第一章 突然の岐路
「リョー」
涼やかな声で名前を呼ばれ、振りかえる。
そこにいたのは同い年の友人、ラヘエラだった。
「ラヘエラ、今日来てたのね」
「ええ。少し総督院のほうに寄っていたの。先生にお聞きしたいことがあって」
エディアール国立総督院はエディアールの全ての軍勢が集う騎士たちの最高機関である。そこに付属するここ、近衛騎士育成寮の講師は全て現役でバリバリ活躍する近衛騎士(先輩)たち。
結果、授業がないときに何か用があれば、生徒たちは総督院まで足を運ばなければならない。
総督院から寮までの距離は決して短くはない。
そこまでの労力を惜しまない友人の真面目さが、リョーにははっきりとみてとれた。
「もうすぐ卒寮試験ね」
「A科の、でしょ」
近衛騎士育成寮には第一次、二次、三次と三回の卒寮試験が存在する。しかし難易度も三つに分かれおり、一番難しいのは一次試験、一番簡単、というより通りやすいのは三次試験である。
勿論試験には全員が受験できる。しかし一次試験に通るのは毎年優秀なA科の生徒ばかりだ。一次試験を通れば近衛騎士となった直後に出世したようなものだが、その難易度から辞退し、一次試験より『マシ』な二次試験を目指す生徒のほうが多い。
近頃なんかは誰がいい始めたのか、揶揄して『A科生徒の卒寮試験』なんていうものがいる。
B科の中でも普通レベルの自分とA科でも優等生のラヘエラでは各が違う。
「そんな、あなたは真面目なんだからきっと一次でも通るわよ」
「真面目か不真面目で試験の合否は決まらないの。優秀かどうかで決まるのよ。まあ、わたしは最短距離で近衛になりたいわけだし、一次受けるけど」
「そうなの? じゃ、お互い頑張らないとね」
くすりと笑うラヘエラに気持ちが穏やかになる。ラヘエラの優しいところがリョーは好きなのだ。
「気持ちはほぐれたかしら」
「え?」
「寮内の試験への緊張にあなたもつられているみたいだったから。このままだとあなた、緊張のあまり泡でも吹きかねないでしょう?」
「んん?」
何を言っているのかわからないリョーを置いて、ラヘエラは背筋を伸ばす。パッと金髪をかきあげた美しい仕草に寮内の数人が足を止めたことにも意識を向けない。
穏やかながら、真剣さが伝わってくる。
「総督院の方からあなたを呼ぶよう、言付かったわ。知らない人だったけど、あなた何をしたの?」
*******
もちろん、そう言われて何か心当りがあるほど、リョーはやんちゃではない。だから総督院の立派な廊下をどぎまぎしながら歩いていた。
とにかく年上ばかりの人間たちの中でリョーは目立つ。
寮の制服は近衛騎士のものに似せているが、あちらは白地に金糸を使った荘厳なものである一方、こちらはいささか地味なのだ。
制服ばかりではない。他の外見でも目立つ。
同年代の平均よりも格段に低い背丈に、エディアールではまずいない黒髪に黒曜石の瞳は人とすれ違うたびに物珍しげな視線が注がれる。
「……………むぅ」
何度目かに人とすれ違ったときにはリョーはもう体を縮こまらせて唸っていた。
視線の海に浸され、居心地は非常によろしくない。リョーは歩調を速め、さっさと事務室の窓口に向かった。
「あの…」
「はい? なんでしょうか」
事務員は年端もいかないちっちゃい少女を見て一瞬目を丸くさせたが、すぐに事務的な口調になる。リョーも気にせず言葉を続けた。
「呼ばれて来ました。近衛騎士育成寮の生徒の───」
「リョー=カルニャ嬢かい?」
名乗ろうとしたリョーをさえぎり、背後から声がする。恐る恐る振り替えると、「ああ」と納得したような面持ちの、壮年の男性がいた。
「やはりそうだね。こんにちは。私はジェノエフ=クルスス。君をここに呼んだのは私だ」
「……………は、はあ」
「とりあえず、場所を移そうか。話せる場を用意しているんだ」
そういってジェノエフと名乗った男と移動したのは応接室だった。
気品さが漂う部屋と、ふかふかなソファにリョーはもう逃げ出したかった。萎縮しすぎて先ほどからキリキリと胃も痛みだした。
そんなリョーは誰が見てもびびってるのは明白で、ジェノエフは苦笑している。
「すまないね。本来ならもっと正式な場でするべきなのだが、君は寮生だから一応は総督院預りなんだよ。そしてここからの許可をとるのは面倒くさい。だから私が直接赴くことにしたんだ」
「へえ……」
「しかし寮に行くか迷ったところで君の友人に会えたのは運が良かった。これで私のメンツがつぶれなくて済む」
「……………はは、そうですね」
ジェノエフの輝く笑顔がからかいのそれであることにも気付かず、適当に相づちをうつリョー。気付かないのはさっきから頭の中で、何の用だろう何の用だろうと繰り返しまくってるからだ。
と、
「それで」
ジェノエフの口調が一変した。びしりとリョーの背筋も伸びる。
いよいよ本題だ。感じとれる緊張感にどくどくと心臓が鼓動を更に加速させる。
「君への用なんだがね。ある伝言をいいにきたんだ」
「でん、ごん?」
「そう。……じゃ、さっそくいわせてもらう」
ごほんと咳払いを一つ挟み、ジェノエフの笑顔が消えた。
慎重に、慎重に、壊れ物を扱うような口調が流れる。
「『リョー=カルニャ、貴女を信任してここにいう。私は貴女を────
────『永久機関』専属魔法士に推薦する」
「………………、え?」
あまりに単刀直入で、リョーは思わず自分の耳を疑う。今度は魔法士という単語が脳内を高速で蹂躙していく。
リョーが混乱する一方で、ジェノエフは終わりの合図にまた咳払いを一つ。再び笑顔も戻った。
「と、いうわけさ。ちなみに伝言の主は皇后陛下だよ」
「は、……ぁああ!?」
「返事は一週間以内。王宮に直接手紙を送ってくれればいい」
「ちょ、ちょっと待って! …ください。ま、魔法士ってどういうことですか!」
「ん? 魔法士が何か分かる?」
「陛下に魔法の使用が公的に認められ、直接任務が与えられる特別職務でしょう! それは分かってます、そうじゃなくて! 何でその魔法士にわたしなんですか!?」
一気にまくし立てて質問したリョーの顔は真っ赤だった。肩で息をして、呼吸を整える。
「こ、皇后陛下からの推薦というのはわたしにとってこれ以上ない幸福です。それは本当です。でもわたしは…」
「近衛騎士を目指してきた?」
「………はい」
「でも君は分かってるか? 魔法士がどれだけの地位を持つか」
魔法士は個人だけで、その地位は近衛騎士團団長に並ぶ。そう聞いたことがある。
王族と直接関わる地位がどれほど凄いものか、そんなことは小さな子供でも知っている。
しかし同時にいいことは聞かない。
得体の知れない闇、化物、悪人ぞろい。魔法士は市民たちの間でそんなふうに囁かれている。
「まあ、期限は一週間ある。ゆっくり考えてくれ」
高名な地位が近衛騎士をやるよりも、てっとり早く手にはいる。
そんなことは、どうでもよかった。
でも…………
( 皇后陛下が、わたしを推してくださった…)
それが何よりも、リョーの胸を深く貫いていた。
********
王宮の薔薇園にはエディアール国の皇后、コルネリア・サーサ=ディミニスがいる。
庭に用意されたテーブルや椅子を完璧に無視して、美しく咲いた薔薇をちょいちょい指でいじっている。後ろで侍女が棘に刺さりはしないかとハラハラしているのもおかまいなしだ。
薔薇をいじくっていくら経ったか。コルネリアはガサリと草が音をたてたのを聞くと、陽光に映える金髪を揺らし、口元をゆるめた。
「少々遅かった気がするが? ジェノエフくん」
「…まだ子供の少女に話をしにいくのです。それぐらい多目に見ていただきたい」
飛ばした嫌味に返ってくるものが予想通りで清々しい。つくづくうちの『皇后陛下付秘書官』は優秀だ、とコルネリアは一人ごこちた。
「貴殿が許せば私が直接いいにいこうとしたものを」
「なりません。我らが皇后陛下がたかが小娘のためにほいほい表に出るなど」
「堅物だな。貴殿は」
そうこう言っている内に侍女がお茶の用意を終えていた。甘い菓子を行儀悪く口にくわえ、コルネリアが席につくとジェノエフもそれにつづく。
「それで? その『小娘』……リョー=カルニャと話してみてどうだったか?」
「………陛下のいう通り、今どき珍しいぐらいの忠義者ですね。陛下を出したときの反応が一番大きかった。地位にも名誉にも目もくれない」
「だろう? ああいう人間は極めて純粋だ。それゆえ尊敬する人物の言葉に縛られる。この場合でいうと、私だな」
ジェノエフの表情が一気に曇る。
それは幼い少女がまんまと言葉の鎖にからみとられたことへの同情であり、罪悪感だった。コルネリア皇后陛下の言伝てを担ったのは、他でもない、この自分だ。
「……しかし、そうなるとなぜあの子とリョー=カルニャを組ませるのですか? 明らかにタイプが正反対でしょう」
「ああ。それも悪い方によ。しかし残念ながら永久機関を努めさせるには個人的にあの二人がいいのだよ。片方は王宮魔導師をも圧倒する魔法の使い手、もう片方は誠実な忠義の心をもつ少女。人間関係なんて後からいくらでも変わる。私が重視するのは、個々の特性だよ」
「男女であることは考慮しないのですか?」
「カルニャ嬢がヴァストリハ卿に落ちるかもと? まあ、何でもそつなくこなせ、実力もあり、しかも見目もよいとなるとヴァストリハ卿はかなりの優良物件だろうね。しかしそこは私の管轄外だ」
ジェノエフはもう嘆息するしかない。この皇后陛下が突然何かし出すときの心の内など見透かせたことはない。
結局決めたのはノエラ・ジル=ヴァストリハであり、これから決めるのはリョー=カルニャだ。これからあの二人がどう歩んでいくのか、それを考えるのは皇后陛下付秘書官である自分も管轄外だ。
「まあ」
お気に入りの紅茶を一口飲んだ彼女はあっけらかんと言った。
「そろそろヴァストリハ卿もカルニャ嬢に何かしらコンタクトをとるだろうね。なんせ彼は、そこそこやんちゃで、大変に賢い人間だ」
人のことなんて言えないくせに。そんな苦労人の小言は風とともに流れていった。