屋台開店です
パダムさんがジェロムを食べた後、宿の食事も食べてお湯でお互いさっぱりしてから少し話した。
明日からかは解らないけど、屋台をするなら客を呼び込む愛想はふりまけるのかとか。
色んな料理の名前を覚えないといけないから、暗記の練習しようだとか。
お客さんにどんな料理を出せるか聞かれて、それに答えられないのも将来的にはまずいかもしれないから、実際に食べてみる必要があるとか。
色々。
私はお客さんの言った食べ物を出せばいいだけだから、記憶なんていらないかもしれないけど。
実は今日はこういう気分だけどなにかいい食べ物ある?なんてシチュエーションで、すっとお客さんに合った食事を出すのは密かな憧れだったりする。
ソレに多分私が料理の事を知らなくて支部長さんがサポートしてくれるのは食堂でだけの話だと思う。
そこまで甘えるわけにはいかないし、甘えさせてもくれないと思う。
と、ここで気づきましたよ。
屋台で出すメニューの値段を支部長さん任せにするといったけれど、この世界の識字率ってどんなものなの?
ギルドで使っているのは羊皮紙だし、色々と上の空で頷きながら支部長さんと書いた契約書?も全部羊皮紙。
もっと製紙が進んでいないと識字率なんてそんなに高くないんじゃないんですかね。
そうなるとメニューの有効性が疑問だ。
やっぱり何がどんな料理なのか書き留めて、お客さんに説明してお勧めできるようにするメモは必要だよね。
でも残念ながら今の所それを作る運転資金は無い。
宿屋もいつまでもここを取ってくれるとは限らないし、お金は出来るだけ余分な分を取っておきたい。
しばらく暗記かぁ、と思うと凄く緊張した。
思わず同じベッドで寝るようにお願いしたパダムさんのふっさふさの胸板にしがみつきながら。
「パダムさん、私ちゃんと屋台出来るますかね」
「どうした。力を神様から貰ったんだから安心だろう」
「ご飯を出す力は貰ったけど商売の才能は貰わなかったのです……うう、こんな事なら火を起こす力じゃなくて商才を貰えばよかったです」
すいません神様。
後悔するかもしれないと言っておいて二日目で早速後悔しています。
「ううむ。商売の事となると俺もな。部族では狩りで済んでいたからな」
「うーん。こういう場合売り子さん……でも売り子さんを雇う余裕は無いし」
「売り子?それはどういうものだ」
「えーっとですね。道行くお客さん候補の人達に『いらっしゃいいらっしゃい、思い出亭の料理は美味いよ!今はもう食べられないあれやこれも食べられるお店だよ!』って感じに声を掛け続ける仕事ですかね」
「ふむ……そのくらいなら俺がやってもいいかもしれないな」
パダムさんがぽすぽすと私の頭を撫でながら言ってくれる。
でも私的にそれは不安が……。
「パダムさんの顔で叫ばれると子供とかが怖がるんじゃ……」
「怒鳴るわけではないだろう。俺の声は良く響くとアジャムの闘士仲間の間ではよく言われたものだ。任せておけ」
「ふむふむ、じゃあお願いしますねパダムさん」
「おう、任された
「あふ……なんだか色々考えたら眠くなってきました……おやすみなさいパダムさん」
「ああ、おやすみキリコ」
私は本格的にパダムさんに身を任せて、頬っぺたをぺたんと硬い胸板に預けると、そのまま寝てしまいました。
夢の中で私は何度もお客さんに叱られて泣きそうになって、その度に起きての繰り返しでしたが、明日はなるべくなら早めにギルドに行きたいんです。
だから、無理やり寝ました。
こちらの世界では就寝が早ければ起きだすのも早い、薄もやに包まれる街をちょっとぼんやりした頭で歩いて。
また商業ギルドに顔をだしました。
すると受付にはラセルさんが居て、こちらに気づくと涼やかな声で私を呼んだ。
「申し訳ありませんキリコ様。実は支部長から改めて屋台の件でお話があると……」
私が用件を切り出そうとする前に言われたその言葉にちょっとぎくりとなる。
もしかしてやっぱり屋台はダメっていうお話かな。
そう思いながら昨日と同じように支部長さんが待っている部屋に連れて行かれると、屋台は今日からでも始めて良いという、私が聞きたかったお話ともう一つ。
屋台のメニューは思い出の一品だけにして欲しいというお願いだった。
実は昨日私が帰った後ギルドの人と会議をしたら、仕入れ値無しで料理を提供できるのにこの街の産物まで好き勝手に売らせたら市場荒しになってしまう、って事になったとか。
そっかー、それはダメだよね。
他にまじめに卸しの人と関係を作って頑張って利益を出してる人達と私の力を比べたら私の力は強すぎる。
そんなわけで、私の屋台のメニューは自然と思い出の一品10セムに決まったのでした。
100セムで小麦一袋だから、10セムというのは結構なお値段です。
支部長さんはあくまで私の本業は食堂であって、屋台は儲けが出なくても気にしないように、と言ってくれた。
うーん、たしかに気楽ではあるんだけどちょっと寂しいかも。
自分のしたいことはオマケって感じなのが、少しね。
で、とりあえず屋台の営業許可証を貰って……昨日一度10,000セム硬貨を返してもらったけど後でちゃんと払ってました……さっそく宿屋にパダムさんと屋台を取りに帰りました。
あ、帰りがけにラセルさんに経理の話、どうする?と聞かれたので人を雇える安定した収入ができたら支部長さんにお願いしておく事にしました。
そしたらまた証書ってことで書類を書いたんですけど、やっぱり緊張します。
思わず言われるがままの文面で書いちゃいましたけど、あんまり無茶な条件は入ってなくて安心したんですけど。
ラセルさんにはこれは書面を取り交わす人もつけないとダメかもね、なんていわれてしまいました。
こうして準備が整ったのはいいんですけど、ちょっと朝の屋台を出すには時間が遅くなってしまったね、という事で翡翠亭でパダムさんにご飯を出してます。
今回はガバーナっていう、なんだか長い物をぶつ切りにして照り焼きにしたような白身肉。
一皿に直径4cmくらいの大きさのぶつ切りが30個くらいのってるみたいなんだけど、そうなると元々は1.2m?
その大きさと太さから蛇みたいな生き物の照り焼きかなと思って聞いてみたら。
どうも口がどこにある変わらない先端の丸い筒状の地下に生きる生き物を使うとパダムさんが言ってたから、蛇じゃなくて、み、ミミズ?
本当なら砂抜きするのが大変な料理なんですって。
それでパダムさんはここまで砂の混ざっていないガバーナは初めてだって言っていたので、やっぱり私の貰った力はチートみたいです。
味を聞いたら、プルプル肉というより脂肪みたいな柔らかさのお肉に甘辛いタレが絡んで非常に美味だそうで。
ついつい私も1つ貰ってしまいました。
そしたら本当に美味しくて、原型さえ解らなければいいんじゃないかな……って気分になりました。
さて、パダムさんのご飯が終わったらお昼になる少し前に間に合うように街の中央広場に向けて屋台を牽いてもらって出発進行です。
パダムさんは少しでも鍛える為と言って、屋台のカウンター側に私を乗せて人にぶつからないようにちょっと太いひげをひくひくさせながらゆっくり牽引します。
「そういえばパダムさんって闘士ってことはやっぱり、修行とかしたいですか?」
「そうだな、状況が落ち着いたらしっかり鍛錬を再会しないとな」
「鍛錬って、一人でもできます?」
「そうだな……さすがに一人での鍛錬には限界があるかもしれないな。できれば仕合う相手が欲しい所だ」
そういわれてふむ、と考える。
パダムさんは初対面の時アジャム族一の闘士だと自己紹介しました。
そうなると、自分の武に誇りを持っていて、ソレを錆び付かせるなんて耐えられないのではないでしょうか。
なら、と思って私は口を開きました。
「パダムさん。対戦相手欲しいですか?」
「欲しいと言えば欲しいが、祈念法で従者を呼ぶのは結構な負担だろう。無理はしなくていいぞ」
「んーと、祈念法での召喚で大変なのって実は契約を結ぶ段階だけなんですね。召喚した相手がどんな条件を出すかって言う、その一点なんです」
ゴトゴトと音を立てて進む屋台の前方で、私から掛けられた言葉をパダムさんは吟味してから。
ゆっくりと口を開いたようです。
「では召喚する時の呼びかけによってはさほど労の少ない契約を示す相手を呼べるかもしれない、という事か?」
「そうですね。だから、パダムさんは部族一の闘士なわけですから、強い相手と戦いたい人こいーと念じれば、パダムさんとの勝負を条件に従者になってくれるかもしれないんです」
「ふむ。なるほどな」
「ただ、問題は他の所にもあってですね」
「どういうことだ?」
なんだかパダムさんの闘志をあらわすが如く天を突いたり鉤のようにフックしていた尻尾が止まる。
「下手するとですね、強いのはいいけど戦闘狂みたいな相手が呼び出されて、周囲にあまりよろしくない影響を出しちゃうかもしれないということがですね」
「ああ、なるほどな。それは考え物だな。強者との闘争はいいものだが、獣が相手では真の強さは計れん」
「ですよね。私は戦う強さとか良く解らないですけど、パダムさんはそこらへん一家言ある人だと思っています。だから難しいんですよね。すいませんパダムさん。お呼びだてしてしまって」
「ん?ああ、気にするな。キリコは呼んだ。俺は答えた。それで話は終わりだ。俺が後悔するとしたら、鈍った体でキリコを護れなかった時だけだ」
「パダムさん……ありがとうございます」
ゆらゆらとバランスを取るパーツとしての役目を取り戻した尻尾が揺れるのを見て、私は深い感謝の念に埋没しました。
だって、パダムさんはこんな私にはもったいないくらい強くて優しい人で、頼れる人なのですから。
うーん、だからパダムさんの身体を鈍らせたくないって言う気持ちをどうにかしてあげたいんですけどね。
むむむ、やっぱり祈念法で召喚?
でもそれをするなら呼びかける言葉は良く選ばないと……。
あ、でもパダムさんは護衛なんだから私から眼を離さなきゃいけない試合相手とか呼んだらだめかも?
うぅ、自分で聞いておいてなんだけどあきらめてもらおうかなぁ。
「パダムさんパダムさん」
「なんだキリコ」
子供のような私からの呼びかけに嫌がる素振りも見せずにパダムさんはこたえてくれる。
お兄ちゃんとかいたらこんな感じなんですかね、と思いながら後を続ける。
「パダムさんやっぱりさっきの話、忘れてください」
「ん?なんだかわからんが解った」
あまり興味なさげにゆらりゆらりと動く尻尾と、しなやかに鍛えられた背筋と、きゅっと締まっているのがふんどしの上からわかるお尻をついつい拝見しながら一人、ほっと一息です。
それにしてもほんとパダムさんの身体って本当、芸術品だよね。
黄金色の中に虎柄の黒が走る背側の毛皮と、昨日宿屋でお湯を使って綺麗にしたのでふっさりとしている白い腹、性格には身体の内側の毛並み。
その下で普段はとっても柔らかい柔軟な筋肉がお仕事をしているのが見える。
はっ、お尻ばっかり見ていては痴女ではないでしょうか。
ここは肩甲骨の辺りを見ることにしましょう。
あ、よく見るとパダムさんの耳凄いぴくぴくしてる。
あれで周囲を探ってるんでしょうか。
体格の割りに小さな耳がぴくぴく動くのはちょっと可愛いです。
あ、そんなこと考えてたらとうとう役所前の中央広場に着きましたね。
よ、よしっ。まずは屋台を広げて……。
「お、思い出亭ただいま……か、開店……その……おもひでの料理をぉ……」
自分で精一杯声を出そうとした結果、大失敗しました。
うわぁあぁぁ!やだもー!呼び込み一つ満足に出来ないなんて!
声が出ない、続かない。
思わず屋台の影に隠れてしまった私。
そんな私の頭上を張りのある、渋くよく通る声が通り過ぎていった。
「本日から開店の思い出亭をよろしく!どんな料理でも料金は10セム。思い出の中でどうしてももう一度食べたいあの料理、食べたいなら来るが良い!」
パ、パダムさん!それは闘士としての名乗りなら正しいかもしれないですけど、客商売としてはダメですよ!
殿様商売ですよ!
と、私とパダムさんの始めての屋台は始まったのでした。