潮目
クローメ国、ワギナスとの国境砦にバディ・ハッドラムと云う守将がいた。下士官が守将へ言った。
「ワギナスに動きがあるようです。王都へ援軍の要請をしますか」
「まあ待ちなさい。ワギナスは自軍の損耗を抑える為に、アッカーマン軍を前方へ押し立てて開戦するつもりらしい。対してアッカーマンでは派兵を渋っているそうだ。他人の手を借りてパンを食う者は居ないように、他人の手を借りようと画策している間は大丈夫なものさ。我々が援軍を要請するのは、ワギナスが自分の手でパンを掴もうと決めた時だ」
半年経ってワギナスは独自に軍を編成し始めた。バディ・ハッドラムは顔危王へ援軍を要請し、国境砦を守り通した。
「ジョンザ・コンカーは何故あれほど勝ちましたか?」
「必ず相手より人の数が多かった」
「トリス・ボルチアは何故強かったのでしょう?」
「部下が真面目で、大将が阿呆だったから」
「トリスは阿呆ですか?」
「夏の暑い時に、部下を引き連れて砂漠へ遊びに行き、雨が降れば川で遊び、冬は山へ雪見に行く、吹雪いている中をだ。トリスが若い頃から馬鹿と言われたのはこう云う事も影響している。若輩の頃から何十年と兵を南北に振り回していたのだよ。だからトリスの私兵350は殊に強かった。大将の戯れに付き合うより交戦している方がよほど楽だったからね」
「一方的に大勝するような戦例はありますか」
「掛け金が吊り合わなければ戦は始まらない。お互いが自分有利で相手は不利に気付かない馬鹿野郎だと思っている時、掛けは成立する。相手有利かつ自分不利の状況で一方的に殴られる奴は居ない。糧食をむさぼる大兵力を小さな儲けへ全投入する奴はいない。もし居るなら、それは愚者のこさえた御伽噺だろう。愚者は恐れが足りない、隠者は怒りが足りない」
奇機を以って、対手の勢を動かし、自身の勢を押し込む。彼我の差が大きくなった時、大きいと勘違いしてくれた時、一発逆転の奇襲や、全軍突撃を始める。一度この形になれば、精神的に逃亡させながら、誇り高く勇気ある敗北を用意してやりながら闘わせ続け、財産を掠めるだけの単純作業だ。
面倒なのは一発逆転を想わず城を枕に討ち死にする者、闘争心の萎えぬ者。こちらは時間と人員の犠牲を支払って敵兵を一人残らず摺り潰す必要がある。焦れて優勢を頼みに総攻撃を掛けた途端、パッと勢が入れ替わる。
銭稼ぎでも、合戦でも、個人の立会いでも、印象の食い合いでも、自尊心の潰し合いでも、およそ利害の割れる所に現れる。
奇機とは局所的敗北を迫る事である、兵に群ではなく個である事を思い出させる事である。後方都市の住民の良心へ訴えて厭戦を促す事、主食のグゥリ小麦中に毒を混ぜて不買を引き起こす事、現金輸送を襲って手間を掛けさせる事、幼児を誘拐し怯えさせる事もそうである。
顔危王は官吏の献策を容れ、神聖ワギナス教皇国へ平身低頭し、和睦の使者を派遣した。贈答品の中に、クローメ国中の職人の粋を結集して仕上げた妙なる刀剣が四本あった。教皇は一本を私蔵し残る三本を三人の愛臣へ下賜した。顔危王は特に上質な一振りを賜った臣を唆して対アッカーマン兵器工房を運営させた。
同様にアッカーマン国への和議の贈答品へ、三つの妙なる耳飾りを含めた。王は三人の寵姫へ下げ渡した。最上品質の耳飾りを賜った一人を唆して対ワギナス謀略を王の耳へ吹き込んだ。
ニ国は憎み合った。顔危王は官吏の智謀を恐れた。




