06. 御者イースからの“楽しい一時”
翌朝はよく晴れ渡り、沁み入るような青空だった。疎らに転がる深夜まで及んだお祭り騒ぎの名残が、乾いた冷たい空気で満ち朝の陽に白く照らされた街をどこか空々しくさせた。
ナズナはそんなまだ人気の少ない街中を、革のリュックサックを背負いのんびりと歩いていた。
辿り着いた乗合馬車の待機所は、第一便の出発を待っている人たちで多少の賑わいをみせていた。軽食を扱った小さな屋台が幾つか出ており、そこで朝食代わりに棒に巻き付けて焼かれたパンのようなものを買うことにする。手近な岩の上に座りもぐもぐと咀嚼していると、後ろから声を掛けられた。
「おはようさん。今日はどこまで行くんだい?」
「おはようございます、イースさん。今回はユーデリック村まで仕事です」
振り返り挨拶を返す。そこにいたのはモカ色の短い柔らかな髪とこの国で最も一般的な焦茶の眼を持った穏やかな青年だった。簡易な服装に剣を帯びゆったりと佇んでいる。彼は乗合馬車の御者であり、ナズナが世話になった人の一人でもあった。
ナズナが横にずれ場所を空けると、イースは隣に腰を下ろした。
「こんな朝早くからかい?大変だね」
「いえ、途中でヒルビアに寄っていこうかと」
もぐもぐとパンを食べながらナズナは答える。喉が渇いてきたなと思うと、イースが水筒を差し出してきた。ナズナのリュックの中にもあったが、イースの心遣いを有難く受け取ることにする。
「あー…黒狼衆のところに行くのかな。そういえばダンバートさんが騒いでたよ、ナズナが全然来ないって」
「ほんとですか!?………行くのが怖くなりました」
「あははっ、あの人過保護みたいだからね。お説教でもされるのかい?」
「お説教ならまだ良いですよ!ほら、あの人口下手じゃないですか。きっと代わりに扱かれます…」
近く訪れるだろう未来を想像したのか、ナズナは自身を緩く抱き締め遠い目をしている。イースはそんなナズナの頭をポンポンと軽く撫でると、岩から軽快に腰を上げた。
「さあ、そろそろ出発だ。ヒルビアに行くのが楽しみだね?」
「ゔーっ」
食べ終えたパンが巻き付いていた棒を握り締め、唸り声を上げて座り込んだ岩から動こうとしないナズナの手からヒョイッと棒を抜き取ると、イースは軽く笑った。
「わかってるんだろう?」
「…………まぁ」
長く息を吐き出し、ナズナは小さく答えた。
ダンバートは不器用な男であるとナズナはわかっている。
彼は一度身の裡に入れると溢れんばかりの愛情を注ぐのだ。しかし照れているのか、傭兵集団・黒狼衆の団長という立場からか、素直にそれを表さない。いつだって飄々としている上に、口に出す言葉は捻くれひん曲がっているのだ。
出会った当初は額面通りに受け取り、ナズナは傷付いてばかりだったが、何重にも覆われた裏側が見えればいっそ微笑ましく思えた。だからといって訓練に手を抜く男ではないので、なかなかの実害があるのも事実である。
害があるにも拘らず、そんな不器用ないい歳したオッサンを可愛く思えてしまう自分に不安を覚えたナズナは、ダンバートを心の中でツンデレ団長と呼び心の安寧を計らっていた。
表情が柔らかくなったナズナに、リックは手を差し出したすと、戯けたように言った。
「さあ、参りましょうお嬢さん。急がねば日暮れまでにユーデリックまで辿り着けませんよ?」
ナズナはイースの手を取ると、調子を合わせてにっこりと微笑む。
「ええ、そうね。願わくば彼らが早めに解放してくれん事を」
そう言いうと、ナズナはヒョイと岩の上から飛び降りた。
互いに手を取り合ったまま、口調はそのままに仕草まで貴族の身振りに変えナズナは訊ねる。態と大げさな身振りをしているにも関わらず、本当の貴族のような気品があった。
「今日はあなたがヒルビアまで共に向かって下さるのかですか?」
「はい、そうです。本当はどこまでも共に参りたいのですが、本日の私にそれは許されておりません。なればこそ、道中の楽しい一時を約束致しましょう」
イースは恭しくそう言うとナズナの手の甲に軽く口付けを落とし、手を放した。
「まあ、本当に!?それは楽しみです!約束を違えたならば針を千本ほど飲んで頂きますわよ?」
「…………………っくは」
手を胸の前で組み少し高い声ではしゃいだような声を出し、左手を腰に当て右手を顔の横で念を押すようなかたちで添え、人差し指を上半身とともにズイと突き出すという演出過多なナズナの仕草に、イースは思わず吹き出した。
それを引き金にナズナも笑い出す。
「なんだい、針を千本って。恐ろしい事を言う」
口元に拳を当て、笑いを抑えながら途切れ途切れに言うイースは、早くも涙目である。
「私の国の定型文です。それより何ですかあの口説き文句!体がむず痒くなりましたよ」
顔の下半分を手のひらで覆い震えた声でナズナは言うが、区切り毎に笑い声が漏れてしまう。
「君こそあの過剰な演技!今時役者だってしないよ」
ナズナの仕草を思い浮かべたのか、抑え切れずにくつくつと笑いが零れる。
「それを言うならイースさんこそ。手に口付けなんかして、あなたは騎士ですか!」
その言葉を皮切りに二人して吹き出し、腹を抱えて人目も憚らず笑い出す。
ヒルビアまでの道中ナズナはイースと共に御者台に座り、約束通り楽しい時間を過ごした。
朝の瑞々しい空気とイースとの面白い会話はナズナの頭をスッキリとさせ、深みを増していく青い空はナズナに元気とやる気を与えてくれた。