ワギナス興隆4
ソーマ・トーヤは、第五代目の財務機構長官に就任した。それ以前の経歴が「聖典」より他に残っていないことからも絶大な力を持っていた事が窺える。
彼は財務機構長官を教王、王を法王と呼び替えさせた。さらに法王の再定義に着手する。法策定の権限を切り離し、裁判のみを法王の機能と定めた。法の策定は教王庁立法院が担当し、徴税、予算分配、軍事は行政院の担当とした。立法院の三割を枢機院系の席として法王派の懐柔も忘れない。
また次期教王は表向き行政院選挙で決めるのだが、立候補できるのは巧みな方法で条件付けられ結局はトーマの一族に限られた。彼らはソーヤ十三支族と密かに呼ばれた。実際に初代教王トーマ・ソーマの養子セーヤ・ソーマが二代目教王であり、その弟トーヤ・ソーマが三代目教王、のち改め初代教皇トーヤ・ワギナスである。
ここに実質王政の神聖ワギナス教皇国は完成した。
教国の制度で特に言及すべきは婚姻と人別帳を紐付けたことである。性産業協議会、いわゆる性協会を、聖教会婦人部として再編し、女性のみとは云え頭数管理体制を構築したのは快挙であった。それまでは棟単位か集落単位の管理が一般的だったが、単位を細分化する事で行政はより技巧的進化を遂げる。もう一点、男の欲望解消を制度化し一括管理したのは、教王の権力の源泉に成ったと言えるだろう。日曜の礼拝、青少年の健全な信仰育成、肉体的な聖体験の告白と懺悔による魂の聖体験、礼拝不適合者の炙り出しと青年団への勧誘の最適化。青年団には教王トーマ・ソーマ自ら礼拝指導をしたと云う。そこで開花した青年を次々に要職へ取り立て、養子の契りを結んだ。
国の全ての女児は10歳で、身分が一旦、聖教会婦人部預かりのシスターとなる。その後、希望者が居れば、誰か一人の男性の元へ長期派遣される仕組みだ。この長期派遣の事を他国では婚姻と呼ぶ。
また派遣される事なく、本部業務を主とする者がおり、中でも二つ名を持つ「聖女」が三人居た。他のシスターが20~30分かかる礼拝に、わずか5分もかからなかった。「聖杯」「千の癒し手」「天上歓喜」の事である。




