言葉だったらしい。

 

「……平野さんはどうですか?」

「恋人と仲良くやってるよ」

「いいなぁ。ラブラブな様子で。私も彼氏くらい早く欲しいですね」


 可愛らしくにこやかに微笑む。

 小夜さんだって素敵な彼氏がきっとできるはずさ。


「あれ以来、おかしな事は起きてませんか?」

「いたって普通の生活をしてる。今にして思えば不思議な事件だった」

「……ここでの悲劇はもうお終いです。これ以上はもう悲しい出来事は怒りません」


 線路はこうして陸橋化されたし、踏切もなくなった。

 自殺はあれ以来、ここではなくなった。

 だが、あのアパートで幽霊の目撃談が消えたわけではないらしい。

 本当にこの場所には何かがいるのかもしれない。

 きっとこれからもずっと……。


「あれが幽霊だったのか、ただの夢だったのか。今となっては謎だけが残る」

「そうですか」

「幽霊なんていないのかもしれない。でも、俺はいるかもしれないって信じてるよ」

「……人の想いは不思議ですね。亡くなっても、魂だけはさ迷うものなのかもしれません。母もここにまだいるのでしょうか?」

「かもしれないね」


 どんなに辛い思いをしても。

 どんなに苦しくても。

 今、この瞬間を生きているこそが全て。


「私、お母さんと同じ道を歩んでいるんです。お母さんはピアノ教室の先生でした。私も子供たちにピアノを教えられるようになりたいなって……」

「いい目標じゃないか。頑張ってね」

「はいっ。頑張ります」


 小夜さんの明るい声に俺も励まされる。

 せっかく生き残れたんだ、俺も頑張らないとな。

 世界は回る。

 人という想いを中心に回り続けている。


「……貴方はそこにいますか? 私を見守ってくれていますか?」

「見守ってくれているよ。小夜さんのことをずっと」

「そう思います。……そうだよね、お母さん」


 ずっと遠くの空を穏やかな表情で見つめる小夜さん。

 優しい彼女の微笑。

 大切な人を想う心。

 俺も同じように夏の夕焼け空を眺めていた――。

 

【THE END】




読了、ありがとうございました。

この作品は一部、俺自身の体験した実話も入ってます。以前住んでいたアパートはよく人身事故の起きる踏切の近くだったので、不思議な現象が良く起きていたものですよ。あの悲惨な光景は思い出したくもないものです。

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