現代に残る見えない優生政策 ~障害年金二級で、人は家庭を持てるのか!?~
障害基礎年金二級の給付額は、月に七万円台である。
この額を見て、まず問うべき疑問がある。
これで働けない人たちは暮らせるのか。
そして、これで人は家庭を持てるのか。
家賃を払う。
電気代を払う。
水道代を払う。
通信費を払う。
食費を払う。
通院費を払う。
薬代を払う。
これだけで、七万円台など簡単に消える。
それでも制度は、この額を障害基礎年金二級の給付額として提示する。
まるで、あとは家族に頼れ、節約で耐えろ、生活保護へ行け、と言わんばかりに。
しかし問題は、この額は、障害者から結婚の可能性まで奪っていることだ。
特に男性の場合、その影響は重い。
現代の結婚において、男性の収入はなお強く見られる。
口では愛情が大切だと言われる。
人柄が大切だとも言われる。
それは間違いではない。
だが、現実には住居費が要る。
食費が要る。
医療費が要る。
子を望むなら教育費が要る。
老後の備えも要る。
この現代社会では、結婚は感情だけでは維持できない。
生活の土台が必要になる。
その時、月七万円台の障害年金しかない男性は、結婚相手として極めて選ばれにくい。
これは女性を責める話ではない。
女性にも生活がある。
将来への不安がある。
子を持つなら、なおさら安定を求める。
病気や障害を抱えた相手を支えるには、精神的負担も経済的負担も発生する。
だから、女性が慎重になるのは当然である。
問題は、女性が冷たいからではない。
問題は、国家が障害者に、家庭形成の土台さえ与えていない点にある。
働けない。
収入は月七万円台。
貯金は減る一方。
親が亡くなれば生活保護が視野に入る。
病状が悪化すれば、役所の手続きさえ難しい。
この条件で、どうやって恋愛しろと言うのか。
どうやって結婚しろと言うのか。
どうやって子を持つ未来を描けと言うのか。
かつての優生政策は露骨だった。
障害者を劣った存在と見なし、手術によって生殖や結婚の自由を奪った。
それは国家による明白な暴力だった。
今の制度は、そこまで露骨ではない。
結婚するな、とは言わない。
子を持つな、とは言わない。
家庭を作るな、とは言わない。
ただし、家庭を持てるだけの所得は与えない。
……一体、これは何なのか。
法律で禁じていないから差別ではない、という話では済まない。
暮らせない額しか渡さず、結婚相手として選ばれにくい状況へ追い込み、家庭を持つ未来を実質的に閉ざしているなら、それは制度による静かな排除ではないか。
働けない障害者の恋愛は、きれいごとではない。
好きだけでは家賃は払えない。
優しさだけでは食費は出ない。
誠実さだけでは医療費は消えない。
将来不安を、愛情だけで埋めることはできない。
つまり、障害基礎年金二級のみの男性は、最初から子孫を残す可能性の外へ置かれやすい。
これは本人の努力不足ではない。
魅力がないからでもない。
人間性が劣るからでもない。
制度が、その人を「家庭を支えられない存在」へ追い込んでいるのである。
月七万円台の給付額は、単なる貧困の問題ではない。
それは、障害者が結婚しにくくなる問題であり、子を持ちにくくなる問題であり、未来を描きにくくなる問題である。
つまり、生存のみが認められる。
これはあまりに残酷である。
人は、病気になったから恋愛を諦めるべきなのか。
働けなくなったから結婚を諦めるべきなのか。
障害年金を受けているから、家庭を持つ夢まで捨てるべきなのか。
私は、そうは思わない。
本来の福祉は、命を最低限つなぐだけの制度ではない。
人間が人間らしく暮らすための制度である。
住まいがあり、食事があり、医療があり、そして将来を考えられるだけの小さな余白がある。
そこまで支えて、初めて福祉と呼べる。
障害者に必要なのは、同情ではない。
美談でもない。
頑張れという声援でもない。
必要なのは、人間らしく暮らせる金額である。
そして、家庭を持つ未来を完全には諦めずに済むだけの所得である。
月七万円台では、人は暮らせない。
月七万円台では、男性障害者は結婚市場から弾かれやすい。
月七万円台では、家庭を持つ夢はあまりに遠い。
直接の断種ではない。
露骨な優生政策でもない。
だが、結果として障害者が結婚しにくく、子を持ちにくく、孤独に追い込まれていくならば、それは現代に残る、見えない優生思想の影ではないか。
この問いに、我々の社会はそろそろ正面から答えるべきである。
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