01. ナズナとヴァイス(1)
「はぁ………」
人気のない静かな図書館の一角で、少女は大量の本に囲まれながらもう何度目かになるかわからない溜息を溢した。
十代中頃の、よくいる砂色の髪に焦茶の瞳の少女だ。異国の顔立ちとさらりと流れる肩甲骨ほどの髪が一瞬眼を引くが、それだけだ。少女の発する平凡オーラのせいか、あえて覚えようとしなければ次の瞬間には忘れてしまうだろう。
しかし少女から垂れ流される溜息は、およそ年齢に似合わない疲労感漂うものであった。
「さっきからどうした。何度も溜息を吐いてるぞ?」
少女の程近くに本棚を背に座り込んでいた青年が訊く。
青年は二十代後半に見え、誰が見ても文句の付けようがない程整った容姿をしていた。艶めく漆黒の髪に、光の加減によっては金が瞬く澄み切った闇夜の空の様な瞳が、青年の甘さと凛々しさを携えた顔立ちを更に際立たせていた。
「………あんたの」
地を這ったような低い声でぼぞりと少女は言う
少女の声が聞こえなかったのか青年はおもむろに立ち上がり、少女を後ろから抱き込もうと腕を伸ばしながら甘い声で囁いた。
「ん、どうした?」
「あんたのせいでしょーが!!!」
叫びながら振り向きつつ青年に右ストレートをお見舞いする。結構な勢いで青年は吹き飛んだ。拳によりかなり重い音が響いたはずだが、少女の声はそれを軽く凌駕していた。
吹っ飛んでいく青年が本棚へとぶつかりそうになり、少女は慌てて本棚にシールドを張る。本棚が倒れたらかなわない。下手をすればドミノ崩しだ。
「ぐはっ!」
青年はシールドにぶつかり崩れ落ちた。そのままピクリとも動かないが、叫び続ける少女は気付かない。
「あんたが勝手に契約するから!!ただでさえ界渡りなんて御伽話レベルの事調べてるのに、さ・ら・に契約解除の方法まで探さなきゃなんだよ!?私は何時になったら帰れんのさ!溜息だって吐きたくもなるでしょーが!!!」
怒りに震える声で一気に捲し立てた後、乱れる息とともに感情を整える。
そこでやっと動かない青年に気が付いた。少女はやりすぎたかと焦りながら青年の元へと駆ける。様子を診るため膝をつこうとしたところで、ピタリと動きが止まった。
青年はぶん殴られたにも拘らず、嬉しそうににやにやとしていた。
「こんの変態!!」
鳥肌が立ち、思わず倒れていた青年を蹴り上げていた。抵抗しない者に止めを刺すようで罪悪感を覚えないでもないが、この青年は殴られるのが嬉しいようなので、まぁ良しとする。
そうやって少女は心の中で折り合いを付けつつ、青年を放って先ほどまで本を読んでいた場所へと戻っていく。
そこは図書館の中でも滅多に人が訪れない地下フロアであり、さらにここ何年か人が訪れたことのないような奥まった場所であった。
そもそも地下フロアは必要とされなくなった知識の記された書物の溜まり場である。いわば本の墓場だ。奥まった場所にある書物ほど、そこに記された知識の需要は低い。そのためか、地下フロアの存在を知らない者も多い。
それをいいことに少女は本棚の間の壁際に陣取り、そこをベースとして貪るように本を読みふけっていた。
食料や紅茶などを持ち込み、床に座り込み、周囲に本の塔をいくつも作るという自由ぶりである。自身は頓着なく直接床に座り込んでいるが、本は丁重に扱っている。塔の一番下には清潔な布を敷き、飲食時は自身に結界を張るという徹底ぶりだった。
地下フロアで自由に過ごしているのはいいとして、青年がいるのは人にバレたくないため、地下フロアに探査魔法を掛け誰か来たすぐ分かるようにしている。
そもそも気付かれないように防音と防臭、目くらましの結界を張り、ついでに必要ないが物理防御と魔法防御の結界を張っている。探査・索敵魔法に対する防御魔法も使う。どうせなら居心地よく過ごすために結界内の温度調節もする。これらの補助魔法は使用者よりも魔力量が多くないと破ることができないものだ。
面倒を避けるための手間は惜しまない。そもそも青年が一番の面倒なのだが、あまりのしつこさに少女は追い出すことをとうに諦めていた。