表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

02

 彼女たちは料理教室の後、ファミレスに来ていた。アケミは有頂天だった。ミカやケイコやほかの友人は彼女を取り囲んで座っていた。彼女たちの行うどんな仕草も、結果的に彼女を煽っていた。店員が遠くで振り返り、密かな注意の視線を送ると、友人の一人が静かにさせようとする。するとアケミは一時的に静まるが、自分を抑えるのに精一杯で、すぐにまた騒ぎ始める。

 「アケミ」友人の一人が言う。

 彼女は笑った。友人たちも笑った。少し離れた席にいるほかの客が、不満げにこちらを振り返った。アケミは興奮していた。笑うたびに性的な快感に似た疲労感を得た。それから、服の下に汗をにじませた。彼女は笑いに犯されているように見えた。レイプされ、喜ぶ、狂った女に見えた。彼女がそうした状態にたびたび入ることを、みんなは知っていた。人に見られることには人を狂わせる快感があり、彼女はそれに夢中になっているのだとミカは考えていた。だからアケミは、集まる視線に不満が含まれていることがわかっても、決して声を低くしようとしないのだ、と。

 「アイツはゴミクズよ」アケミが言う。

 彼女のユーモアには毒があった。彼女の内面の底に流れる暴力的な潮流と人を笑わせたいという彼女の欲求はどこかでつながっていたのだ。周りの友人は出来る限り黙っていた。そうでないときは、アケミの言葉に笑った。たった今、ここにいない一人の友人がそうされたように、アケミの毒舌の標的にされるのが怖かったのだ。彼女たちはほとんど使われないとわかっていても、ノートとボールペンをテーブルの上に広げていた。指先でペンをいじり、そのペンが使われることを期待している者もいた。この環境がどれほど破綻して、ただのおしゃべりな集まりに堕したとしても、勉強会という建前が必要なのだと彼女たちは考えていたのだ。アケミの言葉に笑う間を狙って、広げた料理本をめくることで、集まりの本来の狙いを取り戻そうとする者もいた。あらゆる指示はアケミによってなされた。彼女たちはその日作った料理について復習した。休憩と名づけて、長いおしゃべりを交わした。

 「聴いてるの?オカマ野郎」アケミが言う。

そう言われたテツオは笑っていた。アケミはもう別の人間と話していた。友人を笑わせ、次の話題へと彼らを引き連れようとしていた。テツオは少し困ったように笑っていた。彼のよく見せる笑顔だった。その笑顔はミカに彼の過去を想像させた。彼の仕草には、子供時代に彼がイジメられていた経験があるのではないか、と思わせるところがあったのだ。テツオは、今や誰も見ていないソファの端に座り、話題の中心で彼女たちが笑うのを眺めながら、こっそりとコーヒーを飲むしかなかった。彼は彼女たちに合わせて、ささやかに笑った。

 アケミには自信があった。彼らの前でどんなに横暴にふるまっても、結局は自分が正しいのだと認めさせる自信が。短いが、溢れる髪があった。厚く塗ったファンデーションの中に、大きいが鋭い眼があった。絶えず何かを話している口は、そうでない時も少し開いているか、不満そうに前に突き出ていた。服を買うのが好きだったが、少し時代遅れに見えた。その趣味は、彼女が高校の頃好きだったファッションを未だに引きずっていたのだ。彼女はニュースについて話した。その時ばかりは真面目な顔つきになり、熱い口調で、日本の将来について喋った。何人かは彼女の意見に感心したが、何人かはうんざりした。アケミは自分の意見を話さなかったからだ。ほとんどがニュースのコメンテーターの意見の引用だったのだ。

 彼女にはまるで、そうして横暴に振舞うことが生まれついての権利であるかのように思わされるところがあった。不満を持ちつつ、誰もが彼女の横暴さに内心で納得していた。人々の前で呆れるほど喋り、まるで舞台の上にいるみたいに大袈裟に手振りし、思ったとおりに人を笑わせるアケミに、彼女たちはどこかで畏怖していた。アケミだからね、と彼女たちはよく言った。仕方ないわよ、とも。彼女たちはよく笑った。笑うことで、自己防衛する必要があったのだ。

 彼らの中で一人だけ、ミカはハンバーグを食べていた。友人たちは煙を上げながらやってくるハンバーグを見て沈黙した。どうしてかわからなかったけど、アケミが機嫌を損ねるような気がしたのだ。ハンバーグは地上に降り立った宇宙船みたいに、もくもくと場違いな煙を上げながらテーブルの上に置かれた。煙は長いこと収まらなかった。ミカが上から垂らしたソースの音がバチバチと音を立てた。その音はアケミの支配が崩れる破裂音に思われた。彼女たちは突然現れた異物に困惑し、囁き合い、憎しみを抱いた。誰も口には出さなかったけれど、ミカがハンバーグを食べるべきでなかったのは明らかだった。

 「あのゴミ野郎」誰に言ったかはわからなかったけど、アケミはそう言った。

 トイレに飾られた鏡に向かいながら、ミカは自分の瞳の濁りに疑問を感じた。テレビで見る女優の白い瞳には到底及ばない。彼女たちが特別に何か処置を施しているのか、それとも、自分の瞳が特別に汚れているのか?幼い頃から、目が痒くなると強くこする癖があったから、それが原因かも知れない。黒目の側に茶色い濁りが澱んでいる。左右に細く伸び、ところどころに不吉な水たまりが。彼女はポケットからジップロックを取り出すと中から爪楊枝を一本取り上げた。口の間に食べかすが詰まっているのは我慢出来なかった。それを爪楊枝で取るところを、人に見られるのはもっと我慢出来なかった。透明のジップロックに入った爪楊枝を見ると彼女は、「爪楊枝も腐ったりしないのかしら?」とよく疑問に思った。ジップロックに入れられることで、爪楊枝に食べ物という性質が錯誤して交じるからかも知れない。爪楊枝はジップロックの温い底で、沈黙を分かち合っていた。

 彼女が席に戻ると、それに似た沈黙が彼女たちに満ちていた。

 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ