02. ナズナとヴァイス(2)
溜め息を吐き青年に一瞥くれて、少女は読みかけの本を鞄に仕舞った。ビル群のごとく積み重ねられた本たちを、黙々と元の場所へと戻していく。
全てを戻し終えると、未だ倒れ伏している青年に声をかけた。
「いつまでそうしてるの。私はもうそろそろ帰るけど」
青年は瞬時に立ち上がり、ニコニコと少女の元へ駆けていく。
少女は今日何度目かしれない溜め息をついた。
「私、あんたの将来が心配になるわ」
殴られ蹴られても、その加害者へと尻尾を振る勢いで嬉しそうに近づく青年に憐れみと少しの恐怖を覚えつつ、そう呟かずにはいられない。
「なんだ、俺の身を案じてくれるのか?」
「どちらかというと頭の方を。あとそのドMっぷり」
「俺は断じてMじゃないぞ!どちらかというとSだ!!」
それは偉そうに言うことじゃないと少女は心底うんざりする。
先程の攻撃を少女は手加減抜きでやっていた。青年に通用するとは端から思っていないが、それでも少女の能力を考えたら多少は効いたはずなのだ。そもそも避けられるのに何故避けないのか。それを考えたら一つの結論にしか辿り着かなかった。
「殴られても蹴られても嬉しそうだったじゃない」
「お前だからだろう。それに自分で殴っておいてあたふたと心配する姿は可愛かったぞ」
「…………」
やはりマゾじゃないかと思いつつ、これからは心配してやるものかと少女は心に決める。話ながらまとめた荷物を抱え、青年に振り返った。
「まぁいい。私は帰るね。あんたもきちんと仕事しな。レイクにまた怒られるよ」
「……わかっている」
青年は、少女の素っ気なさに肩を落とした。
知り合ってかなりの月日が経っているにも拘らず、彼女の態度は出会った頃と変わらない。甘さが全くないことに、日頃の結果なしと切なくなり項垂れた。
視線を感じ、青年は顔を挙げる。少女に射貫くような眼で見据えられていた。
何の感情も映さないのに強い意志を感じさせる瞳に、青年は吸い込まれるような錯覚に陥った。
「………ねぇ、契約解除してくれない?」
「無理だ」
会う度繰り返される問答。
「じゃあ契約内容を教えて」
「嫌だ」
もはや決まりきった遣り取り。
魔法で居心地よく温度調節しているはずの空間で、青年は凍てつくような寒さを感じ、肌がピリピリと痛んだ。互いに眼を逸らすことはせず、耳が痛い程静かな時が流れていく。
緩まない空気に永遠を感じる。
「………はぁ」
少女の脱力した溜息が響く。
途端空気が緩み、先程までと変わらなく流れ出す。戻ってきた居心地の良さに、青年はそっと安堵の息を漏らした。
ふと、今の時間に気が付く。地下なのではっきりとはわからないが、恐らく日が落ちてからかなり経っているだろう。王宮魔導士の勤務時間はとっくに終了しているはずだ。
「今日は仕事場に寄ってくのか?」
「そのつもり。そのためにこんな時間までここにいたんだから。純粋に本を読みたいのもあったけど」
「気を付けろよ。誰か残っているかもしれんし、同僚は一応城仕えレベルだろう。気付かれないようにな」
「私を誰だと思ってんの。そもそも別に見つかったって問題はないんだけど、面倒くさいだけで」
見つかったときのことを考えたのか、少女は苦虫を噛み潰したような顔をする。
彼女のある意味重度の面倒くさがりを呆れつつも微笑ましく思い、青年は苦笑した。
「今日は戻るか。またすぐ来るが」
「来なくて結構です。それより仕事しなさい」
「はいはい。ではな、ナズナ」
「じゃーね、ヴァイス」
寂しさを隠しもせずに微笑みながら別れを言うヴァイスに、ナズナと呼ばれた少女は困った子をみるように微笑んで別れを告げた。次の瞬間にはヴァイスの姿は消え去っていた。空間転移魔法で魔界に戻ったのだろう。
ナズナは溜め息を吐き、虚空を見上げる。窓のない地下フロアの薄暗闇のなか、力なくぽつりと呟いた。
「あの態度に懐柔されそう。許しちゃいけないのにな………」
切なさを含んだその声は、静かな部屋に染み入るように溶けていった。
一話の文章量をどうしようか悩み中。
次回から増えるかも。