母のお弁当
あれは、僕が高校生のときの出来事 いまでも思い出すと胸が痛む あの日の思い出
走馬灯のように蘇る。悲しい 本当に悲しい一行の文章
……
僕の母は昔から体が弱く、よく入退院を繰り返していた
母がそんな状態だったから、母が入院してもあまり気にしないようになっていた
母は… 昔から料理が好きで、給食だった小学校、中学校を除いて毎日のように弁当をつくってくれた そんな母の弁当が、僕は嫌いでしょうがなかった
幼稚園の時 周りの子達は親が他の子供たちの弁当に負けないようにと見栄を張って作った色とりどりのおいしそうな弁当をもってきていた
それに比べ、僕の弁当はこげたものが多く、見栄えも悪いものだった 色もくすんでみえた
今覚えている限りでは…
僕の幼心には、他の子への羨望と母へのはがゆい思いが渦巻いていたような気がする
他の子が食べていたタコさんウィンナーがうらやましかったのを覚えている
高校の時 食堂があるにもかかわらず、母は毎日毎日
体が弱いというのに早起きをして丹精こめて弁当を作ってくれていた だけど、見た目はヒドいもので、正直… 迷惑に思っていた僕がいた
友達に見られるのが恥ずかしくて、毎日食堂へ行き、弁当はこっそり食べていた
……
そんなある日
「今日は、●●が好きなエビを入れておいたからね」
朝、そう笑顔で言ってきた母
急いでいたので生返事をして家を出る僕
昼食時、母のいってことをぼんやり思い出しながら、弁当を明けてみる
確かに… 皮がところどころ残っているエビが、三匹入っていた
正直、、、 食べられるものではなかった
いままでの母の弁当に対する鬱憤がたまっていた僕は、そのまま無言で席を立ち、弁当をゴミ箱にこっそり捨てた
家に帰ると、母は今日の弁当のことをたずねてきた よほど自信があったのだろう
母の弁当に対する鬱憤がたまり、少し残酷なことを言いたい気持ちが芽生えてきた
そして僕は… 言ってしまった
「捨てたよ あんな弁当 それに、母さんがいままで作ってくれてた弁当も、全部捨ててたんだよ あんなきたない弁当、友達にみられたら恥じかくだけだし もう作らなくていいよ どうせ捨てるだけだから」
すべての弁当をすてていたというのは、嘘だ どんなに見た目がわるくても、母さんは毎日丹精こめてつくってくれていた弁当 捨てれるわけがない
でも、そういってしまった 言ってしまった後、ものすごく後悔した
母は… 悲しそうに でも、健気に無理して微笑みを作ると、
「ごめんね 気づかなくて もう、●●が恥ずかしい思いしないようにするから」
そのときの母の悲しそうな顔・・・ いまでも鮮明に覚えている
それから、数週間後 母は入院後まもなく死んだ
また入院かとたいして気にしなかった僕は、見舞いもあまり行かなかった
授業中教室に数人の先生が来て廊下で母が死んだことを聞いた時…
信じられなかった
また、いつもの入院で、すぐに退院する それが僕にとっての当たり前だったのだ
僕はそのまま泣き崩れた
後日… 母の遺品を整理していたら、日記が出てきた。
几帳面な母は、毎日日記をつけていたようだ
中をみると、毎日毎日の弁当のメニュー 作っている最中の苦労などが書かれていた
そして…
最後の日の日記にはこう記されていた
「手の震えが止まらず、エビがうまくむけなかった」
日記はこの一行で終わっていて、続きは数ページしか残っておらず、すべて白紙 あと数ページで日記はなくなる というところだった
僕は… 泣き崩れた あの時の母に対して言った言葉が蘇り、胸を激しく締め付ける
あの時、、、 あんなことを母に言ってしまった自分を殺してしまいたい
そして、後日主治医に挨拶に行ったとき聞いた、うわごとで言っていた母の最後の言葉
「ごめんね ●● おいしいお弁当… 作れなくて…」
読んでくれて、本当にありがとうございます