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となりにいた時間、ぜんぶ覚えてる

第4話:となりにいた時間、ぜんぶ覚えてる


夏希の手術は、3日後に決まった。

骨髄移植。成功すれば、病気は完治に近づく――

でもそのぶん、身体への負担も大きい。

陽輝は、その現実を頭では理解していた。

でも心が、どうしても追いつかなかった。

「……怖い?」

夜、病室のカーテン越しに声をかけた。

夏希はしばらく黙って、カーテンをそっと開けた。

「ちょっとだけ。でもね……ここで、逃げたら全部終わっちゃう気がして」

「……うん」

「だから、行ってくるよ。ちゃんと戻ってくる。生きて、戻ってくるから」

陽輝は、こみあげてきた涙を飲み込みながら言った。

「絶対、待ってる」

「“絶対”なんて言ってくれるの、あなただけだよ」

夏希が笑った。

でもその目には、こらえきれない光がにじんでいた。

「……手紙、書いた」

陽輝は、小さな封筒を差し出した。

「手術室に行く前に、読んで」

「うん」

二人は見つめ合った。

何度も、何度も、言葉を交わしてきたのに――

今は、たった一言が、どうしても口に出せない。

夏希が、そっと手を伸ばした。

陽輝の手を握った、その指が震えているのを、陽輝は気づいた。

「……ありがとう。ここで、陽輝と会えてよかった」

「おれも……夏希に会えて、本当によかった」

「戻ってきたらさ――また、いっしょに“なつひか図書館”やろうね」

「うん。二人で、新しい章を始めよう」

別れの言葉なんて、いらなかった。

願いはただひとつ。「また、となりに」。

それだけだった。


手紙(陽輝から夏希へ)

夏希へ

初めて話したときのこと、覚えてる?

声だけで“先輩風吹かせてた”あの感じ。

あの日から、ずっとあなたが隣にいた。

図書館をつくった日、

未来と一緒に笑った日、

あなたが微熱でベッドにいた日、

ぜんぶ、宝物だよ。

だから、お願い。

これからも――

おれの“となり”で、生きていてください。

――陽輝より

朝、6時30分。

陽輝はいつもより早く目を覚ました。

カーテン越しの向こう――そこに、夏希の姿はもうなかった。

「……いよいよ、か」

窓の外は、梅雨明け間近の、少しぼんやりとした空だった。

でもその曇り空さえ、今日はどこか遠い世界のことのように思えた。


談話室の時計が、午前9時を指す。

陽輝は、椅子に座ったまま動けずにいた。

隣には、蓮がそっと座ってくれている。

未来からは、昨夜届いた小さな手紙。

なつきちゃん、だいじょうぶ。

わたし、信じてる。

ちゃんと“本のつづき”が読める日が来るって。

――未来

陽輝は、その手紙をポケットにしまいながら、夏希からの最後の言葉を思い出していた。

「戻ってきたらさ――また、いっしょに“なつひか図書館”やろうね」

「……“戻ってきたら”じゃなくて、“いっしょに戻ってこい”だよ」

小さく、苦笑する。

でも、胸の奥はきゅっと締めつけられるようだった。


午前10時15分。

看護師がやってきて、静かに告げた。

「今、手術に入りました」

その言葉が落ちた瞬間、陽輝の時間も止まった。

手術室と彼を隔てる壁は、病棟のどの本棚よりも分厚く思えた。


午後。

陽輝は、手に夏希への手紙のコピーを持っていた。

読み返すたびに、心がざわつく。

「“生きていてください”なんて、勝手だよな」

でも、それしか書けなかった。

それしか、願えなかった。

蓮がぽつりと呟いた。

「でも、それでいいんだと思う。……本気の願いって、そういうもんだよ」

陽輝は、黙ってうなずいた。

病棟の廊下には、静かな時計の音が響いていた。


午後4時22分。

一報が届いた。

「手術は、無事終了しました」

陽輝はその言葉を聞いても、しばらく反応できなかった。

身体の奥が、ふっと力を抜かれて――

それから、涙が一筋、頬をつたった。

「……ありがとう、なつき」

「……おかえり、なつき」

彼は、まだ眠っている彼女に、心の中でそう呟いた。

それは、病棟が少しだけ薄暗くなる頃だった。

夏希の入っている特別室の前に、陽輝はひとり立っていた。

手術が終わって三日。

熱も落ち着き、意識がそろそろ戻るかもしれない――

そう医師に告げられていた。

「……なんか、心臓の音がうるさい」

彼は小さく深呼吸して、ドアの小窓をのぞいた。

そして――

夏希が、目を開けていた。

窓越しに視線が合った瞬間、彼女はゆっくりまばたきをして、微笑んだ。

陽輝は、何も言わずに部屋に入った。

夏希はまだ声が出せないのか、ほんの少し唇を動かしただけ。

でもその目が、すべてを語っていた。

「ただいま」と、「ありがとう」と、「待っててくれてうれしい」と。

陽輝は、ベッドの横にそっと座って言った。

「……なつき、おかえり」

夏希はうっすらとうなずき、枕元の机を指差した。

そこに置かれていたのは――

陽輝の手紙だった。

しわしわになって、端が少し破けていて、でもきっと何度も読まれたんだと思った。

「読んだんだね」

また、うなずく。

そして、唇がもう一度、かすかに動いた。

陽輝はその動きを見て、そっと答えた。

「……“おれも、ずっととなりにいたい”」

涙は、今度は流れなかった。

かわりに、心がいっぱいになった。

二人は何も話さず、ただ静かに、同じ天井を見上げていた。

でもその空間は、まちがいなく――

“なつひか”の、次のページだった。

夏希の退院が決まったのは、あたたかい風が吹き始めた頃だった。

ベッドのそばの窓を開けると、遠くの空に小さな雲が流れていくのが見えた。

「明日で終わり、か……」

陽輝は、なつひか図書館の“貸出ノート”を読み返していた。

未来の文字、蓮の走り書き、看護師さんの感想。

ページのひとつひとつが、まるで記憶のアルバムみたいだった。

「……でも、ここが終わりじゃないよね」

その声に、後ろを振り返る。

夏希が、病衣のまま立っていた。少し細くなったけど、目は強く、あたたかかった。

「“図書館”って、本がある場所じゃなくて、誰かの“想い”が残ってる場所なんだって思った」

陽輝は、静かにうなずいた。

「夏希がいなくなったあとも、ここは続けるよ」

「でも、また来るよ」

「そのときは、先生じゃなくて、図書係?」

「ううん、“共同創設者”って名乗るから」

二人は笑った。


翌朝。

退院手続きが終わり、夏希は小さなリュックを背負って病棟の出口に立っていた。

未来から預かった手作りの栞と、蓮から借りたままのギャグマンガが、そっと詰められている。

「じゃあ、行ってきます」

「うん。……行ってらっしゃい」

陽輝は、大きく手を振った。

でも声は小さく、胸の奥で鳴っていた。

夏希は、ふと振り返り、少しだけ走って戻ってきた。

そして――

陽輝の手を、そっと握った。

「ねえ、陽輝。いま、お願いごとするなら、何にする?」

「……“また会えますように”かな」

「それ、叶えてあげる」

そう言って、笑顔のまま、彼の手から離れた。


病棟のロビーに飾られていた小さな短冊に、夏希は最後の文字を残した。

「また、“なつひか図書館”で会えますように」


その願いが届く場所は、

誰かの心の中で、そっとページを開きつづける。

そして、物語は――

まだ終わらない。

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