歴史観
神聖ワギナス教国が、まだユーテロトピア大公国と呼ばれていた頃、アキト・ツキシマという優秀な臣がいた。革新的な農業政策、治水工事、城砦の修築、鉱山開発、産業育成、その功績を数え上げればキリがない。この人が天下の人物でしょうな。
と、ジョンは言った。ロバは答えて言う。
確かに其の前半生、シュメール・ユーテロ大公の生きている間は良かったが、大公が病没して、長男スビエルと次男ヌミエルが争った時、この人は居館にこもって酒色に耽るばかりだったそうじゃないか。戦後その態度をヌミエル大公太子に咎められ火炙りの刑に処された。功績大にして前大公より領地を賜り重職を任されていながら、国家の一大事に当事者意識の欠ける進退は到底まともな人間のものではなくコウモリにも劣るとの罵倒は免れ得まい。そもそも下賎の者が場当たり的な知恵を顕せども、所詮その本分は卑しく考えは狭歪、国の柱石として用いるには寸が足りないのも道理。その道理もわきまえず目先の富に目の眩んだシュメール大公もまた、愚鈍の仁であったと言えるだろう。歴史を見ればアキト・ツキシマの如き小才士は幾らもある。その程度の者を一々語られては、聞く方は、とてもとても時間が足りない。
戦勝祝賀会にアキト・ツキシマの到着が遅れた。その時、ヌミエル・ユーテロ大公太子へ一人の臣が言った。大公の領内に置かれましては、誰も大公を恐れていないとか。なんでも、直接に税を納める満平君(アキト・ツキシマ)だけを恐れており、秋の収穫や出来上がった酒、潰した羊なども一番に満平君へ献上し、その後で大公堂(歴代大公を祀る堂)へ供えると云います。私が思いますに、大公の武徳の元で万民を平らげて治めていない事が、奸賊の容易に蔓延る原因なのです。唯一人の指導者、土地、人民、大公様の傘の下での平等安心。これこそが威徳の厚い我が主の治めるべき本当の国の在りようだと臣には思われます。
大公は奸賊を討ち、人民に号して曰く。強者も弱者も等しく我が人民である。相争わず、親睦を持って、我が国土に暮らす事。以後、農地を平等に分配し、職人を科学的に管理する、と。
この宣言を聞いた農民は、涙ながらに言った。
強い者も弱い者も、共に産物を分け合える平等な、そんな日が来るなんて、どれだけ待ち焦がれていた事か。
農民は喜び、駆け出した。三日間喜び続け、やがて国境を越えた。
座って喜んでいた多くの者は三年の内に飢えて死んだ。
「良い文章家は誰でしょう」
「そりゃぁ、フォーフロムに決まってる」
「そうでしょうか。確かにフォーフロムは万巻の書を残しましたが、誰もその言葉を引用しません。一方で、アンティリの文は百二十八文字しか残っておりませんが、広く人の口に膾炙して、人の目に五月花しています。本当の文章家はどちらでしょうか」
ロバは居住まいを正して、ジョンへ言う。
「これからは貴兄を先生と呼ぼう」
「止して下さい」
ロバでさえ、見識を誤る事がある。
「フォーフロムの書には、ペニスの無い男が活躍したり、ペニスの無い男が悲劇的な事件に巻き込まれたり、そういう伝が多いですね」
「そりゃそうさ、ペニスの無い男は、憧れであり、同情憐憫であり、尊敬だからね」
ロバは誇らしげにいなないた。
こう云った部分で、「路罵経」よりも「存子」を重視する考えが、当時から根強く支持されている。ロバはフォーフロムの修正観に影響され、ジョンは距離を置いている為だ。