7色の傘
私は最悪な気持ちだった。
いつからか義務と成り果てた友達との食事を終え、帰宅する最中にそれは起きた。
午後8時の電車の中でそれを見たのだ。
ああ、雨だ。
天気予報では曇りだったはずだ。
しかし、現実として今、窓を濡らし、地面には水溜まり。
そこに落ちる雨が波紋を作る様子。
友達は傘を持っていなかったはずだが、大丈夫だろうか。
それとも、折り畳み傘でも持っていたのたろうか?
どうでもいいか。
私には関係のないことだ。
電車を降り、改札を出て、路頭に迷った。
家まで走ろうか。
それとも、諦めて歩こうか。
ため息をつく。
友達なんてもののために外に出なければ、こんなことにはならなかつたのに。
また、大きくため息をついた。
そこで私は、違和感に気づいた。
「…傘?」
透明な傘が地面に横たわっている。
傘は雨に打たれ、誰が拾うでもなくそこにある。
私は思った。
盗んでやろう。
どうせ誰も拾わないのだ。
それに、こんな大きな物をうっかり落とす人間などいない。
持ち主も要らないからそこに捨てたのだ。
なら、もらっても構わないだろう。
そう決断し、私は走った。
雨に打たれながらも、一縷の希望に向かって。
私は傘を掴んだ。
すかさず元の屋根がある場所へ戻った。
「やった」
ついそんな声が漏れた。
最悪な1日だったが、神は私に救いの手を差し伸べたようだ。
「…え?」
私は傘を見た。
「オレンジ?」
私が拾った時、この傘は透明だったはずだ。
であるなら、拾う傘を間違えた?
いいや。
こんな雨の日に傘を捨てる人間が2人もいる訳がない。
なら、色が変わった?
瞬間、色が変わる。
薄い赤色となった。
「ひっ…」
私は傘を放り投げた。
そしたら、傘は透明になった。
気持ち悪い。
誰かのイタズラだろうか。
傘を盗んだ私への罰だろうか。
「ふふっ」
つい、そんな声が漏れた。
私は考えたのだ。
傘の色が変わる嫌がらせ?
なんの実害もない。
傘は傘だ。
色が変わろうがなにも変わらない。
雨が防げるならそれでいいのだ。
しかし、こんなイタズラを考える人間がいるとは。
暇なのだろうか?
こんなことに時間と技術を使うくらいなら、もっと役に立つことをすればいいのに。
こんなことに時間を使い悲しくないのだろうか。
無意味に、なんの目標もなく生きているのだろう。
そんな人生で楽しいのだろうか。
私は、この傘の制作者を軽蔑した。
私は傘を拾い直した。
傘は冷たい青へと変わった。
「また。くふっ」
また笑いが漏れた。
あまりに滑稽だ。
しかし面倒だ。
私が傘を持つと、この傘は色がつく。
つまり、私が傘を持つ瞬間に、遠隔で色をつけいてる者がいるのだ。
このまま家に帰ったら、そいつに私の家を教えることになる。
しかし、辺りを見渡してもそれらしい人はいない。
まあ、こんな傘を持てば誰しもが周りを見る。
そんなことは犯人だって知っているだろう。
だから、そうされても大丈夫な方法で私を見ているのだ。
実際、どうやってやっているのかはわからないが。
しかし、まあ別に構わない。
特定する方法ならすでに思いついている。
私は帰宅するため歩いた。
私は振り向いた。
なぜか。
駅で犯人を特定することなど不可能だ。
大勢の人間がいて、その中のどこにいるかなどわかるわけがない。
しかし、私が歩いたのなら話は別だ。
私が歩くということは、犯人も私を追わなくてはならない。
つまり、私の後ろに犯人はいる。
それがわかれば、あとは一般人と比べて、変なやつを見つければいい。
そのあとは、警察にでも電話しようか。
それとも逃げようか。
まあ、見つけてから考えよう。
そうして、振り返った先で見たものは。
「いない…」
おかしい。
なぜだ?
私はなんの前触れもなく振り向いた。
隠れようとして隠れれる時間はなかったのだ。
まさか、犯人など最初からいないと言うのか?
家に帰るまでの間、私は何回も振り返った。
しかし一度たりとも犯人らしき人物を見つけることはできなかった。
ラジコンでも飛んでいるのかと空も見た。
ただ濡れただけだった。
私は、この謎の傘をタオルで拭き、自室に持って来た。
何度見ても意味がわからない。
手を離せば透明、持てば色が変わる傘。
よく見れば、中に何もない。
ただの布だ。
仕掛けなど施された形跡はない。
つまり、これは人為的犯行ではなく、"そういう"傘。
私は恐れた。
すると、傘は紫色へと変わった。
私は傘を放り投げた。
「ひっ…あっ…」
私は恐怖の中、1つ気づいたことがある。
それが合っているのか、検証しなければならない。
私は放り投げた傘を掴んだ。
傘はまた、紫色へと変化した。
私はスマホをつけ、動画投稿サイトを覗いた。
「【驚愕】これだけ知ってれば無双!恋の裏技10選」
「くっ…ぷふっ…」
私はその動画のタイトルを見て、自然と失笑した。
こんなバカな動画を上げるやつもそうだが、なかなかに再生が多いことも笑いを誘う。
人の心がそんなに単純なら、もっと私の生活は楽だろうに。
私は、その動画を上げる人物を妄想し、軽蔑した。
「やっぱり」
傘が冷たい青色へと変わった。
ビンゴだ。
私は色々な動画を見て試した。
どうやら、この傘は私の感情によって色が変わるらしい。
そして、感情は7つに分けられている。
喜びはオレンジ。
嬉しさは黄色 。
怒りは赤黒い。
悲しみは青。
恐怖は紫。
驚きは緋色。
軽蔑は冷たい青。
仕組みがわかれば恐れる理由もない。
なぜこんな物が落ちていたのかは知らないが、盗んだからといって爆発するわけでもない。
なら、この傘を最大限有効活用してやろう。
「灯!ちょっと降りてきなさい!」
母が下の階から呼んでいる声が聞こえた。
私は下の階へ降りた。
「なに?」
母の顔を見て言う。
「昨日成績表が返されたって美幸ちゃんのお母さんから聞いたんだけど」
ああ、そういえば渡してなかったな。
「返されたんでしょ。見せなさい」
断ったところで無意味なので、私はバックから成績表を取り出した。
「はい」
私は成績表を渡した。
母は開いて早々、怒鳴り声をあげた。
「なんなのこの評価!」
近くにあったリモコンを床に叩きつけた。
「あなたはお父さんと私の子なのよ。ふざけてるの?バカにしてるの?」
「ううん。してないよ。バカでごめんなさい」
頭を下げて謝罪した。
母はそれが気に入らなかったようだ。
「ごめんじゃないの!どうしてあなたはこんなにバカなの!」
テーブルに何度も何度も拳を叩きつける。
すると母は気力が切れたようで、静かに言った。
「あんたなんて産まなきゃよかった」
そう言って、成績表を破り、ゴミ箱に捨てた。
「あんたは今日もカップラーメンでも食べてなさい」
母は決して料理ができないわけじゃない。
その証拠に、美味しそうな肉じゃがや回鍋肉の匂いがする。
だから、これは単なる嫌がらせだ。
午後9時。
カップラーメンだけでは足りなかったようで、お腹が空いている。
そういえば、明日は給料日だ。
19/20は親に持っていかれるが、1/20は自由に使える。
そのお金で、なにか食べることにしよう。
私は、明日のご飯だけが楽しみで眠ることにした。
人生とはなんのためにあるのだろう。
永遠に答えが出ないであろうことを、私は日々考えていた。
それは、人生に満足していない証拠でもある。
趣味もなく、好きなものも大してない。
友達といる時間は苦痛だ。
笑顔を顔に貼り付け、相手のご機嫌を伺うだけの時間を、私は楽しいとは思わない。
それなのになぜ友達を作ったのかといえば、若気の至りだ。
昔は友達がいたら楽しいという嘘を見抜くことができずに、友達を作ってしまったのだ。
そして不幸なことに、小学校から今の高校までずっと同じ学校に通うほど仲良くなってしまった。
仲良くなった、というのは表向きの話だが。
その友達こそ、美幸である。
本当に面倒だ。
「はあ…」
私は布団から出ることにした。
ご飯でも食べれば、少しは気も紛れるだろう。
午前9時。
充分飲食店もやってる時間だ。
私はそこで、ある音に気づいた。
ザー、ザー。
雨だ。
そういえば、今は梅雨か。
そうだ、あの傘を持っていこう。
周りからどんな反応をされるか楽しみだ。
傘を体で隠し、玄関まで来た。
「ご飯食べてきます」
誰に当てたでもなく発したその言葉に、父が反応した。
「ああ、できるなら帰ってくるな」
私はそれを聞こえないフリをして外を出た。
私は、近くの飲食店を目指して歩いた。
通行人は私の傘に釘付けなようで、さっき自転車と追突しかけていた人もいた。
面白いものだ。
傘はずっとオレンジ色だ。
私はこの状況に喜んでいるらしい。
「あれ、灯?」
私は、前から来た人に声をかけられた。
ほとんど無意識で歩いていたから、それが誰なのかは、話しかけるまで認識できなかった。
しかし、話しかけられた今ならわかる。
「あ、美幸じゃん」
最悪だ。
誰が早朝にこんな女に会いたいんだ。
「どうしたの?こんな朝早くから」
「ちょっとお腹空いたからご飯食べようと思って。美幸は?」
「私は今日も灯と遊ぼうと思って、家に凸りに行くところ」
流石バカな女だ。
朝早く、なんの連絡なしに人の家に行くことが迷惑になるなんて一切考えていない。
はっきり言って嫌気が差す。
傘が紫色に変わった。
「なにその傘!そういう仕組!?」
ああ、面倒だ。
こんなことなら普通の傘を持ってくればよかった。
「なんだっけな。確か目の錯覚とか?」
「へえー!すごいね」
んなわけねーだろバカ女。
少しは疑え。
「ご飯食べに行くんだよね。私も朝まだだし、ついて行ってもいい?」
「うん。いいよ」
どうせ断ってもゴネるのだ。
了承した方がストレスが少ない。
「私くまの夢見パフェで!」
「ええと。じゃあくまの夢見パフェと、グリーンカレー大盛り。あとドリンクバーを1人」
「2人!」
「…では2人でお願いします」
かしこまりました。
そういって店員はキッチンの方へ行った。
「もう。私はいっつもドリンクバー頼んでるじゃん!忘れないでよ!」
ならお前もそろそろ覚えてほしい。
私はドリンクバーを頼まない。
そんな心の愚痴など知る由もない美幸は、いつの間にかスマホを触っている。
「えー、ゆっきーネイル奇抜ー」
そんな浅い感想を述べるくらいなら黙っててほしい。
「つっ…」
2日前に父に殴られた二の腕がテーブルに触れ、ついそんな声が漏れた。
「どしたの?」
「なんでもない」
「そう?ならいいんだけど」
この女は私に興味がないのだろうか。
ないならぜひとも私の前から消えてほしい。
私はふと、傘を触ってみた。
赤黒い。
まあ、そうか。
こんなやつと朝ごはんを食べる羽目になれば、怒りも出てくるだろう。
「そういえばさ、灯」
「ん?なに?」
どうせくだらない質問でもするつもりなのだろう。
適当に肯定して終わる内容ならありがたい。
「いつから灯は死んじゃったの?」
「はい?」
なにを言っているんだこの女は。
不思議ちゃんもここまで来ると痛いが、残念ながら友達という設定上真面目に会話をしなければならない。
「死んじゃったって…生きてるけど」
「昔は絵描くの好きだったよね」
そういえば、そんな時期もあった。
「今も好きだよ」
嘘である。
「私、灯のこと好きだよ」
いつの間にか、スマホはテーブルに置かれていた。
バカな美幸とは思えない、真剣な顔だ。
「灯の前でだけは、私は私でいれる気がするの。多分、似てるからなんだろうね。私たち」
どういう類の悪口だ?
私と美幸が似てる?
ふざけるな。
お前なんかより何千倍も悩んで、苦しんで生きてる。
お前みたいな能天気と一緒にするな。
「虐待受けてるでしょ」
瞬間、体が硬直した。
「…は?」
「当たった」
ふふっ、と微笑を浮かべ、そう言われた。
なぜ。
「なんで…」
「だから、似てるんだって」
美幸は、服を捲り、左腕の二の腕を見せてきた。
アザになっている。
「冷静に考えてさ、私みたいなバカ、親が許してくれるわけないじゃん。成績表見せた瞬間にこれだよウケるよね」
悪質なドッキリなのか?
美幸のことだ。
ありえないことはない。
しかし、演技でこんな顔、このバカができるわけがない。
「クラスでも、本当のバカな私でいると裏で貶されちゃうからさ。クラスでは普通の女の子のフリしてるけど、それでもバカって隠しきれなくて。でも、灯は別に気にせず接してくれるから、嬉しいんだ」
わからない。
この女の言っていることはどこまで嘘で、どこまで本当なんだ?
まさか、全部事実、なんてことがあり得るのか?
このバカが、人並みに…いや。
私くらい悩んで、苦しんで生きてきたのか?
「灯って昔すごい元気で泣き虫だったよね。小1の夏休み一緒に遊んでさ、灯うわーって走ってて、転んで膝怪我しちゃって泣いてたの、今でも覚えてるよ」
でも、と続けた。
「2年になると笑顔も減って、転んでも全然泣かなくなったよね」
親からの虐待を受けたのは1年生の冬から。
それまでの私は、元気な子だった…のか?
わからない。
もはや私にとっては遠い過去の話だ。
「私、もっと灯に笑ってほしいんだ」
「…なんで?」
「なんでって、さっき言ったじゃん」
一拍置いて、言った。
「バカな私を受け入れてくれたから、だよ」
「受け入れてないよ。クラスに馴染むために友達を作っただけ」
つい、本音が漏れた。
「じゃあさ、なんで何十人もいる中から、私を選んだの?」
「選んだ?なに言って…」
ああ、思い出した。
そういえば。
「私から話しかけたんだ」
「ぷっ、忘れてたの?灯も天然ちゃんだねー」
美幸に笑われた。
だけど、なんだろうこの感情は。
怒りじゃない。
もっと暖かくて、気持ちよくて、ずっとこうしていたいと思う感覚。
そうだ。
傘があった。
これがあれば、私は今どういう感情なのかわかる。
私は傘を握った。
結果は…。
「え、その傘虹色になるの!?」
虹。
昨日調べた中に、そんなものはない。
七色じゃないのか?
「お待たせしました。くまの夢見パフェです」
「わー!かわいい!ありがとうございます!」
美幸は早速スプーンでくまの顔を食べようとすくい、口に運んだ。
食べようとする美幸を、私はじっと見た。
なんでかは私にもわからない。
お腹が空いていたからかもしれない。
「あー…あ、そうだ」
口に運ぼうとした手は、私と目が合ったことで止まる。
「もー。そんなに見られたら食べづらいよ。はい。あーん」
「舐めてんの?」
「舐めてないよー。ほら、あーん」
私背もたれの方に体を寄せたが、美幸は当然のようにテーブルに膝を乗せ、食べさせようとしてくる。
「わかったから、膝乗せないで」
ここにはご飯がない時よく来るのだ。
周りから変な目で見られるのは嫌だ。
「はい、あーん」
「あーん」
私はしかたなく、くまの顔を口に入れた。
「どう?美味しい?」
「冷たい」
「よかった」
冷たい。
それは本当だ。
だけど、それだけじゃない。
少しあったかい。
そして。
「え、どうしたの?」
そしてこれも、本当になんでかはわからない。
「泣いてるの?」
「うん。なんでだろうね」
意味がわからない。
あーんされて涙が出た?
どんなお笑いでそんなネタが出てくる?
意味不明すぎて誰も笑わない。
また傘を握ってみた。
変わらず虹色だ。
壊れたのだろうか。
「久しぶりに見たなあ。灯が泣いてるところ」
そういえば、最後に泣いたのはいつだっただろう。
覚えてない。
だって、涙を流しても誰も助けてはくれないと知ってしまったから。
美幸は席から立ち上がり、私の横に座った。
そして、私の頭を抱いた。
「大丈夫だよ。私は灯の味方だから」
使い古された言葉だ。
いまさら、その言葉になんの感情が湧くはずもない。
そのはずなのに…。
「う…うぐっ。うん。ありがっ…とお」
まともに喋れないほど、私は泣いてしまった。
なんでなのか、そんなことは私が訊きたい。
傘に訊いても、ただ虹色に光るだけだ。
そこで、私は気づいた。
どうして、傘が七色で私の感情を表してくれないのか。
それは、表せないのだ。
この傘の制作者はバカなのだ。
人の感情が、たった7つに収まるはずがない。
感情はもっと膨大で、もっと複雑なんだ。
それがわからないとは、愚かな制作者だ。
それに頼った私も、なんだろうが。
それから、私たちは話合った。
昔の話を。
今の話を。
楽しいばかりではない。
むしろ、辛いことばかり話した。
「知ってる?二の腕の方が痛いけど、背中の方が内部に響く感じがして気持ち悪いの」
「当たり前。背中とかよくやられるし。部屋戻ろうとしたときとか」
「わかるー!別れの挨拶みたいに殴ってくるよね!」
「で、遠くにいる時は物投げてくる」
「あるある。特に瓶ね。あれ頭に当たったら洒落にならないからやめてほしい」
「ごめん。瓶の経験はないわ。っていうか美幸の家はビン投げてくんの?」
「あるよ。背中に当たる時は打撃で、床に落ちると斬撃。まさに二刀流」
「なに言ってんの?」
それでも、楽しかった。
私たちにしかわからない話。
私たちだけがわかり会える話。
そういえば、虹色は結局どんな感情なのだろう。
「それで…って、どしたの?」
「ああ?ああ、いや、ちょっとぼーっと」
「ふぅーん」
まあ、いいか。
人生は長い。
何十年もすればわかるかもしれない。
そうだった。
そんな謎を解決するより、言わなきゃいけないことがあった。
「ねえ、美幸」
「ん?なあに?」
「私も好きだよ」




